第33話 北風と太陽➁
エレンは俺の忠告を、ちゃんと聞きいれたらしい。
一度止まった位置から一歩だけ下がって、牛の顔を見上げて尋ねる。
「うしさんは、なんでおそとに出たくないの?」
「……んもっ」
「えー、でも外の方がきもちいいって言ってたよ? 他の牛さんたち」
「もー」
「引っぱりあいっこの方がつかれない?」
「……も」
「じゃあ自分でおそとにでて、それからねた方がいいとおもう」
「もーも」
「それなら山羊さんが、おそとの左がわのはしっこの方にあるって言ってたよ?」
「も」
牛の言い分は、俺には分からない。
しかし、エレンの提案には少なからず肯定的になったのだろう。
牛の手綱がフッと緩んだ。
急に緩んだので、全体重をかけてその綱を引っ張っていた俺は。
「ぅわっ!」
突っ張りをなくして重力に従い、地面に敷かれていた藁に背中から転んだ。
藁のお陰で、体を痛めるような事はない。
それでも手のひら返しのような展開に、思わず目をパチクリとさせる。
視界は、普段はめったに見ない畜舎の天井でいっぱいだった。
そこにケラケラと笑いながら、エレンの顔が覗き込んでくる。
「スレイ、うしさんのおうちにねっころばないように!」
「めっ!」
……どこか既視感のある言い方だ。
先程俺に「エサにならないように」と言われたお返しでもしたつもりだろうか。
エレンの真似をして覗き込んできたメェ君のモフモフが、俺の頬にスリッと掠めた。
流石は、人をダメにするモフモフ。
こんな状態であっても、やはりこの極上は顕在か。
やり返しだと言わんばかりに、俺はメェ君に抱きついた。
彼は「めっ?!」と驚いた声を上げたが、逃げるつもりはないらしい。
しかし驚いただけで嫌がっていないのをいい事に顔面でモフモフを堪能していると、少しムッとしたエレンから「メェ君もモフモフはエレンの!」と言われてしまった。
エレンが説得したお陰で、頑固だった出不精常連組の動物たちの足取りが次々へと軽くなる。
時にはのっしりとマイペースに、時にはエレンの後ろをついて、エレンが走れば駆け足で出て行き、時にはエレンを追い抜いて「早く来いよ」と言わんばかりに振り返る。
今までの俺の日々の苦労は、一体何だったんだ。
そう思う程に、すんなりだった。
外国に『北風と太陽』という童話があるが、それに当てはめるならどうやら俺は北風にあたる役回りらしい。
……こんなに頑張っていたというのに。
初めて北風に同情する気持ちが芽生えた。
しかしまぁそれは裏返せば、動物と正確に意思疎通ができるという事が、動物の言い分にちゃんと言い返せる事が、牧場運営においてかなり有効だという事の証明でもある。
エレンはそれだけ、稀有なスキルを持っている。
それが元のスキルの副次的な効果だろうが、スキルの階層が低かろうが、関係はない。
他の人にはできない事が、エレンにはできる。
その時点で、エレンの存在価値は確実にある。
仕事に邁進しているリステンさんは、まだエレンのした事に気が付いていない。
しかしどう考えても、仕事はスムーズに進んでいるのだ。
何かしらの言い訳を用意しておかないといけないだろう。
――やっぱり、動物と話せる事は言えないな。
リステンさん自身にエレンを無理やり利用するような意思がないにしても、どこかでエレンの噂を聞いた奴が寄ってくる可能性は高い。
だったらどう言い訳するか。
嘘を吐くことは簡単だが、後でバレた時に修正が効き難い。
……エレンは『召喚士』のスキル持ちという事もあって、小さな頃から動物と一緒にいたから、相手の行動で何となく何を考えているか察する事ができるとか、撫でたり促したりという、動物への扱いがうまいとか。
そういう「何となくできる」くらいの、やんわりとした言い訳をしておくか。
幸いにも、『召喚士』スキルに「動物と話せる」という副作用がある事は知られていない。
それを逆手に取っておけば、もし何らかの疑いをかけられたとしても「そんな事、ある筈ないじゃないですかー」と笑って誤魔化せる―――。
「って、エレン?」
畜舎の出入り口。
七匹目の動物を外に出したエレンが、何故かその山羊の後に続いて、動物たちを放し飼いにしている牧場広場に向かって歩き出していた。
おいおい、どこに行く。
そう思って、俺はエレンを引き留める。
「あのなぁ、エレン。動物たちと仲良くしたい気持ちは分かるが、仕事中には遊べないぞ?」
「中にいるどうぶつさんたち、みんな『こわいから出たくない』って言うの。このやぎさんが、こわいところまであんないしてくれるって、いうから」
怖い?
一体何が。
動物たちを放し飼いにしている草原は、見通しのいい平地である。
少なくとも柵で囲っているその中に脅威などない……筈なのだが、エレンの顔を見れば、嘘を言っている訳ではないと分かる。
どうやら何か、あるらしい。