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母の檻

作者: 闇男

日常の表層に潜む異常な愛情の物語。一人の母親が息子に向ける歪んだ愛は、やがて目に見えない檻となって少年を縛り続ける。愛の名のもとに行われる支配と束縛、そしてその先に待つ破綻を描いた心理サスペンス。


## プロローグ


夜が深まると、あの声が聞こえてくる。


「大丈夫よ、ママがいるから」


壁の向こうから漏れ聞こえる、甘く囁くような母の声。十七歳の私にはもう理解できない、あの頃の記憶が蘇る。四歳だった私を抱きしめながら、母はいつもそう言っていた。温かい腕の中で、私は安心していた。


しかし、今思い返せば、あれは愛情ではなく所有欲だった。


母の愛は徐々に重くなり、やがて見えない鎖となって私を縛るようになった。外の世界から私を遮断し、母だけの世界に閉じ込めようとした。学校も、友達も、将来の夢も、すべて母の許可が必要だった。


そして今、その鎖は弟にも巻きついている。


隣の部屋から聞こえる弟の泣き声と、母の優しい声。同じパターンが繰り返されている。私が味わった地獄を、今度は弟が味わうことになる。


私は壁に手をつき、深く息を吐いた。この物語を語らなければならない。母の愛という名の監獄について。見えない檻の中で育った子供たちの物語を。


## 第一章:愛の始まり


### 記憶の断片


私の最初の記憶は、母の膝の上で絵本を読んでもらっていた時のことだ。『赤ずきん』の話だった。母は私の髪を撫でながら、優しい声で読み聞かせてくれた。


「森には怖いオオカミがいるのよ、悠人。だから一人で外に出てはいけません」


四歳の私は素直に頷いた。母の言葉は絶対的な真実だった。外の世界は危険で、家の中だけが安全な場所だった。


父はいつも仕事で忙しく、家にいることは稀だった。朝早く出て行き、夜遅く帰ってくる。時々、週末も出勤していた。だから私の世界は、ほぼ母だけで構成されていた。


「ママと悠人は特別な絆で結ばれているのよ」


母はよくそう言っていた。私もそれを信じていた。他の子供たちのように保育園に通うこともなく、公園で遊ぶこともなく、私は家の中で母と過ごしていた。


母は美しい人だった。長い黒髪を後ろで束ね、いつも上品な服装をしていた。料理も上手で、掃除も完璧だった。近所の人たちからも「素晴らしい奥様」と評価されていた。


しかし、私が成長するにつれて、母の愛情に違和感を覚えるようになった。


### 小学校への入学


小学校に入学する時、母は長い間悩んでいた。私を学校に通わせることに強い抵抗を示していた。


「学校なんて行かなくても、ママが教えてあげるから」


母は私に言った。しかし、法律上の義務があることを父に指摘され、渋々入学させることになった。


初日の朝、母は私を学校まで送ってくれた。校門の前で、母は私の手を強く握りしめた。


「何か嫌なことがあったら、すぐに帰ってきなさい。ママがいつでも迎えに行くから」


クラスメイトたちは元気に挨拶を交わしていたが、私は母から離れることができなかった。担任の田中先生が優しく声をかけてくれて、ようやく教室に向かうことができた。


しかし、授業中も私の頭の中は母のことでいっぱいだった。母は今頃何をしているだろう。私がいなくて寂しがっているのではないだろうか。


昼休みになると、他の子供たちは校庭で元気に遊んでいたが、私は一人で教室に残っていた。友達を作る方法がわからなかった。家の中だけで過ごしてきた私には、同年代の子供たちとの付き合い方がまったくわからなかった。


放課後、母が迎えに来てくれた。私を見つけると、母の顔は安堵の表情に変わった。


「お疲れ様、悠人。今日はどうだった?」


「つまらなかった」


私の答えに、母は満足そうに微笑んだ。


「そうよね。やっぱり家が一番よね」


家に帰ると、母は私の好物のオムライスを作ってくれていた。私は母の愛情を感じて幸せだった。しかし、心の奥で何かがざわついていた。


### 友達との出会い


小学校二年生の時、隣の席になった山田健太という男の子と仲良くなった。健太は明るくて面白い子で、私に様々なことを教えてくれた。野球カードの集め方、ゲームの攻略法、面白い漫画の話など。


