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41.




 マルクの貸してくれた小説は、所謂幸せなお話だった。男女二人の主人公が共に苦難を乗り越え、幸せになるというありきたりなお話。

 ただ、そのありきたりはわたしの知らないことたちで構成されていた。「好きな人」「恋人」「大切」「家族」、どれもこれもわたしには分からないものだった。けれど、本を貸してくれた時マルクが「ありきたりで普通な話だけど、俺は好きなんだよね〜。読むと幸せになるから」と言っていた。

 だからきっと、それらが分からないわたしが普通ではないのだろうとその時分かった。


「……好きな人って、どういったものですか?」


 読んだ本の感想を聞かれた時、マルクにそう聞いてみた。それに「えっ」と目を丸くしたマルクに、わたしは首を傾げた。


「どうって……イヴは今まで好きな人できたことないの?」

「そう、ですね……そもそもわたしは、“好き”が何なのか分かりません」

「あ~……うーん、イヴに好きな人いなくて良かったというべきか何というか……」

「何がですか?」

「ああ、いや! こっちの話っ」


 慌てて首を横に振ったマルクを不思議に思っていると、マルクはすぐに「うーん」と悩ましい声を上げた。


「好きな人がどんなものか……そうだなあ、俺は気付いたらその人のこと考えてたりするかなあ」

「…………」

「今何してるんだろうとか、顔見れたら嬉しくなったり、その人のこともっと知りたくなったり、色んな表情見たいなとか……頭の大部分がその人を占めたり? その人のこと考えると穏やかな気持ちになったり、いつも姿探すようになっちゃったり……ああ、後その人が幸せでいて欲しいって思ったり!」


 ぽつりぽつりと話してくれるマルクの言葉を聞きながら、わたしはそれらに身に覚えがあり納得をした。


「……じゃあ、マルクはわたしの好きな人なんですね」


 マルクが話している途中でそう言えば、マルクは言葉を止めて「えっ?」と声を上げ目を見開いた。今まで見たことないほど驚いた表情をしたマルクに、なんだか笑えた。


「聞き間違い……? イヴ、今、俺のこと好きって言った……?」

「はい、言いました」

「ぅ、えっ!? ほ、本当に!?」

「マルクが言ったことが本当ならば、わたしにとってそうです」

「え、つまり、イヴは俺に会えない時間俺のこと考えてた……?」

「はい。この店に来るのも……わたしはいつしかマルクが来ることを待つようになっていました」


 言って、ふとマルクの顔を見てみればマルクの顔は真っ赤に染まっていたため、わたしは「どうしたのだろう」と思った。


「……どうしたんですか?」

「ど、うしたって、イヴが変なこと言うから……っ!」

「……わたし、変なこと言っていたんですね。ごめんなさい」

「わあっ! そうじゃなくて! ~~~~俺が先に言うつもりだったの!!」


 マルクの発言に更によく分からなくなり、わたしがきょとりとしていればマルクは人目が気になったのか、テーブルに勘定を置くと「来て」とわたしの腕を引っ張り店の外に連れ出した。人が少ない場所まで行ってから、くるりとわたしに振り返り、拗ねているような表情を見せた。

 そんなマルクを、可愛いと思った。


「……イヴ、本当に俺のこと好きなの?」

「マルクの言っていたことが、わたしにとってマルクですから、そうだと思います」

「め、滅茶苦茶嬉しいけど~……」

「……嬉しいんですか?」

「嬉しいですよっ、……俺も、イヴのこと好きだから」


 赤い顔で照れくさそうにそう言ったマルクに、わたしは嬉しくなり笑った。それを見てだろう、マルクは目を見開いた後、わたしのことを抱き寄せて苦しいくらいに、ぎゅうっと抱きしめてくれた。そうされることが、嫌じゃなかった。


「も~……っ、そんな可愛い顔で笑わないでよ~……」

「……? わたし、笑ってましたか」

「笑ってたよ、超可愛い顔でっ」

「……マルクに好きだと言われたのが嬉しかったんですね」

「そっ、う~~~~俺の方が先に好きになったのに!」

「そうなんですか」

「そうだよ! 一目惚れだもんっ!!」

「……マルクに好かれる容姿でよかったです」

「ま、たそういうこと言う~~~~……」


 何がいけなかったのか、マルクがはあっとため息をついたのにマルクを見上げれば、マルクはわたしの頬を両手で挟み、じっとわたしの目を見つめてきた。


「イヴ、俺の好きってイヴにキスしたいとか、そういう好きだけどちゃんと分かってる……?」


 確かめるように聞かれたそれに、自分の頬に触れているマルクの手のことを考えて、それが全然嫌ではなくむしろ心地よく感じたことに、わたしは「はい」と頷いてマルクの手に触れた。そして、そのまま背伸びをして近くにあったマルクの唇に自分の唇を重ねて離れた。


