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48.




 息の仕方が分からなくなった。


 アエロをつけているその存在に気付いて、更にそれが見たことのある顔であったことに息が止まった。アエロとアルガが去って行くのについていったということは、わたしという存在に気付いたわけではないのだろう。

 でもそれも、時間の問題のように思えた。


「いやあ、今年一番の衝撃的事実だったなあ……アルガちゃんが結婚してるって」

「あたしは知ってたけどね~」

「ていうか、結構オレらと一緒にいるけどアエロさん? は放置されてるってこと?」

「え? たまにアルガちゃんだけいなくなることあるじゃん。そういう時はアエロさんに会いに行ってるんだと思うけど」

「あっ、アレがそうなの!? オレてっきりオレらが行けない難易度のクエストに行ってるんだと思ってたよ~」

「まあそういう時もあるとは思うけど……――どうする? 三人で温泉行く?」

「いいねえ、俺も――……? マイちゃん、どうかした? なんか顔色悪くない?」


 アルガたちが去って行き、残されたそこで会話をするロクとノアールから顔を覗き込まれ、マイははっとして息を吸い込んだ。


「あ……す、まない、ちょっと、疲れて……」

「えっ、何か今にも倒れそうだけど!? ロクちゃんっ、オレマイちゃんのこと部屋まで送るから! 温泉また今度ね!」

「じゃああたしもかーえろ。マイちゃんはのいれに任せた!」

「わたしは一人でも、」

「はい、言うと思った〜。ノアール、ちゃんと送ってあげて〜。あっ、送り狼にはなっちゃダメだよ!」

「何言ってんの!? ならないよ!」


 けたけたとロクの笑い声が上がる中、それに反応できることもなくマイの身体がふらついたのに、ノアールははっとしてマイの身体を支える。


「ちょっと、ヤバそうだからもう行くね! マイちゃん歩ける?」

「大丈夫、だから……」


 口では大丈夫と言うマイだったが、あまりにも悪い顔色にノアールは小さく「ごめん」とだけ言うと、マイのことを横抱きで持ち上げた。けれどそうされたことに抵抗もせず、マイが文句も言わなかったのに「相当具合悪いんだな」と思う。


「ロクちゃん、じゃあオレら行くねっ。また!」

「うん、またね~」


 そうして去って行った二人の姿を、ロクは寂し気に見送ったのだった。



「ラピスちゃ〜んっ! あ~け~て~っ!」


 申し訳なく思いつつも、ノアールはマイの部屋の扉をゴンゴンと膝でノックし声を上げた。部屋の中にいるはずである、マイのパートナーの獣人族、ラピスのことを呼ぶと、部屋の鍵はすぐに内側からガチャっと開く音がした。


「うるさいにゃあ! にゃんでノアールが先に帰ってくるにゃ! だんにゃさまと一緒に狩りに行ったはずじゃ――……」


 ドアを開きつつ、そう言ったラピスはノアールのことを見上げて――正確には、ノアールの腕に抱えられて目を閉じているマイの姿を見て、目を見開き耳と尻尾をピンっと立てる。全身で驚きを表現したラピスにノアールは苦笑し、「ごめん、入れて」と言った。


「だ、だんにゃさまどうしたにゃ!? お顔真っ青……」

「分かんないけど気絶しちゃったから……とりあえずベッド寝かすね~」

「にゃにがあったにゃ!?」

「だからあ、分かんないってば。村に着いたら急に顔色悪くなって、歩けそうになかったから抱えて来たんだけど、意識も途中でなくなっちゃって」


 やれやれと息を吐きつつ、ノアールはマイのことをベッドに寝かせ、持っていた荷物を床に置いて腕の装備だけ外すと、ベッドの上のマイが身に着けたままになっている装備を一つずつ外しては床に置く。最終的にマイが身に纏うものがハンターのインナーのみになると、ラピスがお湯の入った桶と手拭いを持ってやって来たのに「お」と声を出した。


「オレもついでに身体拭いていい?」

「これはだんにゃさまのために用意したにゃ……ノアールはお風呂入ったらいいにゃ。沸かしてあるから……その間にだんにゃさまの身体はラピスが拭いておくにゃ」

「ああ、オッケー了解。じゃあ一旦部屋戻って着替え取ってきたら借りるね~」

「にゃ」


 そうしてノアールはすぐ近くの自室へと戻って荷物を置き、宣言通り着替えを持って再びマイの部屋を訪れる。お風呂を借りて出る頃には、ラピスはマイの身体を拭き終えていた。

