わたし氏、フェネガンとメールを交わす
「目を閉じて――、イメージしましょう。あなたは今、さわやかな風の吹き抜ける緑の丘のうえに横たわっています。鼻から大きく息を吸いましょう。そう、ゆっくりと――。さあ、どんな匂いがしますか? 想像してみてください――」
インストラクターの裕子さんのガイダンス、そのゆったりとした声が心地よい。
裕子さんの補佐という名目で、道場の大部屋の後ろでエクササイズの様子を見守ってる。一枠(道場でのエクササイズの時間割の午前の最初の枠のこと)なので参加者は四名ほどしかない。この時間にわたしが補助に回るのは、どちらかというとわたし自身のエクササイズのため。
部屋には押し付けがましくない程度のお香の匂いと環境音楽が漂っている。フローリングの床に各自が敷いたマットに会員さんらはあお向けで横たわる。
呼吸法のガイダンスがしばし続いて、裕子さんは参加者らを瞑想に近い状態へと導く。
環境音楽の調子が少し変わる――わたしの最も好きなパート。参加者さんたちは気づいてないだろうけど、ここから徐々に振動が始まるワケよ。部屋の四隅に設置された巨大スピーカーから発せられる超重低音によって生み出されるその振動――それはやがて、床に横たわる全員の体を包み込むように確かなものになる。
わたしはその振動に全身を委ねる。
世界と一体になったかのような感覚に身を浸す――。
アースウェイブ事業の国内での運営は姉さんとわたしに任されているワケだけど、ほとんどの業務には事務局の沼本さんをはじめ優秀なスタップが揃ってるんでわたしたちが手を出すことはまずない。姉さんとわたしは位置付けとしては創設者である父さんの代理という立場で、ようはスタッフでは対応できないイレギュラーなケースを片付けるのが役目なんだな。その大半は雑用って呼んでもいいものだケド。あとは病欠のインストラクターの代行とかかな、メインは。わたしと姉さんの棲み分けとしては、わたしはたまーにあるマスコミからの取材に応じたりだとかの言わば広報系業務、姉さんは会員さんが揉め事を起こしたりしたときなんかの調停役ってトコだけど、そのあたりは案件に応じて柔軟に調整してる。
姉さんの守備範囲には、ウチも全国にたくさんの拠点と会員さんを抱えている関係上、いろいろとあるらしい。結構ヤバめの話も聞くけど、武闘派の彼女は万事よろしく片付けているみたい。
わたしたちの住んでいるこの家は、アースウェイブ創立の地であり、今でも世田谷支部の道場を兼ねたものになっている。本部はもうちょい都心寄りにあるんだけど、わたしはあんまりそっちには顔を出さない。週に一、二回くらいかな。ほとんどの仕事はウチの一階の事務所で済ますことができるんで。ただ、わたしがいつもこっちにいるせいで沼本さんもほぼ毎日こっちで仕事するようになっちゃったんだけどね。
んなわけで、わたしは大学の授業に行くとき以外の一日のほとんどの時間をこの家で過ごしている。出かけるのがキライってワケじゃないけど、用事もないのに外をフラフラすることはしない。普段閉じこもっている反動で、たまに夜遅くまで遊びに出ることがあるくらい、かな。
わたしは朝がどっちかつうとニガテなヒトなので(つうて夜がそんなに得意ってワケでもない)、だいたい姉さんが家を出るころになってようやく起き出す。朝食を摂って、のろのろと身支度を整えて事務室に顔を出すと、大抵、沼本さんはもう事務仕事を始めてる。そこでわたしが新聞なんかを眺めて(これは仕事の一環だよ。じゃなきゃ新聞なんて読まんしょ)たりしてると、そのうちにインストラクターの人がやってくる(来る人は曜日によって違う)。そんなふうに一日が始まる。
この家には他に上原さんといういわゆる家政婦さん的な仕事をしてくれる人がいる。彼女は熱心なアースウェイブ信者(これまでの説明でわかってもらえてると思うけど、アースウェイブはもちろん宗教じゃない。そんな扱いを受けたのはあの記事が初めてよ)でもあり、役得としてタダでエクササイズを受けている。
一枠のエクササイズを終えてわたしが事務室に戻ると、いつもの沼本さんの〝声だけは無駄にダンディー〟と評される「お疲れ様です」の声が出迎えてくれた。ルックス的には中肉中背で丸顔のオジサン。頭には白いものも混じってる。
部屋には一応、わたし用の机もあるんだけど、わたしは大抵そこには座らず、隅の応接用のソファに座ってることが多い。
いつものようにそのソファに腰掛け、わたしはノートパソコンを開いた。
届いているメールを確認していく。ふと、フェネガンにメールを出すつもりだったことを思い出した。メールソフトの『新規』のボタンをクリック。今、ロスは宵の口かなあ、などと思いつつ文面(当然、英語で)を考える。
ハイ、ローランド
先日の通訳の報酬がわたしの口座に振り込まれていたことを確認したところです。どうもありがとうございました。あなたのリーディングの通訳をするという体験はわたしにとって新鮮かつエキサイティングなもので、とても楽しい時間を過ごすことができました(そのうえ、お金ももらえるなんて!)。もしまた機会がありましたら是非お声がけいただけたらと思います。その際には喜んで通訳をやらせていただきます。
ところでわたしはあなたのツイッターを拝見したのですが、そこにとても気がかりなツイートを発見しました。テロらしきものが日本のどこかの都市で起きて多数の人が逃げ惑うだろう、というあなたの予言です。
わたしも巻き込まれないように気をつけたいと思うのですが、このテロの起きる日時や場所について、もう少し具体的な情報はないのでしょうか?
