2浪時代
2016年-2017年
2浪目は指導者なしの完全宅浪でスタイルでいくことにした。
自分のお小遣いくらいは自分で稼ごうと思い、近所のコンビニで朝6時から9時までの3時間ほどアルバイトをすることにした。
4月中旬
アルバイト初日
「今日からこのシフトに入ることになりました、中村です。よろしくお願いします。」
「ん、ああ。よろしく。」
「よろしくね〜」
早朝に入る他のアルバイトの人には、国立大学卒業の25歳のお兄さん(香村さん)と、私立大学中退の25歳のお姉さん(木下さん)がいた。
「中村君って今何歳なの?」
「19歳です。」
「えー!いいなー!めっちゃ若いやーん!!」
「えへへ、そうですかね笑」
「あ、いらっしゃいませ〜!」
「い、いらっしゃいませー!」
人生初のアルバイトでもあり緊張した。
今はこの底辺バイトを甘んじて受け入れるが、それは将来、必ず立派なお医者さんになることが決まっているからだ。
底辺の仕事も一応知っておかないと、将来患者さんの気持ちがわからないヤブ医者になっちゃうもんね。
それから1ヶ月ほど経った
いつものように朝6時に出勤すると、国立大学卒の25歳のお兄さんがいた。
「中村君は浪人なんだって?」
「はい…」
「19歳だったっけ?ってことは1浪?」
「ええ、そうですね(2浪だけど)」
「ふーん、どこ目指してんの?」
「ど、同志社です(医学部だけど)」
「同志社?もっと上目指せばええやん。阪大とか。一年あればいけるやろ?」
「ははは…そうですかね…(阪大とか行ってどうすんねんw医学部しかありえんw)」
「あの…そういえば、香村さんは○○大学卒業されたんですよね。何学部だったんですか?」
「あ?んなもんどうでもいいだろ」
「あ、はい…えと、なんでそれなりに良い大学出てるのにコンビニバイトなんかやってるんですか?バイトするより店長になるとか色々道はあると思うんですが…」
香村の眉間に皺が寄る。
「…ッチ………あー、お前、唐揚げ揚げとけ。俺ヤニ吸ってくっから」
どうやらこの言葉が香村の地雷だったらしい。
その日から職場の空気が悪くなった。
「おい、お前唐揚げ揚げとけって言ったじゃねーか、なんで揚げてねーんだよ」
「いや、2つちゃんと揚げてますよ。ほら」
「2つで足りねーよ、この時間は5つ揚げるって決まってんだよ。言われたことくらいちゃんとやれや。このカスが」
パワハラが始まった。
すると、出勤準備を整えた木下さんがレジに出てきた。
「え、なになに、香村、中村君になにしてんの。やめなよ可哀想じゃん」
俺は屈辱から半泣きになった。
涙を隠そうとウォークインに引きこもり、こんなバイト辞めてやると心に誓った。
俺は職場に居づらくなって夏が終わる頃にはバイトを辞めた。
人員不足のため、店長からは散々引き留められたが、こっちは人生の掛かった受験が控えているのだ。
こんなところで油を売っている場合じゃない。
将来は立派な医者になり、研究で認められて大学教授になって、ロシア人の美女と結婚して、3人の子供に囲まれて楽しい人生を歩むのだから。
4月から9月までの約半年間で約20万円の貯金ができた。
それらは後に腕時計や参考書、模試、栄養ドリンク代に消えることとなる。
バイトを辞めた頃、同じ高校の同期の小谷からLINEが来た。
小谷は高校時代は俺と同じ陸上部でもあった。
「よう和馬久しぶり、お前2浪してんだって?坂本から聞いたわ」
坂本とは俺が唯一浪人をしていることを伝えていた友人である。
「そうだけど」
「実は俺も2浪が決まってん。神戸大目指しててな。今度久しぶりに会わね?」
リア友に飢えていた俺は、久々に友人と会うことにした。
「おう和馬〜w何年ぶりやw高校卒業して以来だなwつかお前随分老けたなw」
再会早々失礼な奴である。
「まさか俺らが2浪するとはな」
「ああ、そもそも俺らの高校から浪人が出ること自体珍しいのに、それも2浪で同じ陸上部ってなw 俺らの代ヤバすぎだろw
「はは、ちげぇねぇやwww」
「とりあえず公園走りに行かね?身体が鈍っちまって、たまには動かさねぇとな」
俺と小谷は近くの公園に向かった。
「そういや和馬ってどこ目指してるんだっけ?」
「え、まぁ、、同志社かな…(本当は医学部だけど全然成績足りてないし落ちたとき恥ずかしいから同志社って言っとこ)」
「ふーん、で、勉強進んでる?俺は毎日英語長文一題は読むようにしてるよ」
「あー、まぁまぁかな」
………
10月末、そろそろ勉強しないとまた間に合わなくなる。
そんな不安もさることながら、俺は娯楽に飢えていた。
