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馬鹿な浪人の末路  作者: 蟻の船酔い
追憶編
13/20

6浪時代

2020年4月-2021年3月

長い長い冬が明け、冬眠(鬱)から目が覚めた俺は、凝りもせずに今年こそは医学部に合格してこれまでの人生を汚名返上するのだと息巻いていた。


そして当面の生活費のために仕事を探し始めた。

この前はコンビニ、その前は蕎麦屋……。

やるなら違う業種がいいけど、服屋とかカフェで働くのはなんか違う気がするしなぁ…

ここは無難な飲食にするかぁ。


そんなこんなでとある回転寿司店にバイトの申し込みをした。


面接には如何にもまともそうな若目の店長が対応した。


しかし、後にこの店長はとんでもないやつだと分かることになる……。



面接も難なくクリアし、4月の中旬から働くことになった。


俺の業務は皿洗いと接客だった。


元々は厨房で黙々とシャリに鮨ネタを載せるだけの仕事は希望していたが、厨房は既に人が満杯であり、この業務しか残っていなかったのだ。


接客嫌だなぁ…

俺はこれまでのバイトで散々クソ客を見てきた。

そのため接客に対するストレスは通常の人のものを上回っていたことだろう。


すぐさま吃音の症状が出始め、俺は小っ恥ずかしくなり、接客は他の人に任せて、極力レジには立たないようになった。


仕事が終わると同年代の従業員たちと煙草を吸いぐだぐだと喋る。


面接時に合った店長は俺よりも一つ年下で、プライベートではお気に入りの車で暴走行為を働くクズだった。

言葉も汚く、人を軽んずる、オラオラ系、中学時代のバスケの顧問にそっくりな奴だったので、嫌悪感が絶えなかった。

極力近づかないようにした。

以下、コレのことはパリ岡と呼ぶことにする。


俺はこの時、23歳で世間的には大学等を卒業し、どこかしらの企業で正社員として働いている年齢になっていた。

周りの同年代の従業員は、近くの大学や専門学校の学生だったりで、俺と同じような境遇の人はただ一人を除いていなかった。


ただ一人居たのだ。

年は19歳の一浪。

近所の国立大学を目指しているとかなんとか。

俺はその噂を聞き、彼に俺はお前の仲間だと話しかけようと思ったが、寸前まできて踏みとどまった。

6浪ともなると一般人に自分が浪人していることなど言いたくなくなるのだ。


世間に堂々と言えたのも普通の感覚ならば1浪までだろう。




家に帰ると、自我の発散を求めるように、インターネット世界へとのめり込んだ。

最近LINEで知り合った学生とやり取りをするのがこの時のマイブームだった。


・ユウト(高校2年生)♂

・ハクライ(高校2年生)♂

・アオイ(中学3年生)♀

・比企ヶ谷(中学3年生)♂

・タカトシ(専門2年生)♂


アニメ関連のグループから話が合い、個チャでも頻繁にやり取りをするようになったのだ。

俺はそこでは高校2年生というペルソナを被り、現実世界で満たされない想いをぶち撒けたのだ。


ユウトとハクライとアオイでグループを作り、学校や恋の悩みとか、そこらの中高生によくあることをくっちゃべり、オンライン大富豪を興じたり、青春の疑似体験をした。


その後、アオイとは遠距離恋愛をすることになり、しばらく付き合った。


比企ヶ谷とはオタッキーな文学少年だった。

比企ヶ谷とは無論、アニメ『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』の主人公をリスペクトしてのネーミングだった。


