第5話 俺のスキルの使い道
「うわっ?!」
「わふっ」
二つの影は、家主の俺……ではなく初対面のエレンに、どうやら心惹かれたらしい。
毛足の長い大型犬が二匹、エレンの小さな体に飛び掛かった。
尻もちを搗きそうになったエレンを、メェ君が自分の体で受け止める。
おかげで、どうやらエレンに怪我はないようだ。
ビックリした顔で目をパチクリとさせながら、二匹に顔の両頬をベロンベロンと舐められまくっている。
「コラ二匹とも、手加減してやれ。エレン、大丈夫か?」
いつもは俺に向かってくるから油断していた。
好奇心旺盛なこの二匹なら、初対面の女の子の方に興味を持つのは想像できたのに。
少しそんな反省をしつつ、エレンに手を伸ばし立つのを手伝ってやる。
「お前ら二匹は、大人しく中で待ってろ。もうすぐ飯の時間だから、それまでな」
「わふっ」
お転婆なところは少しばかり困るが、意外と物分かりがいい性格なのは、いつも助かっている。
二匹は素直に俺の言葉を聞いて、家の中にペタペタと帰っていった。
「俺たちは、庭だな」
そう言って、一人と一匹を庭の方に案内する。
家の縁側に面しただだっ広い庭に、ポツンと井戸がある。
転落防止に閉じられている井戸の上には、汲み上げポンプが付いている。
水の出口に深めのタライを置きポンプのノブの傍で中腰になると、俺の真似をしてすぐ隣にエレンがちょこんと腰を下ろし、その隣にメェ君がちょこんと座った。
興味津々に俺の手元を見ているエレンに小さく笑い、ノブをキコキコと上下させる。
するとすぐに水がザバーッと出てきて、隣のエレンとメェ君も「おーっ!」「めぇーっ!」と声を上げた。
「水がでてる!」
「まぁ井戸だからな」
「エレンの知ってる井戸は、バケツでよいしょってしないとダメだったよ?」
言いながらしてみせた身振りを見るに、滑車で組み上げるタイプの井戸だったのだろう。
たしかにこの辺ではそういう井戸の方が多いし、何なら未だに近くの川まで、汲みに行っている人だっている。
この家が本来高値だった理由の一つが、まさにこれだ。
少ない労力でたくさんの水をくみ上げる事ができるこの装置は、この辺でもかなり珍しい部類にある。
「このお水でメェ君、あらう?」
タライになみなみと溜まった水を指さしてコテンと首を傾げて聞いてくるエレンに、俺は「そうだけどちょっと待って」と告げる。
エレンの言うことは間違いではないが、ここにこれからひと手間するのだ。
必要なのは、ほんの小さな火種。
この水が蒸発しない程度の、本当に小さな火でいい。
「――ファイア」
人差し指を立て、その先に精神を集中させて、イメージを具現化するための言葉を口にする。
すると、指先にボッと小さな火が灯った。
まさか火が付くとは思っていなかったのだろう。
隣で見ていたエレンが「わ!」という声と共に、コロンと地面に尻餅をつく。
「ビックリした! スレイ、どうやったの?!」
「スキルだよ。間違っても戦闘向きには使えないが」
『火』。
それが俺の持つ個性だ。
強い力なら冒険者や、それこそ騎士団にも入れるスキルだが、生憎と俺のはかなり弱い。
精々が、こうして火種を作って少しばかり生活を豊かにする程度の事ができるくらいだ。
しかし俺には、それで十分。
「俺のスキルは、温かい水で体を清めたり、出先でちょっと淹れたてのコーヒーを飲んだりするためにある」
そう言って、火をタライの中へと落とすと、タライはジュッという小さな音と共に消える。
代わりにタライの水からは、ほんわりと湯気が立ち上り始めた。
争い事も荒事も苦手な俺には、ちょっとだけ生活が豊かになるこういうスキルの使い方が、間違いなく一番性に合う。
太陽はいつの間にか沈み、夕焼けだった空も、もうすっかり群青色になり始めている。
早めに身を清め終わった方がいい。
一応手を入れて確認してみたが、程よい温度になっている。
これならエレンたちにも熱すぎず、快適に入っていられるだろう。
「よし。じゃあ二人とも、そのままでいいから中に入れー」
顔を見合わせたエレンとメェ君は、どちらともなくタライの中にそろりと片足を差し込んだ。
しかしそんな慎重な態度も、最初の一瞬だけである。
「あったか~い!」
「めぇ~」
二人してタライの中に入れば、水かさがちょうど肩近くまでつかれる高さになった。
よかった、ピッタリサイズである。
「エレンは水の中で手でゴシゴシして、できる限り体の汚れを落としてくれ。できれば頭もな」
そう言って、俺はメェ君の方に取り掛かる。
流石にエレンに対してよく気の回る召喚生物でも、四足歩行の羊が自分の口元のトマト汚れを自分で綺麗に落とすのは中々に至難の業だ。
それに、トマトの果汁を放っておくと、白い毛に色写しりして取れなくなる。
大丈夫だろうと一日放っておくだけで、次の日にはどれだけ擦っても一週間は取れない汚れに早変わりだ。
実は俺にはそのせいで当分の間、草食な筈なのにまるで肉食にでもなってしまったかのような見た目の牛と、共同生活を送る羽目になった過去がある。
人食いでもしたかのような口元の大惨事をそのままにした牛と一緒に過ごす一週間は、特に寝起きの寝ぼけ半分の時間には、少々心臓に悪かった。
その時の事を思い出せば、俺が手伝ってやる選択肢しかない。
メェ君の大惨事な顎の下あたりに手をやると、モフッとした感触に思わず表情が緩む。
なんと言えばいいのだろうか、この触り心地は。
シルクのように滑らかでいて、羽根布団のようにふわふわで。
一体どういうカラクリなのか、水の中でもそう感じるのだから、乾いたモフモフの触り心地はいか程か。
想像するだけで、思わず「えへへへへっ」という笑いが出そうになる。
かなりやばい。
なんでこんなに気持ちがいいのか。
癖になる。
メェ君も洗われて、気持ちがいいのだろうか。
ゆっくりと目を細めてされるがまま動かないでいてくれているので、洗うのもはかどるしこのモフモフも堪能し放題……。
「モォ~」
至福の時間に、間延びした鳴き声が横から入ってきた。
「あっ、牛さんだ!」
一通り自分の体をゴシゴシし終えてちょうど今潜って頭を洗い顔を上げたエレンが、俺の後ろを指さしながら言う。
振り向けば、彼女の言う通り白とピンクのまだら模様の成牛が一頭、ちょうど後ろからノッシノッシとこちらにやってきている。