1浪の夏以来、消していたTwitterをインストールした。
当時は周りが大学生になって、キラキラした日常をツイートしているのに耐えられずに消したのだが、それはそれで寂しさが募るようになった。
浪人で検索をかけるとたくさんの浪人アカウントが表示された。
十六浪咲夜、本田五浪、DJ_gomi、はるっすぅ、神戸キモオタ連合、しこっ多浪、ハチローン、ルシファー………
ほーん、、いろんな人がいるんだなぁ…
どうやら浪人界隈というのがTwitter上にはあるらしい。
俺はリア友はフォローせずに浪人アカウントを作ることにした。
「2浪医学部志望です! #相互フォロー #RTした人全員フォロワーする #浪人」
ふぅ…とりあえずこんなもんでいいか。
ツイートっと…
半月後にはフォロワー500人に達した。
しかし自分のツイートはなかなか伸びない。
ユーモアが足りないのだろうか。
こいつらのツイートよく伸びるな…
なんか悔しい。
まぁどうせカスみたいな奴らだし俺がパクツイしても問題ないだろ。
『【浪人生の妄想】
合格後 僕「(学生証チラッ)」
女「えー!すごい!!(股ウィーン)」
【現実】
僕「大学ここなんだ(学生証チラッ)」
女「そうなんだwすごいねw」
イケメン「ウィッス 男」
女「しゅき〜♡(股ウィーン)』
3時間後、通知欄を確認すると、100いいねがついていた。
おっww伸びる伸びるwwww
((ピコン))
ん?誰かから返信が来たようだ。
「パクツイ乙」
はあ?はあぁぁぁぁあぁあぁぁぁぁあぁぁぁあ??????
コイツ何様のつもりだよ。
何がパクツイ乙だよ、ふざけんな。こっちは自分のツイートが伸びなくてイライラしてんのになんでテメェに文句言われなきゃなんねーんだよ。
気分が悪いので即ブロック。
すると次々に俺の悪評が立つようになった。
「この人パクツイしてますよ」「パクツイ指摘したらブロックされたんだがwwwwきもちぇええええwwwww」「元のツイート主に迷惑掛かるからやめようね」「そんなことしてないで勉強やれよニートwww」
散々な叩かれようである。
気が立った俺は、アンチにそれぞれ「うるせぇ○ね」と返信した。
その晩、アカウントが凍結した。
浪人アカウントなんてしょうもない。
こんなカス共と同じ土俵でやってられるか。
…そうだ!自分を東大医学部に在籍している学生という設定にして、東大医学部受験サポーターとして受験界隈の神になろう。
早速アカウントを作り直して宣伝活動を始めた。
「東大医学部受験サポーターです! 皆さんの勉強の悩みにお答えします! 気軽に聞いてください! #勉強 #東大 #浪人 #受験 #拡散希望」
当時、流行りだったLINE@というLINEの準公式アカウントを作れるサービスも並行して利用した。
これはそれなりの反響を呼び、12月中旬にはTwitterのフォロワー数が4000人、LINE@の登録者数が2000人なった。
俺は勉強そっちのけで、決して満たされない自己顕示欲を解消しようと取り組んだ。
アカウントには多くの質問が届いた。
「青チャートやった後は何すればいいですか?」
「プラチカがおすすめですよ!」
「ありがとうございます!」
「早稲田志望なんですが英単語帳ってターゲットと鉄壁両方やった方がいいですか?」
「いや!ターゲットだけでいいよ!」
「そうなんですね!了解です^_^」
「学校の宿題でここが分からないんですけど教えてください(中3レベルの図形問題)」
「これは簡単だよ、ここに補助線を引くとここの角度が分かって、錯角だからここもこの角度になって、すると内角の和が180°になることから答えが出てくるよ」
「おおお!わかりやすい回答ありがとうございますm(_ _)m」
「東大数学のこの問題がわかんないで教えてください」
「すいません、問題の回答は行っておりません」
「そうなんですね」
自己肯定感が高まってきた。
これだよこれ。
これが俺には足りなかったんだ。
あー今俺すっごい満たされてるわー。
なんか社会の役に立ってる気がするなぁ。
「お前東大医学部とか嘘だろwwww」
このカスが…またゴミコメント放り込みやがって。
即ブロ通報っと…
どんな善行を積もうがアンチは必ず出てくるのだ。
2016年12月24日
夜、ファミチキを食べたくなってコンビニまで自転車で向かった。
自転車を漕いでる途中、猛烈な不安に襲われた。
…またやってしまった。
また一年無為に過ごしてしまった。
あれだけ時間があったのに、センター試験まであと2週間しかないよ。
どうすんだよこれ…
今年も駄目なのか?
