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馬鹿な浪人の末路  作者: 蟻の船酔い
追憶編
15/20

7浪時代(後編)

2021年5月-2022年3月

5月

リュックサックに3年半の想い出をはち切れんばかりに押し込み、揺られる帰郷の電車は人知れず俺に安堵の気持ちを与えていた。

ようやく実家ニートが出来る。

もう働かなくてもいいんですね?

3年半前、医学部合格という野望を胸に、自らの意思で飛び出すように出ていった実家に、こうして落武者として帰ることになるとは、人生とはあまりに奇怪なり。


途中、雨が降り、車窓から見える濡れた村落は不思議と心と調和する魅惑を秘めていた。


医師になったら、こういう限界集落で開業するのもいいかもしれんな…。


俺は疲れ切っていた。

これがドラマだったら、見事受験に合格して輝かしい人生が始まるはずなのだろう。

しかしこれが現実なのだ。

アニメやドラマといった大衆娯楽に脳内が支配された現代人が陥りがちな罠である。


受験とは非情であり極めて現実的なものなのだ。

サクセスストーリーなどというものは俺の辞書には遂には記されることはなかった。



12時間の電車の旅を終え、ようやく地元の地を踏んだ。


「とうとう帰ってきちまった…」


当時はあれ程嫌っていた地元も結局、俺にとっては帰る場所なのだ。


負け犬の保護施設はここですか?


なにやら心がドロドロしてきそうなフレーズが頭をよぎった。


小学生から高校生まで過ごした街は、この3年半で所々変わっていた。

古民家は潰されて空き地になっていたり、空き地だった場所には新しくお店が建てられたり。


俺の知らないところで世の中は回っていた。


実家のマンションに帰ると、親が温かく迎え入れてくれた。


こんなドラ息子でごめんなさい。

こんな情けない姿を見せるつもりで家を出て行ったはずではなかった。

なかったのだけど、今はこの温かさをもう少し感じていたかった。


母親が腕に縒りをかけて作ったホカホカの料理。

久々に食べる母の味は3年半前のあの時と同じだった。


思えば一人暮らしを始めてからロクな飯を食っていなかった。

毎日同じような偏った食生活、ご飯を炊くのすら面倒なときはスーパーで大人買いしたカップヌードルを啜って顔までカップヌードルみたいな人相になってしまった。


その日は風呂に入って早めに床に就いた。


翌朝、目が覚めた。

父は既に仕事に行き家には母と自分の2人だけだった。


俺はケトルに水を張り、湯を沸かす。

珈琲を淹れて朝食を食べる。


今日は何をしようか。


これまでと勝手の違う生活だ。

何をすればいいのか自分でもよく分からない。

とりあえず散歩にでも出掛けるか。


俺が向こうに行っている間、この街はどれだけ変わったのだろうか。


昼から自転車で俺は自分の人生を見返すように幼稚園、転校する前の団地、小学校と見て廻った。


幼稚園の柵の隙間から見える園内。

20年前、俺は確かに此処に存在した。

しかしどうだろう。

今こうして存在している男はどこからどう見ても平日昼間から柵の隙間から園内の様子を窺っている無職の変質者だ。


どうしてこうなったんだろう。

20年という時間は、記憶的には昨日のようなものでありながら、その実、大きな隔たりがあるように感じた。


次に転校する前の団地を徘徊した。

かつて同級生と遊んだ公園。

裏山、雑木林……。

夏は友達と半袖半ズボンでこの草むらに入り虫にたくさん刺されながら虫取りをしたっけ…。

この公園の砂場、昔はよく穴を掘ったり山を作ったりしたっけな。

この公園の木、昔よく登ったな…


どれ、少し登ってみるか。

ヨッと。

俺は木の枝に腕を回し木登りを始めた。

高さにしてほんの2メートルで今となっては大したことはないが、子供の頃は登るのも一苦労だった。

木の上から見渡す景色は昔と変わらなかった。


感傷に浸っていると曲がり角から人の声がするのが聞こえる。

まずい、平日の昼間にこんなことしてたら不審者に思われてしまう。

俺はそそくさと木を降りた。


かつて俺が住んでいた団地の棟に着いた。

俺が住んでいた階まで階段を登る。

古い団地のせいか15年経っても誰も住んでいないようだった。

このドアの向こうには幸せだった子供時代の想い出が詰まっているんだ。

でもそのドアには鍵以上に分厚すぎる時間という物量がのしかかっていた。


ああ、俺はどうやっても過去の自分とは邂逅出来ないのか。

せめてあの時の、まだ何も穢れていなかった自分に逢えるのなら…


そんなことを思い、3階の踊り場で黄昏れること10分。

ようやく心の整理がつき、その場を離れようとした時だった。


階段を誰かが登ってくる音がする。

そっと様子を窺うと、なんと小学生の頃に同級生だった人の母親の姿があるではないか。


15年の歳月が経てば、その同級生家族も引っ越しているだろうと思っていたが、まだこの地に居たとは。


俺は思わずその同級生の母親に声を掛けた。

ひょっとしたら別人かもしれない。

しかしその特徴的なショートカットの髪型は15年前に見た北野くんの母親に違いない。


「あ、あの…!」

「!?」

「き、北野くんのお母さん…ですよ、ね?」

「え?そうだけど……えと、どちら様?」

「あ、ぼぼ僕は、その、昔ここの棟に住んでいて、北野くんとはその、友達でして…」

「ん?あー!確か上の階に住んでた子だよね!名前はたしか…」

「中村です」

「そうそう!たしかそんな名前だったわ。でもどうしてここに居るの?」

「ちょっと昔を思い出して徘徊してました」

「こわっw不審者じゃん」


心外だな。


「せっかく会ったし、明誠に中村くんが来たこと伝えておこうか?電話番号持ってる?」

「あ、はい。090-###-#### です」


こうして15年会っていない小学校の同級生とのパイプが得られた。




6月

当初は実家寄生ヒキニートをしてやろうと考えていたが、今度北野と会う約束をしたので、ニートというのは流石に分が悪い。

そこで何か俺にも出来そうな出来るだけ楽しそうな仕事はないかとアルバイトを探した。


出来れば明るい職場がいいなぁ。

面倒なクソ客はいなくて、それでいて身体を使う系の仕事はないだろうか。


画面をスクロールしていくと、興味深い募集を見つける。


『忍者学園シックスナイン』


ほう、シックスナインですか。。


詳しく調べてみるとどうやら子供の運動をサポートする仕事らしい。

その業態も実に幅広く、走る、飛ぶ、投げる、、その他6種類の動きを総動員させて、発達段階の子供の身体能力を育てるといった趣旨のスクールのようだった。



…コイツァ面白そうだ。


俺は早速電話を掛けた。

「あ、もしもし、あの、ネットでアルバイトの募集を見たのですけど、はい、はい、そうです、是非面接を、はい、はい、あー、お願いします、はい、では、はい、失礼します。」


3日後に履歴書を持参して教室まで来るようにとのことだった。


俺は証明写真を撮ってきて、履歴書を書き始めた。


子供の教育に携わるものだから、出来るだけ危ない思想を持ってそうな奴じゃない、つまり爽やかさを演出しなければいけないよな…

てことは、やはりネックになってくるのはこの気持ちの悪い経歴…。


どこか弄れるところはないだろうか。

この際、多少の経歴詐称は仕方あるまい。

まず、大学中退は無かったことにしよう。

初めから高卒で、高卒後すぐに食品工場で働いたことにして、それから3年勤めたけど辞めて、親戚のツテで田舎の葡萄農家を手伝うことにしてそこで4年滞在していたということにしよう。


まぁ、一般的な人に比べるとなかなかエグい経歴であることに変わりはないが、2浪Fラン大中退アルバイト経験しかない医学部志望の7浪と正直に話すよりは100倍マシだろう。

ギリ学歴詐称にはならない!

ギリセーフだ!!!


面接当日

髭をしっかり剃り、普段つけないワックスを髪に塗りたくり、鏡で爽やかな笑顔の練習した。


いざ往かん。


「あ、あの、ど、ども!こんにちは、あ、あの、面接の予約をしていたな、中村ですけど…」

「あー、中村さんね。どうぞコチラの席でお待ちください」

「は、はい!」


しばらくすると教室長と見られるおじさんが現れる。

「えーどうも、本日面接をさせていただきますよろしくお願いします」

「は、はひ!よ、よろしくお願いします」

「まぁまぁ、そんな緊張しなくていいからね笑 気楽に面接しましょう」

「は、はい…」

「えーと、じゃあまず志望動機から聞かせてもらおうか」

「はい!えーと、僕は小さい頃から忍者が好きで、えとその、なんだろう。子供の成長に携われる仕事がやりたいなぁと(営業スマイル)」

「なるほどね。」


それから面接官は経歴欄に目を通す。


「えーと、歳は24歳で、、高校卒業後、地元の食品工場に勤めると…ふむ、えとちょっといいかな、ここのところなんだけど、なんで会社を辞めちゃったのかな?」

「あー、それはですね…まぁ、そのなんか思ってたのと違うなぁとか…笑」


や、やべぇ帰りテェェェェェ!!!!


