典型的初期症状。何の?
うーん、なんなんだろ……。
どうもよくわかんないんだけど、なんつうんだろ、わたしのなかのなにかのスイッチ?みたいなものがオンになっちゃったような感覚……。
つうても、それがいったいなんのスイッチなのかってのが、どうにも説明しづらいのよね。けどたしかにそれはひとつのスイッチのような気がする……。
状況から説明するしかない。とにかくわたしはいろんな物事に「遭遇」するようになった。偶然? そう、ひとつひとつの出来事は単なる偶然にすぎないような些細なものばかりなんだけど、なにかやっぱり変なの。総体として眺めれば、ってコトなんだけど。
具体的事例を挙げてく。たぶん、これが最初のヤツ。わたしはちょっと買い物に出たのね。夕方だったんだけど、雨が降ってたから、もうあたりはすっかり暗くなってた。普通に歩道を歩いてて……、わたしはなにかを蹴っ飛ばしちゃった。そいで足元を見たらさ、誰かの長財布が落ちてたってワケ。当然、ビショビショだよ? でも無視するわけにはいかないじゃない。で、拾って、パッと広げてみたら、カード入れるところにクレジットカードとかいっぱい入ってて。落とした人は困るだろうなって思った。札入れの部分は見なかったから現金が入ってたかどうかは知らないけど。わたしはわざわざ駅前の交番まで足を延ばして届けた。ま、これだけを見たら別に変わった話じゃないよね。ごく普通にありそうなハナシ……。
それからさ、外を歩いてると、しょっちゅう誰かから道を尋ねられるのよ、なぜだか。訊いてくるのは特定のタイプのヒトじゃなくて、老若男女さまざま。外人だったりもする。もちろん知ってる道だったら丁寧に教えたげるよ。でも正直言ってわたしはあんまし地理感ってものがないのよね。けれども無下に「知りません」とは言えなくてさ、んー、そういえばあっちのほうにそんな建物があった気がします、だとか、ここをまっすぐに行くと大通りに出るんでそこで誰かに訊いてみるといいですよ、とか答えちゃう。あるときはカン違いでまったく違う道を教えてしまったことに後から気付いちゃって、しばらく凹んでしまったり。
訊かれるのは道だけじゃない。時間もよく尋ねられる。すいません、いま何時だかわかりますか? って、道端でいきなり声をかけられたりする。なかには、フィリピンではいま何時でしょう、なんて訊いてくるヤツもいる。知らんがな、そんなこと。
ヒドかったのは、スーパーで買い物してたときなんだけど、中年のオバサンが「石鹸はどこに置いてますか?」だってさ。わたしがスーパーの店員に見えるかっての。てめえの目はフシ穴かっ。
あとは、デパートで迷子になってた三歳くらいの女の子に泣きつかれて保護したり、なんてのもあった。館内放送で呼び出してもらって、その子の母親が来るまで相手してあげた。
最もビビったのは、本部に行くため珍しく電車に乗ろうとしてたときのこと。ホームのベンチで待ってたら、同じベンチに少し離れて座ってた初老くらいの女の人がさ、突然引きつったようになってその場に崩れ落ちちゃって。目は見開いてるんだけど、表情は固まってて、顔面蒼白でまるで死人みたいに見えた。わたしは速攻で駅員を呼びに行った。で、駆けつけた駅のスタッフがその人の救助をするのをそばで見てたんだけど、なんか足が震えた。女性はどうやら命に別状はないようだったけど。そこで電車が来たんで、そのあと女性がどうなったのかは知らない。少なくともニュースにはなってなかったんで、大事には至らなかったんだろう。
てな具合。ひとつひとつを見るかぎりでは、なんの不思議もない出来事でしかないでしょ。けど、これが連日起きるの。多いときは一日にいくつもの出来事に遭遇するワケ。
偶然だなんて片付けられんわ。
犬も歩けばなんとやら、って言うけど、ほんとに出かけるたびになにがしかの出来事に見舞われるんで、次第にわたしは家を出るのがヤんなった。
そんななか、追い討ちをかけるように、こんな出来事があったんだな――。
例によって出かけてく姉さんのバイクの音で目を覚まし、のそのそ起き上がって、顔を洗い、簡単に身支度を整えただけでわたしは事務所に顔を出した。
定位置のソファに座るも、すぐに眠気に襲われる。あいかわらず規則正しい睡眠が取れてない。
ウトウトしてるわたしを見て沼本さんが苦笑混じりに声をかけてきた。
「美希さん、ここは私がいれば大丈夫だから、もう少し部屋で寝てきたらどうですか?」
「ん?」
わたしは無理に目をパッチリと開けた。そいでも脳は半分、いや八割がた、寝たままってカンジ。不意にわたしは大声で話し出したんだ。
「いや、だって、ほら。一枠のインストラクター代行をやんなきゃならないし」
沼本さんが不思議そうな顔つきになった。
「あれ、そうでしたっけ?」
彼は壁のホワイトボードに視線を向けた。そこには、この世田谷道場に所属するスタッフのシフトとかが書き込まれてるんだな。
「そんな話、あったかな……」
沼本さんは顎に手をあてて思案顔になったあと、いきなり破顔した。
「美希さん、寝ボケてます?」
「は?」
――あれ?