 意識なくベッドの上に横たわるマイに目を落とし、ノアールはふと息を吐く。


「えーと、服は? ラピスちゃんじゃ難しいだろうから、オレ着せるけど」

「そこにあるにゃ。頼むにゃあ」


 示された寝巻を手にして、マイにそれを着せつつふとマイの腕に目を落とし、ノアールは思った。


「……ねえ、マイちゃん最近痩せたよね?」

「どこ見てるにゃ」

「他意はないって! 何か普通に……抱えた時も、前より軽くなってる気がしたんだけど」


 言いながら服を着せ終え、ノアールがマイの身体を再び抱き上げると、ラピスは布団を捲る。そこへノアールはマイの身体を置いて布団を掛けてやり、マイの顔を覗き込んでから、ぐっと眉を顰めた。


「……やっぱり、隈もできてるよね。最近あんまり寝れてなさそう」


 そんなノアールの言葉に、ラピスは小さく「にゃあ……」と息を吐いた。


「ノアールの言う通り、最近のだんにゃさまは少し変だにゃ。今までずっと、ラピスが出した食事は残さず食べてくれてたのに……少し前から食べきれにゃくて、残すようににゃったにゃ」

「そか」

「それから、よく悪夢を見てるみたいだにゃ。眠れてにゃいのは、多分そのせいかと思うにゃ」

「悪夢? どんな?」

「知らにゃいにゃ。聞いても“大丈夫”しか返ってこにゃいから」

「あー……マイちゃんだもんなあ……」


 先ほども、明らかに大丈夫そうではないのに「大丈夫」と言ったマイのことを思い返しつつ、ノアールは苦笑を浮かべる。


「まあ、多分寝不足からの貧血的なんだと思うけど……マイちゃんの目が覚めるまで居座ってもいい?」

「にゃあ。むしろありがたいにゃ。ラピスはご飯作るから、だんにゃさまの様子見てて欲しいにゃ」

「やった、ラピスちゃんのご飯だ! じゃあオレはマイちゃんの装備の手入れでもしてようかな~」


 言いながら先ほどマイから外した装備に手を伸ばし、ノアールは少し考えたあと部屋を出て行こうとしたラピスに向かって、「ねえ」と声を上げた。


「マイちゃんが食欲なくなったのとかって、いつから?」

「にゃあ……? 正確には分からにゃいけど、前にノアールがだんにゃさまが倒れてたっていう、あのくらいからだにゃ」

「ああ、うん、そっか。ありがと」


 答えて笑いかけると、ラピスはキッチンへと向かい、部屋に残されたノアールはマイの様子が伺える位置に椅子を持って行き、そこへ座ってマイの防具の手入れをしつつ考える。


(……やっぱり、そうか)


 最初に思ったのはそんなことだった。

 それは、もう大凡三ヶ月ほど前の話になる――部屋の中で、マイが気を失って倒れていた。そしてあの日、気を失って倒れていたマイが目覚めたあの時、誰にも言っていないけれどノアールは思ったことがあったのだ。


 目覚めたマイと視線がぶつかって、ノアールが思ったのは――「誰だ、この人」という、そんなありえないことだった。


 けれどそんな思いは、目が覚めたマイと会話してすぐに薄れ、目覚めたばかりのマイが自分の全く知らない人物に思えたのは、きっとただの気のせいだったのだろうと思った。その証拠に、これまであの時思ったそんなことを、マイに対して感じることはなかった。

 だから気にしていなかったし、重要な何かがあればマイの方から言ってくるだろうと、あの時そう思ったこと自体ノアールは忘れていた。


 ――そう、忘れていた。自分がまた、同じことを思わなければ。


(……何かに、怯えてた)


 顔色が悪くなったマイは、ノアールの目から見て何かに怯えているように見えていた。


(ただ……怯えてたのは、オレが知ってるマイちゃんじゃなかった気がする……)


 それは最早感覚の話であり、アルガやロクに説明するのも難しい話である。「気のせいじゃない?」と言われてしまえば、「そうかな」と自分自身納得してしまうだろうし、本当に何となくそう思ったのだ。そこに明確な理由や、根拠は何もない。

 そして、それをマイ自身に問いかけたところで、マイは絶対にはぐらかすだろうこともノアールには分かった。どうせ、「気のせいだ」と一蹴されるに決まっている。そこからきっと、一線引かれてしまうことになるだろう。