特に比企ヶ谷とは混み入ったやり取りをしたものだ。

アニメの話だったり、性癖の話だったり、精神世界の話だったり、文学の話だったり。


こいつと話しているときが一番楽しかった。



タカトシは変態だった。

コイツと話したことは工□関連のことしかなかった気がする。

だがコイツにはある秘められた長所があった。

タカトシは他の人には内緒にしてくれとの約束で、自身のTwitterアカウントを俺に教えてくれた。

するとそこにはフォロワー10万人の工□絵師が映っていた。


「お前…絵師だったのか………。」

「前からコツコツ描いてたんだ」


10万人の絵師……。

フォロワー10万人というと芸能人でいうと地下アイドル以上、売れ始めた芸人未満という一般人が到達できないものであった。


するとかなり良い絵を描いてるんだろうなぁと画面をスクロールしていく。


しかしどうも想像していたものと違った。

たしかに一般人が描けない程度には上手くてド工□いものばかりなのだが、どうも俺の趣味嗜好と合わない。

なんというか絵に透き通るような爽やかさがない。

タカトシの絵にはねっとりとしたきしょくの悪い何かが塗りつけられているような気がした。


俺は絵は描けないが、これまで天才的な絵師の描いた微工□の画像をたくさん見てきたので、モノの善し悪しは分かるつもりだった。


「上手いね!」

とりあえず褒めておいた。


しかし、なんでこんなんで10万人もフォロワーがつくのかねぇ…

Twitterにいる奴らの脳が溶けてるのかねぇ…

やっぱりTwitterには気持ちの悪いカスしかいないのかねぇ…




5月になった。

高校時代の部活仲間とSkypeでオンライン飲み会をした。


「おいっすー久しぶりーみんな元気にしてた?」

「まぁぼちぼちやな」

「俺も」

「お前めちゃ元気やな」


彼らは既に社会人2年目と大学4年生になっていた。

俺は相変わらず、冴えない生活を送っていた。

ソワソワ感が抑えられず、予め冷蔵庫に用意していた酒を両手に抱えて持ってきて飲み続けた。

かつての仲間たちが人生を順調に進めていき、自分だけが取り残されることに強い違和感を感じたのだ。

シラフじゃやっていけねぇよ…

俺は画面越しに愛想笑いをしつつビールをその身に流し込んだ。


「じゃあまた来年もオンライン飲み会しようぜー」


気づいたらそう誰かが言い残し通信が切れていた。


時計は深夜3時を回っていた。


はぁ……俺はいつまでこんな生活を続けるのだろう。

ひょっとしたら俺は一生このまま底辺の地獄を味わい続けなければならないのだろうか。


せっかくの旧友との飲み会も満足に楽しめない廃人と化した俺は、来年こそは医学部に受かり生まれ変わった自分をあいつらに見せるんだと心に誓い、浅い眠りについた。


翌朝は二日酔いになり一日中布団に入っていた。




仕事などにも慣れ、今期の生活スタイルも落ち着いてきたところで、受験勉強を再開することにした。


ただ今回はこれまで通りにしていては受からないことが分かっていたので、思い切って小学生の勉強から始めることにした。


何故そこまで遡るのか。

それは高校数学で躓いた人は中学数学が満足にできてなくて、中学数学で躓いた人は算数で躓くという情報をお気に入りの自己啓発本の著者が書いているブログで読んだからだった。