「あー(失笑)まぁ、そういうのもあるよね。それから…親戚のツテで他県に一人暮らしと……」

「はい…(もういろいろとツッコまないでくれ…)」

「ふん、まぁいいでしょう。では今から簡単な適性検査をやってもらいます」

「ふ、ふぇ!?」

「まぁ、そんな難しいものじゃないからね。肩の力を抜いて大丈夫だからね笑」

「はうぅぅ…」


そして紙が配られる。

紙には問題が書かれていた。


簡単な計算問題と漢字のテストだった。


これで超が付くほどの脳筋バカを排除するつもりなのだろうか。


俺はささっと解き終えて回答用紙を渡す。


「ふんふんふん、おお!満点だねー!凄いじゃん」

「あざます笑」


面接はそれで終わった。

1週間以内に採用結果を知らせてくれるようで、その日はそのまま家に帰った。


帰宅した後、我ながら自分の吃り具合に嫌気がさして鬱になった。



面接結果が来るまで暇だった。

朝起きて通知のないLINEを開いては閉じ、適当な面白そうなYouTube動画を漁っていた。


つまらん…。


どこか旅行に行きたいなぁ。


そうだ 京都、行こう。


翌朝、単身京都へ乗り込んだ。


ほう、ここが東本願寺ですか。

ほう、ここが清水の舞台ですか。

ほう、ここが八坂神社ですか。


………。

疲れた。帰るか。



3日後、忍者学園シックスナインから採用の電話が来た。

晴れて俺はスポーツインストラクターとなった。


因みに、それ以外にも学習塾の面接をいくつか受けにいったのだが、悉く落とされた。


履歴書には高卒で医学部を目指していて、去年の共テでは74%と惜しいところまでいったと下駄を履かせたつもりだったが、結局向こうは学歴という実物にしか興味がないらしく、高卒の訳の分からん人間は採る気が無かったらしい。


ふん、くだらん。

学習塾のアルバイトとかどうせ頭の悪い大学生しかおらんやろうし落とされて正解だったわ笑



忍者学園シックスナインは採用の連絡を受けた2日後に初出勤をすることになっていた。


初めてのスポーツインストラクター。

子供の健全な健やかなる成長を手助けする聖なる尊い仕事。

まさに俺にピッタリじゃないか。


はい。むしろ俺の心を健全で健やかなものにしてください。もう鬱病でタヒにそうです。


教室へ向かうと初日は他の先生が指導している様子を見学するだけだった。

翌日からは授業に参加した。


忍者学園シックスナインは幼稚園から小3の子供たちにスポーツの楽しさを伝える教育機関だ。


はい、むしろ僕の方が教えて欲しいですよ。

僕は小学、中学と団体球技に運悪く入ってしまってトラウマを患った者です。誰か僕の心を癒してくれる人は居ませんか?


しかし、そんな気持ちとは裏腹に子供たちは天真爛漫に元気に笑顔を見せてくれる。


「センセー!ボール投げるから見てて!」

子供がボールを勢いよく壁に向かって投げる。


「わぁ!すごい!とても速く投げれるんだね!」

「うん!家でも練習してるから!!」


少年は歯茎を見せてニカッと笑ってみせた。

少年のそんなあどけない表情に俺の心は少しずつ氷解していく。


「先生!私のフラフープも見て!」

女の子がフラフープを披露する。


「わぁ!上手だね!」

「えへへ」


かわいい。


やはり俺はコンビニや飲食店で働くべき人間じゃなかったんだ。


これこそ俺がするべき仕事だったんだ……


と思いつつ、心の底には医学部に行って医者にならねばと囁き続ける自分がいた。




6月末

北野くんと15年ぶりの邂逅を果たした。

北野くんは昔の面影を少しだけ残し、立派に成長していた。

高校は行かずに通信制高校に通い、卒業後は工場に勤務し、先日、通信制の大学の心理学コースを卒業したという。


「中村くん、久しぶりだね〜元気してた?」

「あーうん、まぁぼちぼちね笑 北野くんは?」

「僕はそろそろ今の仕事を辞めて、ある人の元で修行を積もうかなってところかな」

「修行!?」

「メンターがいてね。その人の元で営業スキルとか学んで将来起業の役に立てばいいかなって」

「はえー、すごいなぁ」

「俺は今スポーツインストラクターやってるよ」

「ほお、あの中村くんがねぇ。そういえば小学校のときもよく体育の時間に暴れていたよね笑」

そんなに暴れていただろうか…


他にも北野くんはホストをやっていたりと様々なことに触手を伸ばしていた。


「中村くんって小学校の時転校したじゃん。あれからどうしてたの?」

「え?まぁ普通に近所の中学行って、公立高校行って、、そっから、、、」

口籠った。


俺は幼馴染相手にさえ自分の過去を隠そうとしてしまう。


「そこから、、まぁぶらぶらしていたね。」


「ぶらぶらかぁ笑 因みに大学は出たん?」

「いや、出てないね」

「そっかー、まぁいろいろあるわな」


それきり心優しい北野くんは俺の身の上をそれ以上深掘りしなくなった。


俺が逆の立場だったら特殊スキル『下衆の勘繰り』が発動して相手の言いたくないことも根掘り葉掘り聞き出していた筈だ。

尤も最底辺に堕ちてしまった今の俺にそんなことをする資格は残されていないのだが。


それから2人で近所の公園を散歩したりしながら昔話に華を咲かせた。


あの子可愛かったよねとか、あの子今どうしてる?とかあの子のこと覚えてる?とか

まぁそんな話だった気がする。


一頻り話すと北野くんは明日早朝から仕事があるからと言って別れた。



隔絶された過去を北野くんという存在によって、パイプが繋げられたような気がした。


小学校の頃に離れ離れになった友人と、大人になってから逢うというのは長年閉まっておいたタイムカプセルを開けた時の感覚に近い。




7月になった。

俺は地元に帰って以来、休日に近所の公園で筋トレをするのが趣味になっていた。


有料のジムに行くほどの金はないし、それならお天道様の下で、子供たちが無邪気に遊ぶ声を聞きながら、公園の遊具やベンチを使ってやった方が良いのではと思い至ったのだ。


遊具を使って筋トレをしていると、子供たちから興味を持たれたらしく、あれやってこれやってと言い寄られる。


「ははは、仕方ねーなぁ」

そういって鉄棒で逆上がりをして見せたり。


それでキャッキャッ喜ぶガキどもを見てるとこっちまでなんだか嬉しくなっちまう。


すると遠くの方から何やら妙な視線を感じる。

子供たちの母親が俺のことをジッと見ている。


んだよ、ジロジロ見てんじゃねーぞ。

俺はオメェらの思ってるような不審者じゃねーぞ。


どう思われているか真相知らないが、俺は咄嗟に自分のことを不審者として見られているような気がした。


そうして和気藹々と戯れあっていた子供たちと距離を置いた。


グスン……ただ俺は子供たちと遊びたかっただけなのに……

幼少期の追体験をしたかっただけなのに…。



また別の日は忍者スクールで鍛えたアクロバテックな動きを再現するべく、公園の広場で走り回っていると足を滑らせて肘からずり転けてしまった。


生憎、半袖だった為に、左腕は血まみれ。

近くの水道で汚れを落とし家に帰った。


結局この怪我が完治するまで2ヶ月掛かってしまった。



8月になった。

一人暮らしの時からやりたかったけど騒音問題のことから出来なかったギターをAmazonで購入した。

前々から弾きたかったJimi Hendrix のpurple haze と little wingを練習しまくって、途中で荒削りではあるが弾けるようになって満足して弾かなくなった。


ギターは難しいのだ。

正直、弦の硬さとか経験者に直接教えてもらわないと分からないことばかりで、どの状態で、どんな感覚で弾くのがいいのか独学でやるには難しすぎる。

まだベースの方が簡単なのではないかとさえ思った。



9月になった。

一人暮らし時代のコンビニ夜勤、度重なるストレス、喫煙、インスタント食品などの不摂生が祟り、前髪の後退が目立つようになってきた。

俺はこんなに禿げていただろうか。。


少なくとも実家を出た時よりかは確実に後退している。

向こうの暮らしでは全く対策をしていなかったわけではない。

一本5000円する育毛剤を塗ったり、頭皮マッサージをやったりもした。


しかし、この手の処置には限界があるのだろう。

そろそろしっかりとした医学的な処置が必要なのだろうか。


俺はAGAクリニックを調べた。

すると何件かヒットしたので、そのうちのレビューが最も高い医院を選んでカウンセリングに行った。


カウンセリングには小綺麗な身なりの女性が案内した。


俺は早速マイクロスコープで頭皮の状態を診てもらった。


「ふむふむ、なるほど…」

「ど、どうですか?」

「中村さんの頭皮は、だいぶAGAが進行して、はっきり言ってこのままにしておくと近いうちに禿げてしまいね…」

「ハ、ハゲ…」

「でも大丈夫、安心してください。当院のAGA治療プログラムを受ければAGAの進行を止めることができます」

「ほ、ほあぁ」


それからカウンセラーはAGAとはそもそも何ぞや、何をもどうしたらAGAは改善されるのかと説明をした。


「という感じなので、うちの医院を選んでいただいたのは大正解です」

「ほ、ほあぁ…」

「では料金プランについて説明させていただきますね」

「ふ、ふにゃあ…」

「治療期間は基本的に1年間で、ノーマルプランが年間10万円、スーパープランが年間30万円、スーパープログレッシブプランが年間70万円になります」

「な、な、七十万円!!???そんな大金払えないにゃあ!せめてスーパープランにしてもらわないと!!」

「うーん、でもスーパープランだと効果としてはあまり保証はできませんね…」

「にゃんですと!?」

「やはり効果を実感していただいているお客様の大半はこのスーパープログレッシブプランをご利用されてまして、ノーマルやスーパープランだと進行を遅らせることは出来ても、増やしていくことはできないんですよ」

