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三話 死神は笑う



「で? あなたは一体どこに向かっているのかしら?」

 屋上を後にし、三階から二階へと下りている最中、死神が横に並びながら俺に訊ねてきた。

「俺の教室だ」

 隣でぷかぷかと快適そうに浮かんでいる死神に、俺は声を潜める事なく答える。今は周囲にだれもいないのでいいが、他の人達にしてみれば男が一人でぶつくさと呟いているようにしか見えないだろうから、声を発する時は注意が必要だ。

「三階には行く気はないって事?」

「だれも行かないとまでは言っていない。でもその前に俺の──二年三組に行く用がある」

 うちの高校は下級生が上階を使う仕様になっている。ちなみにどの校舎も三階建てになっているので、必然的に一階が三年生。二階が二年生、三階が一年生となる。なので、自分の教室に行くにはまず二階まで下りなければならない。

「用、ねぇ。それは、あなたが言っていた当てというのと何か関係があるのかしら?」

 その疑問に、俺は答えず前方を見据える。前から人が来たのだ。

「よっす。奇遇だな、こんな所で」

 ちょうど二階に辿り着いた所で遭遇したその男に、俺も「よっす」と片手を上げて挨拶を返す。確か隣のクラスにいた奴だ。あんまり記憶にないが。

 しかしながら、こうして気安く接してくるという事は、それなりに交流があるという事だ。これは使わない手はない。

「ほんと奇遇だね。もう放課後なのにまだ帰ってなかったの?」

「おう。ちょっと忘れ物しちまってよ。お前は何してんだ? お前もオレと同じ帰宅部だったはずだよな?」

「いやー、全然大した物じゃないんだけれど、落とし物しちゃって……」

 なるべく落ち込んでいるように見えるよう、目線を伏せて呟く。

「マジで? それって何よ?」

「トランプのジョーカーなんだけど」」

「なんだ、落し物ってその程度のもんか」

 もっと貴重品かと思ってたぜ、とその男は苦笑を浮かべた。

「そうなんだけど、また買いなおすとなったら勿体ないしね。一枚だけだし」

「あー、それもそうか。じゃあオレもそれとなく探しておくわ。もうじき帰っちまうけど」

「ありがとう。どっか物陰にあるかもしれないから、その辺を重点に探してもらえると助かるかな」

「オーケー。じゃあな」

「うん。バイバイ」

 手を振って階段を下りていくそいつに、俺も笑みを象って手を振り返す。

 そして男の姿が完全に見えなくなった所で、俺は瞬時に笑みを消した。

「あらあら~。随分と私の時とは対応が違うじゃない。人懐っこい笑顔まで浮かべちゃって」

 再び人がいなくなったのを見計らったように、それまで無言だった死神がニタニタと薄ら笑みを浮かべながら俺の視界に入ってきた。

「ひょっとして、人によって性格を変えるタイプ? 腹黒いわね~」

「人の生死で弄ぶあんたに言われたくないな」

 半眼で死神を見やりながら、俺は淡々と続ける。

「それに、こっちの方が都合が良いだけだ。余計なトラブルなんてごめんだしな」

 だいたいこんな真似、俺でなくとも大抵の人間はやっている。俺だけ批判されるのはお門違いもいいところだ。

 まあ愛想良くして交友関係を広めておいた方が、賭博の稼ぎも増えるという利点を求めてという理由もあるのだが。

「ふふ、嫌いじゃないわよ。そういう利己的な考え方。しれっと他人に協力を求める抜け目ない所も含めてね」

「別に問題はないんだろ? ルールにもなかったからな」

「そうね。ルール上問題はないわ。けれど、あくまであなた自身が宝を手にしないとゲームクリアとはならないわよ」

「協力を頼んでいない無関係の人間が宝を手にした場合はどうなるんだ?」

「改めて仕切り直しとなるわ。万に一つもないでしょうけどね」

 大層な自信だ。よほど見つからない場所に隠してあるという事なんだろう。

「あ、わかったわ。自分の教室に向かっているのも、そのためね?」

 その問いに、俺は無言で頷いた。

 他人の協力を得られるのなら、これほど心強いものはない。どんなものでもそうだが、一人でやるより大勢でやった方が作業もはかどる。使えるものは何でも使うべきだ。

 放課後は掃除の時間を設けられているので、当番となったクラスメイトがまだ残っているはずだ。手を貸してもらえそうな人間は片っ端から声を掛ける算段である。先ほどの通りがかりの男子のように。