 そうなると、マイの方から話してくれるのを待つことしか、今のノアールにはできなかった。


(う~ん、みんな気付いてれば数の暴力的な感じでマイちゃんのこと問い詰めれるだろうけど、俺一人じゃ……でもそもそも何て言って聞いたらいいかも分かんないんだよなあ~……)


 あくまでそれはノアールの感覚の話であり、「何となくそんな感じがする」程度のことである以上、言語化するのは難しかった。


 ノアールはちらりと眠るマイに目を向けて、寝息を立てているのにほっとしつつ、「はあ〜……っ」とため息を吐いた。


(それにオレ……別にマイちゃんのこと自体を、そんなに知らないんだよなあ)


 例えば好きな食べ物が何なのか、例えばどんな色が好きなのか――マイが記憶喪失であったとしても、そのマイを形成しているはずの何らかを、ノアールは全くと言っていいほど知らなかった。もう年単位の付き合いになるというのに、分からないのだ。


 それこそ、アルガはボルドーのような深い赤色が好きで、苦みがおいしさの食べ物が好きだったり、香草が多めの料理が好きだったりし、ロクはピンクや水色といった甘い色が好きであり、そしてその見た目のまま甘い食べ物が好きで、苦い食べ物は苦手なのに辛い食べ物は好きだとか――そういうことをあの二人に関しては分かるのに、マイのことだけはそういったことが分からない。


(別に、マイちゃんに興味がないわけでもないのにな)


 我ながら、人のことはよく見ている方だとは思う。だからアルガがどんな色を好んで、ロクがどんな食べ物が好きか知っていた。でもマイは――何にでも同調してしまうから、彼女自身のことは分からないのだ。いつだって、彼女の口から出る話の主体に彼女自身は居ない。


(……まあ単に、マイちゃんがそういう子って言えばそうなんだろうけど)


 いつの日か、それこそマイが自分たちパーティに参入して比較的すぐのことだったと思う。アルガから、「私がいいって言うまで、出来るだけ彼女のことを一人にさせないで」と、そんなお願いをされたことがあった。それは今となってはアルガ自身覚えているのか分からないけれど、それについて「もういい」と言われたことは未だない。単にアルガがそんなお願いをしてきたこと自体、忘れてしまっている可能性もあるが、ノアールはそれをふとした瞬間に思い出すのだ。


 それを聞いて、自分もそうした方がいいと何となく思っていたから。


 マイの防具を磨きつつ、ふとマイの部屋に目を向けたノアールは目を細めて、その目を伏せた。


(相変わらず……マイちゃんの部屋って、物が増えないよな)


 例えば自分の部屋は、もうすでにほとんどが本に埋め尽くされていて、この間貸した本を返しに来たマイに部屋の中を見られて引かれたところだった。他にもアルガは最近アロマキャンドルに嵌っているらしく、幾つかそういうものが置いてあったし、ロクの部屋も可愛いぬいぐるみがいくつか置いてあったり、ピンクの家具が設置されていたりとそんな感じであるのに――マイの部屋だけ、この村を訪れた当初と全く変わっていない。

 部屋の中にあるのは、元々部屋についていた家具と最低限と言っていいハンター道具だけだ。何なら、ラピスの領域であるキッチンの方がたくさんの物が置いてある。


 きっと、ある日突然マイが居なくなっても部屋の片付けに困ることはなくて、次の日にでもこの部屋を明け渡すことができてしまう。

 マイはいつだって、ここに居るのに居ない、そんな危うい雰囲気があって、だから目を離さないでおかなきゃと――ずっと、ノアールは心のどこかでそう思っている。


(……一緒に過ごしてたら、いつかそう思わなくても済む日が来るって思ってたけどな)


 マイが記憶喪失だということに、彼女のそんな危うい雰囲気に納得もした。それこそ、「だったら短い付き合いになるかもな」と、そんなことも思っていた。記憶を思い出したら、居なくなる人なのだろうと、漠然とそう考えていたから。

 けれど、今はもう、マイが記憶を思い出そうがなかろうが、どうでもいいと思えるくらいには長い付き合いになっている。記憶を思い出したことで、彼女が在るべき場所へ戻ると言ったら、それをきっと一度は引き留めるだろう。