「ぐぬぬ…」


くっそー、こんなことだろうと思ったぜ。

これだから美容業界は。客から金を巻き上げることしか考えちゃいねぇ。ほんまアコギな商売やで。

医者になった暁には是非とも美容業界で働きたいものだ。


「そこで中村さんに提案があります」

「はにゃ?」

「実は当院では今特別キャンペーンをしておりまして、先ほど言った70万円のスーパープログレッシブプランを今なら40万円にまで値下げして、更に通常だと含まれない発毛促進成分が入った薬を頭皮に直接注射していくプランもお付けします!!このキャンペーンは今日で終わりなので中村さんは非常に運がいいですよ!」

「でもなぁ…40万円はさすがに払えないよぉ…」

「うーん……ッッッ!!!!よし!!じゃあ更に特別に!5万円差し引いて35万円でどうでしょうか!!さすがの私もこれ以上下げられません。今でもかなり胃が痛くなっています!」


は、はぁ…なんやねんこの演技派女優。

まぁ事実、どうせ他の医院に行っても同じようなもんだろうし、この治療を受けないと俺の頭髪は数年後には無毛地帯と化しているんだろうな。

そう考えるともうこの商談に乗るしか選択肢は無いのだろうか。


俺に残された貯金額は50万円だった。

ここで40万円を使うと、Amazonで自由に買い物したり、外食をしたりする金が無くなるというわけだが…


「うーん」

「最終的な判断は中村さんが決めることですよ」

「うーん」

「どうしても納得できないというのでしたら今回は縁が無かったということで仕方ありません。自分の本心に従ってください!」

「ちょっとお母ちゃんと相談してきていいですか?」

「どうぞどうぞ、では私は少し席を外しますね」


さて、どうしたものか。

母親に電話をかける。

「あ、もしもし」

「あー和馬今どこおるん?夕飯できてるで」

「あいや、それがさ、その、今AGAクリニックにいて」

「はぁ?AGA?あのハゲのやつか?」

「う、うん」

「え、あんたそれ受けるん?」

「うん、そう考えている」

「で?料金はいくらかかるん?」

「35万円です…」

「35万!?…ということはあんたの給料の…9ヶ月分!?」

「馬鹿!そんな計算はしなくていいの!み、認めてくれるの?どうなの!?」

※和馬くんは週2勤務のアルバイト(25歳)なのだ

「ふーん、まぁ自分の貯金を使うんならええけど」


まぁ、こんなもんか。


しばらくの沈黙の後、カウンセラーが扉をノックして入ってきた。

「どうでしたか?」

「はい、治療を受けてみようと思います」

「そうですか!それは良かった!!では今から院長先生の面談を受けてもらいます。しばらくお待ちください!」


そういってカウンセラーは嬉々として部屋を出ていった。

扉をノックする音が聞こえる。


「こんばんはー」

身長190cmはあろう恵体の、のっそりとした白衣を着た医者が入ってきた。

「当院の治療プログラムを受けていく中で何か聞いておきたい不安なことはありますか?」

「いえ…特には…」

「そうですか、また何かあれば当院のスタッフにお声掛けください。では面談は以上になります」


カウンセラーとのやりとりが2時間続いたのに対して、医者とのやりとりは僅か20秒だった。


こんなんで年収2000万くらい貰えてるんだろうから医者ってのは楽な商売ですわ。

ホンマ腹立つわ。クソが。


数年後にはそこに立っているのは俺だかんな。ボケが。


医者を見ると自然と嫉妬してしまうこの性格を診てもらった方がいいのかもしれない。


その日から、大金と引き換えに得た錠剤と育毛剤を夜寝る前に塗布する日々が始まった。


9月末

共通テストの申し込み日が近づいてきた。

他県で一人暮らししていた時は、卒業証明書は郵送して貰っていたが、地元に帰ってきたということで母校まで直接取りに行くことにした。


電話でアポを取り、自転車で母校に向かった。

4年ぶりに見る高校は俺が卒業した当時と変わっていなかった。

高校とはタイムカプセルだ。

きっと何十年先に訪れても卒業した当時の姿のままそこに存在しているのだろう。

俺がお爺ちゃんになったときに、また母校を訪ねることがあれば、高校生だった日々を昨日のことのようにありありと思い出すのだろうか。

そんなことを考えながら、当時の想い出に耽りながら校内を徘徊していると、何やら視線を感じるではないか。


確かに誰かに見られている。

だが振り向いては駄目な気がする。

俺の直感がそう告げている。

スルーしようとその場を立ち去ろうとしたら後ろから「こんにちは」と大きな声で声を掛けられた。


見たところ生徒指導の教員らしく、学生が授業中に校内の清掃をしているらしかった。


「どこへ向かっているんですか?」

その目はかつての在校生に向けられるものではなかった。

確かな疑念が篭ったその眼光に俺は心を割られる思いをした。

「事務所まで…」

「そうですか、事務所は向こうの階段を上がって2階ですよ」


知っとるわボケ、こちとら何回ここに来とると思っとんじゃカスが!!


「あ、はい。」


俺は急に気分が悪くなり、ツカツカとその場を後にした。


廊下を歩いていると高校生が授業をしている。

これは想い出として残さないといけないねぇ。

俺はスマホを取り出し、後輩たちを動画で撮影した。


え?この行動が既に不審者そのものだって?

いやいや、私もかつてはこの高校の生徒だったんですよ?

私にもそれを撮る権利はありますよ??んーー?????


事務所にたどり着く。

「あ、あのー、、予約していた中村ですけど……」

「あー電話の子ね、はいはいちょっと待ってね」

「は、はいー…」


俺は500円を払い卒業証明書を受け取った。


今年こそはこんな惨めな生活を終わらせる。


俺はそう心に刻み秋の学校を後にした。




10月になった。

俺は以前から不調を感じていたメンタルが実家に帰った後も、一向に良くならないことに焦りを感じていた。

実家に帰り、健康的な食生活をし、下品なラップを延々と唱え続けるゴミカスクソラッパーと1分間に一度咳払いをしないと気が済まないチック症患者の隣人から解放され、仕事も無理のない勤務時間になり、過去に虐められてそれがトラウマになっていることと、7浪していること以外、特にメンタルを病む要素が無い様に感じられた。


あれやこれや苦しみの原因を探ってみても、過去のいじめのことは取り返しのつかない変えようのないことであり、現在の受験も一朝一夕でどうこうできることでもなく、もはや自力の救済は不可能なように感じられたので、メンタルクリニックを受診することに決めた。


近所の精神科を検索して、レビューが高いところに行くことにした。

電話をかけて最短の初診日を訊くと1ヶ月先だと言われて呆気に取られたが、どこも似た様なもんだろうし、1週間後か1ヶ月後かでメンタルにさしたる差もないだろうと思い承諾した。



10月の秋晴れの日、俺はいつものようにiPadでネットサーフィンをしていた。

バックグラウンドでYouTubeの音楽、メイン画面で電子漫画を読んで機器にそれなりの負荷をかけて娯楽に耽っていると、突如iPadの画面が真っ黒になった。


ん?おいおい、電源ボタン押した覚えはねぇぞ。

なんだぁ?バグか?

電源ボタンを押して画面をつけようとする。

しかし何度押しても画面は暗いまま。

再起動をするべく長押ししても画面はつかない。

俺は嫌な予感がした。

それからiPadを1時間ほど充電器に繋いだ。

きっと大丈夫だと念じて電源ボタンを押す。


つかない。


おいおいおいおいおいおいおいおいおいおいーーーーー


オ''イ''ーーーー!!!!!


完全に故障した。


中にはLINEの400人を擁する浪人オプチャの管理人のアカウントがあるんだぞ!?


このiPadが壊れりゃ、副管理人たちを制御できなくなるじゃねぇか、、


この頃、浪人(大学受験)のオープンチャットには那浪帯という副管理人がいた。


那浪帯はその働きぶりから俺が見込んだ謂わば浪人グループを取り仕切る俺の片腕だった。

しかし奴のやり方はしばし過激だった。


少しでも口調が荒い人間がいると管理者権限を使って退会(通称:お前、船から降りろ)させるのだ。


確かに俺は、グループを作った当時から薄々感じていた構成員の口の悪さに閉口していた。

ある種の嫌悪感すら抱いていた。

そこで100にも上る禁止ワードを設定し、その単語を含む文章は自動で消去される仕組みを作っていた。


その取り組みに賛同してくれた那浪帯を副管理人に登用するのは自然な流れだろう。


しかし、そのやり方は時々度を越すものもあった。

明らかに那浪帯自身の鬱憤晴らしによる八つ当たりのような対応も見れた。


しかし、その破茶滅茶ぶりに俺の嗜虐心は共鳴した。


いいぞ。もっとやれ。

俺はいつからかそう思うようになった。

画面を見ては、おっ、また那浪帯が暴れてらぁとほくそ笑んだものだ。


しかし、それはあくまで那浪帯が取り返しのつかない暴走をしないことを前提にしてのことだった。

那浪帯が暴走したいざという時には、管理者権限を使って副管理人の権限を剥奪することができるという安全装置ありきの平和だった。


それが喪った今、このグループの行く末は途端に暗闇へと向かっていくことが確定した気がした。



iPadは業者に見せてもデータの復元は不可能という引導を渡され、俺はこのグループを半分諦めた。


半分というのは、こんなこともあろうかと、もしもの為にスマホのLINEのアカウントを副管理人に設定していたからだ。


副管理人のうちの誰かがジョーカーならないことを祈って、日本最大の浪人のプラットフォームを護っていくことにした。


誰も傷つかない(汚い言葉を吐く人は含まれない)平和なグループがこの界隈には必要なのだった。



10月末

北野の近所の居酒屋で呑んだ。

この頃、北野は工場を辞めて以前に行っていた営業職をやっていた。

「中村も営業やってみない?いろんな企業の社長とも話せて良い経験にもなるで」

「ははは…俺は…まぁいいかなぁ」

俺は医学部にしか興味がなかった。

「ふーん、そっか。。まぁいいや、今夜は呑もうぜ!」

「おう!」


その日はふらふらになるまで呑んだ。


その翌日は北野の紹介されたメイド喫茶に行ってみた。

「いらっしゃいませ〜ご主人様ぁ♡」

ちょうどハロウィンのキャンペーンをやっているらしく悪魔のコスプレをしたメイドさんが出てきた。

メイドさんたちは魔女や悪魔の恰好をしていた。

興醒めだった。

メイドといえばメイド服だろうよ。

王道のメイド服を見れずになんでハロウィン衣装のコスプレ女を金払って見なけりゃならんのよ。

俺が見たいのは清楚系長袖長スカートのあのメイドさんなの!!!