私は初めて「友達」というものを持った。学校にいる時間が楽しくなった。


ある日、健太が私に言った。


「今度の日曜日、みんなで公園で野球やらない?」


私は嬉しくなって、家に帰ってすぐに母に報告した。


「ママ、日曜日に友達と公園で野球をやりたいんだ」


母の表情が一瞬変わった。笑顔が消え、冷たい表情になった。


「ダメよ、悠人。日曜日はママと一緒に過ごす日でしょう?」


「でも、友達が誘ってくれたんだ」


「友達なんて必要ない。ママがいれば十分でしょう?」


母の声は次第に厳しくなった。私は怖くなって、もう何も言えなくなった。


月曜日、健太に事情を説明すると、彼は不思議そうな顔をした。


「なんで?お母さんが反対するの?」


私は答えられなかった。どう説明していいかわからなかった。


それ以来、健太は他の友達と遊ぶようになり、私は再び一人になった。母は私が一人でいることを喜んでいるようだった。


「やっぱり悠人にはママが一番よね」


母は私を抱きしめながら言った。しかし、私の心の中には複雑な感情が渦巻いていた。


### 管理の始まり


小学校三年生になると、母の管理はより厳しくなった。私が学校から帰ると、必ず詳細な報告を求められた。


「今日は誰と話した?」

「授業でどんなことを学んだ?」

「休み時間は何をしていた?」


母は小さなノートを用意して、私の報告を記録していた。最初は私の成長を記録するためだと思っていたが、後になってそれが監視のためだったことがわかった。


また、母は私の持ち物を定期的にチェックするようになった。鞄の中身、教科書、ノート、筆箱。すべて母の検査を受けなければならなかった。


「悠人が何か隠し事をしていないか心配なの」


母はそう説明したが、私には隠し事などなかった。母以外の世界を知らない私に、何を隠すことがあるだろうか。


学校での私の様子も、母は先生に頻繁に電話をかけて確認していた。担任の田中先生は最初は協力的だったが、次第に困惑するようになった。


「お母様、悠人君は特に問題のない良い子ですよ。そんなに心配される必要はないと思います」


しかし、母の心配は収まらなかった。むしろ、先生のそんな言葉を聞くと、より一層私を監視するようになった。


私は次第に、自分が普通の子供とは違うということを理解し始めた。クラスメイトたちは放課後に自由に遊んでいるのに、私は必ず真っ直ぐ家に帰らなければならなかった。友達の家に遊びに行くことも、買い物に一人で行くことも許されなかった。


そして私は、母の愛情が普通の母親の愛情とは異なることに、薄々気づき始めていた。


## 第二章:束縛の深化


### 父の不在


父は私が小学校四年生になった頃から、さらに家にいなくなった。出張が増え、土日も仕事関係の付き合いで外出することが多くなった。


「お父さんは忙しいのよ。私たちのために一生懸命働いてくださっているの」


母はそう説明したが、私には父が家から逃げているように見えた。父と母が会話をしているところを見ることも稀になった。食事の時間さえも、父は別の時間に取ることが多かった。


父がいない家の中で、母の私に対する支配はより強固になった。朝起きてから夜寝るまで、私の行動はすべて母によって管理された。


起床時間:午前6時30分

朝食:午前7時

学校への出発:午前7時45分

帰宅:午後3時30分(寄り道禁止)

おやつ:午後4時

宿題:午後4時30分から6時

夕食:午後7時

お風呂:午後8時

就寝:午後9時


この時間割から少しでも外れると、母は不機嫌になった。私が5分でも遅く帰ると、母は玄関で待っていて、厳しく問い詰めた。


「なぜ遅くなったの?誰かと話していたの?」


私が何かを隠していると疑われるのが怖くて、私は常に時間を気にするようになった。友達と少し話をしただけでも、急いで家に帰らなければならなかった。


### 監視の強化


母の監視はより巧妙になった。私が学校にいる間も、母は様々な方法で私を監視していた。


まず、母は学校の近くを散歩と称して歩き回り、私の様子を遠くから観察していた。休み時間に校庭にいる私を、校門の向こうからじっと見ていることがあった。


また、母は他の保護者たちと積極的に交流し、私の情報を収集していた。クラスメイトの母親たちから、私が誰と話しているか、どんな様子かを聞き出していた。


「悠人君はいつも一人でいますね」

「大人しくて良い子ですが、少し心配になります」


そんな話を聞くと、母は満足そうだった。私が他の子供たちと距離を置いていることを、母は喜んでいるようだった。


さらに、母は私の日記を読むようになった。宿題の一環として書いていた日記を、母は毎晩チェックしていた。最初は漢字の間違いや内容について褒めてくれていたが、次第に私の気持ちや考えを詮索するようになった。


