溝の口、駅前。ペデストリアンデッキ
え? え? えっ? どういうこと?
日本の単なる「ヨガ教室」を、某国が潰しにきてるってか――!?
わたしの頭は真っ白になった。けど、これで納得のいった部分があったのも、たしか。わたしに超そっくりな替え玉を用意したにせよ、駅の防犯カメラをハックして画像を差し込んだにせよ、某大国の諜報機関レベルなら可能だろう。テロがアースウェイブによる犯行だなんてことにされちゃったら、当然、わたしたちは事業なんて継続できなくなり、活動は停止することになる。そこまでして彼らがウチに濡れ衣を着せようとするのは、今回のわたしのように未知なる能力に目覚めるヒトが大量に生み出されることによる社会秩序の崩壊を防ぐため――。アースウェイブのエクササイズを受けている人たちのなかでわたしのように〝能力〟に目覚めちゃう人がどれくらい居るのか知らんけど、R国に限らず国家政府としては望ましい話じゃあないだろう。だから封じ込めちゃえ、と。クサいものにフタ。すべてに辻褄が合うじゃん。
それにしても相手が国家組織だなんて。
すぐに姉さんに知らせなきゃ――。
そう思った瞬間、わたしの頭のなかに、くっきりとひとつの光景が浮かび上がったんだ。
溝の口のJRと東急の駅舎をつなぐペデストリアンデッキ。立ちすくむ群衆のあいだに倒れている、ふたつの人影。どちらもうつ伏せで顔は見えないけども、明らかに片方はヨコさん。そして、もうひとりは、姉さん――。
垣間見えた未来。
それが今まさしく起きようとしているコトだとわかった。まもなく現実になるコトなのだと。なんでわかったのかはわからない。直感だとしか。
自分が青ざめた顔になってるのが感じられた。
テーブルに置いてあったスマホを取りあげる。その手が震えている。なんとかそれを押さえこんで、姉さんに発信する。
けど彼女は出ない。こんなときに限って。
わたしはLINEを開く。手の震えが大きくなる。
「相手は」某国の️スパイだと書く。
それだけ打つのがやっと。送信。
でも既読はつかない。
姉さんのトコに行かなきゃ。なんとしてもその未来を回避させねば――。
わたしは玄関にダッシュした。靴を履くのももどかしく、表へと出る。駐車場には車がない。姉さんが乗って出かけたのだろう。タクシーを呼ぶか、駅までダッシュするか。どうするのが一番、早いか――。
そう考えたとき、ひとつのアイデアが頭に浮かんだ。
わたしは門から外に出た。そこには、案の定、黒いセダンが停まってる。
運転席に駆け寄り、せわしなく窓をノックした。
その内側には昨日と同じ二人がいた。
パワーウィンドウがじれったい速度で開く。
「お願いがあるの、緊急事態。あなたたちはわたしを張り込んでるんでしょ、わたしが出かけるときには尾行することになってるのよね? だったらどうせわたしが行くところには行くワケよね。わたしは今すぐ溝の口まで行かないとならないの。そこまで乗せてってくれないかな。そのほうがわたしを見失う心配もないし、都合いいでしょ? ね、お願い。緊急事態なの。第二のテロを阻止しないとならないの。あわよくばあなたたちは真犯人を捕まえられるかもしんないし、そうすりゃ金星よね。とにかく今回だけでいい、わたしを信用して! お願いだから乗せてって!!」
わたしはそう一気にまくし立てた。コスギ刑事はのけぞって聞いてたけど、最後には苦笑しながら、「いいでしょう、乗ってください」と言ってくれた。
「ありがとう、助かる」言いながらわたしは後部座席に乗り込んだ。
助手席に座る銀縁メガネの刑事がわたしを見ながら、「溝の口のどこですか?」と訊いてきた。
「駅です。溝の口の駅にお願いします」
そう私は返す。
「シートベルト締めてください」
コスギ刑事が言い、タイヤをキュッと鳴らして黒のセダンが発進した。
住宅街のなかをスムーズに車は進む。
「第二のテロって言いましたね、」
助手席の刑事がわたしのほうを見て尋ねる。
「ローランド・フェネガンの予言ですか?」
どう答えようか、一瞬、わたしは迷った。
「ええ、そんなところ――いいのよ、どうせあなたたちは信じちゃいないんでしょ? 予言なんか。まあ、わたしだってほんの二ヶ月前まではそうだったんだから」
いや、今だってホントに自分がそれを信じているのかどうか、わたし自身でさえわからない――。
刑事は小さく笑って返した。
「いえ、我々はあらゆる可能性を排除しませんよ。もちろん、そのたぐいのモノの99パーセント以上がイカサマだとはわかってますがね。そうでないものも存在することも知っています。警察組織のなかでは我々がそういう真相に一番近いところにいるのかもしれない」
「え……」
どういう意味だろ、とは一瞬思ったけど、わたしの気持ちはそっちには向かない。今はそれどころじゃない。
「それで、あなたは今、第二のテロを阻止すべく溝の口に駆けつけるべきと考えているのですね?」
そう続いた刑事からの問いに、なんなんだろうと怪訝に思いつつも、わたしは「はい」と答えた。
「よし、現場に急行だ」
メガネの刑事はそう言うと、窓を開け、足元のあたりから取り出した赤色灯を無造作に車の屋根に乗せた。サイレンが鳴り出す。それと同時にコスギ刑事がアクセルを踏み込んだ気配が伝わってきた。エンジンが音を立て、車が加速する。
思いがけない展開に、わたしは鳥肌が立った。つまり感動したのだった。なんだか涙まで出てきた。
刑事らはそれ以上、わたしに質問しなかった。
車は国道246号に出て、神奈川方面に向かった。次々に他の車を追い越していった。瀬田の立体交差をくぐり、多摩川にかかる橋を越え、あっというまに溝の口ちかくまで到着。246から左に曲がり、さらに進む。道路の正面前方に、高架になっている駅のプラットホームが見えた。
「どのへんにつければいいですか?」
コスギ刑事が訊いてきた。
「んー、わからない。JRと東急をつなぐペデストリアンデッキに出たいの」
わたしはそう答えた。
助手席の刑事がカーナビの地図を拡大した。画面を指さしながら、「強引だが、ここにつけよう」とコスギ刑事に指示。
「オーケー」
コスギ刑事は応えた。
駅ホームの高架をくぐった先の信号で車はUターンし、そのまま、その横にある横断歩道の脇の歩道に乗り上げた。そこで停止。
すぐにわたしはドアを開け、車から飛び出した。刑事らも続いた気配がするけど、振り向いて確認する余裕などない。
ペデストリアンデッキにのぼる階段が目の前にあった。わたしが駆けあがろうとした瞬間、前方から叫び声が聞こえた。なにか物音。さらに続いて、女性の悲鳴。
――間に合わなかったか!?
