40.
――ギルドには、ハンターを狩るハンターが存在する。
そんな噂話を耳にした時、それが自分のことを指しているのだとすぐに分かった。ただ、噂によればハンターを狩るハンターは、違法行為を行ったハンターを秘密裏に排除しているらしいが、わたしはそんなこと知らない。
渡されるのは写真と地図だけであり、後は命令通りに何も考えず動くだけ。その人がどういう理由で先生にそういった判断を下されているのか、知ろうとも思わなかった。知ったところで、わたしのやることは変わらなかったから。知る必要はないと、そうされていたから。
ある程度の自由は与えられていた。命令の時間以外は好きなように動いていいと言われていた。
そんなある日だった。
夕方、日が落ち始めた頃に食事のために向かった酒場。カウンター席にて適当に食事を頼み、待っている間にそいつは現れた。
「おねーさん一人? ここ空いてるなら座ってもいいかな!」
先生とは違った、人懐っこい笑みを携えた一人の男。
声を掛けられ、ふと辺りを見回してみれば他にも席は空いていたが、断る理由もなかったため、わたしは「はい」と答えた。それに嬉しそうに「やった」と笑う意味が分からなく、ただわたしには関係のないことだと、手元の水に目を落とした。
「おねーさんこの辺の人? 俺は最近この辺来たんだよね」
「はい。そうですか」
「普段ハンターやってるんだけど、こんな酒場いるなんておねーさんももしかしてハンター?」
「はい、そうです」
「おねーさん滅茶苦茶美人だね!」
「ありがとうございます」
言われたことにわたしは淡々と答えた。それらの受け答えの仕方は全部、先生が「こう言えばいい」と用意してくれていたものだ。
そうこうしている内に頼んだ食事が目の前に出され、わたしは横に居る男のことを気にすることなく食事を始めた。横で男が困った表情をしているようだったが、わたしには関係のないことだった。
黙々と食べ終わり、勘定を置いて席を立った時、男は慌てた様子で「ちょっと待って!」とわたしの腕を掴んできた。
振り返って、その時初めて男と視線がぶつかった。明るい茶髪の長めの髪に、エメラルドグリーンの瞳の二十歳前後の男。その耳にいくつかピアスとイヤーカフをしていて、チャラそうな印象を受けるその男は、わたしの腕を掴んだ手に力を込めて、縋るような目でわたしを見上げていた。
「あ、あのっ、俺、マルクって言うんだけど。マルク・アジョット=イフリース!」
「はい、そうですか」
「おねーさん、この店よく来るの?」
「比較的には。週に3、4回は訪れます」
「なら、見かけた時また声掛けていい? 嫌だったらあれだけど……」
「……別に、嫌ではありません」
嫌ではないというのは、本心だった。正確に言うと、嫌とか嫌じゃないとか、わたしの中に考える頭などないのだ。何が嫌で、何が嫌じゃないのかは分からなかったから。第一に、その男が自分に声を掛けてくるそのことが、わたしにとってどうでもいい、考える価値もないだろうことだったから。
けれど、そんなことを知らない男――マルクは、わたしの答えに何故か嬉しそうな顔を見せたのだ。
「じゃあ俺また声掛けるから!」
「……腕、離して頂けますか」
「あっ! ごめんごめんっ!」
わたしの指摘に慌てて手を引っ込めたマルクは、苦笑しながら謝って来た。くるくるとよく変わる表情だな、と思ってからわたしは踵を返した。
「あっ、おねーさん! またねっ」
小さく手を振りながら言われたそれを、一度だけ視界に入れてからわたしは店を後にした。帰路に着いて、マルクのことをただ「変な人だ」と思った。
今までも、こうしてマルクのように声を掛けてくる男は少なくなかった。
けれど、誰も彼も今のような返答をすると声を掛けるのを諦めるか、勝手に腹を立て出し力任せにどうにかしようとしてきた。そうされたところで、先生に鍛えられていたわたしは、どうにもなりやしないため、どうでもよかった。けれど、マルクは。
