第8話 人をダメにするモフモフが、人を害そうとした可能性
思わず自分の目を疑った。
メェ君を洗う時に、その体に触ったからこそ分かる。
幾らメェ君がモフモフでエレンの体が小さくても、流石に体が見えなくなる程沈むなんて、物理的にあり得ない。
スキル研究家としてあらゆる情報を収集してきた俺の脳が、そんなあり得ない状況があり得る場合の可能性を反射的にはじき出す。
連想したのは、生き物を養分にして生きる植物だ。
いい香りで相手をおびき寄せ、パクッとやって少しずつ養分として消化していく。
そんな魔物がこの世には存在する。
簡単な話が、『魅惑的なものをエサにして、獲物を引き寄せ捕食する』という話だ。
その魅惑的なものがあの羊毛で、エレンは今正に捕食されようとしている。
突然浮上したその仮説に妙に説得力があるのは、それ程までにあの羊毛が魅力的だったからに他ならない。
ほぼ反射的に、メェ君の羊毛に自身の両手を突っ込んでいた。
自分の手がどうなるか――たとえば捕食用の麻痺毒や酸に侵されるかもしれない――などと、考える余裕すらなかった。
慌ててエレンを、羊毛から抱き上げる。
特に抵抗もなく引っ張り出せたエレンの、少し驚いたような顔と目が合った。
「大丈夫か!」
「なにが?」
「何って、お前!」
事の異常性に、まったく気が付いていないのか。
エレンは小首を傾げている。
その様子を見るにどうにかなってしまっている様子はないが、この世には遅効性の毒だって存在するのだ。
今大丈夫だからと言ってそう簡単に「よかった、よかった」と思える訳でもない。
メェ君も、エレンと同じでキョトンとしていた。
捕食対象なのかもしれないものを取り上げられて、特に怒るような様子もない。
自身の無害さを保証でもするかのように、「め?」と鳴きながら、純粋な目でこちらを見上げてきている。
話を聞くに、森でずっとエレンの事を助けてきた羊である。
できれば疑いたくない。
しかし。
「無自覚に害を与えようとしているんなら、それ程残酷な事もない」
この人をダメにするモフモフが「人を養分にするための擬態ではない」とは、残念ながら言い切れない。
だから、証明しなければ。
それができる人間を、俺は知っている。
「行こう。今すぐに」
一人と一匹を両脇に抱え、俺は急いで家を出た。
人通りがほとんどなくなった町中を疾走する。
日々畑仕事などでそれなりに鍛えていても尚、息が切れた。
汗を流した後に着たのは、くたびれた部屋着だ。
そんな姿で二人を抱えてわき目も降らずに走っていれば、たまにすれ違う町民からは、悉く「どうしたんだろう?」という顔で振り返られる。
しかしそれが何だというのか。
今日会ったばかりの一人と一匹に抱くには重いと思うかもしれないが、俺にとってはもう、どちらも大事になっていた。
だから速度を緩めずに走った。
本来ならば、身体の不調の有無を調べるために頼るべきは教会だ。
弱者救済を謳うあの場所には、『診断』という名のスキルと『治療』という名のスキルを持つ人間が、それぞれ常駐している。
お布施という名の金こそかかれど、確実に助かりたいのなら、皆間違いなくそちらを頼る。
しかし俺は、《《別》》を選んだ。
理由は色々あるのだが、一番の理由は『万が一何かがあった時に、あそこは融通が利かないから』だ。
メェ君が害意なく他者を食う類の魔物だった場合。
エレンがメェ君により、危害を加えられていた場合。
そしてエレンの「動物と話せる」という力が、診断の結果未知のスキルとして明るみに出た場合。
そのどれに当たっても、おそらくエレンとメェ君の身柄は拘束される。
良ければ教会に囲われ、悪ければ悪しき者として殺されるだろう。
そうならないために、彼女たちが平穏に生きる事ができるようにするために。
「ドラド、助けてくれ! この子が羊の羊毛に食われたんだ!!」
俺が選んだのは、冒険者ギルド。
既知のギルド長・ドラドに頼る事だった。