 本当なら電話を使った方が手っ取り早いのだろうが、直接足を運んで頼んだ方が向こうも親身になってくれやすい。知り合いの多い奴なら他の協力してもらえそうな人間にも声を掛けてもらえるだろうし、その分俺も楽になれる。まさに一石二鳥だ。

「少しの間だけ黙ってろよ。気が散るから」

 そう死神に言い聞かせておいてから、俺は足早に自分の教室へと向かった。




 クラスメイト達と話を取り付け、部室棟にも赴いて知り合い達にも協力を仰いだ後、俺は文化棟へと向かっていた。

 腕時計を見ると、すでに午後四時を過ぎていた。チャイムを部室棟にいた時に聞いたので、約三十分近く教室棟と部室棟にいた事になる。

最初のサービス分を除き、ヒントを一つ消費してしまっているので、残り時間はあと一時間四十五分程度。何かあればすぐ連絡するよう伝えてあるが、無論自分だけ動かないわけにはいかない。

 文化棟一階──その正面入り口前で、俺は周りにだれもいないのを確認した後、「死神」と声を掛けた。

「三つ目のヒントを教えろ」

「べつに構わないけれど、これでタイムリミットが五時三十分まで短くなるわよ。あなた、さっきから人間達に声を掛けてばかりでろくに探してもいないようだけれど、いささか早急過ぎじゃない?」

 俺の肩に後ろから両腕を預けながら、死神が俺に問う。宙を浮いているせいか不思議と重みを感じなかったが、邪魔なのには変わりなかった。

「何だ、死神のくせに俺の事を心配してくれているのか?」

「まさか。馬鹿な真似をして、あっさり決着が付くのがイヤなだけよ」

 呆れたように半眼になって、死神は言う。

「考えなしに訊いてるわけじゃない。これも戦略の内だ」

 協力を得るのに少しばかり時間を浪費してしまったが、これも必要経費だ。本音を言うならもっと熟慮してから要請したかったのだが、早めに頼んでおかないと部活がない生徒などは時間的に帰宅しまいかねない。考えている暇などなかった。

 次々にヒントを得た後に捜索してもらう手もあったが、宝がどこにあるかわからない以上、それは得策ではなかった。普段俺が立ち入らないような場所にあった場合、相手に怪しまれかねないからだ。

 大体ヒント自体、果たして上手く伝えられる内容かどうかすらもわからない。二つ目のヒントからしてぼかしてあるのだ──死神の性格上、他のヒントがわかりやすいものばかりとは考えにくい。

 とはいえ、今あるヒントだけで探すのも困難だ。自分の命と言っていい時間をあまり削りたくはないが、うだうだ言ってもいられない。

「戦略、ねぇ。まあいいわ。ヒントその三、記号の飛び交う場所よ」

「記号、か……」

 あごに手をやりながら、俺は思案を巡らせる。

 一口に記号と言っても様々な種類がある。数学的な意味合いもあるし、化学的な意味合いもあるだろう。案内板に載っているような地図記号だってある。探せば他にもあるかもしれないが、現状先に上げた三つしか思いつかない。

 ひとまず、思いついた所に行くしかないだろう。ちょうど文化棟にいる連中にも協力を頼んでみる最中だったのだ。本当なら部室棟にいる時にでもヒントを聞くべきだったかもしれないが、思いの外人が多くて死神に話しかけられなかったのである。

 しかし文化棟なら普段授業でしか使わないような場所なので、気兼ねなく死神に話しかけられる。その分協力者もあまり望めないが、まあ、そこは甘受しよう。それよりも今は協力者を募りつつ、心当たりのある場所を徹底的に探るべきだ。

