第26話 生野菜も美味しい
「おやさいは、火をとおさないとおなかをこわしちゃうんじゃないの?」
「え?」
そんな事はない。
現にエレンだって昨日、生のトマトを食べながら家に帰ったじゃないか。
そう思うが、彼女の疑問……というよりは、困惑顔か。
その手の表情は深まるばかりだ。
「おばあちゃんが、『おやさいは生ではたべられない』って言ってたよ?」
「そんな事は……あ」
そんな事はない。
そう言いかけて、思い出した。
野菜が生で食べられない。
そんな話がある地域もあると、前に教えてもらった事があった。
たとえば瘴気が濃い土地の野菜は、熱を入れて瘴気を抜いてからではないと渋くて食べられたものではない。
そういうところから品物を持ってくる行商しか通らない小さな村では、同じように生で野菜を食べる習慣がない。
だからそうでない土地は、恵まれている。
そういう話をどこかで過去に耳にした。
エレンが住んでいた場所は、そういうところだったのかもしれない。
「大丈夫。ちゃんと美味しいし、お腹を壊したりもしないから。このドレッシングでもっと美味しくなるしな」
「どれっしんぐ?」
「そう。この液体。ゴマをすりつぶして、調味料と混ぜている物らしい。この前初めて買って食べたんだけど美味しかった」
そう言って、エレンのだけに掛けてやる。
俺の分にはかけなかったのは、エレンの舌に合わなかった時に俺のと交換するためだ。
騙されたと思って、食べてみろ。
そう勧めると、エレンはフォークを握り、おずおずとした動作でドレッシングのかかったトマトとレタスを上から刺した。
そのまま口にそれらを持っていく。
シャキッという音と共に、口の中で咀嚼される。
モグモグモグと咀嚼されるにつれて、エレンの顔は劇的に変わった。
恐々だった顔が、驚きに変わり、それからパーッと明らかに華やぐ。
「スレイ! おいしい!!」
「だろ?」
こっちを見て「新発見!」みたいな顔で教えてくれたエレンに、俺は少し得意げになる。
そんな俺たちを見たメェ君が、足元で「めぇめぇ」と言い出した。
「メェ君も食べたいって。あげていい?」
そういえば、メェ君には生野菜はやっていない。
「ドレッシングがかかってないところだけな」
そう言うと、エレンは嬉しそうに頷いて、すぐに生野菜をメェ君にあげる。
「めっ! めぇぇ!」
「だよね! おいしいよね!! スレイ、メェ君もおいしいって!」
「そっか、それはよかったよ」
美味しさを分かち合えて嬉しそうなエレンと、メェ君。
机に頬杖を突きつつそんな彼女たちを見て、俺は「次からはサラダも、メェ君のを用意しないとか」と内心考える。
しかしこうして見ていると、改めてこの子たちは動物と人間だとは思えないくらい、仲がいい。
俺も動物たちと同居しているし、俺だって別にその動物たちとの仲が悪いとは思っていない。
うまくやっている方だと思うが、それでも手放しに「仲がいい」とは言い切れない自分がいる。
しかし彼女たちは、違う。
彼女たちには、同居人同士以上の絆がある。
メェ君はいつもエレンの傍にいて、エレンの事を助けている。
エレンはメェ君を友達だと口にしているが、どちらかと言えば家族――兄妹のような関係性に見える。
この一人と一匹なら、大人になるまで、いや、大人になってからも、命が続く限り傍にいるのだろうという納得がある。
対して俺は、どうだろう。
「なぁエレン」
「ん?」
俺の言葉に、エレンがスプーンを咥えたまま、こちらを見てきた。
「昨日エレンたちと初めて会って、トマトをやったらメェ君の羊毛が大惨事になって、なりゆきでうちに連れてきて、それからもちょっと色々あって。結局ドラドたちと話している途中でエレンが寝ちゃったから、その日はうちで寝かせたんだけど」