私は注意深く日記を書くようになった。母が喜ぶような内容を書き、本当の気持ちは隠すようになった。しかし、そんな私の変化も、母は見抜いていた。


「悠人、最近日記がつまらないわね。本当の気持ちを書きなさい」


母は私を膝の上に座らせて、優しく言った。しかし、その優しさの奥に潜む圧力を、私は感じ取っていた。


### 外界からの隔離


小学校五年生になると、母は私を外界から更に隔離しようとした。


まず、テレビを見る時間が制限された。以前は子供向けの番組を一緒に見ていたが、母は「テレビは悪い影響を与える」と言って、見せてくれなくなった。


代わりに、母が選んだ本だけを読むことが許された。主に昔話や伝記、教育的な内容の本ばかりだった。私が読みたいと思った漫画や冒険小説は「下品」だとして禁止された。


また、私が友達と電話で話すことも禁止された。家に電話がかかってくると、母が必ず先に出て、私に用事があっても「悠人は勉強中です」と言って断っていた。


学校行事への参加も制限された。運動会や文化祭などの必須行事には参加したが、任意参加のイベントや課外活動は一切参加させてもらえなかった。


「そんなことに時間を使うより、勉強をしなさい」


母はそう言ったが、実際は私が他の子供たちと親しくなることを恐れていたのだと思う。


私の世界は次第に狭くなっていった。学校と家を往復するだけの単調な毎日。友達もおらず、趣味もなく、将来の夢もない。私は母の望む通りの「良い子」になっていた。


しかし、私の心の中では、何かが静かに変化し始めていた。


### 反抗の兆し


小学校六年生の春、私に小さな変化が起こった。


新しい担任の佐藤先生は、若くて熱心な女性教師だった。佐藤先生は私の様子を注意深く観察し、私に声をかけてくれることが多かった。


「悠人君、最近元気がないように見えるけれど、何か心配事はある?」


私は最初、いつものように「何もありません」と答えていた。しかし、佐藤先生の優しい眼差しに、私は次第に心を開くようになった。


ある日の放課後、私は思い切って佐藤先生に相談してみた。


「先生、僕は友達を作ってはいけないんでしょうか?」


佐藤先生は驚いた表情を見せた。


「どうしてそんなことを思うの?」


私は母のことを話した。友達と遊ぶことを禁止されていること、常に監視されていること、自由がないこと。


佐藤先生は真剣に私の話を聞いてくれた。そして、こう言った。


「悠人君、君にも友達を作る権利があるし、自分の人生を選ぶ権利がある。お母さんは君を愛しているから心配しているのだと思うけれど、愛情と束縛は違うものよ」


その言葉は、私の心に深く響いた。初めて、母の行動が「異常」であることを、客観的に指摘された瞬間だった。


佐藤先生は私に、少しずつでも自分の意思を表現することを勧めた。完全に反抗するのではなく、小さなことから自分の気持ちを伝えてみることを提案した。


私は勇気を出して、母に小さな要求をしてみることにした。


「ママ、今度の土曜日、図書館に行ってもいい?」


母の表情が瞬間的に変わった。警戒心を露わにした。


「図書館?なぜ?家にも本はたくさんあるでしょう?」


「学校の課題で調べ物があるんだ」


私は嘘をついた。本当は、図書館で自由に本を選んで読みたかっただけだった。


母は長い間私を見つめた後、こう言った。


「わかったわ。でも、一人では行かせられない。ママも一緒に行きましょう」


それでも、私にとっては小さな勝利だった。初めて、自分の要求が通った瞬間だった。


しかし、この小さな反抗が、後に大きな波紋を呼ぶことになるとは、その時の私にはわからなかった。


## 第三章:反抗の芽生え


### 中学校という新世界


中学校への進学は、私にとって大きな転機となった。小学校とは違い、複数の小学校から生徒が集まる中学校では、私を知らない子供たちがたくさんいた。


母は私の中学校選びにも介入しようとした。


「私立の進学校に入れましょう。公立は環境が悪いから」


しかし、父が珍しく反対した。


「公立で十分だ。普通の環境で育てるべきだ」


これは父が私の教育について意見を述べた、数少ない機会の一つだった。結果的に、私は地元の公立中学校に進学することになった。


母は不満だったが、私は内心ほっとしていた。私立の進学校では、より厳しい管理下に置かれることになっただろう。


中学校初日、私は新鮮な気持ちで校門をくぐった。知らない顔ばかりの中で、私は新しい自分になれるような気がした。


クラスメイトの中に、田村という男子生徒がいた。彼は積極的で明るく、転校生の私に親しく声をかけてくれた。


「君、どこの小学校出身?僕は隣町の西小学校だった」


私たちは自然に仲良くなった。田村は私に中学校の様々なことを教えてくれた。部活動のこと、先輩たちのこと、面白い先生たちのこと。


私は初めて、同年代の友人を持つ喜びを知った。


### 部活動への憧れ


田村はサッカー部に所属していた。彼に誘われて、私も部活動に興味を持つようになった。


「部活動って、どんな感じなんだ?」


「楽しいよ!仲間と一緒に練習して、試合で勝った時の達成感は最高だ。君も何か始めてみたら?」


私は家に帰って、恐る恐る母に相談してみた。


「ママ、部活動を始めてみたいんだ」


母の反応は予想通りだった。


「部活動?時間の無駄よ。その時間を勉強に使いなさい」


「でも、友達もみんな部活動をしているんだ」


「友達なんて関係ない。悠人には勉強が一番大切なの」


母の口調は断固としていた。しかし、私は諦めなかった。


「お願いします。一度だけでも見学させてください」


私の執拗な頼みに、母は最終的に条件付きで許可した。


「一回だけよ。そして、必ず午後5時には帰ってくること」


私は喜んで、翌日の放課後、田村と一緒にサッカー部の見学に行った。


グラウンドで練習する先輩たちの姿は、私には眩しく見えた。一つのボールを追いかけて、みんなが必死に走っている。時には失敗して怒られることもあるが、成功した時の仲間たちの笑顔は素晴らしかった。


