中学生時代
2009年-2012年
俺の人生の堕落は中学時代から始まった。
結論から話すと、
知人の紹介で入部したバスケ部でハラスメントを受け精神がおかしくなったのだ。
もし過去に戻れるなら俺は美術部か剣道部か帰宅部に入っただろう。
俺は生来のアスペから球技がとても下手くそなのだ。
そしてそのコンプレックスの裏返しとして、怖いもの見たさから小学時代はソフトボール、そして中学時代はバスケ部に入ったのだ。
これの何が恐ろしいのか、今ならこう分析する。
おそらくこの頃から俺は軽い自己嫌悪に陥っていたのだと思う。
親は俺が外で活発に遊ぶことを期待してきた。
しかし当時の俺は外で遊ぶよりも家でネトゲをしている方が何倍も楽しかった。
このことが原因で家庭内に不和が生じた。
ひょっとしたら俺は親に認めてもらうために活発な少年がやりそうなソフトだとかバスケを選択したのだと思う。
しかしどうだろう。
普通の人間はこんな考え方はしない。
ただソフトが好きだから、バスケが好きだから。
他の理由なんてないはずだ。
そしてただ単純に好きだからいくらでも練習するし、休日の朝練も嫌な顔一つせずやる。
それに対して、俺は心の底ではこのスポーツを嫌っていた。
日々練習に強いストレスを感じていた。
今日は部活の日か…帰りたい。
そんなことばかり考えていた。
そして自分の感情に素直な同期の部員は次々に退部していった。
俺はというと?
俺はそんな奴らを根性無しだと心の中で軽蔑した。
当時の俺の信条にはこのようなことがあった。
「嫌なことでも続けることに意義があるのだ」と。
今思えば明らかに奴隷の根性が根付いていたと思う。
よりもよって一番持ってはいけないものを持っていたのだと思う。
さて、嫌なことを嫌々続けていった俺はどうなっていったのか。
範囲を中1から中3までに限定し箇条書きしていく。
・他人に嫉妬するようになる
・表情が暗くなる
・声が吃るようになる
・馬鹿になり学力低下
・感情表現が苦手になる
・身体に不調が出てくる
この中で特にまずいのが他人に嫉妬するようになることだろう。
自分はこんなに苦しんでいるのになぜ周りはそんなに楽しくしているのだ。
同じ苦しみを味わえ。
いつしかそういう思考回路が出来上がっていった。
つまり性格が悪くなっていったのだ。
ところでこの性格の悪さの影響を最も強く受ける人間は誰だろう?
答えは自分だ。
24時間365日ゼロ距離で恨みや憎しみ、嫉妬といった感情をメラメラと燃やし続けている。
そんな人間の1番の犠牲者とはそう思っているその人自身なのである。
俺は他者からインストールされたウイルスを自己増殖させて自己破壊プログラムを作り上げていたのだ。
ここまで長々と前置きを書いてきたが、実際にあったバスケ部での経験を書いていこう。
【中1】
入部したてであり試合ではベンチだったが自らに中1だから仕方ないと現状を受け入れていた。
【中2】
後輩が入ってくる。生来の歳下嫌いが災いして後輩からいじめられるようになる。
試合には出させてもらえない。まだ中2だし来年は出れるだろうと自分に言い聞かせる。
【中3】
いつまで経っても試合に出してもらえない。
遂に引退試合を迎える。この日、俺が試合に出たのは自分のチームが負け確定して残り45秒のときだった。
3年間嫌なことを我慢して頑張ってきた結果がこれか…
俺は人事権を持った顧問である鮫島に殺意を抱いた。
そして馬鹿な俺は鮫島に対して有効な復讐を遂げることができずにそのまま引退した。
因みに中学校は公立だった。
しかし地元の治安が悪いため頭のおかしい奴も多かった。
一言でいえば性格が悪い奴が多い地域だったのだ。
勉学の方はというと中の上であった。
一言に中の上だと自称する奴は実際には中の下であるというジレンマがあるが、実際に席次でみても中の上だった。
【歪んだ自尊心 セルフハンディキャッピングの罠】
バスケ部で心に深い傷を負い捻くれ果てた俺は、なんとか自尊心を保とうと学習面に力を入れることにした。
しかし嫉妬や憎悪により破壊された前頭前野は元に戻ることはなかった。
端的に言えば粘り強さと思考能力がなくなったのである。
これにより学習効率は下がりに下がった。
だが自分の存在意義である秀才という自己像を捨てることはできなかった。
そこで思いついたのが試験前のギリギリになるまで勉強をしないことだった。
この方法は初めのうちは上手くいった。
試験の3日前から徐に勉強を始めていき試験の前夜から試験の1分前まで集中力を高めていった。
結果380/500点(76%)を記録。
せめて8割は越えたいと思っていたが、そこはセルフハンディキャッピングによって手を抜いたから仕方ないと自分を納得させた。
つまり自分は本気を出していない。
俺が本気を出せば9割は堅いと本気で思うことにより、底力はある秀才という自己像を築き上げたのだ。
後に思う。
俺が多浪する原因となった思想はここで生まれたのだと。
残念ながらこの思想は今現在も治っていない。
もう病気なのだ。
これは死なないと治らない。
さて、そうして内申点は中の上、実力テストも中の上の俺は高校入試を迎えた。
第一志望の偏差値67の高校は落ちた。
ここまでもテスト3日前にネトゲをしていたのである。
人生のかかった試験でさえこれなのだ。
この時期から俺は精神を病み廃人になっていたのかもしれない。
結局第二志望の偏差値55の高校に通うことになった。
俺は強烈な学歴コンプレックスを抱いた。
部活で粉々にされた自尊心、勉学で満たされなかった自尊心。
俺に残ったのは劣等感だった。
中学受験していればここまで拗らせることはなかっただろうと思う。
それができなければ帰宅部か不登校→私立高校
の流れで良かった気がする。
何にせよ若い頃の我慢が心身に与える悪影響はあまりにも大きすぎる。
《追伸》
なぜこんな捻くれたことになったのか、一つは自分の好きなことを心置きなくできず、嫌なことを我慢してきたからだろう。それ以外に理由は一切ない。
「人は嫌なことを嫌々し続けると人間のクズになる」
ある哲学者はそんなことを話していた。




