予知夢
イエスでありノー。因果律を超えた繋がり――。
なんだっつうの、それ。……ま、そういう思わせぶりなことをいうのはフェネガンのサイキックとしての習性のようなものなんかなぁ、とわたしは受け止めることにした。
丁寧な文章で玲奈にメールを送り、次回のフェネガンの来日時までに予備的に星まわりのチェックを進めておきたいから、なぁんていう理由をつけ、弟氏の氏名と生年月日、自宅住所と通う大学院の名称などを尋ねた。ちょっと騙しているような気も少しするが、この際、しかたあるまい。わたしは言わばフェネガンに調査を一任されたワケだし、玲奈にとって悪いことをしようとしてるわけでもない、そう自分を納得させた。正直に事情を説明しても別にいいんだが、話がややこしくなるし。それから、弟氏の人相のわかるものと全身の写った写真を添付することも依頼した。
もちろん玲奈はわたしがフェネガンの質問を中継しているだけと受け止めたろう。特に疑う様子もない返信がさほど間をおかずに届いた。情報を姉さんに転送した。姉キからはすぐに、調査を進める、という返事があった。
どことなく落ち着かない気分だけが残った。
だが姉さんの調査を待つ以外にない。他になにかわたしにできることがある? そもそもフェネガンはどういうつもりで玲奈のメアドを教えてくれたんだろ。わたしがそれを知りたがっていることに気づかれたの? 自分が送ったメールを読み返してみたけど、そんなバレちゃいそうなことは少しも書いてなかった。フェネガンの超能力で心を読まれたとか。んなバカな。けど、それを否定するのなら、フェネガンはフェネガンでなんらかの動きをわたしに期待して玲奈のアドレスを教えてきたということになるよね。となると、その期待って何? つうのが当然の疑問。けど考えたところでわかるわけない。考えるほどにわたしは困惑の沼にハマる。
その晩、夢を見た。
わたしは焦ってた。今日は試験日なのだ。及第点が取れねば留年は免れない、っつう。
駅の改札に向かっていた。なんだか見覚えのない駅。昨夜は友人の家にでも泊まったんだっけ、試験前日だというのに。通勤の時間帯で、やたらと人が多い。地方都市の駅みたいだけど、やけに巨大だ。
改札を抜け、わたしは腕時計を見た。あまり余裕がない。足は早まった。コンコースにはホームへと下る階段が並んでいる。案内板を見上げた。目的の路線はまだ先のようだ。人のあいだを縫うようにして先を急いだ。次の案内板――これも違う。まだ先なのか。どこまで行けばいいの? じわりと焦りの感情を覚えた。それをあざ笑うかのように、進むごとに周囲を歩く人の密度が高まる。わたしには流れに合わせて進む以外の選択肢がなくなる。ついにはコンコースの端まで来て、人の波はそこから右に曲がって、下の階段へと流れ込んでゆく。
まるで奈落の底に続くかのような長い階段を目の前に見た。
ただひたすらに人の流れに合わせ階段を下った。どんだけ深い地下にホームがあるというのだろう。はたして試験に間に合うかという焦りと、このまま流れに乗って進んでしまって大丈夫なのだろうかという恐れが、自分のなかでないまぜとなる。
いつのまにかわたしは、人でごった返すホームに立っている。案内板を見上げ、ここが目的の路線であることを確認した。乗車待ちの長い列。最後尾についた。時計を見る。次の電車に乗れれば間に合う。
すぐにホームに電車が滑り込んでくる。けど見るからに満員だ。わたしは絶望的な気持ちになった。