 そう結論を下し、俺はひとまず一番近い数学準備室に向かった。




「くそ、ここも違ったか……」

 場所は変わって化学実験室。そこで俺はアルコールランプなどをどかしながら、戸棚の中を調べていた。

 もうすでに数学準備室を調べた後にここへ訪れたのだが、どこにもジョーカーなんて見当たらない。あらかた探し終えたので、ここにある可能性はもうないだろう。

「どうだ、探し物は見つかったか?」

「いえ……。すみません。どうやら思い過ごしだったみたいです」

 そばに控えている中年の男性教師に、俺は軽く頭を下げて詫びを入れた。どの教室も施錠されていたので、一旦職員室に行って鍵を借りようとした際、化学実験室は危険物もあるからという理由で、教師も一緒に付いて来たのだ。

「そうか。まあボールペンぐらいなら購買でも買えるしな」

 言いながら、男性教師は戸を開いて廊下に出た。さすがにトランプを探しに来たとは言えないので、ボールペンをなくしたと嘘を吐いて中に入れさせてもらったのだ。

「お気に入りがなくなって落ち込む気持ちはわからなくもないが、今日の所は諦めておけ。また後で出てきたら、お前に知らせてやるから」

「はい。ありがとうございました」

 礼を述べて、化学実験室から退出する。

 少し歩き、だれもいない所まで来て俺は「くそっ」と悪態をついた。

「ここも違ったか……。一体どこにありやがる……」

「うふふ──随分と苦戦しているようね」

 苛立つ俺を嘲笑うかのように、死神が空中で寝転びながら飄然と言葉を掛ける。そのニヤついた顔が俺の神経をさらに逆撫でる。

「黙れ。まだまだこれからだ」

「でも、もう四時半よ。あと一時間で見つかるかしら~」

「ちっ……」

 聞こえよがしに舌打ちしつつ、次の策を練る。

 死神の言う通り、あまり時間は残されていない。早めに何とかしておかないと、協力を頼んでおいた者達も諦めて撤収してしまいそうだ。

 とはいえ、特に妙案は浮かんでこない。てっきり記号と聞いて数学準備室か化学実験室にあると踏んでいたのだが、当てが外れてしまった。協力者からの連絡は一向にないし、旗色は悪い。

「さあ、次はどうするのかしら~。こうしている間もどんどん時間は減っていくわよ~」

「くっ……」

 心底愉快そうに目を細める死神に、俺は歯噛みして顔を背ける。

 死神の言う事はもっともだ。さっさと行動せねば、自分の首を絞めていく事となる。しかしながら、気が焦るばかりで思考は空回るばかりである。

 こうなれば仕方ない。ヒントをもう一つ得よう。これでまた残り時間が減ってしまうが、無作為に探し回るよりはマシだろう。

「死神。四つ目のヒントを教えろ」

「これであと四十五分だけになってしまうけれど、構わないのね?」

「構わん。早くしろ」



「四つ目のヒントは物語よ」



 やれやれといった態で発せられたその言葉に、俺はすぐさま思索に耽る。

 物語──文字通りに受け取るなら、本のある所という事になる。

 ここで本がある所と言えば──。

「図書室か……!」

 ヒントをなぞらえるなら、図書室内のどこか──それも記号に関係した物陰か、もしくは近い場所にあるという事になる。

 なるほど。確かに図書室ならば記号に関する書籍もごまんとあるだろう。ついつい化学や数学といった直接的なものばかりに結び付けてしまった。

 こうしている場合ではない。俺は図書室へと全力で駆けた。




「くそ! これも違うっ!」

 手にした本を乱雑に棚へと戻し、次の本を取って早々と捲る。しかしその本にも、ジョーカーが挟まっているという事はなかった。

 さっきからずっとこんな調子だ。図書室へ到着して即座に思い当たる本を手当たり次第に探しているのだが、ジョーカーなんてどこにも見当たりはしない。本をあさる前に机周りを初めに調べたので、あとは本棚ぐらいだと思っていたのに……。

 というより、本を探すにしても数が多過ぎた。数式関連はもちろん、地図だけでも軽く二十冊は超える。考え様によっては文芸関係という線もある。とてもじゃないが一人で探すには無理があった。

 今からでも助っ人を頼むか? しかしなんて説明する。本の間にジョーカーを挟んだまま忘れたなんて、いくら何でも怪し過ぎる。それにさっきから図書委員の人間が俺を訝しげな視線を向け始めている。本を読むでもなくずっと探索ばかりしている俺を怪しんでいるのだろう。ここで人員を増やそうものなら、さすがに追い出されかねない。あまり目立つ行動は控えるべきだ。