「マルク、わたしは貴方が好きです」


 目を見てそう言えば、マルクはこれ以上ないくらいに顔を赤くして固まってしまったのだった。

 数秒後、漸く動き出したマルクがまたわたしのことを抱きしめてきたのに、わたしもマルクの背に手を回してぎゅうっと抱きしめてから思った。


 これがきっと、「幸せ」で、「愛しい」という感情なのだろうと。



 マルクの話は、いつも大体にして彼の家族の話だった。

 たくさんの兄妹の長男であり、両親は一番下の子を産んですぐ流行り病でどちらも亡くなってしまったらしく、親代わりに兄妹たちを育てるための金を稼いでいると言っていた。彼がわたしの居るこの村にやってきたのも、稼ぐためであり、月に一度は兄妹たちの様子を見に帰っているのに、「いつかイヴも一緒に行こう」と言ってくれていた。

 彼が危険なハンター業をしているのも、手早く大金が手に入るからという理由だった。


 わたしはそんな、責任感があって優しいマルクが好きだった。


「そういえば、イヴは何でハンターやってるの?」


 聞かれたそれに、わたしは返答を詰まらせた。


「……理由はありません。わたしは、これしか知りませんので」

「ふーん……イヴってこの村付きハンターなんだよね。この村結構小っちゃいけど、他の場所行く予定とかないの?」

「他の場所……? 考えたこともありませんでした」

「え? 何で?」


 わたしは、先生が住むギルドの建物とほど近い場所に部屋を与えられていた。先生はその部屋にわたしを案内し、「ここが今日から君が帰る部屋だ。私が与えた任務をこなしさえすれば後は好きにしてくれていい。ただ、任務を終えたらちゃんとここに帰ってくるんだよ」と言われていたそれを、ずっと律儀に守っていた。それに疑問を思ったこともない。狩りに出た先で野宿をしたことも、他の場所で寝泊りしようとしたこともなかった。

 だって、先生が「ちゃんとここに帰ってくるんだよ」と言ったから。


 そんなことを自分が考え込んでしまったのを見て、マルクがわたしの手を撫でてきたのに顔を挙げれば、マルクはにこっと笑いかけてきた。


「俺ね、イヴと一緒に行きたいとこたくさんあるんだ。ほら、ハンターって結構いろんな場所行くじゃんか?」

「…………」

「すげー綺麗なとこ、俺いっぱい知ってるからイヴと一緒に見れたらいいなって。イヴはこの村の周辺から外出たことないんだよね?」

「……はい」

「じゃあ一緒に行こう! 約束っ」


 差し出された小指に、わたしは手を伸ばすのを躊躇った。


 ――「ちゃんとここに帰ってくるんだよ」――


 脳内で先生のそんな声が聞こえて、手を伸ばすことができなくて、わたしはマルクから目を逸らした。


「……自分にも、行くことができるんでしょうか」

「へ? そりゃ行けるさ、どこへでも。俺が連れてってあげるしっ」


 屈託のない笑みでそう言ったマルクを見て、わたしは無意識に差し出されていた小指に指を絡めて頷いていた。


「――はい、連れて行ってください」

「もちろんっ! ていうか、勿体ないから! この世界は綺麗な場所いっぱいあって、自分の目で見ないと損だって!」

「そうなんですね」

「あ~、なんか想像するだけですっごい楽しみだな〜。イヴもそうじゃない?」

「……楽しみ、です」

「ふふっ、俺明日から一個でかいクエスト行って、それから帰ってきたら暫く暇になるはずだし……そしたらとりあえず北の村に一緒に行こう! ちょっと遠いしその村も小さいんだけど、いい人多くてご飯美味しかったし、近くに氷の洞窟とかあって滅茶苦茶綺麗でさ~」

「はい」

「だから、帰ってきたら一緒に行こう? イヴ」

「……はいっ」


 頷けば、マルクが小指を絡めたわたしの手をそのまま取り、指を絡めて繋いできたのに首を傾げれば、マルクは「あのさ、」と気恥ずかしそうにわたしから目を逸らしながら続けた。


「明日から、俺そのクエストで一週間くらい戻れないわけで……」

「はい」

「その、今日、俺の借りてる部屋に泊まりに来れないかなーって……」


 顔を赤くして「まだイヴと一緒に居たいし……」とぼそぼそ呟くように続けたマルクを、わたしは素直に愛おしいと思った。だから、何も考えることなく「はい」と頷いた。


「わたしも、まだマルクと一緒に居たいです」


 その日、わたしは初めて先生に与えられた場所以外で夜を過ごした。

 とても、愛おしい時間だった。

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