と、そんな不満をメイド本人言っても仕方がなかったので、適当なスイーツを頼んで、三十路のメイドに萌え萌えキュンされた。


「お会計2500円でーす♪」

スイーツを一杯で2500円か。なんか違うなぁ…。



11月になった。

10月の月初めに予約していたメンタルクリニックがようやく受診できるようになった。


人生初の精神科。

昔は人生に失敗した敗者が流れ着く場所だと思っていたが、どうも最近の認識だと違うらしい。

昔に比べて精神科の敷居が低くなって、患者としても受診しやすい環境になったように思える。


待合室で看護婦から問診票を渡され、次々に穴を埋めていく。

む、最終学歴かぁ…

精神科は他の科と違って患者に学歴も聞くのかぁ…。

まぁ学歴コンプレックスなる言葉があるくらいだからメンタルと直結しているのだろう。

俺は嘘をついても仕方がないので、Fラン大中退と書いた。


暫し待つこと数十分。

診察室に通された。


「こんにちは」

そこに座っていたのは40代後半と見える男の医者だった。


俺が通された部屋はどうやら中堅私立医出身の医者の部屋だったらしい。


そう思ったのも、他の医師は難関旧帝医卒の超絶エリートだったからだ。


どうせなら超がつくほどの秀才に診てもらいたかった。

秀才と診察を通して話すうちに何か受験のヒントが得られるのではないか。

そう思ったのだが、通されたのは中堅私立医の医師の部屋だった。


まぁ、しかしそれを理由にチェンジすると言うのも失礼なことだろう。

第一、Fラン大中退の俺にそんなことを言える資格は無いのだ。


「こんにちは」

「中村和馬さんだね。問診票によると大学を中退した後、他県で3年ちょっと一人暮らしをしていて、最近帰ってきたと。ふむふむ、ほんでーメンタルの不調を感じ始めた時期が高校1年生かぁ。随分と長いこと放置していんだね」

「は、はぁ…まぁ当時は耐えられないほど苦痛はありませんでしたから…」

「うーん、メンタルは早いうちに対処しないと駄目だよ。治療が遅れればその分だけ完治し辛くなるから」

「はぁ…それで、僕は何か病気なんでしょうか……そのう、鬱というか…」

「ああ、鬱だね」


医者はあっけらかんとした口調でそう言った。


「過去のトラウマを何度も思い出して、就業も覚束ない。これが鬱じゃなかったら何というんや。」


なるほど、確かにそうだな。

寧ろこれで鬱じゃないよ、あなたの性格の問題ですなんて言われたらそれはそれでキツいものがある。

鬱という隠れ蓑を公的に用意してもらうことで、俺のこれまでの心理現象は病気のせいだという言い訳ができるわけで。


そういえばツイキャスでよく話していたラルゴも言っていたっけな。

「俺は精神疾患だから仕方ない」と。

当初はそれって結局お前の甘えじゃね?

それを言ってしまえば何でも許されると思ってんじゃねぇか?と思っていたが、実際自分がなってみると、如何に自分が愚かな考えを持っていたか身に染みる。


「トラウマというのは犬みたいなもんや」

「といいますと?」

「走って逃げたら追いかけてくるやろ?」

「たしかに」

「だから完全にトラウマから逃げ切れるとは思わないことやね」

「そんなん言ってしまうと絶望しかないじゃないですか。僕はこの先一生、このトラウマを背負って生きていかなきゃならないんですか?」

「だからや、まずはエネルギーを蓄えんといかんのや」

「エネルギー?」

精神科でそんなふわふわした言葉を聞くとは思わなかったので思わず訊き返した。

「エネルギーって…なんですか?」

「エネルギーはエネルギーや。何かをやろうと思った時にすっと動けたりするとエネルギーが高いと言える」

「はぁ…」

なんとも釈然としない。

「ほんでそのエネルギーを蓄えん限り何をしても無駄や。エネルギーの枯渇した状態でどんなに考えを改めようとしてもプールの水に一滴のインクを垂らすように全くもって無意味や」

「そのエネルギーってのをもっと他の表現で言えませんかね?」

「うーん、例えば寝るやろ。朝目が覚めた時によく寝たー気持ちいいと思えるかどうかや」

なるほどそう言われるとこの医者のいうエネルギーがどういうものか大体分かった気がした。

確かに俺は精神に不調が出て以来、寝起きが最悪、いわゆる絶起しか経験していなかった。

どんなに寝てもいつも頭の中にモヤが掛かったような感じがして、ずっしりと重たく感じていた。

それがエネルギーを満たしていくことで解消されるということらしい。

「ではそのエネルギーというのはどうすれば増えていくのですか?」

「よく寝ることや」

「は?」

良い睡眠ができないからエネルギーを増やさないといけないのに、その方法がよく寝ることとは。トートロジーなのではないか?蛇が自分の尻尾を噛むあの絵を思い出した。


「寝られないから困ってるのに寝ろと言われて困惑してるやろ。だからそこで睡眠薬を使うんよ」

「なるほど。でも精神薬って本当は使わない方がいいんじゃないんですか?」

「そりゃそうだけど使わんと良くならんぜ?現に使わずに10年間生きてきて改善したか?」

そう言われると何も言い返せない。

「そういうわけだから今日から薬を夕食後に3錠飲むように。いいね?」

「あの、それっていつまで続くんですか?」

「まーたそんなこと考えて、それも鬱病の症状や、治ってもいないのに先のことを心配する。所謂取り越し苦労ってやつやな。それを過敏性が上がってるって言うんよ」

「過敏性…ですか?」

「そう、エネルギーが高い状態なら気にしないことも気になって仕方なくなることあるやろ?」

「ありますね…」

「それや」

「なるほど…」


俺はもっと他にも心配なことを訊こうと思ったが、過敏性の話をされて釘を刺されたので、それ以上訊くのを辞めた。

とにかく今はこの精神科医のいうように薬を飲んで寝ることなのだろう。


「ありがとうございました」

「お大事に」

俺は診察室を後にした。


その晩から精神薬を飲み始めた。


飲むと1時間後には目も開けてられないほどの睡魔に襲われてベッドに倒れ込んだ。

これが眠剤の力…か………。




11月中旬

修浪さんとツイキャスで通話する。

彼の語り口は実に軽快でそれでいて破壊的だった。

通常、破壊的な語りには影が付き纏うものだが、彼からは何故かそれを感じない。


「ぬぁぁぁぁあん僕たちもうどうなっちゃうんだろうこのままタヒぬのか?おお?タヒぬのかぁぁ??笑笑どうせタヒぬなら僕たちで他の幸せな人間を道連れにしてやりましょうよwwww令和のジョーカーになりましょうやぬははははははははwwwwヒョーヒョッヒョッヒョッwwwwキェェェェェエエエエエwwwwwwwwww」


彼の笑い声はまさしくジョーカーそのものだった。

それを聞いた者は皆畏れを慄き忽ちにして精神のカタルシスが起こるのだった。


通話した後は言い知れぬ充足感に満たされる。

このカラカラに乾涸びた浪人生活に垂らされる一滴の恵みの水であった。




1月

2021年が終わり、新たな年が始まった。

元旦の朝は新年を慈しむ為に独りで地元の神社に参詣した。

帰り道にショッピングモールに寄り、独りで新春の雰囲気を味わう。


帰宅すると台所から何やら芳ばしい香りが漂ってくる。

「おかえり和也、お雑煮できてるよ」

母に勧められるがまま、雑煮と御節を召し上がるのだった。



まぁ、元旦くらい受験のことなんか忘れてもいいよね。

明日から頑張ればいいや。


このとき共通テストの過去問、予想問題集は疎か全教科の基礎的な問題集も満足に出来ていなかった。


しかし、この異常事態がこう毎年の如く続くと奮起して猛勉強するという気も起きなくなってくるものだ。

24時間365日、常に受験のことが頭をよぎり心理的に緊張状態が続いているといざという時に粘りも効かなくなってくるもので、その行動は医学部を目指す受験生という像からは乖離していた。



1月14日(共テ前日)