 だが、これではタイムリミットまでに間に合いそうにない。腕時計を見ると、午後四時五十分になっていた。タイムリミットである午後五時十五分まで残り二十五分まで切っている。時間はもうない。一刻も早く見つけなければ。

 とはいえ、これでは到底時間内に探し出せそうにもない。

 こうなれば──。

「死神」

「何かしら?」

 頭上──棚の上で仰向けに寝転んでいた死神が、俺を見もせず横着に応答する。

「五つ目のヒントを教えろ」

「……ふぅん」

 すぐには答えず、死神はうつ伏せに体勢を変えて俺を見やる。

 まるで苦戦する俺を嘲るように、口端を歪めて。

「だいぶ切羽詰まっているみたいねぇ。私好みの良い顔になってきたわぁ」

「………………」

 その言葉に、俺は顔を大いにしかめた。

 死神に好かれるなんて、冗談でも嫌過ぎる。

「何よ。失礼な反応ね」

「あんたが不気味な事を言うからだ。それよりさっさとヒントを言え。あんたの好みなんて死ぬほどどうだっていい」

「んもう、せっかちね。ちょっとくらい私のお喋りに付き合ってくれてもいいじゃない。時間が来るまで退屈なのよね、私」

 なんであんたの退屈しのぎに付き合わなきゃいけないんだ。

 そんな言葉がつい零れそうになったが、寸前で飲み込んだ。ここで言い争うだけ時間の無駄だ。それより早くしろとあごをしゃくって促す。

「ま、私はいいのだけれどね。待つのもいい加減飽きてきたし。でも一応確認しておくわよ。これでヒントを聞いたらタイムリミットが午後五時ジャストになるわけだけれど、本当にいいのね?」

 死神の問いに、俺は数秒だけ黙考した。

 死神の言う通り、これでもう後戻りはできない。ヒントを聞いたら最後、たった十分で宝を見つけなければならなくなる。

 迷いがないと言えば嘘になる。恐れがないと言えば虚勢になる。

 しかしながら、この袋小路を打開できるとしたら、命を削る事になっても新たなヒントを得るぐらいしか手が浮かばなかったのだ。

 だったらもう、最後のヒントに賭けてみるしか他ない。

「それでいい。教えてくれ」

「わかったわ。教えましょう」

 そう死神は首肯した後、本棚からふわりと下りて、こう俺に告げた。



「最後のヒント──それは運命よ」



「運命……?」

 随分と抽象的な単語が出てきた。今までが割合具体的なヒントが多かっただけに、正直戸惑いを隠せない。

 図書室で運命というと、やはり哲学書辺りになるだろうか。しかしながら、今までに出たヒントと、どこかそぐわない気がする。果たして哲学書に記号なんて関係があっただろうか。

 他に運命と聞いて連想するものなんて、せいぜいクラシックぐらいしか……。

 と。

 そこで。

 全身に電流が駆け巡るがごとく、俺はある考えに行き着いた。

 ひょっとして俺は、とんでもない思い違いをしていたんじゃないのか?

 もう一度これまでに出たヒントを正確に思い返す。

 宝があるのは校舎内。影の中。記号の飛び交う場所。物語。

 そして、最後の運命。

 ああ──やっぱりそうだ。これらの条件を満たす場所なんて一つしかない!

 俺はどうしようもない馬鹿だ。どうしてもっと早く気づかなかった。ヒントの一部分に注目していたばかりに、こんな簡単な事に気づけなかったなんて!

いや、後悔は後回しだ。それよりも真っ先にすべき事がある。

 逸る気持ちを抑えながら、俺はポケットからケータイを取り出し、アドレス帳を表示する。

 電話をかける相手は、とある部活に入っているクラスメイト。

『もしもし? 急に電話なんかしてどうし──』

「いきなりごめん。今どこにいる?」

『え、オレ? いや、音楽室だけど……』

 よし、と俺は思わずガッツポーズを取った。

 そう。電話をかけた相手は、吹奏楽部の人間だった。

 それは何故か。

 答えは単純。宝は音楽室に隠されていると推理したからだ。

 よくよく考えてみれば、三つ目のヒントの時点で音楽室という発想に辿り着けてもおかしくはなかったのだ。

 それに気づけなかったのは、俺が記号という一単語に捉われていたからに他にならない。

 記号が飛び交う場所──それは単純に記号がある所というわけでなく、記号が周囲を行き交うような環境にある事を暗に指している。

 ずばり言うと、記号とは音符の事だったのだ。

 楽器を鳴らすにしても歌うにしても、そこには必ず音符が存在する。そしてそれは、ひとたび音として発せられれば、宙を舞う記号となる。これならば、記号が飛び交う場所というヒントにも納得できる。