 もう唯一の、大切な仲間の一人なのだから。


「ノアール~ご飯できたにゃあ~」

「あっ、はーい。ありがと~」


 磨き終えた防具をまとめて置いて、呼ばれたリビングにノアールは向かう途中、顔だけマイに振り返った。まだしばらく目覚めそうにないマイに、ふと息を吐く。


(オレは……というか、オレらはマイちゃんが頼ってくれたらいつでも力になるんだけどなあ)


 それでも自分から何かを言うことはできないため、そんなことを考えつつ、ノアールはマイの部屋を後にしリビングへと向かったのだった。



 深夜に目覚めたマイは、ベッドの上で膝を抱えて縮こまった。


 ノアールに抱き上げられたところまでは覚えていたが、いつの間にか気を失っていたため、それから目覚めた時にノアールとラピスからかなり心配を受けたが、笑えば二人はやれやれと息を吐いた。そんな中、ノアールが何か言いたげにしていたけれど、聞いても困った笑みで「うーん、何でもない」というだけだったため、それ以上聞くことは止めた。

 その後ラピスによって作られていた雑炊を運ばれて、二人に食べ終わるまで監視をされ、何とか食べ終われば二人から「よしっ」と言われたのだった。

 そうして、ノアールは「じゃあオレ帰るから。明日また様子見に来るね」と帰って行き、ラピスも「にゃにかあったら呼んでにゃ」と自分の部屋へ戻った。


 そんな深夜、目覚めたマイはベッドの上で小さく呟いた。


「……まだ、大丈夫」


 目覚めた、というもののあれからマイは眠りについていなく、ただベッドの上で横になっていただけである。

 だって、眠ると夢を見てしまうから。自分が「マイ」になる前の記憶――それを、夢で見せられる。まるで、忘れてはいけないと、忘れたフリをするなと、そう言われているかのように見せられる。ノアールの腕の中で気を失ったあの時は、そんな夢を見なかったのを思うと、少しだけ笑えた。


 今日見かけた、アエロをつけていた人物は――あのギルドの人間だった。夜に呼ばれて、相手をさせられた何人かの中の一人だ。名前は知らない。何だったら自分は、「先生」の名前だって知らない。知る必要はないと言われていたから。わたしから名前を呼ぶことは一度だってなかったし、それさえも当たり前に許されていなかった。


 探されているだろうとは思っていた。けれどもう、三年以上も経っているのだ。わたしを死んだものだとして、諦めてくれたっていいじゃないか。いくら出来が良かったにしろ、替えの利く人形だったろうに。


(アエロがつけられていたのは、別の理由か? わたしが考えすぎているだけだろうか……)


 その可能性だって十分にある。どちらかと言えば、その男が「イレヴン」を探してこの村にやって来たという可能性の方が、かなり低いはずだ。

 けれど、その男がわたしが全く知らない男ではなかったというのが問題である。


(気付かれない、とは思う……足取りだってわたしは何も残さなかった)


 でも、万が一、例えば目が合って顔を認識されたとしたら、どうなるのだろう。


(――……気付かれる前に、消すか?)


 そうだ、今の自分を守るためならそれも仕方ない。気色の悪いことに、あの男はわたしの身体をとても気に入っていたし、そうやって誘えば簡単についてくるだろう。

 あのギルドの人たちは全員汚い。自分だけがいい思いできればいいと、各々そんなことを考えている連中だ。


 みんな、汚かった。汚くて、汚くて――……


 無意識に、何かを握りしめるようになっていた自分の右手が目に映り、その手が真っ赤な血に染まっているように見えてはっとした。

 つうっと頬に冷や汗が流れて、吐いた息は馬鹿みたいに震えていて、マイはぎゅうっと自分の身体を抱きしめるようにして身をかがめる。


(……きっと、わたしが一番、汚い)


 耳についているイヤーカフに触れて、マイの目にじわりと涙が浮かんだ。押し寄せてくる恐怖に、抗う術が分からない。


「…………だれ、か、」


 思い浮かぶ「誰か」の顔は、たくさんあるというのに、それに向かって手を伸ばすことができない。

 その方法を、自分は知らないから。



 ――お前はギルドの使い人形だろう

 ――それ以外お前が生きる術はない

 ――それがお前の存在理由だ、そうだろう……イレヴン


 ――君は、感情を持つ必要などない



 頭の中で呪いのように響く声に、浮かんだ顔たちは黒く塗りつぶされて行く。

 そうして、マイの口から続いた「たすけて」という言葉は、衣擦れの音にすら負けるくらい小さく弱々しいものだった。

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