実は、本当は昨日、エレンに聞かなければならない事があった。
今日の朝聞いてもよかったが、寝起きよりは夕方の方が、まだ頭が働いた状態のエレンに聞けるかと思って、先延ばしにした。
そう。
昨日の夜、ドラドと話した内容だ。
エレンには今、家がない。
他人の俺には、エレンの旅を止める権利はないけれど。
「エレンの居場所を当分の間、この家にしてみないか?」
子どもと非戦闘動物が一人と一匹で旅をして、永遠に怪我なく平和にやっていける程、この世界は優しくない。
彼女たちがここまで怪我も病気もなく来れたのは、運の良さもあれば、メェ君の『沼』のお陰でもあったのだろう。
運も実力の内と言うし、『沼』に関してはれっきとしたメェ君の実力だ。
彼女たちの実力と絆があってこその旅の成功だとは思うけど、すべてにおいて運の良さが振るわれる訳ではないし、『沼』だって、メェ君が元気でなければ使えない。
不慮の何かがあった時、必ずしも彼女たちを守ってくれるような万能なものではないだろう。
だから、大人に頼っていい筈だ。
血の繋がりがあるとかないとか、そんな事は関係ない。
エレンもメェ君もいい子だし、俺は可愛いと思っている。
「裕福な生活をさせてやれる訳ではない。今日みたいな生活を毎日していく。それでも衣食住は保証するし、エレンのおばあちゃんとはちょっと違うかもしれないけど、この国や世界の事、スキルの事。エレンが知らない色々な事を、少しずつだけど教えてあげられると思う」
自分を買い被るつもりはないが、幸い俺は貴族の出で、元王城勤めのスキル研究家だ。
この町の人たちよりはもちろん、下手をすればその辺の貴族よりは幾らか、多くの知識があると思う。
その中から、エレンが生きていくために必要な事、あった方がいい情報や経験を、少しずつ分けてあげる事ができる。
――もちろん時間と、エレンのやる気があればだけど。
俺の言葉に、エレンは目をパチクリとさせた。
思えば真面目な話をするあまり、エレンには少し難しい話になってしまったかもしれない。
もう少し、言葉を崩して言い直すべきか。
そう思って口を開きかけたところで、エレンがコテンと首を傾げた。
「きょうみたいな、って、また苗うえる?」
「そうだな。他にもやるだろうけど」
「じぇーむすさんみたいな事も、おしえてくれる?」
「ジェームスさん? ……あぁ、スキルか。同じ事はエレンにはできないだろうけど、エレンにできる事なら教えてあげられると思う」
「スレイとおなじお家で、モォさんとわんさんとウォフさんとげんじろうと、みんなでくらす?」
「そうなるな」
頷いた俺に、エレンは嬉しそうに笑った。
「エレン、スレイのお家にいる! みんなでワイワイたのしいし、スレイ、おばあちゃんみたいだもん!」
「おばあちゃん……?」
俺、女でも年寄りでもないんだが。
反射的にそう言ったが、嬉しそうにメェ君と「ね、メェ君!」「めっ!」などというやり取りをしているところを見れば、嘆息交じりに「まぁいいか」と思った。
「じゃあこれからは、エレンの帰る家はここ。俺もエレンがまた旅に出るまでは、エレンの事を『うちの子だ』って言うし、エレンも誰かに聞かれたらそう答えろよ?」
「うん!」
「めっ!」
元気よく返事をした彼女は、椅子からストンと降りるとまっすぐ同じ室内で寝転ぶ犬たちのところに駆け寄った。
「エレンもきょうからこの家の子になったよ! よろしくね!!」
「わふっ」
「わんっ!」
「ぅわぁっ?!」
エレンの言葉を理解したのか、顔を上げた二匹は勢いよくエレンに飛び掛かった。
転ばされたエレンの背中に滑り込み、メェ君がモフッと受け止める。
驚いた顔をしたエレンだったが、二匹に片方ずつ頬をベロンベロンと舐められて、すぐにくすぐったそうに笑いだしたのだった。