朝から出来るだけのことをしようとした。

実家に帰って仕事の量も減らして生活の負担は大分と減っているのだ。

それなのに結果を出せないのは余りに情けない。

それを阻止する為に残り15時間で何が出来るか朝から考えた。

残り15時間……


無理じゃない哉ァ…


もうなんか終わった気がする。

もう今から何かやっても無駄なんじゃないか。

と、諦めムードの中、世界史の薄い参考書を開いてまだ覚えきれていなかった近代史を暗記していく。


他の科目もやっていったらあっという間に昼が過ぎ、夜となった。


明日で今年の総決算となるとソワソワして眠ることができなかった。

まだ何かできるのではないか、いや、でも今からやってももう遅い。早く寝た方がいい。

こんなことを考えては右往左往していた。


結局早朝の5時に寝て1時間寝ただけだった。


試験当日はパフォーマンスとしては最悪だった。

眠いし怠いし100%医学部合格に必要な最低ラインである7割はとれないし、まったく何のために今から試験場に行くのかまるで理解できなかった。

しかし理解はできなくても漢には行かなきゃならないときがあるのだ。

そう教えてくれたのは……誰だったか、忘れた。

どうせロクでもないクソアニメのしょうもないキャラクターのセリフだろう。



父親から激励の言葉を受け取り、罪悪感の下出発した。


試験会場は現役から2浪まで使った地元の国公立大学だった。

3浪から6浪は別の県に居たので、ざっと5年ぶりの会場となる。

そんなことを考えると次第に哀しくなった。


見慣れたキャンパスには何世代も後の高校生たちが各々参考書を眺めたり、同じ制服を着た仲間と話していた。


そんな姿を見ていると7年前、ここで受けたセンター試験の想い出が蘇ってきた。


なんで俺は此処にいるんだろうか。

なんで俺はこんな何歳も歳の離れたガキどもと同じ試験を受けなきゃならないんだ。


負の感情が止まらなくなってきている自分にハッと気づき、冬の冷たい空気を肺いっぱいになるまで吸い込み、吐いた。



教室がある棟の入り口には昔馴染みの灯油ストーブが置かれていて、そこから漂う灯油の匂いはかつて子供時代、正月になれば毎年訪れていた田舎のおばあちゃん家の匂いを思い出した。


嗚呼、あの頃は良かった。

試験のことなんか何にも気にしなくてよかったんだから。

将来のためとか、学歴とか、年収とか、人生の掛かった競争とか。

そんなものとは無縁だった。


なんで俺はここに居るのだろう。


時代から独り取り残されているような感じがする。

不安と焦りに身体が硬くなるのを感じた。


教室は理系受験ということもあり男だらけだった。

俺の人生男としか接点がないな。



試験官が教室に入ってきて、毎年恒例のグダグダと分かりきったことを事細かに説明していく時間を、これからの人生どうするかと心が張り裂けそうな心持ちで過ごした。


試験の注意とかそんな誰でもわかることを馬鹿丁寧に説明する必要ないから試験の答え教えろやこのハゲ!!!


こんな悪口が言えるのもハゲきっていない今だからこそ言えることなのだ。

しかし、俺はそう遠くない未来にハゲる運命を確信している。

それは小学時代のソフトボールクラブでの嫌な奴らと同じ空気を吸ったあの日から、中学時代のバスケ部でのいじめ、屈辱、恨み、高校受験の失敗、高校でのぼっち生活、大学受験の失敗、その度重なる失敗と着々と社会の底辺モンスターへの階段を登っていっていることから自明のことだった。


ハゲずに生きていくにはあまりにストレスが多すぎた。



試験の時間は淡々と過ぎていった。


1日目の文系科目の試験が終わり、自宅に帰ると父が「おつかれ!試験の手応えはどうだった!?」と訊いてきた。

俺はあーとかうーとか、まぁ曖昧な返事をした。

すると父は何かを察したらしく夕飯ができてるから食べようと言った。


飯の味がしない。

食っている気がしない。

自分で決めたことをやり切れずに、それでいていつまでもそこにぶら下がり続ける自分が嫌いだ。

結局、夕食は殆ど喉を通らなかったので早めに切り上げた。


1日目で国立医学部は100%不可能だと確定したのだ。


試験は量子論に似ている。

受けるまでは可能性は確定していないが、受けた直後に確定するあたりが。


俺はシュレディンガーの猫の箱の中身見てしまったことになる。



苦しくなったので精神薬を飲んで寝た。



翌朝、共通テスト2日目

朝のニュースを見てると東大の共テ会場で受験生が高校生に刺されたという話が流れてきた。


ふむ、天は人に二物を与えず…か。


朝飯を掻っ込み家を出た。


2日目の理系科目は1日目と違い肩の力が抜けて事にあたれた。

というより今年は100%医学部合格が不可能だと確定したから何をやっても無意味と悟り肩の力が抜けたのだ。


昼休みは参考書を開くのやめて外の日当たりの良いコンクリートで背に仰向けになってお昼寝をした。


来る途中のコンビニで買ったカロリーメイトを貪りながら、LINEの浪人オプチャで傷の舐め合いをする。

実に惨めだが今の俺にはこうすることしか出来なかった。


数学、物理、化学と試験が続き、漸く今年の共通テストが終わった。


手応えとしては5割前後だった。


俺はまた来年もこの地に来るのだろうという予感の下、試験場を記念撮影して回った。


帰りにファミリーマートでスパイシーチキンを買うとパサパサの廃棄寸前のものが出てきた。


運の悪さは凡ゆる処に伝播する。

一つだけ運が良くて他は悪いなんてことは基本なく、運が悪い時期はとことん運が悪いのだ。

今回の運が悪くなった原因は共通テストにあった。

ただそれだけのこと……あぁ、イライラする。

帰宅したら親に何というか…


帰宅した。


「おかえり!疲れたろ!お風呂入ってゆっくり休みな!」


テストの結果を聞いてこないだと?

思えば俺は高校3年生以来ずっと親との会話にテスト関係の話題が入ってくることを恐れて生きてきた。


世の中には実弾銃やミサイルが飛んでくる世界で生きている人たちもいるというのに、そんなリアルなタヒと直結する世界で生きているわけでもない僕がなぜ親との会話にここまで怯えなければいけないのだろうか。

と思ったけど疲れたのでそれ以上考えることを辞めた。



翌日

ツイキャスをして浪人仲間たちと共通テストの手応えを話し合った。


高梨電気(多浪京大志望)

スーキン(東北医志望浪人)

櫻子(医学部志望高2)


高梨電気「共テ77%だったわ」

スーキン「俺は9割くらいだった」

櫻子「共テ同日申し込みもせず爆睡してたわ」

ワイ「47%だった…」


高梨とスーキンは充分に志望校を狙える点数か、さすがは俺みたいな似非受験生とは違ってちゃんと勉強しているだけのことはある。


「するってぇと高梨は京大を受けるのか?」

「いや、京大は厳しいかもしれない」

「なら医学部受けようぜ、どうせお前も多浪しているなら京大の非医にいくよりよっぽど将来性があっていいぜ」

「ふむ……」

「セーキンさんはやはり東北医直行ですか?」

「当然、私立医は障害者のいくところでつw」

「ははははは」


さて、俺はどうしようか……

今朝自己採点をした結果、共テ47%だったわけだが、こんな点数じゃどこも受からん。

しかし、親に正直にこの点数のことを言ったらどんなに呆れられるか。

来年も浪人を継続させるには73%ほどのギリギリ国立医に受かるかどうかの得点率でギリギリ落ちた。惜しかったね。来年もやればもしかしたら受かるかもしれないね!

のストーリーが必要なのだ。

しかし、今は上手く考えが纏まらない。

もう少し経ってから考えることにしよう。


47%で来年やれば医学部に合格できるなんて普通の精神状態であれば言えるはずがない。

いや、俺はこの時点で普通の精神状態ではないわけだが、そんなことはどうでもよい。

とにかく、モノを言うには相手を納得させるだけのストーリーが必要なのだ。



そうして日々は過ぎていった。

ちょうど共テ本番から1週間が過ぎた頃、それまで何も言わなかった父が遂に受験のことを言ってきた。

もはや言い逃れできない。


「あ、ああ。わかってる。わかってる。ちゃんと、考えるよ。だからあと一日待ってくれ」

「そうか。」


自室に戻り俺は今後の受験の身の振り方を考えた。

今年の理系の共テの平均点が58%だからそれ以上は必要で、あまり盛りすぎると収拾がつかなくなるから68%ということにしておくか。

それで二次試験は足切りがなく、また2次試験でボロクソに良い点数を取れば逆転合格が可能な国立医学部に出願しよう。


検索の結果、この2つの要素を兼ね備えた国立医学部に広島大学医学部医学科が出てきた。

共テ:二次試験 = 900:1800

面接点なし。


まさにおあつらえ向きの大学なのだ。


よし、これでいこう。


翌日、父に68%しか取れなかったことを伝えて、二次で挽回できる可能性のある広島大学を受けることを伝えた。


まぁ、これで体裁が保てたか…

我ながらなんと卑しい根性なのだろうか。

自分が自分で嫌いになる。

なぜ俺はこんな自己破壊的な行動ばかりするのだろうか。不思議で堪らない。



さらに翌日、俺は高校から卒業証明書と単位修得証明書を取り寄せ、広島大学に出願した。


郵便局に『広島大学医学部医学科宛』とデカデカと書かれた願書の入った封筒を出したときは、思わずドヤ顔になってしまった。

今あなたの目の前にいる男は日本屈指の難関大学の医学部を受験する男ですよっと笑笑


その後、Amazonで過去問を取り寄せ受験戦略を練った。

例年の合格最低点を参考に、共テ47%の場合の二次試験での必要点数を割り出した。

すると二次試験で83〜93%とれば合格できることが分かり、またそれらの得点率は例年の最高点よりも低いことが分かった。

つまり広島大学医学部医学科に主席合格する人でも取れない現実的に不可能な点数ではないということなのだ。

所詮は7歳も年下のガキども相手の試験。

俺が7歳だった頃、お前らは存在すら危うい精子以下の存在だった。

そんな豆粒以下の奴らに7年も先に生きている俺が負ける筈ねぇよなぁぁぁ???