――初めてだったと思う。
こうやって、声を掛けてきた男の顔を認識するのは。
くるくるとよく変わる表情と、綺麗な目をしていたなと何となく思い返した。
それからマルクは、宣言通りわたしが店に訪れれば必ずと言っていいほどわたしの隣に座り、ずっと声を掛けてきたのだ。
+
わたしからマルクに話しかけることはなかった。
あの店でわたしのことを見つけると隣に座って、マルクはずっと他愛もないことをわたしに話しかけて来た。それは返答を求めるものもあれば、求めないものもあり、少しの相槌を打つだけでずっと独りでに話しているのだから、すごい人だなとわたしは密かに思っていた。
楽しいことがあった日は、楽しそうに話してくれて、悲しいことがあった日は、悲しそうに話してくれて、表情豊かに喋るマルクの話を聞くのは嫌いじゃなかった。
たくさん話しかけられた。だから、先生が用意してくれた答えを言う機会はいつしかなくなっていた。
「――――ていうことがあってさ~、俺もう笑っちゃったよねっ」
「そうですか」
「……ね、俺の話つまんない? おねーさんが笑ってるとこ一回も見たことないけど」
「いえ、つまらないわけではないです。ただ、自分は……」
笑い方が、分からなかった。それは教えられていないから。そう伝えたところでマルクが困ってしまうだろうと思い、わたしはそれ以上何も言えなかった。
できてしまった沈黙の後、マルクがわざとらしく「そういえば!」と笑いかけてきたのにわたしが目を向ければ、そのままにこにこと笑いながらマルクは続けた。
「俺、ずっとおねーさんのことおねーさんって呼んでるけど、何て言うの? 名前、そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?」
聞かれたそれにも、どう答えたらいいのかわたしは分からなかった。先生には「イレヴン」と呼ばれているけれど、わたしはそう呼ばれることが好きではなかったから。
「おねーさん?」
「あ……、自分は、イレヴン、と……」
「イレヴン? 随分かっこいい名前なんだね~!」
だから、何となく、マルクにそう呼ばれたくないとわたしは思っていた。理由は分からない。
「イレヴン……んー……うーんそうだなあ、俺はイヴって呼ぼうかな! これからそう呼んでもいい?」
言われたそれに、感じたことのない高揚感を感じたわたしは、反射的に「はい」と頷いていた。
「そう呼んでください。イヴがいいです」
「おっ、俺、人にあだ名付ける才能あったんだな~」
「え?」
「イヴ、嬉しそうっ」
指摘されたそんなことに、先ほど感じた高揚感が「嬉しい」という感情なのだと、わたしはその時初めて知った。
「その調子で笑ってくれたらな〜。イヴが笑ったら絶対に可愛いと思うんだけど」
「……笑うってどうやるんですか?」
「へ?」
「笑い方、分からないんです。教えられてないですから」
「ええ? 変わったこと言うねえ。笑い方なんて教えられるものじゃないと思うけど――……」
マルクの言葉を聞きながら、「やっぱり困らせてしまった」と内心思い目を伏せていれば、マルクは言葉を止めて「イヴ、こっち見て」と言ってきたため、わたしは顔を上げた。
そこには、笑顔のマルクが居た。
「俺のマネしてみて! 口角上げて! ほらっ、にって!」
「に、にっ……?」
「ぎこちないなあ! こうだって! 頬を持ち上げるんだよ!」
言いながら、マルクから伸びてきた手がわたしの頬に触れ、ぐいっと指で無理やり口角を上げられたことに、わたしは目を見開いた。頬に触れた手を熱く感じ、自分の心臓がとくりと不整脈を打った気がして、内心首を傾げた。
そんな状態でマルクと目が合うと、マルクは「あ」と小さく言ってから慌ててわたしから身を引いた。
「ご、ごめん! 急にこんなことして! 嫌だったよねっ」
