50.
玄関から、「ただいま〜」という不服そうな声が聞こえたのに、部屋の中にいたアルガは顔を上げた。いつもであれば、この部屋に「ただいま」と言って帰ってくるアエロの声は、ご主人様に会えた犬のようにしっぽを振っているかの如く弾んだ声だというのに、かなり珍しく沈んだ声色だったのに、アルガはつい玄関の方へと向かった。
そうして、アエロが連れて帰ってきた人物の姿に、目を丸くさせると同時に、アエロが不服そうな声を出した理由が分かる。
「――お、アルガちゃん。お久~」
自分と目を合わせたヴェリスから、緩くそう言われアルガは「お久しぶり」と息を吐いた。
「何ごとかと思えば……、あんた相変わらずヴェリスのこと苦手なのね」
「だあって先輩! 俺が今までこいつにどんな無茶ぶりされてるか知ってる!? 滅茶苦茶なモンスター討伐に何度付き合わされたことか!!」
「……て言いながら、その無茶ぶりに対応できちゃってるあんたも悪いわよ。だからヴェリスもあんたのこと連れてくんでしょう」
「そうそう。アエロは強いからな~っ!」
「うーわ、全然嬉しくない。最強さんなら最強さんらしく一人で戦えっての」
「そう言いながら、内容聞いてヤバそうなの察すると来てくれる面倒見のいいお前だから、俺は気に入ってるんだぞ~」
にこにこと笑いながらそう言うヴェリスに、アエロが舌打ちを返すと、タイミングを見計らってアルガは「それで?」と首を傾げる。
「忙しいあんたがわざわざ何の用? ここに来たってことは、私に用事かしら」
「まあな。あと――、久しぶりにアエロの作ったシチュー食いてえなあと思って?」
唐突に言われたそんなことに、アエロは横で「へ?」と素っ頓狂な声を上げた。
「俺料理は好きだけど……お前に食わせたことあったっけ?」
「ああ、あったあった。レナ村の特産肉を使ったシチュー。あれ美味かったから今日作ってくれねえか?」
「え……くそ面倒くさいんだけど……」
「……ああ、いいわね。私も久しぶりにアエロの作ったシチュー食べたいわ」
「っ! 先輩が言うなら喜んで! あ、材料ないから買ってこなきゃ」
「そう。じゃあ、いってらっしゃい」
「はあい、いってきまーす!」
そうして、買い物かごを片手に出て行ったアエロを見送り、ヴェリスは苦笑する。
「相変わらずの忠犬ぶりだなあ」
「私にだけ、だけれどね。まああと、普通に空気も読んだんでしょう」
言いながらアルガは踵を返し、ヴェリスについてくるよう促しながら、部屋のダイニングテーブルの椅子を引いた。そして、「どうぞ座って」と言ってからキッチンに立ち、コーヒーを入れる。二つのカップを手にして、アルガは座ったヴェリスの前に一つ置くと、その向かい側に腰掛けた。
「……ここからレナ村の特産肉を買いに行くには、片道十五分かかる肉屋に行かなくちゃならないから」
ぽつりとそう言ったアルガに、ヴェリスはただ笑みを返した。
「あんたがわざわざこんな風に外じゃなく二人きりになることが珍しいのよね。それくらいに、他の人に聞かれたくない話ってことでいいかしら」
「相変わらずお前ら二人は察しがよくて助かるよ! まあ、聞かれたらちょっと殺し合い起きちゃうかもしれないからさ~」
へらりと笑いつつ、その表情に合わない物騒な発言をしたヴェリスに、アルガは「どういうこと?」と首を傾げる。
「まあちょっと、真面目な話をしに来た。ほら、アルガたちのパーティ、一人凄い子居るだろ。ヴィドゲンシュタイン家の一人娘」
「ああ、ロクちゃんのこと? あんた知り合いだったの?」
「いや、その“ロクちゃん”とは一度も話したことないが……専属護衛のベンな、俺の友人なんだが」
「そういえばそうだったわね」
話しながら、しばらくここに居座る気なのだろう、上半身の装備を外して床に置きだしたヴェリスを眺めていると、ヴェリスは「まあ」と息を吐いた。
「――これ聞かれたら、ベンとバトルになるかなって感じ」