私は心から部活動を始めたいと思った。


しかし、家に帰って母にその気持ちを伝えると、母の態度は冷たかった。


「やっぱりダメよ。あんな野蛮なことをして、怪我でもしたらどうするの?」


「気をつけるから」


「ダメなものはダメ!」


母は私の話を聞こうともしなかった。私は自分の部屋で、一人で悔し涙を流した。


### 秘密の友情


部活動は諦めざるを得なかったが、私は田村との友情を深めていった。しかし、それは母に隠れて行わなければならない秘密の友情だった。


私は母に嘘をつくようになった。


「今日は委員会活動があるから、少し遅くなります」


実際は田村と一緒に図書館で勉強したり、近くの公園で話をしたりしていた。罪悪感はあったが、同時にこれまで感じたことのない解放感もあった。


田村との会話を通して、私は「普通の家庭」がどのようなものかを知った。


「うちの母さんは、僕が友達と遊ぶのを喜んでくれるよ。時々、友達を家に呼んでお菓子を作ってくれることもある」


「お父さんは厳しいけど、僕の好きなことは応援してくれる。サッカーの試合も見に来てくれるし」


田村の話を聞くたびに、私は自分の家庭が異常であることを強く実感した。


また、田村は私の家庭環境について心配してくれた。


「君の母さん、ちょっと厳しすぎない?中学生にもなって、そこまで管理するなんて変だよ」


私は田村に詳細を話すことはできなかったが、彼の言葉は私の心の支えになった。自分がおかしいのではなく、母の方がおかしいのだということを、客観的に確認できた。


### 反抗の計画


中学二年生になると、私の中で反抗心がより強くなった。母の束縛から逃れたいという気持ちが、日に日に強くなっていった。


私は小さな反抗から始めることにした。


まず、母が禁止していた漫画を、田村から借りて学校で読むようになった。『ドラゴンボール』や『スラムダンク』など、同年代の男子なら誰でも読んでいるような作品だった。


これらの漫画を読むことで、私は今まで知らなかった世界があることを知った。友情、努力、勝利。母が教えてくれなかった価値観がそこにはあった。


次に、私は母の前で少しずつ自分の意見を言うようになった。


「僕はもう中学生です。少しは自由にさせてください」


「この本を読んでみたいです」


「友達と話をするくらい、普通のことじゃないでしょうか」


最初は小さな抵抗だったが、次第にエスカレートしていった。


母は私の変化を敏感に察知した。そして、その原因を外部の影響だと判断し、私への監視をさらに強化した。


私の鞄の中身をより詳細にチェックするようになり、私が学校で何をしているかを先生に頻繁に確認するようになった。また、私の友人関係についても詳しく調べようとした。


「田村という子と仲良くしているそうね」


母は私にそう言った。私は驚いた。母が田村の存在を知っていることに。


「どうしてそれを?」


「お母さんは悠人のことを何でも知っているのよ。その子は悠人に悪い影響を与えているようね」


私は怖くなった。母の監視の網は、私が思っている以上に広範囲に及んでいた。


「田村は良い友達です」


「友達なんて必要ない。ママがいれば十分でしょう?」


母の表情は、以前よりも険しくなっていた。私の反抗に対する苛立ちが、はっきりと表れていた。


私は決意した。このままでは、一生母の支配下から逃れることはできない。もっと大胆な行動を起こす必要がある。


しかし、その行動が、予想もしない悲劇を招くことになるとは、その時の私にはわからなかった。


## 第四章:真実の発覚


### 大胆な反抗


中学三年生の夏休み、私は人生で最も大胆な行動に出た。田村が企画したクラスメイトとの一泊旅行に、母に内緒で参加することにしたのだ。


田村を含む5人の男子生徒で、海辺のキャンプ場に一泊二日の旅行をする計画だった。私は母に「図書館で一日勉強する」と嘘をついて家を出た。


これまでで最大の嘘だった。一日だけでなく、一晩も家を空けるのは生まれて初めてのことだった。


キャンプ場での一日は、私にとって夢のような時間だった。友達と一緒に海で泳ぎ、バーベキューをし、夜は花火をした。テントの中で皆と語り合った夜は、私の人生で最も幸せな時間の一つだった。