焦った様子で頬を赤くしてそう言ったマルクに、自分の心臓がまた不整脈を打った気がしたが、わたしはひとまず小さく首を横に振った。
「いえ、嫌ではありません」
「ほ、本当?」
「はい」
頷けば、マルクは一瞬「よかった」という安堵の表情を見せたが、すぐに落ち込んだ表情を見せて「いや、でもいきなり顔触るのはよくないよね……」と反省しだしたのを見て、わたしは――――笑ったのだ。
そんなわたしを見て、マルクは大きく目を見開いて、何故かその顔を赤くさせて、嬉しそうな表情になった。
「イヴが、笑った……」
「え? ……自分は今、笑っていたのですか」
「笑ってたよ! うわー……うわ~……っ」
じろじろとわたしの顔を見てくるマルクに、なんだか歯痒くなりながら黙っていれば、マルクは一層嬉しそうに「ふふっ」と笑みを零したのだった。
「想像以上に可愛かったっ」
言われたそんなことに、心臓が高鳴って、わたしはその時初めて自分の心臓の位置を知った気がした。
「イヴはさ、休みの日何してるの?」
「……特に、何も。強いて言うならば、読書でしょうか」
「へえ~本好きなんだね!」
「……別に好きなわけではないと思います」
「え? 暇なら本読むんだよね? じゃあ好きなんじゃないの?」
「それはそうですが……」
好きで読んでいるわけではない。先生にそう言われたからだ。「暇があれば本を読んでいなさい」と。
それに、わたしが読んでいる本というものは小説などではない。辞書や、図鑑や歴史書といったものであり、先生からはそれらを読むことしか許されていない。読んでいて、楽しいものではない。
「……実はこう見えて俺も結構本読むんだよね!」
「そうなんですね」
「良かったらおすすめの本貸そうか? イヴはどんな話が好き?」
わたしの趣味嗜好を聞かれても、わたしにはそれがどんなものなのか分からなかった。
小説を読んだことはない。先生には「不必要なものだ」と言われているから。けれど。
「分かりません……けれど、貴方が好きだと思うものを、自分も読んでみたいです」
そう伝えてみれば、マルクが「おっけー!」と言って笑ってくれたのに、わたしは穏やかな気持ちになった。
いつからか、わたしはこの店を訪れると無意識のうちにマルクのことを待つようになっていたように思う。声を掛けられればほっとして、今日はどんな話をしてくれるのだろうと楽しみに思っていた。
「だんにゃさま、ご依頼ですにゃあ」
マルクと話している途中で後ろからそう掛けられた声に振り返れば、そこには赤黒い毛並みで糸目の猫の獣人族が封筒を携え立っていた。彼は、先生からわたしへの任務を伝える伝書鳩のような存在だ。手紙を受け取れば彼はすぐに消えていき、横で封筒に目を落とすわたしの顔をマルクが覗き込んできた。
「こんなとこにまで郵便屋さん来るなんて急ぎの手紙?」
「いえ……彼は仕事仲間です。ですから、郵便ではありません」
「ああ、なるほど! じゃあイヴはこれからクエストにでも行くんだ?」
聞かれたそれに、また封筒に目を落としてわたしは小さく「そうですね」と答えた。
黒い封筒には、下の方に赤いラインと青いラインが引かれていた。それだけでわたしが先生から与えられた任務が何なのか分かるようになっていた。青がある時は「夜伽」をしに来いという意味であり、赤がある時は「狩り」をして来いという意味だった。今回は、そのどちらもということだ。
「……わたしは今から任務に出ますので、これで失礼します」
「そっか、じゃあまたね、イヴ」
笑って手を振るマルクに、後ろ髪を引かれる気分だった。だからわたしは、その時初めて返事をした。
「はい、また……マルク」
呼んだ名前に、心臓が熱くなった気がした。
いつからだったろう、それに何も思わなかったはずだったのに。
先生に呼ばれて身体を触られることに、嫌悪感を覚えるようになったのは。