俺はまた医学部に落ちるのか?
自分が世間から取り残されてバケモノになっていく気がした。
このまま俺は浪数を重ねて、醜くなって、誰からも愛されずに、何者にもなれずに、終わってしまうのか…?
コンビニに到着する。
「っしゃーせぇ」
「ファミチキひとつ…」
「あざっしたー」
渡されたファミチキは揚げたてのものではなく、廃棄寸前の色をしていた。
ムシャムシャムシャ…
「まずい。」
新年を迎え2017年になった。
俺は例年通り、最後の挽回を果たすべく残り2週間の勉強計画を立てた。
1日青チャを150題、物理のエッセンスを100題、化学の基礎問題精講を50題すると間に合うな。
よし、これで85%狙うか。
そう計画を立てた当日から計画は総崩れになった。
2浪目の一月といえば浪人諸君は何を思うだろうか。
そう、成人式だ。
心は浪人でも年齢の進行は待ってはくれない。
俺は成人式に行くか迷った。
昔の知人に会うのが恥ずかしい。
勉強時間を無駄にしたくない。
主にそういう理由だった。
しかし、親の勧めもあり知り合いのいない違う地域の成人式に行くことにした。
世間一般では成人式と昔の友人と会って思い出話に花を咲かせるイベントであるが、俺はただ成人式というのがどんなものなのか純粋に気になったので参加したのである。
ADHDの俺は、式の開始時間ギリギリに会場に到着し、適当な空いている席に座った。
「皆さん、成人、おめでとうございます」
会場前方に置かれている巨大スクリーンには見覚えのある顔が映っていた。
小学校の校長先生だ。
校長ってこういうことも仕事に含まれるんだなぁ…
式が終わると、俺はそのまま誰とも目を合わせることなく会場を後にした。
センター試験までの日数が、残り5日を切ったあたりから俺は現実を逃避をするようになった。
もう今年はダメだ。間に合わん。
はぁ…俺の人生なんだったんだろうなぁ……
なんで俺がこんな目に合わないといけないんだ。
高学歴全員○なねぇかなぁ
てか、東大に原爆投下されたら日本中ニュースになって今年の受験中止になんじゃね?笑
そんなありもしない妄想にも飽きると、3の文字が頭に浮かんできた。
3浪、それは人間とバケモノの境目である。
ただし医学部だけは3浪でも人間扱いされる。
そうだ、3浪して東大理Ⅲを目指そう。
そしたら今までの人生、お釣りが出るくらいに挽回できるぞ!
来年理Ⅲに受かったら何しようかなぁ…
そうだ、母校から初の理Ⅲ合格者となるわけだから、OBとして高校の体育館を借りて講演会を開くか。
後輩たちを啓蒙するのも先輩の務めだしな。
ドラゴン桜の桜木弁護士みたいな名演説をして、翌年の母校の進学実績には東大、京大、医学部と錚々たる大学名が刻まれるのだ。
うーん、これは気持ちがいい。
するとどんな風に演説するのが良いか。
あんまり堅苦しいのは駄目だな。
日本一の頭脳を持った理Ⅲ生なのに、この人すっごいラフな喋り方だな!なんか親近感湧くかも〜♡
すげぇ!俺もあの人みたいになりたい!!
先輩!俺の来年絶対東大行くんで!そん時は飯奢ってください!
あ?しゃーねぇな、来いよ!高みに!!!
気がつけば気分が最高にHighになっていた。
昨年の3月に起きた''あの''覚醒が起きたのである。
世界の隅から隅まで、望むものはなんでも脳が即座に最適解を導き出す。
全知全能の力が復活したのだ。
この力をセンターまでの残り3日間、勉強に使えば俺は今からでも9割取れるのでは!?