「悠人、君も普通の中学生らしくなったな」


田村は私にそう言った。私も心からそう思った。初めて、自分が普通の中学生であることを実感できた。


しかし、この幸せは長く続かなかった。


### 母の激怒


翌日の夕方、私は恐る恐る家に帰った。玄関を開けると、母が廊下で待っていた。その表情は、私が今まで見たことがないほど怖いものだった。


「おかえりなさい、悠人」


母の声は氷のように冷たかった。


私は観念した。母が真実を知っていることは明らかだった。


「ママ、僕は...」


「黙りなさい!」


母の怒鳴り声が家中に響いた。私は震え上がった。


「図書館で勉強?よくもそんな嘘がつけたわね!」


母は私を居間に引っ張っていった。そこには、私のクラスメイトたちと一緒に写った写真がテーブルの上に置かれていた。


「これは何?説明しなさい!」


私は言葉を失った。母はどうやってこの写真を手に入れたのだろうか。


「お母さんは探偵を雇ったのよ。悠人が最近どこで何をしているか、全部調べさせた」


私は愕然とした。母が探偵を雇って私を監視していたなんて。


「なぜそこまで...」


「悠人を守るためよ!外の世界は危険なの。悪い友達に影響されて、悠人が悪い子になってしまう」


母の目には涙が浮かんでいた。しかし、その涙は私への愛情からではなく、自分の支配が脅かされることへの恐怖から流されているように見えた。


### 監禁


その日から、私の生活は完全に変わった。母は私を事実上、家に監禁した。


学校には「体調不良」という理由で欠席の連絡を入れ、私を部屋から出さなかった。食事は母が部屋まで運んできて、トイレに行く時以外は外に出ることを許されなかった。


私の部屋のドアには外から鍵がかけられ、窓には格子が取り付けられた。母は「悠人の安全のため」と説明したが、明らかに私の逃走を防ぐためだった。


私は部屋の中で、母の行動の異常さに愕然とした。これは愛情ではない。完全に病的な支配欲だった。


しかし、母は自分の行動を正当化し続けた。


「これは悠人のため。外の世界の悪い影響から悠人を守っているの」


「ママと悠人だけの世界が一番安全なの」


母は毎日、私の部屋に来てそう言い続けた。私は反論したが、母は聞く耳を持たなかった。


私は絶望的な気持ちになった。このまま一生、母の支配下で生きていかなければならないのだろうか。


### 父の介入


監禁生活が一週間続いた時、転機が訪れた。父が出張から帰ってきたのだ。


父は私の状況を知って、激怒した。これまで家庭のことにほとんど関与しなかった父が、初めて母に強く抗議した。


「何をやっているんだ!息子を監禁するなんて、正気の沙汰じゃない!」


「あなたには関係ありません!悠人の教育は私が責任を持っています!」


両親は激しく口論した。私は部屋の中でその声を聞いていた。


父は私の部屋の鍵を開けて、中に入ってきた。


「悠人、大丈夫か?」


私は涙が止まらなかった。父に抱きしめられながら、私は今まで我慢していた感情を全て吐き出した。


「お父さん、助けて。僕は普通の生活がしたいんだ」


父は私の話を聞いて、母の行動が異常であることを理解した。そして、重大な決断を下した。


「悠人、お前を母親から離す。しばらく祖父母の家で暮らそう」


### 祖父母の家で


父方の祖父母は、隣県で農業を営んでいた。私は子供の頃、年に数回訪れていたが、母の反対で最近は疎遠になっていた。


祖父母は私を温かく迎えてくれた。


「悠人、よく来たね。ここではゆっくり休みなさい」


祖母の優しい声を聞いて、私は安堵した。


祖父母の家での生活は、私にとって初めての自由な生活だった。朝は鶏の鳴き声で目覚め、昼は祖父と一緒に畑仕事を手伝い、夜は祖母の手料理を食べながら家族で団らんした。


母のような厳しい管理はなく、私は自分のペースで生活することができた。近所の中学校に転校し、そこで新しい友達もできた。


