56.
朝方、空が白んで来たくらいの時間帯に、コンコンっと戸が叩かれる音がしたため、アルガは読んでいた本を閉じ、玄関に向かった。
「こんな時間に一体誰かしら……?」
普通、人が訪ねて来るには早すぎる時間であり、起きてはいたけれど自分もまだ寝間着のままである。呟いて、アルガは「誰?」と玄関のドアを開けた。
「っ、ノアール? こんな時間にどうしたのよ」
「…………アルガ、ちゃん」
やけに沈んだ声色のノアールは明らかに様子が可笑しく、表情を見たいのにらしくもなく深く俯いているため、表情は伺えなかった。
「何かあったの? 貴方マイちゃんと二人でクエスト行ってたんじゃ――……」
何の勘ぐりもなくアルガがそう言うと、ノアールはびくりと肩を跳ねさせた。それにアルガが眉を寄せて様子を窺っていれば、少しして、ノアールの身体が小刻みに震えだし、ノアールはその場で膝を付いて、アルガの顔を見上げながらその腕にしがみ付いてきたのである。
それによって漸く見えたノアールの顔は涙でぐちゃぐちゃであり、アルガは思わず「え」と声を上げた。
「――――アルガちゃん、ごめん、ごめん、ごめんなさい……!」
「な、何よ……どうしたの? 何があったの? 泣いてちゃ分からないわ……!」
ボロボロと涙を零すノアールは、嗚咽の間で必死に言葉を繋いだ。
「オレ……、オレ、マイちゃんを……」
「えっ? 何? マイちゃんがどうしたの――……」
「――――オレには……、マイちゃんを、止められなかった……!」
そう言って、続けて言われた「ごめんなさい」は涙が混じって殆ど聞き取れなく、アルガには言葉の意味がすぐには理解できなかった。
*
「――――――そう……、そんな事があったのね……」
部屋に上げたノアールから、全てをちゃんと聞き終えたアルガの言葉に、ノアールはこくりと頷いた。
アルガの向かい側にテーブルを挟んで座っているノアールの目からは、流れていた涙は止まっているものの、その目はうさぎのように真っ赤になり腫れている。互いの間にあるテーブルの上には、マイの名が刻まれているハンターライセンスが置かれていた。
「……マイちゃん自身に何かあるだろうと思ってはいたけど、そんな事情だったとはね。ずっと様子が可笑しかったのも思い出してしまったからだったのね。マイちゃんの方から話してくれるのを待っていたのだけれど……、どうやらそれは間違いだったようね」
カタンっ、と音を立てて席を立ちながらそう言ったアルガの言葉に、ノアールは何も返さずただ俯いた。するとアルガは棚の引き出しから写真を一枚取り出し、ノアールの目の前に差し出す。
「これを見て」
「これは……? ん……? あれ、……もしかして――」
そこに写っていたのは一人の女性の姿だった。
長い髪を一つに束ねてギルドで働く役員の正装に身を包み、生きながらにも死んでいる様な表情と目をした女性。それは。
「…………マイ……、ちゃん……?」
観察するようによく見て、それに気付いたノアールがアルガに目を向けると、アルガは頷いて見せた。
「多分そうよ」
「え、何で、この写真どこで――……」
「一ヶ月くらい前に、アエロがこの村に来たでしょう。そのアエロが持っていたの……あらゆる方面に顔が広い私に渡すようにって、あるギルドの人間に無理やり渡されたってね。アエロ自身、無視しようとしたみたいだけど、粘着されちゃったから、仕方なく私に渡してきたってわけ」
「そ……、」
「渡されてすぐには気付かなかったけど、写真を見れば見る程マイちゃんに似ている気がして――……けど、私の知っているマイちゃんはこんな死んでいる顔をする様な人間じゃなかったから、ずっと他人の空似だと思っていたわ。でも……ノアールの話を聞いて分かった。これは……マイちゃんになる前のマイちゃんなのね」
アルガの話を聞きながらノアールが思い返したのはマイの言葉。
――「ギルドはわたしを探している」
――「あそこはとても恐いところだ」
そして、愕然とした。
ノアールはまだ何処か頭の片隅で、もしかしたらと思っていたのだ。これは夢で、現実じゃなくて、もしくは質の悪い冗談なのかもしれないと、そんなことを。