電車が停まり、ドアが開いた。人が溢れ出してくる。降りる人、他の客を通すために一旦は降りたけどすぐにまた乗り込もうとドア脇につく人。そして列に並んでいた人はどんどんと前に詰めてゆく。わたしも流れに合わせて足を数歩進めた。乗れるのか、無理なのか――。
意外にこの駅で降りる人が多い。乗り換え客か。すでに人だらけだったホームに降車客が間隙を埋めてもはやカオス。
もはや自分の意思とは関係なく後ろから押されるままにわたしは電車の乗降口からなかへ。その時点ですでに車両は超満員の状態だったけど、さらに後ろからどんどんと人が乗り込み、わたしの体は、入ってきたドアと反対側のドアとの中間地点まで運ばれる。まさにスシ詰め状態。まったく身動きは取れない。一度床から足を上げたら二度と下ろす場所を見つけられなさそう。それでも倒れてしまう心配はなさそうだ。なんならそのまま寝てしまっても大丈夫だろう。それだけ周囲はみっちりと詰まっている。
ホームにいる駅員が二人がかりでドア付近の乗客を押し込んで、ようやっとドアが閉まる。少し間を置いて(駅員が順々にドアを閉めて回ってたんだ)、電車は動き出した。
電車は深い地下から一気に上昇する。まるで飛行機のよう。気づけばもう高架を走っていた。乗客のあいだからほんのわずか見える窓の向こうに青い空が見えた。
どうやらこの電車は急行かなにからしい。途中の駅に停まらずに通過しているのが、音の変化でわかった。
二駅、三駅……を通過。その先でようやく電車はスピードを落とし始める。普段ならば減速の反動で身体が傾くところだけど、わたしの体は微動だにしない。周囲の乗客の体にがっちりとホールドされてるから。
電車は停止した。ドアが開きにくそうな動きをしたあとで、ガッと開いた気配がした。ほんの少しだけ周囲の圧が緩まった。でも誰も動かず、わたしはホールドされたまま。
「降りるッ、……降りんだよ」
少しだけ離れたところから不機嫌そうな男性の声がした。どうやら奥から降りようとしている乗客がいるっぽい。だが皆は協力的ではないようだ。そりゃそうだろ、一度車両から出てしまったら再び乗り込める保証はないし。
結果、ドア近くでは小規模な雪崩が起きたみたい。そういう気配だけが伝わってくる。わたしからはなにも見えないけど。ちょっと周囲の圧が弱まっただけ。しかもすぐに前よりも強烈な圧が押し寄せてくる。さっきのヒトは無事に降りられたんかな?
ドアが閉まって再び電車は動き出した。
それからだった、異変が始まったのは――。
なにか変、と思った次の瞬間、揮発する油のような異様な匂いが鼻をついた――なにこれ、……ケロシン?
どっかから漏れてるのかな? いやでも電車じゃケロシンなんて使わないよね。いったいどこから? なんで?
その刺激臭に頭がクラっとした。
周囲の乗客も皆、なにごとかと訝しむ様相を示してる。「誰か、窓開けて」少し間延びしたような声。女性が小さく叫ぶ声もあちこちから聞こえる。
「うおっ」
最初にそれに気づいた誰かが自分の足元を確かめようとした。この混雑のなかでそれは不可能なのだが。
つられてわたしにもそれがわかった。床一面になにか液体があるのが靴の底に感じられた。まさか、まさか、まさか――。自分の血の気が引いてゆくのがわかった。
「窓を開けろぉ」
誰かの怒鳴り声。
けど、このときにはまだ誰も、次に訪れる衝撃的展開については予測していなかった。
瞬間、痛みともつかぬ強烈ななにかを足元に感じた。
――油に火がついてる!