私は初めて、「普通の家庭」がどのようなものかを体験した。そして、母の愛情が如何に歪んでいたかを、客観的に理解することができた。


しかし、母は私を諦めなかった。


### 母の追跡


祖父母の家に移って一ヶ月後、母が突然現れた。


私が学校から帰ると、母が祖父母と話をしていた。母の表情は憔悴していたが、目には異常な執念が宿っていた。


「悠人、おかえりなさい。ママよ」


私は恐怖で固まった。母がここまで追いかけてくるとは思わなかった。


「悠人を返してください」


母は祖父母に頼み込んだ。


「あの子は私がいないと生きていけないんです。私たちは特別な絆で結ばれているんです」


祖父は毅然とした態度で母に言った。


「あんたのやっていることは異常だ。孫を返すわけにはいかない」


母は泣き崩れた。しかし、その涙も私には演技に見えた。


「わかりました。でも、悠人と話をさせてください。お願いします」


祖父母は私の意思を確認した。私は恐る恐る母と話をすることにした。


母は私の手を握って、涙ながらに訴えた。


「悠人、ママのところに帰ってきて。ママは悠人がいないと生きていけないの」


私は母の言葉に動揺した。しかし、同時に母の愛情の歪みも感じ取っていた。


「ママ、僕はここで幸せです。普通の生活がしたいんです」


母の表情が一瞬、憎しみに変わった。


「普通って何?ママの愛情では不十分だっていうの?」


私は怖くなった。母の中には、愛情と憎しみが同居していることがわかった。


結局、母は私を連れて帰ることはできなかった。しかし、諦めたわけではなかった。


その後も母は定期的に祖父母の家を訪れ、私を連れ戻そうとした。時には父も一緒に来て、両親は私の前で激しく口論した。


私は自分が家族を破綻させる原因になっていることに罪悪感を感じた。しかし、同時に母の支配下に戻ることも恐れていた。


私の心は複雑に揺れ動いていた。


## 第五章:終焉


### 母の病気


高校一年生の冬、衝撃的な知らせが届いた。母が精神的な病気で入院したのだ。


父から電話で聞いた時、私は複雑な気持ちになった。安堵感と同時に、罪悪感も感じた。私が家を出たことが、母の病気の原因になったのではないかと思った。


「お母さんは境界性人格障害と診断された」


父は疲れ切った声で説明した。


「医師によると、極度の愛着不安や見捨てられることへの恐怖が、過度な支配行動につながったそうだ」


私は初めて、母の行動に病名がついたことを知った。母は病気だったのだ。愛情の表現の仕方がわからなくて、支配という形でしか愛を示せなかったのだ。


しかし、それは私への同情を意味するわけではなかった。私が受けた心の傷は深く、簡単に癒えるものではなかった。


### 病院での再会


父に連れられて、私は母の入院している病院を訪れた。精神科病棟の白い廊下を歩きながら、私の心は重かった。


母は個室にいた。窓の外を見つめている母の姿は、以前よりもずっと小さく見えた。


「悠人?」


母は私を見て、涙を流した。しかし、以前のような支配的な雰囲気はなくなっていた。


「ママは悪い母親だった」


母は初めて自分の過ちを認めた。


「悠人を愛していると思っていたけれど、本当は自分のエゴだった。悠人を苦しめていたことがわからなかった」


私は母の言葉を聞いて、少し安堵した。母が自分の問題を理解し始めていることがわかった。


しかし、私はすぐには母を許すことができなかった。長年の支配と束縛の記憶は、簡単に消えるものではない。


「ママ、僕は時間が必要です」


私は正直に気持ちを伝えた。


母は頷いた。


「わかっています。悠人には悠人の人生がある。ママはそれを奪う権利はない」


その言葉は、母が初めて私を一人の独立した人間として認めた瞬間だった。


### 治療の過程


母の治療は長期間にわたった。カウンセリングと薬物療法を併用しながら、母は自分の心の問題と向き合った。


私も時々、家族療法に参加した。専門のカウンセラーの前で、私と母は互いの気持ちを話し合った。