早速、この力を勉強に回すことにした。
ふむふむ、やはり理解度が格段に上がっている。
これがこうなって、こうだから…
ああ、なるほど!
これまでの低スペック脳では理解や整理ができなかった事柄が綺麗に纏まっていく。
「勝ったな!ガハハ!!」
勝てる目星がついて安心すると強烈な眠気に襲われた。
目が覚めると深夜の2時だった。
おそらく急激な負荷によって脳がシャットダウンしてしまったのだろう。
中途半端な時間だったので、また眠った。
朝起きるとどうも調子が悪い。
あの覚醒状態になろうにも、どうにもスイッチが入らない。
昨日、そして去年の3月、自分がどうやってあの状態に至ったのか振り返ることにした。
どうやら"新しい刺激"がスイッチになっていたらしい。
去年は自己啓発本、今年は理Ⅲに受かった時の妄想。
なるほど。
で、今、昨日と同じように理Ⅲに受かって自分が講演会を開いている妄想をしているわけなのだが、一向に頭が回転しない。
去年読んでいた自己啓発本を本棚から引っ張り出して読んでみるも、当時のような感動は起こらない。
それどころか上手くいかない焦りから不安が増大していった。
そうして2浪目のセンター試験を迎えた。
試験中は問題そっちのけで、どうやって親に3浪目を認めてもらうかを考えていた。
2日間のセンター試験が終わり、
翌日、自己採点をした。
5教科7科目
432/900(48%)
432(じさつ)
なんとも縁起の悪い数字だ。
これまでの行いのバチが当たったのだろうか。
親に報告すると落胆された。
とりあえずその年は、某魚釣り大学校を受けることにした。
第一志望の魚の生態系の学科に落ち、第二志望の船のエンジニアの学科に合格した。
船のエンジニアというと遠洋漁業の船のボイラー室でオイルに塗れながら仕事をしている自分を想像して拒否反応が出た。
俺が3浪したいと言うと、親は血相を変えて猛反対した。
俺も2年やってこのザマなのだから、とても説得できる気がしなかった。
こうなれば少し手荒だが、逆にアクションを起こさない作戦でいくか。
入学手続き締切日まで何もせず、時効となれば結果的に3浪(無職)になるわけだ。
そういうことを考えて3月の上旬まで粘った。
すると親から「お前はそれは卑怯だぞ」と言われた。
心がぐちゃぐちゃになった。
しかし、時効になれば…時効にさえなれば…
あとは3浪の俺がきっと上手くやってくれるはず。
俺は未来の自分を信じる。
数日後、父からニコニコしながら話しかけてきた。
「喜べ!まだ出願できる大学があるぞ!」
そう言い、とある私立大学のパンフレットを渡された。
どうやら後期募集でセンター利用のみで受けられるところらしい。
そしてネットで調べるとどうも48%でも受かる見込みがあるとのこと。
参ったな。親が心配する気持ちは分からなくもないが、こんなFラン大に2浪で入っても、就活で地獄を見そうだな。
こんなところに数百万円納めるくらいなら、来年に国立医学部に合格した方がコスパ良くないか?
そんなことを家族会議で話したところ、
「2年やって48%だったのに来年9割?いくはずないだろ。本当に来年受かるならいい。でも来年も駄目、再来年も駄目ってなったらどうするんや?五浪丸になるぞ」
当時、ラグビー界隈で有名になっていた五郎丸 歩 選手の名前が出された。
「5浪って…さすがにそれはないでしょう」
「とにかくこの大学に行きなさい」
……
家族会議は1週間続き、その間、並行して私立大学の出願手続きがされた。
3月中旬、その私立大学から合格通知が届いた。
まるで自分で掴み取った合格という実感が無い。
当然だ。センター48%という、少し勉強すれば誰でもとれる点数しかとれずに、親の財力で入れて貰ったようなものなのだから。
自分が情けなかった。
親の説得もあり、俺は泣きながらその提案を呑んだ。
入学手続きを済ませ、3月中は魂が抜けたようにダラダラと過ごした。
こうして俺の2年に及ぶ浪人生活はひとまず幕を下ろした。
当時のことを思い出しながら書いてたんですが、自分でも引くくらいにヤバい奴で、書いてる途中ゲラゲラ笑いが止まりませんでした。
若気の至りってやつですね。
皆さんにも形は違えどそういうことあったんちゃいますか?