物語というヒントも、音楽を指してのものならば何もおかしくはない。音楽に物語は付き物なのだから。

 そして、最後の運命。

 音楽と運命。この二つ目で連想するものなんて、一つしかない。

「音楽室の奥に、昔の作曲家達の自画像が飾ってあるよね?」

『あるけど、それがどうかしたか?』

「部活中に悪いんだけれど、調べてほしい所があるんだ。めちゃくちゃ急いでいるからすぐに調べてほしいんだけど」

『いや、まあいいけど。で、どこを調べてほしいんだ?』

「ベートーベンの絵の後ろ」

 そう。

 運命とは、彼の偉人が作曲した代表作の一つ。

 作者は言わずもがな、ベートーベンだ。

 その絵の裏側辺りに、宝──ジョーカーがあると踏んだのだ。

『了解。ちょっと待っててくれ』

 ややあって、ゴトンと何かを置く音が聞こえた。多分、一旦楽器をどこぞに置いたのだろう。よくよく耳を澄ませてみると、調整中なのか、不規則な音が散発的に鳴り響いていた。確か部員が二十人以上はいたはずなので、個々で練習しているのだろう。これがもし全体で曲を弾いている状態だったら気づかれなかった可能性が高かったので、実にタイミングが良かったと言える。何の疑いもなくあっさり俺の頼みを聞いてくれた単純馬鹿が音楽室にいてくれたのも、もっけの幸いだった。

 しばらくして、ガタンという金属的な音と共に『よいしょ』という声が耳朶を打った。作曲家達の肖像画は壁際の高い位置に飾られているので、おそらくは椅子か何かを用意しているのだろう。必要な手順とはいえ、その動作一つ一つが俺のストレスを溜まらせる。切迫した状況の最中にいるせいか、相当余裕をなくしていた。

 そうして、辛抱強く永遠にも感じ取れる時を耐えていると、その知らせは唐突に届いた。

『あれ? 何かあるぞ。これは……トランプか? しかもジョーカーだ』

 ビンゴ! 俺は心中で喝采を叫んだ。

「そこで待ってて! すぐに取りに行くから!」

 返事を待たずして電話を切り、慌てて図書室を飛び出す。

 走りながら腕時計を見る。残り時間は三分。図書室も音楽室も文化棟にあるが、前者は一階にあり、後者は三階にある。全速力で走って約二分。ルール上、宝そのものを手にしないとクリアとならないそうだが、これならギリギリ間に合いそうだ。

 階段を駆け上がり、一心不乱に三階を目指す。途中すれ違った下級生らしき生徒に何事かと怪訝な目線で見られたが、構ってなんぞいられない。

 二階を越え、三階へ至る階段を続けざまに上る。音楽室は三階を上った少し先にある。このペースならどうにかジョーカーを受け取れそうだ。

 この勝負、俺の勝ちだ!

 そう勝利を確信し、三階を上りきった、その直後だった。



 突如として、チャイムが鳴り響いた。



「え──?」

 状況が呑み込めず、俺は呆然と立ちつくした。

 それはどう考えても午後五時を知らせるチャイムである事に間違いなかった。しかしそれはおかしい。現に腕時計は、午後四時五十九分を指している。まだ一分近く余裕があった。

「うぐ……っ!」

 と、そこで、唐突に強烈な胸の痛みを覚えた。

 たまらず胸を押さえて、その場にうずくまる。

 なんだ。なんなんだ。一体全体どうなっている?