あなたの得たヴィジョンからその発生場所が日本の都市部だということがわかったとのことですが、同様に、人々の着ている服で季節は特定できると思いますし、少なくとも昼なのか夜なのかは判断つきますよね。
情報が多いほど、それを避けやすくなると思います。
あなたのツイートを読んだとき、わたしは思い出したことがあります。それは、先日のリーディングの初日、最後の顧客であった松下玲奈さんのお宅にわたしたちが行ったときのことです。あなたは「非常に禍々しいことが起きようとしている」と言いましたよね。ひょっとしてツイートの予言はそのことを指しているのでしょうか?
質問ばかりですいません。あなたと同様、わたしもこの件を非常に気にかけています。
お返事を待っています。
榎本美希
――こんな感じかなぁ。
わたしは送信ボタンをクリックした。松下玲奈の連絡先を聞き出す(先日のリーディングは予約制だったから、当然フェネガンは玲奈の連絡先を知ってるハズ)のが目的だったりするワケだけど、いきなりそれを尋ねるのもどうかなぁ、と思って、まずはフェネガンの反応を見ることにした。
もちろんわたしは一度は玲奈の家にまで行ったのだから、改めてフェネガンに訊かずともその場所を知ってることにはなるんだけど、そのときは駅からタクシーだったし、当然、住所なんて気にしてなかったんで、もう一回そこに行け、と言われても難しいのが現実。つうか降りた駅の名すら覚えてないし(割とボーっと生きてるところある)。
わたしたちで玲奈の弟を探すから彼女の連絡先を教えてくれってストレートに言えばいいんだろうけど、へたしたら次の来日時に再びこの件をリーディングするつもりのフェネガンに余計な横ヤリを入れちゃうみたいになっちゃうじゃん? そう思われてしまうのは不本意なので、うまく物事を進めたいな、と。
わたしはノートパソコンを閉じた。
上原さんが淹れてくれていたお茶を啜って一息ついてると、片付けを終えた裕子さんも事務室に戻ってきた。ダンディー声が再び「お疲れ様」と響く。
ちょっと気の重いことを思い出してしまった。裕子さんのことだ。彼女は以前、川崎市に住んでいて、この道場には電車一本で来れたのだが、最近ご主人の転勤とかで埼玉のほうに引っ越してしまったのだ。ここまで通えない距離ではないが、かなり時間がかかる。優秀なインストラクターなので辞められると痛い。できれば大宮の道場か、せめて池袋に所属を変えてあげたいが、そっちはそっちでインストラクターの欠員があるわけじゃない。あっち方面に道場を新設するという案も浮上している。川越か、春日部あたりに。わたしの感覚だと既存の大宮道場に近すぎるような気もするんだが、スタッフの試算では採算は取れそうだと。ゴーか、ノーゴーか。最終的にその判断はわたしたち姉妹に委ねられる。胃も痛くなるってもんよ。
――それこそフェネガンに占ってもらえばよかったかな。
そういや、こないだのリーディングのときにも会社経営者の顧客が似たようなことを診てもらってた。そんな決断を占いに委ねることができるなんてウラヤマシイ。まあ、結局のトコ、そこには正解なんてものはない。だからこそ占いに託すこともできるんかな。
意外に早く、昼前にフェネガンからの返信が届いた。その内容はわたしを驚愕させるに足るものだった、ある意味。
こんにちは、美希サン
先般の君の通訳ぶりには感心し、また大いに感謝しています。うん、是非また君に通訳をお願いしたいね。その際にはよろしく。
それと僕のツイートを読んでくれていることにもありがとうと言いたい。もちろん君の質問には答えてあげたいのだが、そこには一種の困難がつきまとうことを理解してほしい。というのは、僕は自分が視たヴィジョンをツイートするわけだが、そのヴィジョンのうちのどこからが来るべき未来を示していて、どこまでが単に過去の僕の個人的な経験が反映されただけのものなのかを区分けすることは極めて難しいのだ。僕は視たヴィジョンのなかから「これは伝えるべきだ」と思えたものだけを直感的に選択しツイートしているんだ。だから基本的にはツイートの内容がすべてであると考えてほしい。
ただせっかく君が質問してくれているのだし、できる範囲で答えようと思う。あのヴィジョンは季節的には割と今と変わらない感じだった。少なくとも真夏や真冬ではない。それと間違いなく夜ではなく日中、より具体的には、一日の始まりを思わせる時間帯の印象があった、とだけは言える。
それから、あのツイートの予言が僕らの玲奈サンの家への訪問時に視たものではないかという君の指摘は非常に興味深い。君は実にいいセンスをしていると思う。そして答えはイエスでありノーでもある。そこには常に現世的な因果律では説明のつかない繋がりというものがある。僕が思うに、この問題は君に委ねられるべきものなのではないか、そんな気がする。君自身が事の真相を見極める必要があるのではないだろうか、もし君にその気があればの話だが。
僕はここに玲奈サンの連絡先を記しておく。君が自らの目で真実を見極めるためのよすがとなるように。
reina_matsushita1129@xxxxxxx.xx.jp
また会える日を楽しみにしています。
あなたの友、
ローランド・フェネガン