「私は悠人を失うことが怖くて、束縛してしまった」


「でも、それは愛情ではなく、支配だった」


母は涙ながらに自分の心境を説明した。


私も自分の気持ちを率直に話した。


「僕は普通の子供として育ちたかった。友達を作って、部活動をして、将来の夢を持ちたかった」


「ママの愛情は重すぎて、僕を息苦しくさせていた」


これらの対話を通じて、私たちは少しずつ理解し合うようになった。


母は私への謝罪を続けた。そして、私の自由を尊重することを約束した。


私も、母の病気を理解し、完全に拒絶するのではなく、適切な距離を保ちながら関係を築いていくことを決めた。


### 新しい家族関係


母が退院した後、私たちの家族関係は大きく変わった。


まず、私は祖父母の家から自宅に戻った。しかし、以前のような束縛的な関係ではなく、互いの自由を尊重する関係を築いた。


母は私の友人関係や活動について口出しすることをやめた。代わりに、私が自発的に報告することを待つようになった。


私も、母の心配を理解し、重要なことは自分から話すようにした。しかし、それは義務ではなく、お互いへの配慮として行った。


父も家族により関与するようになった。仕事から早く帰って家族と過ごす時間を増やし、私の相談にも乗ってくれるようになった。


私たちは新しい家族のあり方を模索した。完全に元通りになることはできないが、互いを尊重し合う関係を築くことはできた。


### 弟への影響


高校二年生の時、私に弟が生まれた。両親は二人目の子供を授かったのだ。


私は心配だった。母が弟に対しても、私にしたような束縛をするのではないかと。


しかし、母は変わっていた。治療を通じて学んだことを活かし、弟に対しては健全な愛情を示した。


弟が友達と遊ぶことを喜び、弟の興味や関心を尊重した。私への後悔が、弟への愛情を正しい方向に導いたのだ。


私は弟が普通の子供として育つ姿を見て、嬉しく思った。同時に、自分が失った幼少期への複雑な気持ちも抱いた。


しかし、私は弟を愛した。弟には私のような経験をさせたくなかった。私は弟の良い兄になろうと決心した。


### 母との和解


高校卒業を控えた春、私は母と長い話をした。


「悠人、本当にごめんなさい」


母は再び謝罪した。


「ママの愛情が歪んでいて、悠人を苦しめた。取り返しのつかないことをした」


私は母を見つめた。治療を通じて、母は本当に変わったのだと感じた。


「ママ、僕はママを憎んでいるわけじゃない。ただ、あの頃は息苦しかった」


「今は、ママも僕も変わった。新しい関係を築いていこう」


母は涙を流しながら頷いた。


私たちは抱き合った。それは、束縛のための抱擁ではなく、お互いを思いやる家族としての抱擁だった。


完全に過去の傷が癒えたわけではない。しかし、私たちは前に進むことを選んだ。


### 大学進学


高校卒業後、私は東京の大学に進学した。一人暮らしを始めることに、母は最初不安を示したが、最終的には私の選択を尊重してくれた。


「悠人の人生だから、悠人が決めなさい」


母のその言葉は、私にとって何よりも嬉しかった。


大学生活は充実していた。様々な人との出会い、新しい学問への挑戦、サークル活動への参加。私は今まで経験できなかったことを、存分に体験した。


母とは定期的に電話で話をした。しかし、それは監視のためではなく、お互いの近況を報告し合うためだった。


私は母に大学生活の楽しさを話し、母は弟の成長について話してくれた。自然な親子の会話だった。


時々、母の言葉に昔の束縛的な雰囲気を感じることもあったが、母自身がそれに気づいて修正するようになった。


「ごめん、また余計な心配をしてしまった」


母のそんな自制心を見て、私は母の努力を認めた。


## エピローグ


現在、私は二十五歳になった。大学を卒業し、出版社で編集者として働いている。恋人もいて、結婚を考えている。