という自己暗示をして基礎問題精講数Ⅲに取り組んだ。



この時期、浪疾苦が凍結して以来敬遠していたTwitterに戻ってきた。

日々のモヤモヤを吐き出す場所を心が求めて止まなかった。

そうだな…次はなんて名前にしようか……

7浪もしてるトロい人間だからトロロでいいか。



2月

LINEの浪人(大学受験)のオプチャの人数が550人となった。


那浪帯は依然としてイッていた。


渡邊「仮面って意味あるんですか?」

那浪帯「この人(渡邊)追い出していい?」

那浪帯「紳士性を持ち合わねていない人を、俺は許さない」

那浪帯「満場一致みたいだな 運が悪かったな」

那浪帯「「まっ、待ってくれ!もう二度と言わない。違う、違うから!!」」

那浪帯「……次はねえぞ!」

那浪帯「「ああ……お互いになあ!」マシンガンチャキッ バババババ! 「ハハァ〜!隙を見せたな!」」

那浪帯「次はねえって言ったろ!こいつは餞別だ! ズキューン 「あっ……」 ドサアッッ」

那浪帯「少々火薬が強すぎたか。」

(直後、渡邊を強制退会)



このやり取りの注目のポイントは初めの渡邊の発言以降、強制退会させるまでずっと一人で話しているのだ。


このような寸劇を週に2回の頻度で一人でやるのだ。


その対象になるのは舐めた口を利く新参者なわけだが、俺はひっそりとその寸劇を楽しんでいた。


一人二役で独特な世界観を演出する彼の気狂い染みたやり方は修浪さんと話している時と似たような感覚にさせた。


まったく、この男は毎度毎度どこからそんな寸劇のネタを取り入れてくるのだろうか。



2月24日

高速バスで広島まで向かった。

原爆ドームと平和記念公園を視察した。

教科書でしか見たことのなった原爆ドームを実際に見ると思っていた雰囲気と随分と違った。

ちょうど東大の安田講堂を写真でしか見たことがない人が実際にその建物まで来た時と似たものを感じる。

安田講堂は写真に写る時、基本的には正面から映されない。その為、実際は裏には円形のドームが拡がっているのに正面の凸型カクカクとした建物なのだという思い込みが生じる。


原爆ドームも教科書に載る写真はいつも決まった視点から、つまり川側から撮られる。

しかし、裏から見ると原爆ドームは全く違った、閑散として、また荘厳な雰囲気を我々に与えてくれる。


原爆ドームの前には青鷺が一羽ぽつんと立っていた。

初めはあまりに場違いな気がして剥製の置物かと思った。

気になって近づいてもまるでその場を動こうとしない。

動物愛護の精神から自然動物にそれ以上干渉するのは良くないと思い、3mほどの距離を保って暫く観察した。

青鷺はジッと原爆ドームの方を向いていた。

まるで原爆の被爆者の生まれ変わりなのではないかと思うほどに原爆ドームの方を凝視しているので、只者ならぬ鳥と見た。


広島平和記念資料館はコロナの影響で長期休館していたので入れなかった。



夕方、日が沈みだす頃、広島駅近くの東横INNにチェックインし旅の疲れを癒した。


明日の受験、結局過去問は一年分しか解いてなくて確実に記念受験と化してしまった。

しかしまぁ、ここまで来たらやることはやる。

俺はカバンから煙草と取り出し火をつけた。

ホテル遠征といったら室内での煙草だろう。

ふかふかのベッドで横になりながら吸う煙草は美味い。

スマホを起動してプリンセスコネクト!Re:Diveのクランバトルをする。

試験を前にして尚この余裕!これこそ愉悦ッッッ!!!!


翌朝

7時にホテルのロビーで朝食バイキングを摂る。

8時過ぎに広島大学に到着する。

試験開始まで廊下でストレッチをしていると受験生の女の子が声をかけてきた。

いよいよ俺もモテ期到来か!??

「あのー、受験の教室ってここで合ってますか??」

……あのさぁ、いくら俺が知的そうで貫禄あるからってさ、准教授にでも間違えちゃったかなぁ??笑笑

「え?うん、合ってると思うよ?」

「ありがとうございます!」

また善行を積んでしまった。


教室内に入ると流石は一流大学の受験生ということもあって見るからに賢そうな人たちが座っていた。


8:40-17:20 にかけて、数学、化学、物理、英語の順に試験が行われていった。


当然俺は全く分からなかった。

数学はよく分からない理屈で適当な解答をでっち上げ、化学物理は適当な文字や数字を書くだけ、英語はなんとなくで答える。

結果は明白だった。

が、今はこのエリートの儀式を真っ当に遂行することが求められている。

この儀式を味わい尽くすことが後の人生の糧となるのだ。(ということにしておこう)

というわけで、俺は自分を優秀な受験生と思い込むようにして、その時間を過ごした。

昼休憩は大学内に併設しているコンビニでカップラーメンを買い、ずるずると麺を啜っていると、大学病院での実習を受けてきたのか白衣を着た医学生の男女が話しながら歩いてきた。

はぁ、いいなぁ。

本当なら俺がそこにいるはずだったのに。

おかしいなぁ……



1日目の試験が終わった。

俺は付近の寿司屋に向かった。

そこで、大将に寿司を握ってもらいながらその日を振り返る。そしてその帰り際にはコンビニへ行ってお菓子を買い込んでホテルへ。そこで、部屋で入浴してバスローブでお菓子やジュースを飲んだり、地方chを回したり。



その後、深夜の2時までツイキャスで高梨電気とスーキンと今日の試験の出来について話し合った。


高梨電気は京大を受験するのをやめて、地方の国立医学部に出願し、スーキンは東北大学医学部に出願していた。


高梨電気「まあまあかな」

スーキン「英語やらかしたぁぁぁ」

ワイ「俺の人生\(^o^)/オワタ」


俺たちはこの先どうなるのだろうか。

来年も同じように受験しているのだろうか。

宴もたけなわ、明日も各々面接があるということで切り上げた。



翌日

7時に一度起きてそのまま二度寝をする。朝のバイキングを食い損ねる。

10:30にホテルをチェックアウトし、そのまま繁華街の方へ向かい、吉野家で腹を満たす。

面接まではまだ時間がある為、ネカフェに入り漫画『送葬のフリーレン』を読む。

近々噂になっていたので興味があったが、実際読んでみると確かに面白い。

しかし、また続きを読んでみようと思うほどでもなかった。


15時

広島大学医学部面接会場に到着。

そこから暫く別室大部屋に待機させられる。

面接部屋へは2階に行き渡り廊下を通って向かった。

幾つか面接室の扉があり、その一つが自分の面接する部屋となる。

それまで全く緊張していなかったが、いざこの後自分が面接をするとなると心臓の鼓動が激しくなるのを抑えられなかった。

それは普段の生活で感じることのできない拍動だった。

これが生きているということだ。


「中村和馬さん、面接室の中へどうぞ」

「ひゃ、ひゃい!失礼します」

荷物を置き一礼して着席


「えー、それでは中村さんは2015年高校を卒業したことになっているわけですが、そのことも踏まえて自己紹介をお願いします」


やはりそう来たか。

だがそのことについては昨晩、高梨電気たちと万全の準備をしてきたので問題ない。


「は、はい!えー、ワタクシはー、まぁ、そのー、2015年に卒業しましてー、、あ、高校をー。そしてー初めはロボット工学に興味があったんですが、浪人をしていく中で人体との融合を考えるようになりましてー、なのでー、それから医学に興味を持つようになりました(?)」


駄目だ、自分でも何を言っているのか分からない。


横隔膜が上がっていくのを感じる。

緊張が抑えきれず声が震えて強張って途切れ途切れになる。


やべぇ、滑り出しがこれだと不味い。

挽回しなきゃ…


俺は大きく深呼吸をした。


「えー、それから鬱になりまして。それ以来、精神医学に興味を持つようになりました。自分と同じように精神を病んだ人たちを一人でも多く救いたく医学部を志願しました。」


言えた!ちゃんと言えた!!

因みにあんまり正直に話すと話がややこしくなるのでFラン大学を中退したことや、一人暮らしをしていたことは伏せておいた。


一通り自己紹介を終えるとまた深呼吸して次の質問に備える。


「工学を志望していたといいますがどの分野に興味がありましたか?」


あ、あかん。なんとなく言った言葉を深く追求してくるタイプの面接だこれ。

ロボット工学とか、昔ドラえもんやSAOを見てなんとなく憧れたとかその程度のことなのに、そんな深く突っ込まれたら俺答えられんよ。


「えと…ロボット工学、特に人体と融合した感覚的なものをですね…」


「なるほど、するとどんな大学がそれで有名ですか?」


知るかー!!俺がそんなこと知るかー!!!!


