フェネガン、再び来日す
シックなデザイナーものの真新しいスーツ――もちろん経費で落としましたとも。広報の仕事のときに着用しますって建て付けで――に身を固め、フェネガンが宿泊する予定のホテルに赴いた。先日のリーディングの会場となったのと同じトコである。そもそもフェネガンが最初にテレビ局に招かれて来日した際に局側の用意したこのホテルをいたく気に入り、その後もリーディングで使うようになったのだそうだ(後に知り合う音声担当の女子からわたしはその話を聞くことになる)。
フェネガンが成田に到着したのは月曜の午後の到着便だったんで、夕方近くにわたしは、リムジンバスから降りてくる彼の画を撮りたいというテレビ局スタッフに連れられホテルのバス発着場で一緒に彼の到着を待った。
あくびをかみ殺しつつフェネガンは到着したバスから降りてきた。
「ああ、もうちょい緊張感のある画が欲しかったなぁ」と岸田氏が小声でボヤくのが聞こえた。まあ、ロサンゼルス時間だと今は草木も眠る丑三つ時ってヤツだからね、あくびが出んのも無理ないっしょ。
テレビ局側のスタッフは総勢七名だったが、全員の紹介はなかった。わたしに通訳の依頼の電話をしてきたのがプロデューサーの岸田氏で、そのアシスタント的立場らしき内宮氏と竹田氏を紹介され、挨拶を交わした。あとはカメラと音声の担当者がいた。わたしと同い年くらいの女性がひとりいる以外は全員男性。年齢もまちまち。
岸田氏は三十後半といったところかな。スカジャンを羽織っていて、背が高く、ややマッチョ。内宮氏と竹田氏はともに二十代っぽい。どちらも割と背が低め。内宮氏は黒髪ストレートのロン毛にべっ甲メガネ、袖をまくった黒ジャケット。竹田氏はツンツンの短髪、緑色の半袖T(寒くないのかな?)。
カメラの回る前でフェネガンは岸田氏と握手した(当然、旧知の間柄みたい)。それからわたしとハグした。
「とても素敵なスーツだね」
そう褒めてくれた。言っとくが黒のパンツスーツだ。通訳らしく見えるハズ。
一同は部屋に移動した。飛行機とバスでの移動中に十分に休んでいるので、すぐに作業に入ろうとフェネガンは言った。
まずは岸田氏を中心とするスタッフから事件のあらましについて説明するところから始まった。
事故の起きた電車は7時20分川越始発の新木場行き埼京線通勤快速だ。「通勤快速」は英語では Rapid Express と称すことは事前リサーチ済み。つうてもそれがどんなものかは説明しない限り理解してもらえまい。埼京線の通勤快速は埼玉県さいたま市の大宮駅から東京都北区の赤羽駅までの十二駅の区間を途中の武蔵浦和駅(これもさいたま市)だけに停車して残りの九駅すべて通過する形に運行されるものだ。火災発生は埼玉県戸田市となってるけど、本来なら戸田市内には停車しない。乗り合わせた乗客の証言によれば、火災は武蔵浦和を発車してすぐに発生。だが電車は非常停止ボタンが押されるまでに二駅を通過して、戸田駅と戸田公園駅のあいだに停止した。そのときの発車から停車までの時間は三分ほど。
埼京線の大宮~赤羽間はほぼ全域にわたって高架になっていて、東北・上越新幹線と並走する。そのため火災の際には両新幹線も運転を中断せざるを得ず、影響範囲は広いものになった――という内容の説明をわたしは淡々と訳した。
フェネガンは「事故が起きたのと同じ時刻の電車に乗ってみたい」と主張した。
わたしがそれを訳して伝えると、岸田氏は渋い顔になった。ノートパソコンを開いてなにかを調べ始めた。そういえば事件のときの車内の様子は果たしてわたしがあの夢で見たとおりだったのだろうか――あまり考えないようにしていたその疑問がふと脳内によみがえった。フェネガンのリクエストが受け入れられれば、わたしのその疑問にも答えが出るのかも。きっと、実際にはあんな殺人的な混雑だったりはせず、あの夢の情景は単にわたしの脳みそで生み出されただけのものだったってことが明らかになるハズ。
岸田氏のノートパソコンがフェネガンに向けられた。それは『朝の埼京線の混雑』と題されたユーチューブの動画だった。フェネガンとわたしはディスプレイをのぞき込んだ。わたしが動画のタイトルと説明文の内容を訳して伝えると、岸田氏は再生開始ボタンをクリックした。
その動画は赤羽駅の埼京線ホームから撮影されたもので、画面からは車内の状況まで明確にわからなかったけど、ドアが開いた瞬間に溢れ出てくる乗客らの様子から車内の尋常ならざる混雑ぶりが推察できた。
「This is crazy.」とフェネガンは言った。「気狂い沙汰です」とわたしは訳した。
「ちなみにですが、証言によると、事件のあった電車は少し遅延があったため普段よりも混雑は酷かったようです。昔の埼京線を思い出した、といった証言もありました」