わたしの頭はまっしろになり、疑問符だけで埋め尽くされた。周囲の誰もが言葉にならない叫び声をあげ出した。体を動かせるスペースなどないのに、誰もが反射的に動こうとして、その圧で押しつぶされそう。わたしはただ揺さぶられる。そして足が焼かれている強烈な痛みと凄まじいばかりの熱。
「助けて!」
それはわたしの声だったのか、それとも誰かのものか。
乗客同士の体が完全に密着していたため、当初は足元からうえに火は上がってこなかったけど、座っていた客らが座席のうえに立ち上がったり、一部の客が次々に懸垂して網棚のうえに登ったりしたため、床のケロシンが飛び散り、かつ、空間にも少し余裕ができて、火があちこちに回り始めた。
わたしの目の前にいた女性は、着ていた服の繊維の特性からか、あっという間に全身を炎に包まれた。熱風でセミロングのソバージュが逆立った。それもすぐに燃えてゆく。
なんとかしてあげたかったが、わたしも体に自由がきかないのでどうすることもできない。そのひとは、火に包まれたまま、呆然となってこっちを見ていた。
目が合った。
わたしは叫ぼうとする。口が限界まで大きく開けられ、力の限り大声を出そうと。けど、そこからはなにも音が出てこない――。
自分の叫び声を聞いた気がして目を覚ました。
真夜中のベッドのうえでわたしは全身を汗でびっしょりと濡らしていた……。
翌朝、わたしは事務所のソファに力なく腰掛け、ぼおっとしていた。
真夜中に目を覚ましたあと、寝付けなかった。あまりにも夢がリアルすぎた。なにもかも現実に体験した事のように思えた。
「美希さん、どうかした? 体調悪いの?」
仕事の手を止めた沼本さんのダンディー声が頭に響く感じがした。
「んー」
わたしはソファのうえでもぞもぞと体を動かした。それから重い口を開く。
「いや、体調が悪いってワケじゃないんだけど、ちょっとヒドい夢を見ちゃってさ……。そのあと眠れなくて――。ま、ようするに寝不足ってだけ」
「へえ、美希さんにしちゃ珍しいね。どんな夢だったの?」
「んーとね、その日が大学で試験のある日だったんだけど、超満員のラッシュの電車に乗ってんの。まるで身動きもできないギュウギュウ詰めの電車でさ。しかも全然知らない路線なの。で、気づくと突然、床一面にケロシンが撒かれてて、それに火が点くワケよ。あっという間に車内は阿鼻叫喚の地獄絵図に――って、それだけなんだけどね。それがやけにリアルなの。ああ、思い出すだけで寿命が縮みそう」
「ケロシンってなに?」
「ケロシン? そういえば日本じゃ言わないか。なんて呼ぶんだっけ。あの、ファンヒーターとかの燃料に使うヤツ」
「ああ、灯油のことか」
「あ、そうそう、灯油、よね」
「しかしそりゃまた凄まじい夢だね。それで最後はどうなっちゃうの?」
「いや、どうもならない。阿鼻叫喚のトコで目が覚めたから」
「ハハ、そうなんだ」
「目が覚めたとき、心の底から、ああ、夢でよかった、って思っちゃった。あそこで目が覚めなかったら――」
どうなったろう。あの走り続ける電車のなかで他の乗客らと一緒に焼け死ぬことになったんだろうな。
「――確実に死んでた。自分の死ぬ夢なんて最悪」
「悪夢って自分に隠れた病気があるサインだって言うけどな。美希さんもたまには健康診断に行ったほうがいいんじゃない? ちゃんと受けてる? 年に一回」
「んーん。自慢じゃないけど、わたしはこの何年かで一度も風邪ひいたことすらないの。ぜんっぜん不要、健康診断なんて」
「社会人にあるまじき態度だなあ。あ、社会人じゃないのか、美希さんは」
「学生だし。アンド、バイトの家事手伝い。壮大なるワールドワイドの家事ね」
「あっ、『家事』。その悪夢は『家事』と『火事』をかけたものなんじゃ?」
「んー、苦しいなあ。だったら電車じゃなくてもよくない? この家が火事になる夢ならまだしも。わたし、普段あまり電車なんて乗らないし。ましてやラッシュの時間帯なんて縁もないんだけど」
「そおかぁ。惜しいなあ」
「ぜんっぜん惜しくない」
フフと笑いつつ沼本さんは事務作業に戻ってった。それを見てわたしは、ソファに腰掛けたまま、両手をうえに伸びをした。今の会話で少し気分が晴れたかな。手付かずだったテーブルの湯呑みに手を伸ばした。
――結果論的に言えば、わたしはここでこの夢についてもっと考えを巡らすべきだったのかもしれない。けど、そんなの、この時点のわたしにわかるはずもないんだよね。それが凡人の凡人たる所以ってヤツ。
短いモラトリアム――。思えばこの後の半月ほど、まったくと言っていいほどわたしはなんもしなかった。いったい何をやっていたんだろ。きっと淡々とノーマル・ライフを満喫していたんだ。残念ながら記憶に残ってないけど。あまりにも普通の日常だったから。