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水処刑  作者: こびき
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水磔


昼下がりの校舎は、静寂に包まれていた。窓から差し込む光は、埃を孕んで揺らぎながら、食堂のテーブルに淡い模様を描いていた。まるで、見えない何かを封じ込める結界のように。


トメとヒトミは給食を前に、声を潜めて囁き合う。


「今日の五時間目、体育館で“処刑”があるんだって」


ヒトミは箸を止めた。目を見開き、トメの顔を見つめる。


「処刑…?何それ…今週から転校してきたばかりだから、知らなかった…」


「もうすぐ夏休みだから、“水の儀式”になるらしいよ」


「水磔…あれ、気味悪くない?」


トメは小さく頷いた。二人の言葉は軽やかに流れたが、その後には冷たい余韻が残った。


---


午後。体育館の扉が開かれると、そこには異様な静けさが満ちていた。生徒たちは整列し、誰も口を開かない。壇上には、巨大なガラス製の水槽が設置されていた。高さ2メートル、水は規定通り1メートルまで満たされている。壁面には目盛りが刻まれ、まるで死の進行を記録する計器のようだった。


水槽の中には、逆さ吊りにされた女が揺れていた。参年弐組の元担任、加賀美。顔は殴打の痕で腫れ、目は半ば閉じられ、水面すれすれに浮かぶその表情は、まるで夢の中に沈んでいるようだった。


壇上に立つのは、カイゼル髭を蓄えた校長。荘厳な声が体育館に響く。


「この者、加賀美は敵国の密偵である。よって、我が校の規律に従い、処刑を執行する」


大型電影画面に校長の顔が映し出される。その目は冷たく、感情の欠片もなかった。


生徒たちは動揺を見せない。それが“日常”であるかのように、静かに儀式の開始を待っていた。


---


儀式は壱年生から始まる。生徒は一人ずつ壇上へ進み、手には2キロの鉄球——“処刑球”を携えている。深々と礼をし、水槽の階段を登る。そして、無言のまま鉄球を水面へと落とす。


ぽちゃん。


水が揺れ、目盛りがひとつ上がる。女の鼻先が水に触れ、わずかに震える。次の生徒が壇上へ。また一礼。そして、ぽちゃん。


水面は静かに、確実に上昇していく。誰も声を発さず、誰も目を逸らさない。儀式は、まるで時を刻む時計のように、正確に進行する。


水が口元に届く。女はわずかに身をよじるが、縄はそれを許さない。冷たい水が、静かに彼女の呼吸を奪っていく。まるで、過去の罪を洗い流すかのように。


トメが処刑球を落とした時、女はすでに苦しそうに顔を歪めていた。だが、まだ息はある。次はヒトミの番。震える手で鉄球を持ち上げ、水面へと落とす。


ぽちゃん。


その瞬間、女の体が痙攣し、静かに沈んでいった。


---


帰り道。帝国女学館を後にしたトメとヒトミは並んで歩いていた。ヒトミは沈んだ表情で、口を閉ざしていた。人を殺したのだから。


「…私、やっちゃったんだよね」


トメは言葉少なに、ヒトミの肩に手を置いた。


「仕方なかったよ。誰も逆らえない」


ヒトミは頷いたが、その目はどこか遠くを見ていた。


やがて別れ、ヒトミは一人になる。


---


夕暮れが迫り、空は鉛色に染まっていた。ヒトミは小型電影端末を見る。18時32分。住宅街の外れにある古いトンネルを通る。空気は冷たく、湿っていた。足音が響く中、


背中を、誰かにトントンと叩かれる。


振り向く。誰もいない。


叩かれた肩は濡れていた。足元も、じわじわと濡れている。


怖くなって走り出すヒトミ。


水たまりを踏む。


異様にぬるぬるしている。


滑って転び、水浸しになる。


地面に手をついて起き上がろうとしたその時




目の前に女の足が見えた。


足首には、縄の痕。




恐る恐る顔を上げると——





加賀美が、そこに立っていた。


濡れた髪が顔に張り付き、腫れた頬が歪んでいる。目は虚ろで、しかし確かにヒトミを見ていた。


「…あなたが、……」


その声は、水の底から響いてくるようだった。


ヒトミは叫ぼうとしたが、声が出ない。


加賀美は一歩、また一歩と近づいてくる。


足元の水が、まるで彼女の意志に従うように広がり、ヒトミの身体を包み込んでいく。


冷たい。重い。ぬるぬると、逃げ場を奪っていく。


「あなたの中で、……」


加賀美の顔が、ヒトミのすぐ目の前に迫る。




加賀美の息遣いが聞こえる。




目をそらしたら、そらせない。




加賀美の目が飛び出しそうになる。




加賀美の鼻と自分の鼻がくっつく。




加賀美の目が頬にくっつく。




意識が飛ぶ。








明るい。


朝。



ヒトミは自宅の布団の中で目を覚ました。制服は乾いていた。身体に異常はない。


「私、生きてる…」


何これ。夢?いつ帰ったの、私?


怖かった。


安心して、一度目を閉じて、再び目を開けると







加賀美の顔があった。


目は見開いて飛び出しそうだ。


加賀美のあらい息遣いが聞こえる。


加賀美に顔をなめられた。


ヒトミは、再び意識を失った。


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