「と、東京工業大学と京都大学とかですかね…」


とりあえず上位の大学言っておけば大丈夫だろ()


他には高校時代に陸上部だというところから面接官の一人が自分も陸上をやっていたのだと、それでどんな種目をやっていたかとか。まぁ大学受験とは関係のない世間話もチョロっとやるくらいで。


緊張も治まり調子付いてきたところでさぁ次の質問こい!なんでも答えたると息巻いていると

「面接は以上になります」と、面接官。


はい?拍子抜けだった。

そのまま退出してトイレに行って1階に降り、外に出る。


それから軽く敷地内探検をしてバスに乗って広島駅で降りた。

新幹線ホームに向かう途中、USBハブを東横インに忘れたことを思い出し、取りに行き、ついでにドラッグストアで新幹線内で飲むビールとスナック菓子を買った。


その後、街を貫く京橋川の側でタバコを吸っい今日の面接のことを思い返す。

本屋に行って参考書コーナーを徘徊したりして、広島駅まで地下道を通っていき、新幹線に乗り込んだ。


自宅には22時ごろについた。

一仕事終えた後の風呂は気持ちがいい。

遠征の疲れが溜まっていたせいか、将又、今年度の受験イベントが良くも悪くも終わったから安心(?)したのか、その日はぐっすり眠れた。



3月

俺は本命の広島大学合格発表の前に、懲りもせず山口大学の虚偽の合格ツイートを送信した。

「実は皆さんに報告があります……なんと……なんと…!!!!この私、トロロは山口大学医学部医学科に合格致しました!!!!!!」


いいね500


これがこのツイートについた反応だった。


しょうもな。

こんな反応じゃなくて俺が真に欲しいのは医学部医学科への正真正銘の合格通知だった。


虚飾に彩られた呪われた人生を省みると虚しくなってきた。


3月8日

12時から広島大学医学部医学科の合格発表があった。

募集人数90人対して621人が志願した今回の試験は熾烈な競争を余儀なくされた。

倍率にして6.5倍、例年は5倍程度が続いていたが、よりにもよってこの年は大きく倍率が上がったと言えよう。


まぁもっとも、俺の実力だと、例え倍率が2倍にまで下がったところで受かることはないだろうが。


12時になった。

広島大学は他の地方医学部と違い、ホームページが短時間での大量の閲覧にも耐えられる代物だった。


さてさて、、俺の番号は……


落ちていると分かっていても、この茶番を辞められないのだ。

悲しい性だ…


俺の受験番号は2576

受験番号は2001から2621までの全部で621個だ。


受験番号が若いところは大体6人置きに合格者として番号が書かれていっていた。


この番号と番号の間の明記されていない数人の人たちはこの瞬間にも哀しみに暮れているのだろう。そして俺もこの後……。


俺は歴史上の戦争で教科書に載るほどの将軍と、誰の記憶にも残らない名も無い兵士のような対比が頭に浮かんだ。


2200...2300...2400...

ここまでは順調に約6人に一人の割合で合格者が出ている。


さて、2500から2600はどんな感じに合格者が出てくるのだろうか。


ゆっくりと視線を動かしていく。


は?


俺は一瞬目を疑った。


なんと2500から2621までたったの3人しか合格者が居なかったのだ。


およそ120人中3人だけが合格。

40人に1人が合格。


俺は試験当日のことを思い出した。


確かあの時は620人を10個の教室に割り振っていたんだ。

一教室60人くらいが入っていたことになっていて、俺はその10番目の教室で、受験番号2500から2621は9番目と10番目の教室に押し込められていたことになる。


そして偶然か必然か、9番目と10番目は1〜8番目の受験生が使っていた医学科棟とは違い、保健学科の棟だった。


当時からなんとも言えない違和感を感じていたが、あの違和感の正体がわかったぜ…。


クソ、、あの野郎やりやがった。

医学部の受験課の受験番号を割り振った担当者がほくそ笑む姿が脳裏に浮かんだ。


奴等、共通テストが低い受験生を1箇所に纏めたんだ。

共テで高得点をとった優秀な受験生の邪魔にならないようにわざわざ別の棟まで手配して俺たちを閉じ込めたんだ。

エリートの巣窟だと思っていた部屋は落ちこぼれの記念受験生の巣窟だったのだ!!


思い返せばあの教室にいた奴ら、どいつもこいつもボケた顔つきだったな。


…ったく。

真実ってぇのゎ痛ェもんだな。



言うまでもないが俺の番号は無かった。



さて、これまでシークレットボックスに覆われていた結果も今、確実なものになり、俺が大学に落ちたことは紛れもない事実となった。


親父には翌日の晩、話した。

親父はとても落胆していた。

俺は今後の身の振り方を強制されることに恐怖を感じた。

もう二度と大学受験はさせてもらえないのだろうか。

一度家出まがいの一人暮らしをして、落武者の如く実家に帰って、そこで一年受験して駄目だって……。

とてもこれ以上、この家でニートしながら受験をさせてなんで言える空気じゃ無かった。


翌日

ツイキャスで高梨電気とスーキンと話した。

高梨電気は地方の国立医学部に見事合格したらしく俺も嬉しくなった。

不思議なことに嫉妬の感情は湧いてこなかった。

素直に高梨電気の合格を祝えたのだ。

不思議なことに。


スーキンは東北医は駄目だったらしいが、東京の難関私立医学部に合格して春から通うことになるらしかった。

本人は不満を持っているらしいが、実家も太く充分に通うだけの財力があり、御三家ときた。

何を不満に思うことがあろう。

「私立医は障が医者のいくとこでつw」

なんだそりゃw


まったく、春から行くアテがあるってのは羨ましい。

来年こそは……



3月中旬

気分転換に奈良へ向かった。

東大寺で鹿に鹿煎餅をあげた。


初めはどんな鹿にも分け隔てなく煎餅をあげていたが、次第に集団で群れて煎餅をねだりにがっついてくる大人の鹿たちに嫌気が差して、鹿の少ない上の方へと歩いていった。


誰も居ない雑木林の隙間からは夕陽が差し込んでいた。

その光の線が僅かに舞う土煙にチンダル現象を起こして現れていた。

しばらくその光景に見惚れていると、木々の間に子鹿が一匹いた。

俺は無性にこの子鹿に餌を与えたくなった。


お前は俺だ…

ほら、鹿煎餅だぞ。いっぱい食え……。


ムシャムシャと食べる鹿の額を優しく撫でてその場を後にした。



翌日、メンタルクリニックに行って、精神科医に奈良旅行に行ったことを話した。

すると

「なにしてんねん、俺そんなこと言ったか?旅行とか鬱病の人がもっともやったらあかんことやで。見知らぬ土地に行くってのはそれだけで大変なストレスになるんやからそんなことしたら駄目」


はえー、知らなんだ。

確かに楽しいはずの旅行に行ったはずなのになんとも言えぬ気持ちの悪い疲れを感じたのはその為だったのか。


何となくだが、慰安旅行という言葉があるように、旅行には心を潤す力があると思っていたが、どうやら逆だったらしい。


俺はこの時、世間的な思い込みと、現実はしばしば違うことを痛感した。



翌日

河合塾の門を叩いた。

先日、電話で河合塾の説明会の予約をしていたのだ。

25歳浪人生、恥を棄てて説明会に挑む。


この時期、大学に落ちて4月からの入学を考えて説明を受けにくる落武者たちが何人か見えた。

しかし、いずれも18歳くらいと見えた。


そして、その子供たちには俺と同い年か、若しくは少しだけ年上かというくらいの若い女性のスタッフがついた。


そして、俺にはゴリラのような壮年の男性がついた。


理由は何となく察した。


「えーと中村さんは…今25歳で……えーと、今はご自身で働いている感じですかね…?」

「え、と、、まぁそんな感じです」

そんな感じってなんだよ

「えー、と、それで医学部に入りたいということですね……一番近くに受けた河合の模試ってありますか?」

「いや…ないですね()」


嘘である。

この前の秋に河合模試を受けた。

だが、その時に調子に乗って志望校に東大理科三類や京大医学部など超難関大学や女子大などを書き連ねたのだ。


それで余裕でA判定をとるならある意味カッコいいが、偏差値45のE判定のオンパレード。

こんなものリアルで見せるのは公開処刑に近いものがある。


「一応、念のため名前で検索してみますね」


ヤメロオマエ


「あ、いや、この前受けた共テの結果をメモってきてるんで、それでいいですよね」

「まぁ、いいですが」


そして父親に見せた時と同じようにサバ読みした共テの得点率を教えた。

あの47%の結果は流石に医学部を目指すという肩書き状見せるわけにはいかない。

あんなものは生き恥だ。特級呪物だ。

俺は68%の偽の共テ結果を伝えた。


まぁ向こうも参考程度に聞くだけのつもりだったのだろうが、受験に対して多くのタブーを抱えた俺の過敏な精神はそれに恐怖するのであった。


簡単な自己申告が終わると、今度は予備校のカリキュラム紹介へと移った。


まぁ分かりきってることだが、上のクラスに行かないとだいたい受かんない。

下のクラスは例えコースに医学部と付いていてもほとんど望み薄なのだ。

そして俺は模試で大した成績を残せていないので初めの認定テストで好成績を収めなければならなかった。


そんなことを説明された。


それから館内を案内された後、認定テストを受けた。

英語はそれなりにできたつもりだったが、数学は数Ⅲが壊滅的だった。


結果は間もなく出て、結果は神大理系コースであった。


有体に言えば、下から数えた方が早いクラスだった。


すっかり自信を失った。


また1週間後に2回目の受験が出来るとのことで、一応の予約をして自宅に帰った。



翌日

ファイザー製のワクチンを打った。

今回でワクチンを打つのは3度目になる。

巷で囁かれている毒チンなるものが本当であれば俺は手遅れとなったのだ。

まぁこの結果、早タヒにしようがどうせ一生医学部に受からずコンプレックス塗れのまま惨めな人生を送るくらいならワクチンによる原因不明の病にでもなって天に召された方がマシだろう。