「あはははははははハははハははははハハはははははハはははは!」



 自問を繰り返す中で、不意に狂ったような哄笑が鼓膜に震わせた。

 それは、眼前で悠々と佇む死神から発せられたものだった。

「残念だったわねぇ。間に合わなくて」

 死神が愉悦に浸るように口許を歪めて俺を睥睨する。

 蟻地獄に嵌まった哀れな小虫でも観察するかのように。

「な、なんで……」

「どうして五時になっていないはずなのにゲームが終了したのか、といった感じかしら?」

 俺の心中を読み取るように、死神がそう断定的に問いかける。

「その答えは、あなたに渡した腕時計にあるわ」

「と、けい……?」

 言われて、胸の痛みに耐えながら、腕時計を今一度確認した。

 しかし、別段奇妙な点は見当たらない。一体これのどこに答えがあるというのか。

「まだ気づかない? ここよここ」

 行って、死神は俺の前にしゃがみ、腕時計を指差した。

 正確には、その秒針を。

「実はこの秒針、三十秒ほど遅らせてあったのよ」

「お、遅らせ……?」

「そうよ。全然気付いてなかったでしょう? まあ無理もないわね。だってあなた、ケータイの待ち受け画面でしか時間を照らし合わせていなかったものね」

 まったくもってその通りだ。腕時計を渡された時、故意に針をいじってあるのではないのかと疑って、ケータイの待ち受け画面に表示されている時刻しか確認しなかった。それがこんな最悪の結果を招く事になろうとは露も知らずに。

 ほとんどのケータイの場合、デジタルで時分までしか表示されない。秒数まで確認しようと思ったら、大抵の場合機能設定を開くなりアプリを使うなどの手間が生じる。俺はその手間を省くという致命的なミスを犯してしてしまったのだ。

「正直、ここまでギリギリのゲームになるとは思ってなかったわ。秒針をいじったのだって、ちょっとした悪戯程度でしかなったのよ? ほんの三十秒足らずの違いでしかなかったから、渡すタイミングが少しでもずれていただけでもケータイの時間表示と食い違っちゃってすぐに気づかれていたでしょうし。ま、ちょっと待たれただけでもすぐにバレてしまっていたような稚拙な仕掛けでもあったわけだけれど」

 それがまさか、こんな面白い結末になるなんてね~。

 などと、けらけら笑声を上げて死神は言う。掴みかかりたくなるような、実にいけしゃあしゃあとした表情で。

「この、嘘つきが……っ」

「心外ね。約束した通り私は一切嘘なんてついてないわ。細工はしないとまでは言わなかっただけで」

 けどそんなもの、騙した事には何ら変わりない。少なくとも死神は、最初からフェアにゲームを進めようだなんて微塵も考えてなかったのだ。

「こ、んなの、ルール違反だ……!」

「残念ながらルール違反にはならないのよ。こうした罠に気付けるかどうかも審査の内に入っているのだから。だいいちこんなもの、ゲームをクリアするのに大した支障にはならなかったはずよ。恨むのなら自分の無能さを恨むのね」

「ゲスがぁ……!」

 心臓を鷲掴みにされているかのような激痛に顔をしかめながら、俺は必死の怨嗟を吐き捨てる。だが死神はどこ吹く風と言わんばかりに俺を愉快そうに見つめるだけだった。

 どうしてこんな女の言う事を信用してしまったのだろう。もっと警戒していれば、こんな事にはならなかったはずなのに。

 今頃三千万をもらって、借金のない明るい未来を築いていたはずなのに。

 あともう少しで、勝利できたはずなのに……!

 だんだんと視界が霞んできた。全身に力が入らなくなり、死神以外だれもいない廊下にうつ伏せで倒れ込む。

 こんな所で、俺の人生は終わってしまうのか……?

「あ、でも、一つだけ嘘だと言えなくもない箇所があったわ」

 視界が暗闇に染まっていく中で、死神がふと思い出したような口ぶりで言の葉を紡ぐ。

「死神は人間とゲームをするのが好きみたいな事言っちゃったけど、少しだけ訂正」

 そこまで言って、死神は妖しい手つきで俺の顔を持ち上げた。

「本当はね私、ゲームをするよりも、希望を与えられた後の絶望した人間の姿を見るのが何よりも大好きなのぉ~!」

 そうして、俺が最後に見た景色は。



 邪悪に歪む、死神の惨虐な笑みだけだった。



最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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