「――……なんだ、ホントだったんだ……全部、全部、本当の事なんだ……?」
そう呟いて、俯いたノアールは再び涙を流し始め、アルガは小さく「そうみたいね」と目を伏せた。
――彼女が、マイちゃんが「狩り」と称して人を殺していたことも
――マイちゃんが、追われていることも
――マイちゃんが、自分たちの元を去っていったことも
――何もかも、本当のこと
「アルガちゃん、覚えてる……? マイちゃんがパーティに入った当初、アルガちゃんがオレらに“彼女のことをなるべく一人にさせないで”って頼んできたの」
「……ええ」
「アルガちゃん、その時“私がいいって言うまで”って言ってたけど……オレ、それをアルガちゃんに言われたからって律儀に守ってたわけじゃなくて……オレ自身も、ずっとマイちゃんを一人にしちゃいけないって心のどっかで思ってたんだ……」
「…………」
「今回だって、ホントはマイちゃん一人で行こうとしたのをオレが無理やりついてってさ……何で一人にしちゃいけないって思ってたのか分かんなかったけど、今やっと分かった……――こんな日が来る予感が、ずっとあったから……! なのに、なのに……オレさあ……、」
「ノアール……」
「――――オレ、何の意味もなかったんじゃん……! 悔しい……、悔しいよ、アルガちゃん……!」
頭を沈めて涙を流すノアールの頭を、アルガはノアールの横に立ち、優しくぽんぽんと撫でる。
「……私も、貴方か、もしくはロクが一緒なら、何かあっても必ず一度はここに帰ってくるとは思っていたのだけれど……読みが甘かったみたいね。マイちゃんの事情がそんなものだとは思わなかったから……」
そう言って、繰り返しぽんぽんと自分をあやすように自分の頭を撫でるアルガを見て、ノアールは小さく「ごめん」と言った。
「……何か、アルガちゃん冷静だね」
「――そうかしら」
「うん……、オレの話聞いてもあんまり動揺しなかったし……」
ずっ、と鼻を啜るノアールを見て、アルガは手を止め元々座っていたノアールの向かい側の椅子に座り直す。
「――……まあ、マイちゃんに何かあるだろうってことは分かってたし……、勿論そんな事情だとは思っていなかったけど」
頬杖をつきながらアルガは言って、ふと息を吐いた。瞬間、アルガから冷たい空気を感じ取り、ノアールは思わず息を飲む。
「―――けど、冷静ではないわね」
「っ……!」
「滅茶苦茶怒っているわ……。これはマイちゃんを一発殴らないと治まりそうにないかも――私たち、一体何の為の仲間なのよ……見縊らないで欲しいわね―――」
そう言って遠くを睨むアルガの目からは、確かな激しい怒りが感じ取れたため、ノアールはぞくりと肌を粟立たせた。基本的に、普段穏やかであるアルガがここまで目に見えるほどに怒りを抱いているのを、長い付き合いになるノアールも初めて見る。
「さて、じゃあこれからどうしましょうか……まさかパーティー解散する訳あるまいし――……」
そう話を進め出そうとしたアルガに、ノアールは「ちょっと待って!」と言った。
「何?」
「……あの、さ……ロクちゃんには、何て言ったらいいと思う……?」
そんな、ノアールの口から出た言葉に、何故かアルガは目を点にする。言い辛そうにして、アルガから目を逸らしていたノアールはそれに気付かず続けた。
「だって、マイちゃんに一番懐いてたのってロクちゃんじゃん? こんな事知ったらどうなるか――……」
ごにょごにょと言葉をはっきりさせずにそう言うノアールに、アルガは「はあっ」とわざとらしくため息を吐いたのだった。それにノアールが顔を上げれば、アルガから「本気で言ってるの?」とでもいうような目を向けられていたため、ノアールは首を傾げる。
「―――呆れた。ノアール、アンタどんだけ動揺してんのよ。幾ら知らないとはいえ、気配くらい感じなさいよ。そんなに察しの悪い奴を私は仲間にした覚えないんだけど?」
「へっ……? 何、どういうこと……」
「アンタが知らないこともそりゃあるけど、これだけ言ってもまだ分からない?」
「何が……」