多くは言わず、それだけ言ってにこりと笑いかけてきたヴェリスに、アルガは怪訝な顔をしたがあることに気づいてはっとした。
「マイちゃんのこと?」
「あー……言えんなあ」
「あんた、マイちゃんの過去を知ったのね? そうでしょう」
「うーん、それも言えんのよなあ」
胸の前で腕を組み、いつも通りの緩い笑みを浮かべながらそう言うヴェリスに苛立ち、アルガは眉を吊り上げる。
「言えないならあんた何しに来たのよ。わざわざ足運んでこんな風に時間取ったのなら、何か伝えたくて来たんじゃないの?」
「おう」
「だったら――……」
「早く言いなさいよ」と言葉を続けかけ、アルガははたりとした。ヴェリスは基本的には合理的な人間であるから、回りくどいことはあまりしない。そのヴェリスが「言えない」と言っているのだ。それはつまり、「言えない」ということを伝えにきたのだろう。
「……ベンに口止めされたのね? ロクちゃんの命令で」
そんなアルガの言葉にヴェリスは変わらず笑みを返してくるだけで、何も答えなかった。それを答えることもグレーゾーンなのだろうことを察し、アルガははあと息を吐く。
「それで、あんたは結局何しに来たの?」
「うん、まあ、最近ベンと会ったかなと思って」
「いいえ。この村に拠点を移してすぐは、村の中でよく見かけてたけど、それも最近はないわね」
「ああ、そういや今東の方は大変だったか。確か、“動く山脈”が目覚めたとかで。情勢見て俺も向かわんとな~」
動く山脈とは、古龍種モンスターの一種であり、その名の通り一つの山脈ほどの巨体を持つ巨竜である。生態系に関してはほとんど不明であるが、一方で有名な古龍の一つでもあった。なにせ、普段は眠り続けて全く動かないそいつは、それこそ大地と同化して人々には山だと思われていることが多い。それが何を発端にしてか、数年に一度目覚めては、ただどこかへと移動しようとするのだ。山の如し、その巨体を振りかざして。
結果、そいつが歩いた後はただ道が残るという。たとえ、その上に木々や動物、人、それこそ村や町があろうと――それらは全てなぎ倒されて、何も残らない。目的地に着くとまた眠りにつき、そして、人々に忘れられたころ動き出す。そんなモンスターだった。
そのモンスターを討伐することは難しいとされていて、目覚めたそいつの道筋に村や町があった場合、住民たちは避難を余儀なくされる。ただ、そんな中、どうにかして道筋を逸らそうと戦うこともあり、ヴェリスは何度かそういった戦いに赴いた経験があった。もちろん、アルガも。
「ベンは今、ヴィドゲンシュタイン家の方で動いてるってことね……で? ベンが何なのよ」
「うん、顔合わせたら同じ事言われると思うが……とりあえず俺のが先に会ったから伝えとこうと思ってな」
「何を?」
「その前に確認な。アルガちゃんさ――、マイちゃんが“助けて”って言ってきたらどうする?」
ヴェリスのその質問の意図は全く分からなかった。
何を答えたら正解なのか、一体何の確認をしているのか、分からなかったけれどアルガはほぼ間髪入れずに答えていた。
「助けるわ。当たり前じゃない、仲間だもの」
迷いのない目でそう言ったアルガに、ヴェリスは満足そうに「うん」と頷いてから、はー……っと息を吐いて俯く。
「ホント……彼女の仲間が君でよかったよ」
その言葉の意味はやはり分からなかったけれど、アルガが何も言わず待っていると、ヴェリスは顔を上げてにこりとアルガに笑いかけた。
「俺のこれは、多分完全におせっかいだと思う。でも俺は彼女のことを知ってしまったし、何よりも、マイちゃんのことを気に入っちゃったから」
「……ええ」
「――今後もし、マイちゃんに何かあったら、俺のことを思い出してほしい。多分、助けになれる情報をたくさん持ってる」
「それを今伝えることは……」
「できん。今ベンがその“ロクちゃん”とやらにされている命令が邪魔しててな……ベンとも約束したんだ。それを破りたいわけじゃねえし、俺も」