母は完全に回復したとは言えないが、病気をコントロールしながら生活している。弟は小学校五年生になり、サッカークラブで活躍している。母は弟の試合を見に行くのを楽しみにしている。


父は相変わらず忙しいが、以前よりも家族と過ごす時間を大切にしている。


私たちの家族は、普通の家族になった。完璧ではないが、お互いを尊重し合う関係を築いている。


時々、あの束縛されていた頃の記憶が蘇ることがある。友達と遊べなかった寂しさ、自由を奪われた苦しさ、母への複雑な感情。


しかし、その経験は私を強くした。人の痛みを理解できるようになったし、自由の大切さを深く知ることができた。


また、その経験が私の仕事にも活かされている。私は現在、家族問題をテーマにした本の編集を担当している。同じような体験をした人たちの手記や、専門家の解説書などを出版している。


私の体験が、誰かの役に立てばと思っている。


母との関係も、今では良好だ。月に一度は実家を訪れ、家族で食事をしている。母は私の恋人を紹介してほしいと言っているが、それは普通の母親の願いだ。


「悠人が幸せなら、ママも嬉しい」


母はそう言ってくれる。その言葉に嘘はないと思う。


私は母を許した。完全に忘れることはできないが、許すことはできた。母も病気だったのだ。愛情の表現方法がわからなくて、間違った方向に進んでしまっただけなのだ。


今、私は自分の家族を築こうとしている。恋人と結婚して、子供を持ちたいと思っている。


その時は、母のような間違いを犯さないよう気をつけたい。子供を愛することと、子供を束縛することは違う。子供には子供の人生があり、親はそれを支援する役割を果たすべきだ。


愛情は自由を与えるものであり、奪うものではない。そのことを、私は母から学んだ。


皮肉なことに、母の間違った愛情が、正しい愛情の意味を私に教えてくれた。


夜、一人でいる時、私は時々思う。


もし母が普通の母親だったら、私はどんな人間になっていただろうか。もっと明るくて、社交的な人間になっていたかもしれない。


しかし、同時に、今の自分も悪くないと思う。苦しい経験を乗り越えたからこそ、人の痛みを理解できるようになった。母との関係を修復できたからこそ、真の許しの意味を知ることができた。


私の物語は、まだ続いている。母との新しい関係、恋人との将来、自分の家族の建設。これからも様々な困難があるだろうが、私はそれを乗り越えていけると思う。


母の檻から解放された私は、今度は自分の翼で飛んでいく。


そして、もし私に子供が生まれたら、その子には自由に空を飛ぶことを教えてあげたい。愛情という名の檻に閉じ込めるのではなく、愛情という風に支えられながら、大空を舞うことを。


これが、私の物語だ。母の異常な束縛から始まり、苦悩と反抗を経て、最終的に理解と和解に至った物語。


完璧なハッピーエンドではないが、現実的な希望に満ちた終わり方だと思う。


人生は複雑で、答えの出ない問題ばかりだ。しかし、その複雑さの中にこそ、真の美しさがあるのかもしれない。


母の檻は、今は記憶の中にだけ存在している。そして、その記憶さえも、今では私の貴重な財産の一部となっている。


私は前に進んでいく。自由な空の下で、自分の人生を歩んでいく。


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この物語は、フィクションである。しかし、現実にこのような親子関係に苦しんでいる人たちがいることも事実だ。


もし、この物語を読んで自分の状況と重なる部分があった人がいるなら、一人で抱え込まず、誰かに相談してほしい。学校の先生、カウンセラー、信頼できる大人に話を聞いてもらってほしい。


愛情と束縛は違う。真の愛情は、相手の自由を尊重するものだ。


そして、どんなに困難な状況にあっても、必ず出口はある。時間はかかるかもしれないが、きっと光を見つけることができる。


この物語が、誰かの心の支えになれば幸いである。

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