小学生時代
2003年-2009年
小学生になった。
俺にとって小学生時代は大きく二分される。
小6以前とそれ以降だ。
というのも小6のときに引っ越したからだ。
1〜5年の間はそれは心の調和のとれた成長ができた。
生来のコミュ障だったが、"幼少期特有のなんか知らんけど仲良くなる"現象のお陰で初めの小学校では同級生とも打ち解け、それなりに楽しむことができた。
勉学の方は生来のとろさ故に百マス計算のタイムアタックではクラスでは真ん中あたりだった。
他の教科もマイペースではあったがしっかりと取り組む姿勢もあり、時間を掛ければ人並みのことはできていたと思う。
この時の将来の夢はコックさん、大工さんと小学生の夢としては極ありふれたものであった。
ただこの頃から奇を衒う癖が見られ、漢字ドリルの『○○という漢字を使って、文を作りましょう。』という課題では、
「一」という漢字を使う文では「いんせきが一こふってきて、みんなしんだ。」
「二」という漢字を使う文では「いんせきが二こふってきて、みんなしんだ。」
…以下「九」まで同じ
と人と違ったものを書いてやろうという気持ちが垣間見えた。
今なら分かるが、この場合の模範解答とは「りんごが一つある」である。
「人と違うことがしたい」
「自分は特別な人間であるべきなのだ」
という性格はこの辺りから派生したと考えるのが自然に思える。
【悪名高きネトゲ中毒】
小3になると友達と遊ぶことが面倒になり、ネトゲにハマるようになる。
当時2000年代前半、まだ、スマホは当然のこと、携帯電話ですらあまり流通していない時代に、俺は小学生ながらネトゲにハマってしまったのだ。
そのゲームは2023年現在でも運営が続いているキノコが出てくる有名な横スクロールMMORPGである。
学校中はずっと妄想の中でゲームをしており、家に帰ると寝るまでゲーム。
ひょっとしたら俺の人生はあの頃からおかしかったのかもしれない。
【電通刷り込み事件】
小3の頃、親にお金持ちになるにはどうすればいいか聞いたことがあった。
その時の回答は「電通に入るとたくさんお金貰えるよ」だった気がする。
デンツーという聞き慣れない言葉であったが、そういう会社があって、そこに入ると大金持ちになれるという認識をしていた気がする。
そしてこの頃から将来の夢の欄には「電通に入る」と書くようになった。
電通が何を作っている会社なのかも知らずに。
拝金主義の思想が芽生え出したのはこの頃で間違い無いだろう。
しかし、こう考えてみると今の小学生の将来の夢に公務員だとか正社員だとかYouTuberが選ばれているのを俺は笑えない。
彼らの夢と同じ次元の話なのだから。
【家計のために中学受験はしない宣言】
小3のときに親から中学受験をしてみないかと問われた。
日頃、母親の口癖である「節約」という言葉を聞いていた俺は、高い金を払ってまで私立中にいくのは親不孝であると思った。
中学受験をすると、その後どういうメリットがあるのかを話し合うことなく、俺はその申し出を辞退したのである。
今思うとこの判断こそが今の俺の悲惨な有様の原因だったのではないかと思う。
生来のコミュ障の陰キャである俺が公立中にいけばどんな目に合うのかは言うまでもない。
因みにこれを客観的にみると親は俺の気持ちを尊重して本人の意思を聞いた上で受けさせないとしたのであり、所謂教育ママとは対極を行くものであった。
ただ、一つ言わせてもらうならば普通の小学生に人生を広い視野で考えるのは不可能だ。
だからそこは俺が断っても念押しして欲しかった。
この投資が将来何倍ものリターンとして返ってくるのだから。
小6になる頃には引っ越しをし、転校することになった。
12歳というと自我が際立つようになる。
思春期の始まりだ。
それまでの自分とは違う、''何か''になりたいという気持ちが湧いてくる。
息子のネトゲ中毒っぷりを心配した母親は俺を心配して、口癖が「外でもっと皆とキャッキャッキャッと遊んできなさい」というものになっていた。
俺は不愉快な気持ちになった。
多様性なんてものはなかった。
ひょっとすると俺はマザコンだったのかもしれない。
これまで球技に興味がなかった俺は、転校先の小学校で知り合った奴から地域のソフトボール部に誘われた。
陰キャを脱するために陽キャが好みそうなこのスポーツをすることで俺は生まれ変われるのではなかろうか。
そう思いクラブチームに入ることになった。
結論から述べると最悪の選択であった。
そこにいるのは陽キャというより人の気持ちがわからないクソガキだったのだ。
俺はクラブチームに入ると、下手で引っ込み思案なことから同級生と下級生からいじめられるようになった。
この辺りから俺は社会に対してなんとも形容し難い憎しみを覚えるようになったのかもしれない。
小学生時代は前半まで楽しかった。