「マイちゃんもノアールも、ロクのことを見縊り過ぎだわ。あの子は、自分一人でも動ける強い子よ」
アルガがそう言った次の瞬間だった。不意に、奥の部屋のドアがキィっ……と音を立てて開いたのに、はっとしてノアールがそちらへ振り返ると、そこには寝間着姿のロクが立っていた。
「ロ……ク、ちゃん……」
寝間着姿のロクは、何も言わず部屋の中に入ってくると目を伏せたまま、ただぎゅうっと眉を顰める。何というか、悔しそうな表情を浮かべていた。
「もしかして……今の全部聞いて――……」
「……うん。聞いてたよ、ノアール」
ノアールの恐々とした問いに、一度頷きながらロクははっきりと答える。
「……そっか。マイちゃん、結局そうなっちゃったんだね」
「ロクちゃん……」
「マイちゃん、バカだなぁ。一番弱いくせに、それでも一番優しいから……全部一人で背負って行っちゃったんだ」
言って、ロクは哀しそうに微笑んだ。
「あたしたち、仲間なのに……こんなにも近くにいたのに、マイちゃんの目には全然映ってなかったんだね……」
「――――そうね、本当に腹立たしい限りだわ」
「マイちゃんが可笑しくなったその時に問い質すべきだった……」
二人のそんな言葉にノアールは「あれっ?」と思う。
「……二人ともマイちゃんが変だったの気付いてたの?」
そんなノアールの問いに二人はきょとんとし、二人ともが「何を言ってるの?」という表情でノアールのことを見つめた。
「――あら、そんな事気付いてたわよ。もうずっと」
「――うん、あたしも」
それを聞いたノアールは、少しの間を置いてから可笑しくなり、声を上げて笑う。思い返していたのは、マイが言っていた「どうしてお前だけは気付くんだろうな」ということ。
「……何だ、オレだけじゃないじゃん……やっぱりマイちゃんが隠すの下手なだけじゃん……!」
「――――ノアール、それも違うわ」
「へっ?」
「うん、マイちゃんは嘘が上手だよ。特に自分が痛かったり辛かったりを隠すのが」
二人の言葉にノアールが目を点にしていると、ロクとアルガはこう続けた。
「けど、うん、そうだよね」
「ええ」
「あたしたちがどれだけ一緒に居たのか、見縊らないで欲しいよ」
「私たちがどれだけ一緒に居たのか、見縊らないで欲しいわ」
息を合わせた訳でもなく、それぞれでそう言い放った重なる二人の言葉は、ノアールの眼前に火花の様にきらきらと散る。そして、ノアールは瞬く光を全身に飲み込むと、自然と泣きそうになり、やっぱり零れた落ちたのは笑みだった。
――ああ、マイちゃん
――君はオレ一人にだけに挨拶をして行くなんて許されていなかった
――だって君はこんなにも、皆に愛されている!
泣きそうに笑うノアールの表情を見て、アルガはふっと微笑んでから、ロクを指差し首を傾げて見せる。
「――それで? 貴女はどうするの? ロク」
何故敢えてアルガがそうロクに問いかけたのか、首を傾げながらノアールがロクを見ていると、ロクは「うん――……」と頷き、前を見据えた。頷いてから上げられたロクの表情は、長い付き合いの中でもノアールの見たことの無い、凛としたものになっていて、ノアールはどきりとする。
「あたし、決めたよ。ずっと、マイちゃんを救うためにはどうしたらいいのかって考えてた――……だから、二人には力を貸して欲しい。アルガちゃん、ノアール」
「何?」
「へ? はいっ!」
「マイちゃんをまたここに戻すために、あたしに力を貸して」
力強い、はっきりとしたロクの言葉に、ノアールが言葉を失っていると、アルガはくすりと不敵に笑ったのだった。
「お安い御用よ。――ノアール、アンタは?」
「えっ!? あ、も、勿論貸すに決まってる!! オレも、マイちゃんに戻って来てほしい、から――……」
ノアールが慌てて言葉を返す中で、ロクはにこりと高貴に微笑み「ありがとう」と頭を下げる。その表情も、その行動も、ノアールがいつも見ているロクの表情ではなくて、ノアールはただただ戸惑った。
――何か、ロクちゃんが……
「じゃあ、ノアールは観測隊に助力を頼んで内密にマイちゃんを探して?」
「う、うん」