岸田氏はそう付け加えた。フェネガンはうなずき、同じ時刻の電車に乗るのは諦めよう、と言った。岸田氏はわたしを見、ちょっと首を傾げた。そのときのわたしは軽いショック状態だったので、フェネガンの発言を訳すのを忘れてしまってたの。慌てて「あ、はい。その時間の電車に乗るのはやめにしましょう」と告げた。
ショック状態になったのはもちろん、どうやら事件当時の車内の混雑度があの夢のとおりだったらしい、という事実に気づいたから。
そのことを頭から振り払って、わたしは通訳に集中する。
事件の起きた車両に乗り合わせた乗客の証言に基づき、武蔵浦和を出発してからの三分間に起きたことの詳細な説明が内宮氏からあった。それはやはりあの夢の内容とそっくりそのままで、そのうちにわたしは自分の見た夢の内容をフェネガンに説明している気分になった。
夢と違ったのは、わたしが目を覚ましたところからの続きがあったことだ。
非常停止ボタンで電車が止まり、誰かが非常用のドアコックを操作してドアが開けられると、乗客らは雪崩のように線路脇にこぼれ落ちていった。多くの乗客らは服に火のついたままだった。ここで運悪く他の乗客らの下敷きになってしまった人も少なからずいたが、線路に降りた乗客らが燃えている人の火を協力しあって消したりするなどの美談も生まれた。
火傷を負った人が八十四名、その他、煙を吸ってしまった人、脱出の際に怪我した人などを含め、計九十七名の死傷者が出た。これは火災の起きた車両に乗り合わせた乗客の三割弱にあたる数字(どんだけあの車両に人が詰め込まれていたのかって話よね)であると。死者は四名。けど、現時点でも重篤状態で入院している被害者もいるんで、その数字はまだ増えるかもしれない。それと、当該の車両以外での負傷者はゼロだったとのこと。実際のところ、他の車両の乗客は電車が非常停止したあとでも、なにが起きてるのかまったく把握できてなかったそうだ。
その後の救助活動と避難、消火活動についての説明が続いた。フェネガンは眠そうではあったけど、真面目な顔つきで話を聞いていた。
次に犯行についての説明が竹田氏からあった。
警察が発表した、キャリーバッグに仕込まれた発火装置についての情報。モノはほぼすべてが燃えてしまっていたのだけれど、わずかに焼け残っていた金属パーツから装置の全体像が推定された。復元図に描かれているのは、よくあるキャスター付きのアレ――CAが後ろ手に転がして空港内を歩いてるイメージのヤツ――だ。
始発の川越駅で車掌が電車内に不審物のないことを確認してるんで、犯人は川越から武蔵浦和までのどこかでバッグを持ち込んだと考えられた。しかし武蔵浦和で持ち込んだのなら犯人は発火時にバッグのすぐそばにいて火災に巻き込まれちゃったハズ――自爆テロ的に犯人がそんな行動をとった可能性もゼロじゃないだろうけど。普通に考えれば犯人はそれ以前のどこかの駅で乗り込んで、誰にも気づかれずにカバンだけ残して別の駅で降車したんだろう。あれだけ混雑した車内であればそれも簡単だったんじゃないかなぁ――てか武蔵浦和でのあの混み具合のとこにキャリーバッグを持ち込むなんて絶対無理。あの夢のとおりの混雑だったなら。
通勤ラッシュ時にそんな大きなバッグを電車に持ち込むような行動は他の乗客らの目に付いたハズ。なんだけど、意外にもハッキリとした証言は出てこなかった。サラリーマン風の男がそれらしき荷物を持っていた、という証言もあれば、若い女がキャリーバッグを持ち込んだのを見たという人もいた。
駅の防犯カメラでも犯人の特定に結びつくものは見つかっていないという。つまり、今のところ犯人像はまったく見えていないってワケ。もちろん犯行動機なんかも推測のしようがない状況。
少なくともマスコミが把握している限りにおいては、警察の捜査は暗礁に乗り上げているみたい。
「そこでミスター・ローランド・フェネガンのご登場と相なるワケです!」
岸田氏は言った。その目はギラギラしていた。無理もないよね。フェネガンを呼びつけたはいいけど、オンエアの前に警察が犯人を捕まえちゃったら、すべてが台無しだもん。いくら現時点で警察の捜査の行方が不透明とは言え、岸田氏にとっちゃこの企画は大バクチに違いない(あんまり予算かけてなさそうな感じなのはそのあたりの事情なのかな)。
「犯人は若い男性だ」
リモートビューイングを終えたフェネガンはそう言い切った。
「さまざまなヴィジョンが視えるが、混沌としている。明日、現地に行って私の視た個々のヴィジョンがなにを意味するのかを検証していくのが我々の調査の最初のステップになるだろう」
その後は翌日のプランについての打ち合わせが続いた。しゃべってるのはほとんど岸田氏とフェネガンだけで、他のスタッフは求められたときだけ口を開く、という感じ。解散となったのは深夜近く。いやぁ、お肌に悪いな、この仕事――。