わたしは階段を走る。
デッキに立ったわたしの目に映ったのは、まさに、あのときにわたしの脳裏に浮かんだ光景そのものだった。
通勤途中とおぼしき大勢の人々が足を止め、わたしの前に壁を作っていた。そこから垣間見える先に倒れている二人の姿が見えた。
わたしは人混みをかきわけ、前へと出た。
目に入ったのは三つの姿。それに転がっているキャリーバッグ――。
いつもの黒いライダースジャケット姿の姉さんがうつむけに倒れている。どうしたんだろう、相手に刺されたんだろうか。けど少なくとも目に見える範囲では血は流れていない。と、彼女は首をもたげ、かすかに左右に振った。
その手前にいたもうひとりの女性が、前傾姿勢から上半身を起こそうとしていた。わたしはその後ろ姿を捉えていた。どこかで見たようなネイビーのブルゾンを着ていた。
――ん?
姉さんのもとに駆け寄ろうとしていたわたしの足が止まった。
ブルゾンの女性は、今や、うつむけの姉さんの体に馬乗りになろうとしていた。
――いや、違う。
その事実に気づいた。ブルゾンを着てるほうこそが姉さんだ。普段と違う格好なので、ひと目でわからなかった。
――つうことは、黒ジャケは姉さんのフリをした犯人か。
そうだ、そのハズだ。間違いない。
黒ジャケ女は、姉さんの体重が身にかかる寸前に、自らの体をひねった。反動で姉さんはよろめく。女はさらに、地面に手をつき、全身をバネのようにして跳ね起きようとした。二人の体がぶつかり、どちらもバランスを崩して、はじけあうように互いが反対方向に転がった。
「姉さん!」
二人とも、即座に起き上がったが、黒ジャケのほうが一瞬早かった。
女は踵を返し、脱兎のごとくに走り出した。
それを追いかけようとした姉さんだが、顔をあげ、急に足を止めた。
女の動きを予期していたかのように、その行く手にコスギ刑事が待ち構えていたのだ。逃げる女性にすかさずタックルを決める。二人の体が地面を打った。
女性は暴れたが、すぐに体を刑事に押さえつけられたうえ、手を背中にねじ上げられ、ようやく観念した。
「姉さん」
わたしは姉さんのもとに駆け寄った。
「刑事か――」
姉さんはコスギ刑事を見やりながら、少し驚いたような声をあげた。女は手錠を掛けられようとしていた。
「あんたが連れてきたん」
「うん」
「手回し、いいなぁ」
それから姉さんは倒れたままのヨコさんのところに行って膝をつき、片手で彼の体を揺さぶった。
「ほれ、横川、起きろ。いつまで寝とんじゃ」
わたしもヨコさんの様子をのぞき込んだ。
「大丈夫かな」
「脳震盪だろ、ま、たいしたことないと思う」
その姉さんの言葉に反応したかのように、ヨコさんの口から「うーん」と声が漏れた。
銀縁メガネのほうの刑事は、そばに転がっていたキャリーバッグを検分するかのように、その脇にしゃがんで顔を近づけていた。
「臭うな……、ガソリンか――」
コスギ刑事は立ち上がり、後ろ手に手錠をはめられた女性を引っ張り起こした。
どうやら一件落着ってトコかな?
黒ジャケの女性が、白人ではなく、けど日本人でもなく、中国かあるいは東南アジア系っぽいルックスだったところだけが思ってたのと少し違った。
ひと安心の心持ちになったわたしは再び姉さんに顔を向けた。その着ている服にやはりどうも見覚えがあるような気がした。
「あれ――、そのブルゾン……」
「ああ、ごめん、変装用にあんたのを借りたんだ」
「あ、そうなの」
「悪りぃ。肘んトコ、ビリっていっちまった、ハハハ」
「ええーっ、それ、高かったのに――」
「いや、申し訳ない。許せ」
そのときヨコさんが気づいて、上半身だけ起き上がった。ぶつけて痛むのか頭を手でさするようにしながら言う。「あれ、どうなったんすか。犯人は――?」
それから、たぶん駅前の交番とかからだろうけど、いまさらのように警官が何人か駆けつけてきた。それを受けてなのか、野次馬だった通勤途中の人たちがパラパラと解散しだした。