運命との遭遇
「さっきの車凄かったね。なんていうか高そうだった」
「あぁ駐車場のやつね。スポーツカーってやつかな?」
翌日。日曜日にもかかわらず、多希は由花と一緒に自分たちの教室に来ていた。
目的は由花の教科書などなど勉強道具一式。ついでに教室なら集中できるからと、そのまま二人で宿題をすすめていた。というよりも多希のやった宿題を由花が写しているだけだが。
会話にでてきた車のことは、多希もなんとなく覚えていた。学校の駐車場には似合わない、派手な見た目と色の車。多希は車にはまったく詳しくないが、ああいう系統の車はすごくお高いことくらいは知っていた。
「やっぱり乗ってる人はお金持ちかな?」
「どうだろ。ただの車好きかもよ」
「あぁ、ありえる……それにしても暑い」
「湿気すごいよねぇ。梅雨、いやもう夏かなぁ」
「多希、私のハンディファン返して」
そよ風を浴びている多希に由花が恨みがましい視線をよこしてくる。だが多希は気にせず風速を一段階上げた。
「宿題写させてあげる代わりに、今は僕が自由に使っていいという契約だから」
「契約破棄は?」
「できません。すでに契約は履行されています」
「ケチ」
唇を尖らせた由花だが、無駄だと悟ったのか、すぐに宿題を写す作業に戻った。
由花のペンが走る音が、ハンディファンの駆動音と重なり合う。
教室には二人だけということもあり、穏やかな時間が過ぎていった。
こうして肩ひじ張らず自然体で過ごせること、これこそが多希と由花が長年育んできた二人の関係だった。
幼い頃の思い出ではないが、多希は運命の赤い糸というものは本当にあるのだろうと、なんとなく思っている。目の前にいる幼馴染を見ていると、そんなロマンチックなことも、すんなりと信じられるのだ。
赤い糸は、多希の小指から、きっと由花の小指に伸びていて。何年、いや何十年たってもこうして二人一緒にいるのだろうと、何も根拠がなくても多希はそう信じていた。
「……よし、終わり。ありがと多希」
「ん、じゃ帰ろう」
「あ、ちょっとトイレ行くから先に行ってて」
多希は言われた通りに教室を出た。昇降口で待っていればすぐ由花もやってくるだろう。だが、
「あれ?」
由花が来る前に、多希は廊下で女の子に出会った。
出会ったという表現が正しいかどうかはこの際置いておくことにする。多希は下駄箱付近でうずくまっている女子生徒を発見したのだ。
俯いているため表情は見えない。制服からでている腕や脚はとても細く、見ているだけで心配になるくらい頼りなかった。
驚くほど色白で、その透き通るような綺麗な肌は、まるで人生で一度も太陽の光に当たったことがなさそうに見える。
艶のある長い黒髪を後で一つに結んでいて、そこから見えるうなじには、汗が多量に滲んでいる。暑いのだろうか、女の子は肩で息をしているようだ。
多希は後ろを振り返る。まだ由花はまだ来そうになかった。周りを見ても他には誰もいない。こうなれば、せめて声をかけるくらいはした方がいいだろう。
そう思いつつも、多希が心配しているのは、いきなり知らない異性が声をかけても大丈夫だろうかということ。
気持ち悪がられる可能性が無きにしも非ず。だがさすがにこのままスルーするのは、健全な人としてどうかと問われることだろう。
とりあえず多希は、女の子を驚かさないように注意して、少し離れた場所から声をかけることにしたのだった。
「あの、大丈夫ですか?」
「……ぇ、あなたは」
うつむいていた女の子がゆっくりと顔を上げる。意識があることに安心した多希だったが、すぐに驚きの感情に支配されることになった。
まるで物語にでてくる深窓の令嬢。言葉で表現するならそれがぴったりだろう。魅入ってしまいそうなほど長いまつ毛、柔らかそうで思わず触りたくなるような頬。小さな唇は今は少し血色が悪そうだ。
だが多希は、なにも女の子がとても綺麗だから驚いたわけではない。その表情が、本当に具合が悪そうで、少し慌てたのだ。
額からは汗が流れ、湿った前髪がおでこにはりついているし、腕や脚から本来は色白だとわかる肌が、顔から首筋にかけて真っ赤になってしまっていた。明らかに熱がこもっているのだろう。
「す、すみません……少し、暑くて」
「大丈夫ですか? 先生呼んできますか?」
「ぃぇ、大丈夫です。すみません」
大丈夫という少女だが、それが強がりだと医療の知識がない多希にもわかる。このまましゃがんでいても、絶対によくはならないだろうと思った多希は、ハンディファンの風を彼女にあててあげた。
「ぁ、涼しい?」
「よかった。気休め程度だけど使って」
「……はぃ」
少女は目を細めて涼しさを感じているようだ。拒否されたらどうしようかと、密かに怯えていた多希はその姿を見て少し安心した。
「お待たせ~、ってどうしたの!?」
やっと追いついてきたらしい由花も、驚きながら駆け寄ってくる。
「この子、暑さでちょっと具合悪くなったみたい。飲み物買ってくるから由花見ててあげて」
「わかった。こういう時はスポドリがいいよ」
「了解」
同性の由花の方が、女の子も安心するだろう。そう考えた多希は、由花にその場を任せて、近くの自販機に走ったのだった。




