予知夢、再び
「あんたの居場所を特定するのに、持ってるコネをフル動員したわぁ」
助手席に座る姉さんがこちらに半分顔を向け、そう言った。
車は光村先生を家に送り届けるべく国道246号を西に向かっていた。となりに座ってる先生は早くも目を閉じている。時刻は夜の十一時をまわったあたり。老齢の身には遅い時間だろう。
運転してるのは花凛ちゃんだった。姉さんの腹心の部下で、わたしより一つ若い。姉さん曰く、どんな無謀な命令でも無言でこなすタイプ、だという。わたしにはどこにでもいるようなボーイッシュな女の子にしか見えないんだけど。
「どんな話だったん」
姉さんが顔を半分こちらに向けたまま訊く。わたしは口を開いたんだけど、言葉が出てくるのには数秒を要した。
「大宮駅のね、防犯カメラに、キャリーバッグを持ったわたしそっくりの人物が写ってたの。テロの起きた電車が発車する五分前の映像だって。刑事らが昨日のオンエアを見て、それがわたしだと気づいた、みたいな」
「ブハハ、そりゃあ、奴らからしたら棚ボタだぁ。んな話あるかっつうの。あんたはその写真、見たの?」
「うん、見た。たしかにわたしにそっくりだった。着ている服まで」
「はあ? テロを実行するってぇのに普段と同じ服装でするヤツあるかぁ? 変装とかすんだろ普通。バカも休み休み言えっつうの」
そこで花凛ちゃんが口を挟んだ。
「ハメられたんですよ、それは」
姉さんは彼女のほうに目を向けて返す。
「ああ、たしかにな――。でも、誰が? 美希を陥れる理由のあるヤツなんているんかな」
再び姉さんはわたしに視線を送ってくる。そんなの当然わたしには心当たりない。花凛ちゃんが前を向いたまま再び口を開いた。
「美希さんにはなくても、アースウェイブにはあるかも。集団を相手にするときは一番弱いところを攻撃しろ、って真希さん教えてくれましたよね」
「おお、そういうこと?」と姉さん。「商売ガタキ的なヤツ?」
わたしがアースウェイブで一番弱いトコなのか、ってガッカリ。でもたしかにそのとおりなのかも。けど、このことがアースウェイブに対する攻撃だなんて、にわかには信じられない。
「となると、このままじゃ終わらないな――」
姉さんはそう言って、前に向き直った。
「許さんぞ、美希をヒドい目に遭わせおって」
ベッドにもぐり込んだのはもう真夜中をとうに過ぎた時間だった。わたしは自分の身に起きたことを整理してみようとしたけれど、疲労のためか頭が回らなかった。感情はまだ高ぶっててとても眠れそうになかったけど、とにかく目を閉じた。
なんだろ、体は疲れて動けないのに、精神だけがピリピリしてる感じで、自分が寝てるのか起きてるのかもよくわかんない状態になった。ただ頭のなかを雑多なイメージが流れていく。半分覚醒しながら夢を見ているようなカンジ?
気づくと、その夢のなかでわたしはフェネガンと並んで歩いていた。場所は、井の頭公園の池のほとりの小道のようでもあり、西海岸のビーチ沿いのウッドデッキで整備された遊歩道のようでもあった。
フェネガンは優しい口調でわたしに語りかけた。
「いいかい、美希。君はもう成長したサイキックなんだ。善良なサイキックというものがどういうものが知ってるかい? それはだね、木から降りられなくなっている子猫がいたら、必ず近くを通りかかって、猫をやさしく抱え上げて地面に下ろしてあげるものなんだ」
「猫?」
「イエス。なかには助けてもらってるのに君のことを引っ掻こうとするものもいるかもしれない。だがそれでもタイミングよくやって来て猫を救うのが善良なサイキックというものなんだ。それを忘れちゃいけないよ」
「わたしはサイキックなの?」
「それもイエス。君はサイキックとして正しい道を歩んでいる。玲奈と隆志を再会させたじゃないか」
「それは、ローランド、あなたがやったことでしょう? わたしはなにもしていない。最後に玲奈さんを彼の元に連れて行っただけ」
「いいや、君がしたんだ。僕は君という子猫を地面に下ろしてあげただけ。すべては君から発していたことなんだ」
「そうなの? わたしにはよくわからない」
「頭で考えようとするな。ただ感じればいいんだ。そうすれば、なにもかもわかるようになる。過去も、未来も――」
「未来――」
「そうだ、未来だ。目を閉じて――、それからアゴの力を抜いて――。全身のあらゆる感覚を研ぎ澄ませ――。それから自分自身のなかにダイブするんだ。なにが見える?」
わたしは彼の言うとおりにする。
自分自身のなかにダイブ――。深く、もっと深く――。
いつのまにか、わたしは人混みのなかにいる。
どこかの駅前のペデストリアンデッキだ。
たくさんの人が行き交っている。見ると、左右に駅舎がふたつ。片方がJRで、もう一方は私鉄のよう。そのあいだの数十メートルを、あるものはJRのほうへ、またあるものは私鉄へと、それぞれが交わることのない人の流れを形作っている。
その流れのなかに、わたしは馴染みのある姿を見つけた。
「あれ、姉さん……」
いつものタイトな黒のライダース・ジャケット。髪は後ろでしばって、サングラスをかけてる――。
でも姉さんが電車に乗るなんて。なんで? しかもこんな朝の混雑時に……。
わたしの意識はその女性をクローズアップする。
私鉄の改札へと向かう女性がその後ろ手に引きずっているものに目が行った。
「あ、キャリーバッグ……」
改札を抜け、人の流れにまぎれ、エスカレータに乗り、ホームへと出る。そこには乗車待ちの乗客らがたくさんの列を作っている。姉さんらしき人物はその列のひとつに並ぶ。
わたしの意識はさらに彼女へと寄ってみる。
――あれ、姉さんじゃない。てか、日本人ですらないや。
その女性は白人だった。黒髪とサングラスで、一見、わからなかったけど。北欧系?