「……そう」
「俺に直接連絡を取るのは難しいだろうから、もし何かあって俺から話を聞きたいってことになったら、王都のこの場所に居るヴォワに連絡取ってくれ。ヴォワなら常に俺の位置を把握してるから」
そう言ってヴェリスは、アルガに簡易な地図を渡してきた。ヴォワとは、現在ヴェリスが主人となっている猫の獣人族だ。戦闘は不向きであるが、彼はかなり頭がよく、十一か国語を使うことのできる存在であり、ヴェリスが戦いに赴いている間は王都のギルドにて研究員として働いている。アルガもよく知っている存在であり、それに「分かった」と頷いた。
自分の返事に満足げにうなずいたヴェリスを見て、アルガは息を吐く。
「あんたがしたい話って、これで終わり?」
「ああ、ま、概ねは」
「他にも何かあるのね?」
聞くと、ヴェリスは言える言葉を選んでいるのだろう、ヴェリスにしてはかなり珍しく思い悩む仕草を見せ、「う〜ん」と唸り声を上げた。言葉を選ばなければ、友人であるベンと敵対することになってしまうため、それはどうしても避けたいのだろう、しばらく悩んだ後、ヴェリスはやっと言葉を繋げる。
「なんか……どれ言ってもアウトになっちまう気がするから、マジで当たり障りのないことだけ言うな」
「ええ」
「――今後、彼女を絶対に一人にするな」
命令形で言われたそれに、アルガは目を見開いた。「しない方がいい」でもなく、「しないようにしろ」でもなく、「絶対にするな」という強い言葉に当然疑問は浮かぶ。
(……けど、聞いても答えられないのでしょうね)
思って、アルガがただ頷くとヴェリスは続けた。
「俺はここに来る前にマイちゃんに会った。んで、少し話をした。まあ、近況のこととかな」
「そう」
「で、俺はそう思った――とだけ伝えとく」
「忠告どうも。それから……ありがとう。マイちゃんのこと、気にしてくれて」
そんなアルガからのお礼を受けて、話したかったことを終えたのだろう、ヴェリスはコーヒーに口をつけて「おう」とだけ返してきた。自然と互いに黙り込む中、アルガもアルガでコーヒーを一口嚥下して、考える。
ヴェリスがマイのことを「一人にするな」と言ってきたのは、間違いなくこの家を訪れる前に出会ったマイに、そう感じる何かがあったからだろう。
(私にも気になっていることがある……けど、それをマイちゃん本人に聞くことはできない)
それに気づいたのは、ほんの一週間前だ。パーティ狩りの集合場所に、大体にして一番最初に居るのは自分かマイのどちらか。その日はマイの方が先に居た。
だから私は、普通に、何も思うことなく後ろから彼女の肩を叩いた。「おまたせ、早いわね」と言いながら。そして、彼女は何故かそれにバッと勢いよく振り返ったのだ。それこそ、私が思わず身を引いてしまうくらいに。
私が呆然としていれば、「すまない、驚いて」と笑ったため、「驚かせてごめんなさいね」と返したのだけれど、目が合った彼女の目に浮かぶ色には違和感があった。
だって、驚いたのではなく、明らかにマイの目には、怯えの色が浮かんでいたのだから。
それからだ、注意深く彼女に気づかれないよう観察してみると、このアマリ村に居る時に、何故か稀にそういった色をその目に浮かべているのに気付いた。彼女がどうしてそんな目をするのか、何に対してそうなのか、観察しても分からなかったし、聞くことはできないと思った。
何故なら、これまで付き合ってきた彼女の性格を考えると、聞いたそのことにより、そんな色をその目に浮かべることはもうなくなってしまうだろうし、きっと一線を引かれてしまうことだろう。
(私も、勝手に調べた方がいいのかしらね……マイちゃんのこと)
正面に居るヴェリスに目を向けてみると、ヴェリスはいつも通りの人懐っこい笑みを浮かべてくる。それにアルガははあ、とため息をついた。
「まあ、何かあったら訪ねさせてもらうわ」
「おう」
そんな話があった二週間後のことだった。