「アルガちゃんも同じく騎士団の信頼できる人たちに助力を頼んでマイちゃんを探して欲しい。その中であたしが頼む書類の作成もお願いできる?」
「分かったわ。――で、ロク、貴女は何をするの?」
聞かれた言葉にロクは少し間を置いて、独りでに頷く。
「あたしは――……ベンお兄ちゃんに助力を頼んで一度生家に戻って頼み込もうと思う」
「た、のむ……? 何を……?」
ごく自然に出たノアールの問いかけに、ロクははっきりとこう答えたのだった。
「――――マイちゃんを、あたしの家の養子にする。あんな優しい子にもう人を殺させない。マイちゃんを、あのギルドに絶対渡さない……!」
そこまで言うとロクは踵を返し、玄関に向かう。
「じゃああたし、準備するから帰るよ。二人とも、お願いね」
「う、うん……」
「了解」
パタンっ、と玄関の閉じる音が室内に響き、ふとアルガがノアールに目をやるとノアールは何やら呆然としていたのだった。
「――ちょっと、何呆けてんのよ、ノアール」
「えっ? あ、ああ、ううんと、何かロクちゃんが、ロクちゃんじゃなかったし、それに養子とか……」
「まあ、あんたたちにはずっと隠してたものね。いうなれば、“アレ”が本来のロクだけど」
「へっ?」
「……ロクはね、フィーディス王国内の貴族の一人娘なの――それも、かなり高位のね」
「え……、ええ〜っ!? フィーディス王国って、大陸一の国じゃ……!? ていうか、お嬢様ってホントに……」
「ええ。ロクの生家はかなり高位で多地方のギルドを支援もしているわ。だからマイちゃんをロクの家に入れてしまえば大抵のギルドは迂闊にマイちゃんに手を出せなくなるわね。ちなみにだけど、私もフィーディス王国の騎士団の出身よ。貴族階級は捨てた身だけど、だからロクと知り合いなの」
「そ、そー……だっ、たん、だ……」
「だから言ったでしょう? あの子は自分一人でも動ける強い子よって」
事の詳細を聞き終え、ノアールは手をいじりながら「あのさ、」とアルガを盗み見る。
「……何か、こんなこと言うのもアレだけど」
「? 何よ」
「何ていうか、オレ、いらなくない――……?」
苦笑交じりに「あはっ」と言ったノアールに、アルガはため息を返した。
「――バカね、マイちゃんが戻って来るか来ないか、その実、重要な場所に居るのは他でもないアンタよ」
「へっ…?」
「マイちゃんは……、アンタの事が好きでしょう」
「えっ!? な、何で知って……!」
慌てふためくノアールに、今度は別の意味でアルガはため息をついた。
「知らなかったのはアンタだけよ。ロクなんてヤキモチ焼いてぶーたれてたし、たまにロクに理由もなく突然蹴られてたりしたでしょう?」
「あっ、うん」
「ヤキモチの結果よね」
「えええ~……」
何だそれ、とノアールが項垂れているとアルガは「それで?」と続ける。
「アンタ言わなかったけど、にっぶいアンタがそれ知ってるってことは、マイちゃんに別れ際に告白されたんじゃないの?」
「――――……うん、された」
「それってマイちゃんにとって一番別れ難かったのはアンタだったって事だし、マイちゃんを引き戻せる可能性が一番高いのはアンタって事よ。……だからロクは、アンタにマイちゃんの捜索を頼んだのよ。きっと、本当は誰よりも自分が探しに行きたいでしょうに」
「――――ロクちゃん……」
アルガの言葉にノアールは何だか急に自分が恥ずかしくなり、顔を顰めた。何も知らなかったのは他ならぬ自分だった気がして。
「……マイちゃんに告白されて、アンタの思いは? 伝えたの?」
「ううん……急でびっくりしたし、何かを言わせてくれる隙も与えてくれなかったから……」
「――――それで?」
聞かれ、ノアールは少しだけ考えるようにしてから、顔を上げる。
「……オレさ、好きとか良く分かんないし、これが答えになるのかも分かんないけど」
上げられたその目からは、もう迷いは無くなっていた。
「――オレは、まだマイちゃんと一緒にクエスト行ったり、皆で一緒に居たいから……!」
「――そう。なら、それをちゃんと本人に伝えなくっちゃね――……」
そうして夜は明け、皆はそれぞれ動き出した。