それにしても姉さんに似てる。これは意図的に彼女に似せた成果なのだろうか。
電車がやってくる。行き先を示す表示灯に赤く「急行」の文字が見える。
女性は電車に乗り込む。わたしもそれを追いかける。なかは超満員だけど、こないだの埼京線のような殺人的な圧は感じられない。電車が揺れたらコケて周りの人に迷惑をかけるだけの余裕がそこにはある。
電車が進み始める。すぐに加速して、急行らしくいくつかの駅を通過してゆく。高架を進むけど、かの埼京線ほどの見晴らしのよさはない。
大きな川を渡った先で、電車は停止する。
ドアが開き、微動だにしない他の乗客らを押しのけるように女性は電車を降りる。その手にはキャリーバッグがない。彼女がドアを通り抜ける前に、ホームで待っていた乗客らはドアに詰め寄っていて、先頭の人は車内に足を踏み入れ始めている。その流れに逆らって女性はホームに降り立つ。電車に乗り切れずに次の電車を待つことにした乗客らのあいだを縫うようにしてその場を去ってゆく。
わたしの意識は電車内にとどまった。
混雑はさっきよりも一段と度合いを高め、もう揺れてもコケる心配はなさそう。女性が車内に置き去りにしたキャリーバッグがそんな人混みのあいだにあった。
電車がホームを後にすると、すぐに高架から暗い地下へと電車は下りてゆく。
そして突然に強烈な匂いがする。
ケロシン? いや違う。もっと脳天を直撃するかのようなスゴい揮発性の匂い。これは……、ガソリンだ。
乗客らは一斉に、なにごとかと訝しむ様子を示す。そして足元の異常に気づいた人々の反応の波がさざめきのように広がっていく。
そして次の瞬間、火花が――。
わたしの意識は跳んだ。もう地獄を見たくはなかった。
先へ、先へ。録画テープを早送りするかのように、わたしの意識は、悲劇の結末の場面へと跳躍する。
真っ暗い地下の空間で電車は停止していた。
乗客らは車内で焼け焦げた姿となっていた。爆発的な炎に焼かれ、もはや原型をとどめていないものまでも。バッグの置かれていた場所を中心に、離れてくほうへと斜めに将棋倒しになって無数の遺体が重なっていた。その車両に生存者はいない。ざっと三百ほどの体が、その命を失って、ただその場に転がっていた。
――ヒドい。
わたしの目から涙がこぼれた。
「忘れるな。変えられない未来はない」
唐突にフェネガンの声が聞こえた。わたしは西海岸のビーチを望む遊歩道に戻っていた。
「……どうすればいいの?」
わたしは問うが、フェネガンはわたしを見てニッコリとするだけ。
「自分で考えろと言うのね」
そうわたしが続けると、彼は口を開く。
「君はすでに、ここまでうまく戦ってきたじゃないか。これ以上、僕がなにをアドバイスすることがあろう」
「わたしが? 戦った?」
「そうだ。戦い方にはいろいろある。君は君の戦い方をすればいい」
「わからない」
「では、最後のアドバイスだ――君はサイキックとしての自分の役割をきちんと理解する必要がある。もちろんサイキックは万能ではない。それどころか大抵はサイキックであるということ以外にほとんどなんの力も持っていない。つまりは炭鉱のカナリアだ。それが君の役割だ。君は君らしく振る舞えばいいんだ。正しくステップを踏んで踊るんだ。人に感心してもらおうとか考える必要はない」
――うーん、わかったような気もする。
そう返そうとした瞬間、わたしは目を覚ました。
潮の香りを嗅いだような気がしていた。