水槽
気がつくと、そこは水の中だった。
冷たい。重い。息ができない。
トメは目を見開いた。
水の中で視界は歪み、光はぼんやりと揺れていた。
隣にはヒトミがいた。制服のスカートが水に翻り、彼女は必死にもがいていた。
泡が口元から漏れ、目は恐怖に見開かれている。
「ヒトミ…!」
声は出ない。水が喉を塞ぎ、肺を圧迫する。
足はどこにも届かない。底がない。
浮かび上がれない。
ガラス越しに見える天井。
——体育館。
水槽の中。
あの処刑の場所。
トメは必死に手を伸ばし、水槽のヘリを掴んだ。
指先が滑る。
何度も何度も、
爪がガラスを引っかく。
ようやく腕をかけ、体を引き上げる。
「ヒトミ!」
振り返ると、ヒトミの姿が水中に揺れていた。泡を吐きながら、沈みかけている。
トメは腕を伸ばし、ヒトミの手を掴む。
引っ張り上げようとしたその瞬間——
手に、何かが絡まった。
ゴワゴワとした、長い髪の毛。
水に濡れて、冷たく、粘り気がある。
指に絡みつき、離れない。
——加賀美の髪。
「うわああああ…!」
トメは叫んだ。
だが、声は水に吸い込まれ、泡となって消えた。
その時、足首に冷たい感触。
掴まれている。
水の中へ、引きずり込まれる。
トメはもがいた。
だが、力は異常だった。
水圧とは違う、肉体の重みと怨念が、彼女の身体を深く、深く沈めていく。
加賀美がいた。
水の中で、彼女は浮かんでいた。
顔中に血管が浮き出て、目は飛び出しそうに見開かれている。
唇は裂け、歯がむき出しになっていた。
その顔が、トメに迫る。
加賀美は、すごい力で抱きついてきた。腕が背中に回り、骨が軋むほど締めつけてくる。
そして——
耳の中に、舌が入り込んできた。
冷たい。ぬるぬるしている。
水と粘液が混ざり、鼓膜の奥まで侵食してくる。
トメは思わず、息をすべて吐き出してしまった。
泡が、口から、鼻から、目から、溢れ出す。
意識が遠のく。
その時——
ヒトミが、加賀美に向かってきた。
彼女の目は、恐怖ではなく怒りに満ちていた。
トメの腕を掴み、必死に引き離そうとする。
「離して…!トメは…もう関係ない!」
声にならない叫びが、水の中で泡となって弾ける。
加賀美はヒトミの顔を見た。
目が合った。加賀美の目が、さらに見開かれ、血管が破裂しそうに膨らむ。
そして——
ヒトミの腕に、加賀美の爪が食い込んだ。
血が、水に溶けて広がる。
ヒトミは痛みに顔を歪めながらも、トメを引き上げようとする。
加賀美は二人を抱きしめるように絡みつき、まるで水そのものが彼女の意志で動いているかのようだった。
水が、重くなる。
冷たくなる。
暗くなる。
トメとヒトミは、加賀美の腕の中で、沈んでいった。