急速に頭が覚醒してきた。そしたら、わたしが今朝インストラクター代行をしなければならないという根拠となった情報なんてどこにも見当たらないってことに気づいた。
どうやら、寝ボケて変なことを口走ってしまった、ってワケ。恥ずい。自分の顔が赤くなってんのがわかった。
「ハハハ、言わんこっちゃない。ホント、寝てきたほうがいいですよ」
沼本さんがにこやかに言った。
「いや、いい。今ので目が覚めた」
バツが悪くなったわたしは不機嫌な声でそう返した。そして、両手をうえにして背中を反らせてノビをする。
それからわたしは立ち上がって事務所のドアを開け、そこから上半身だけ廊下に出して、台所に向け大声で「上原さーん、今日もコーヒーにしてくれるー?」と要請した。
奥から「はーい」という返事。
わたしは定位置に戻った。
隠すことなく大アクビしつつ、ノートパソコンを広げる。ツイッターを開いて、フェネガンがなにか呟いてないかをチェック。これ、最近の朝の日課。こないだの来日以来、フェネガンは以前より頻繁にツイートするようになっていた。日本のテロ事件の捜査に協力してて、その模様が近日中にテレビで放送される予定だ、みたいな内容。放送前にネタを小出しにして視聴者の注目を高めておこう、てなことを考えてそう。
今日は新しいツイートがあった。
「本当の自分を受け入れたとき、あなたの本当の人生が始まる」
すでにイイネが四桁に迫る勢い。
はあ、とわたしはタメ息をつく。彼のフォロワーのほとんどはそうだろうと思うんだけど、わたしもやっぱ、新しい予言ツイートを期待しているワケ。心に響くスピリチュアル・メッセージなんてのには、ま、悪いけど興味ナシ。
なんだろな、わたしはヒントを探してるのかも。彼のツイッターのなかに。彼が言う、わたしの冒険とやらのコマを進めるための。
再度のタメ息とともにパソコンを閉じた。一緒に目も閉じる。やっぱベッドに戻ろうかな、なんて考え始めてたら、上原さんがコーヒーを持ってきてくれた。
「ありがとう」
二度寝を諦め、わたしは目の前のカップに手を伸ばした。
そのとき事務室の電話が鳴った。すぐに沼本さんが受話器を取った。わたしはそれに構わず、コーヒーの香りを嗅いでた。
「――あれ、それって事前に聞いてたっけ?」
沼本さんの口調が急に変化したのが気になった。電話の会話に耳を傾ける。
「ああ、いや、そうだよね。なんでもない。大丈夫。それじゃお大事に。失礼します」
えっ、どうしたの? そう訊こうと思ったんだけど、なぜだか声が出なかった。
「えっと、裕子さん、今日は風邪でお休みだそうです」とダンディー声。
つまり……、あれだ……、さっきのわたしの予言が見事に的中したってワケだ。ハハ、予言。予言――? 予言、なのか? ホントに? 偶然だろ、偶然……。
そのとき、さっきの『本当の自分を受け入れたとき、あなたの本当の人生が始まる』っつうフェネガンのツイートが頭に呼び起こされたんだな。
――ああ、まさかそれ、わたし宛てのメッセージ?
これが本当のわたしだと?
それを受け入れろってか――
自分を落ち着かすため、わたしはカップを傾け、コーヒーをひとくち啜った。
苦い。
さらにひとくち。
ふう……。
このときのわたしの気持ちは、「戸惑い」というよりか、もはや「諦念」ってカンジ。ま、ある意味、わたしなりに受け入れの準備は整いつつあったと言えるのかもな。知らんけど。
*
「美希ちゃん、大丈夫だよ、それ、典型的初期症状だから」
大丈夫ってなによ、ってわたしは思う。妹の早希からのメール。
別にわたしから早希に相談したワケではない。姉さんにチラッとだけ打ち明けたら、それが父さんに行って、さらに早希にまで伝わったらしい。そもそも姉さんに話したのだって、沼本さんがわたしのことを心配して報告したせいで彼女から詰問されることになったからなんだけど。ま、ひとりひとりにわたしの現状を説明する手間が省けたのだけは良かった。
「USじゃ、それを目指してウチのエクササイズをしてる層も少なからずいるからね」
「それ、とはなんぞや」と返信する。
「なんでスピリチュアル信奉者にアースウェイブがウケてるか、って話よ。そういう効果が得られる助けになる、ってワケ」
「そういうこと? どうでもいいけど、この状態、もう勘弁してほしいんだけど、正直言って」
「だからそれは初期症状なんだって。すぐに落ち着くらしいよ、経験者の話によれば」
「ほんまかいな。いや、それを信じることにする。父さんによろしく」
「りょーかい」