そのつもりで打った。



その晩、長い沈黙を保っていた親父が遂に口を開いた。

それは家族で夕食を食べていたときのことだった。

俺は広島大学医学部医学科に落ちてからここ1週間この瞬間をビクビクしながら家族揃って摂る夕食の時間を横隔膜をひくつかせながら食べていたのだった。


それが遂に今この瞬間やってきたのだ。


「ほんで…和馬。これからどうすんや」

重く険しい声色の父親の声は25歳ニートの内臓を抉った。

「……」

「黙ってちゃ分からんよ」

「………」


今この瞬間にももう一浪することを言いたいが、それを真っ向から否定されるのが怖かった。

7浪していようがメンタルなんぞ鍛えられない。

この場でモノを言うのは実績なのである。

実績の何にもない俺に発言権はなかった。


それから3時間ほど家族会議が続いた。


父親は公務員の就職を勧めてきた。

看守や地方公務員といった高卒でも応募資格のあるものだ。


俺は渋った。

本音はまた医学部受験したいからだ。

このままでは終われない。

この呪われた生涯に終止符を打たねばなるまい。


「も、もう一年、、医学部受験を、させて、、、くだ、さぃ」


声にならない嘆願はすぐさま憤怒の感情へと変換され、増幅された。


父は何を戯けたことを言ってるんだと憤怒し、母はそれだけはやめてとヒステリックを起こした。


「や、この前、、河合塾の説明会に行って、、だから」

「なんやって!?何勝手にそんなとこいってんや、そんな金もううちには無いわ!」


徹底的に自己批判された。


苦痛の時間である。

なぜ俺はこんなところにいるのか。

俺はなんなのか。

なぜ俺は生きているのか。


思考がぐるぐると精神を汚染していく。


俺に力が無かった為に今の地獄はあるんだ…


悲しい。悔しい。どうして俺ばかりこんな悲しい思いをしなきゃいけないんだ。


2ヶ月前の東大殺傷事件を思い出した。

ぬくぬくとなんの苦労もなく成績が上がって望みの志望校に入っていく奴らをこの手で………


憎悪の感情は他者へと向かっていく。

もう誰も俺を止められない。

実行は明日か、今日か!?

うがぁぁぁぁぁぁぁあ!!!???


家族会議が終わった。

本日は徹底的に自己否定されたが、一応打診はした。

果報は寝て待てとやら、また時間を置いて打診してみよう。



翌日

家族会議2日目。

俺は昨晩冷静になり、もう一度自分の人生について考え直した。

やはりもう一年やってもあのテストで8割取るのは不可能なんじゃないか。

これ以上親に迷惑を掛けるのも良くないからな。

残念だけど就職活動するか。

という趣旨を話した。


すると意外にも親父は、キョトンとした表情をして、浮かない反応を示した。


どういうことだ?


分からない。


家族会議は右往左往してあまりことが進展しなかった。


その後、しばらく会議はお休みとなった。



3月16日

第116回医師国家試験の合格発表が行われた。

俺はル○ファーの不合格祝勝会と称してピザとコーラを準備して、彼の阿鼻叫喚する姿をモニターで拝見することにした。


14時

厚生労働省のウェブサイト上に合格者の受験番号が公表される。

14時直後は1万人の受験者とその関係者たちが同時に閲覧するためサーバーがパンクし、なかなか見れない。

数十分経過したとき、漸く見れるようになった。


「お願いします!私は第116回医師国家試験に合格してます。お願いします!私は第116回医師国家試験に合格してます。」


「……駄目だこりゃ、だーめ。今年も駄目だった。いいですよ。今から来年に向けて勉強します」


ギャハハハハ!!!

他人が堕ちるのは実に滑稽!いや〜実に愉快ですなぁwww


俺は冷めたピザを頬張った。



3月下旬

図書館で公務員試験の参考書借りる。

正直乗り気ではない。

が、形だけでも、知識として知る分には問題ないだろうと。


数日後

河合塾の2回目の認定テストを受けに行った。

結果は変わらなかった。

神大理系コース。

やはり俺に無理だったのか……。


俺は今後の身の振り方について整理しようとツイキャスを開いた。


そこに珍しい人が来た。


早稲田15浪


それが彼の名前だった。

15浪、これは半分本当であり半分嘘であった。

しかし高校を卒業してから凡そ15年経過しているのは本当らしく、実年齢にして33歳らしい。

大学は私立の医学部を出ているが、華やかな医者生活とは裏腹に学歴コンプレックスを抱えており、再受験で早稲田大学を受け直そうという人だった。

そして彼は半年前の秋まで大手予備校に通い、私立理系コースを受講していたのだ。


俺はかつて彼に何故せっかく医師免許という誰もが羨む免許を持っていながら、わざわざ就職もあるかどうかも分からない早稲田に行こうとするのですか?

完全にグレードダウンじゃないですか?

と聞いたことがあった。


彼はその問いに対して閉口した。


俺もそれ以上は聞かなかった。

早稲田に受かったら本当に医者の道を捨てて(免許自体は持っているので戻ろうと思えばいつでも戻れるわけだが)、早稲田大学に通うのだろうか?

彼の進退を見物していた。


しかし、そんな彼も夏の模試で東北大学の理系をA判定を出すと事態は一転した。

それまで早稲田大学の受験を考えていたのを取りやめたのだ。


確かに学歴コンプを取り除くだけなら模試の結果さえ良ければ、実質としてそこの大学に受かるだけの実力があることが証明されたことになり、わざわざ4年間をその後のアテがあるかどうかも分からない大学生活に委ねなくてもよいのだ。

彼は医者という仕事が嫌いなのではなく、あくまで学歴コンプだけのようだった。


正直なところ、俺はこの人の真意は分からない。

本当に早稲田を再受験する気で、医者の仕事を辞めるつもりだったのか。

それとも初めから医者という避難経路ありきの計画だったのか。

つまり殿上人のお遊びの受験だったのか。


どちらにせよ俺とは違って、医師免許というゴールドカードを持っている時点で、浪人と称してはいたが、同じ土俵ではなかったのだ。


そして彼は春から医者として社会復帰するわけである。



話は戻り、そんな彼がツイキャスにやってきた。

俺は思わず彼に今後どうすればいいか相談した。

「本当に医学部目指すなら毎日塾に通うこと」


はぁ。

なんというかまぁ、大事なことなんだろうけど。

至ってシンプルな回答だ。



そう思っていると、LINEの通知が届いた。

父からだった。


内容は予備校に行かせてやるという趣旨だった。


あの反対していた父が……。


これで人生をやり直せる…!!


父が指定した予備校は成績が低い生徒にも優しい『なんで私が!?』の黄色い予備校だった。


あの家族会議の後、父は独自に予備校について調べてくれていたのだ。


うう……。

ああ厳しくいう父ではあったが、最後は優しい父。

俺は恵まれているのだな。

家のローンも残っていて決して湯水のようにお金があるわけでもないのに、25歳の息子のために100万ほどの授業料を払ってくれるのだ。

それも大学という既成事実に基づいた教育機関ではなく、受かるかどうかも分からない水商売な予備校に払ってくれるというのだ。

これが世間一般の家庭なら俺は親に56されていただろう。


このチャンスを絶対モノにする。

俺は今度こそ本気で勉強して医学部に行くんだ……!!!



3月末

黄色い予備校の説明会に行った。

この予備校の素晴らしいところは、初めの認定テストで例え悪い成績をとっても他塾のような無慈悲な選別を受けなくて済むところだろう。

どんな生徒に対しても広く門戸を開放している。

それが『なんで私が!?』が目印の黄色い予備校だったのだ。


河合なんかを選ばなくて本当に良かったぜ。

まったく、親父には感謝だな。



翌日

父親から渡したいものがあると部屋に呼ばれた。

差し出されたのは一通の封筒。

中を開けてみると札束が入っていた。

確認すると全てが一万円だった。

その枚数ざっと100枚。


俺のために、この100万円をくれる…と?


かつて高校時代、悪名高き東進衛生予備校に通ったことがあったが、そのときは3年間で240万円ほどが消し飛んだとのことだった。

しかし、その金は親が俺の見えないところでATMを通して払っていたので、その金の重みを知ることはなかった。


「ありがとう…ございます……」


世間では独り立ちしていてもおかしくない年頃の息子に100万円を渡してくれる親がどこの世界にいよう。

いないだろうな。

俺は恵まれているのだな。

この金は有効活用しないと、でないとバチが当たっちゃう。

天罰は永遠の煉獄ってな。

死ぬまで自己実現できず後悔と不満に塗れた人生を送り、死後もその後悔に歪んだ魂が浄化されるまで何千年と煉獄に焼かれるのだ。


俺はそのお金を持って、銀行ATMへ向かった。

これまでの人生で100万円を持ったのはコンビニ店員時代だけだった。

駅前の店舗ということもあり、1日の売り上げは100万円前後が当たり前だった。


しかしその時に持った100万円とは明らかに重さが違う。

一方はコンビニというシステムが半自動的に掻き集めたありふれた100万円であったが、これは俺がコンビニ時代、就寝の時間を切り崩して数ヶ月働き、やっと貯まるか貯まらないかという金である。

その金は自由に使える金であって、決して展示品のような実際に使えないお店の金とは違いリアリティの伴ったものであった。


手を震わせながらATMに100万円を挿入した。

宛先は黄色い予備校だった。


近くの公園のベンチに腰を掛けた。


俺は今度こそ生まれ変わる。

これまでの汚点を返上するかの如く猛烈に勉強して必ずや医学部に合格してやる!

そしてゆくゆくは親に恩返しするのだ。


情けない自分とはおさらばさ。


公園には子供たちが春の訪れを祝うかのように走り回っていた。

投稿が遅れましたこと申し訳ありませんでした

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