公立小学校の授業でやるレベルはさすがに躓きようがなかったのでスルーし、中学受験の算数レベルから始めた。


これを着実に詰めていけば、大学受験数学も難関私立中学の奴らと同じように簡単に理解できるようになるはずだ。


俺はそんなことを考え、さらに難しい算数の問題集をAmazonで探した。


待てよ…難しさを求めるなら問題集である必要はないな。


そうして『灘中 算数 過去問』と検索し、灘中の算数20年 を購入した。


これをマスターすれば俺は理Ⅲのスタートラインに立てるのか。


今度こそ俺は上手くやってみせる。


まずは基本レベルの中学受験算数の問題集を解いていく。


当然だが大学受験数学と比べれば簡単だった。

しかし百ます計算のような要領で解けるほど簡単でもない。

次第に中学受験流の考え方を追えなくなり、一冊やり切るのに1ヶ月掛かってしまった。

それに後半は解くというより、解答を読むものとなっていた。


余談ではあるが、中盤、集中力が切れ、身体にこびりついた垢を爪で掻き集めて、それをこねこね練り込んだものを問題集のとある1ページに擦り付けた。

それは現在も当時の垢の状態が確認できるよう標本の形相を成している。


続いて灘中の算数を解いてみた。

初めの力技で解ける計算問題以外何にも分からん。

俺の基礎的な中学受験算数の問題集に費やした1ヶ月は水の泡となった。


こんなもん普通の人間に解けるはずねぇだろ。

灘中の算数は別次元だった。



続いて、高校受験数学は難関私立高校の数学の問題集を買ってきてやっていくことにした。

考え方は中学受験算数よりも大学受験数学の方に近いものだった。

この辺は算数と数学という呼び方の違いからも想像できるものだろう。


このことから大学受験の数学を曲がりなりにもやってきた俺はそれなりに出来た。


流石は中学時代、数学の定期テストで9割をとったことがあるだけのことはある。


これも1ヶ月くらい掛かった。

結局、大学受験数学に移るのは8月に入ってからのことだった。



話は遡り、5月上旬。

俺はある取り組みを始めた。


LINEのオープンチャットで浪人の浪人による浪人のためのグループを作ったのだ。

この時既に、LINEのオープンチャットが運営によりリリースされてから10ヶ月が経っていた。

しかし受験関連のオープンチャットは作られていても浪人のオープンチャットは作られていなかったのだ。


インターネットの海に拠点を築くべく、早速グループを創設した。

そうだな、名前は…

『浪人(大学受験)』にしよう。


こうして作られたグループはその希少性からぼちぼちと人が入ってきた。


でもどうしてかな。

変な奴ばかりが入ってくる。

人は増えて欲しいが、お前じゃない感。


50人いるグループで2.3人が受験以外の話を延々と話す。一晩で通知が300溜まる。

スタ連をする者、下ネタを言う者、現役生とわざわざ名乗り浪人を露骨に見下す者、既に大学に進学しているのに入ってきて浪人を見下す者。


俺は浪人生の憩いの場を作りたかったのに。

現実はこのザマか……。


俺はしばらくグループから距離を置いた。




7月になった。

俺は病んでいた。

ストレスから身体の毛を抜くことにハマっていた。

もっともハゲが進行している髪の毛を抜いてはハゲを悪化するので、無限に生えてくる髭とすね毛と腕毛、ギャランドゥを片っ端から抜いていった。


初めは痛さに悶えるが3分ほど抜き続けると次第に感覚が麻痺していき、最終的には毛を抜くことに快感を覚えるのである。

徐々に綺麗になっていく自分の脚、少年時代のような美脚に戻っていく!!!



集めた毛は1箇所に集め毛球にしたもの写真に撮ってをTwitterにアップする日々を送っていた。


特大の毛球が取れたときはキッチンの炊事場まで行き、ライターで燃やす遊びを興じた。

その様子を動画に撮りTwitterに投稿した。


全身の毛を抜いていった感想として、もっとも痛くなかった箇所はすね毛だった。

より正確にいうと脛骨が真下にある付近の皮膚についている毛のことである。

この部分は肉つきが少ないため痛覚を司る神経が少ないのかあまり痛くない。


逆に痛かったのは、髭と太腿の毛だった。

どちらも痛覚が鋭く、感覚が麻痺するまでかなりの時間と本数を要した。


因みにこの時に抜いた毛の一部は袋に入れ今も保管している。



またこの時、50日ぶりに風呂に入った。


人生でこんなに風呂に入ったことがなかったのは初めてだった。

いわゆる自己最高記録というものだ。

当然シャワーも浴びていない。


なぜこんなことになったかというと、行きつけの銭湯がコロナのために休業したのだ。

当社は2週間の休業だったが、それがズルズルと伸びていき2ヶ月弱続いたということだ。


俺は半ば躍起になり、行きつけの銭湯が営業するまで身を清めることを自らに禁じたのだった。



5月から7月までの50日、風呂に入らないと人間の身体はどうなるのだろうか。


読者の中にはそんな疑問が生じる人もいるだろう。


以下は私が50日風呂に入らなかったときに起こった身の変化を書き記していく。


1日目:特に変化なし

3日目:少し匂い始める。身体が少しベタつく

10日目:かなり匂い始める。身体がベタベタする。髪の毛がオイリーになる。フケがでてくる。頭皮の炎症が始まる。

20日目:匂わなくなる。身体が垢の層?で覆われることでベタつきがなくなる。髪の毛は相変わらずオイリーである。

30日目:同じ状態が続く。

40日目:同じ状態が続く。

50日目:同じ状態が続く。


この実験から分かったことは、風呂には入らないと初めはベタつきが匂うが、しばらくするとベタつきも匂いもしなくなるということだ。


これは何故なのか、その手の本や記事を読むとだいたいの仮説がついた。


シャンプーやボディーソープを使うことに慣れている現代人は、身を清めるときに必ずと言っていいほどはそれらの洗剤を使う。

確かにそれらの洗剤は一時的に身体を綺麗にするのには役立つ。

しかし、それはあくまで一時的な話で、長期的に見ると洗剤を使わないときよりも、より多く皮脂を分泌し、不潔なのである。と

何故そんなことになるのか、それは洗剤を皮膚に擦り付けることで、それまで皮膚の周りを覆っていた油分がとれて、皮脂腺がそれを戻すべくドバドバと皮脂を分泌するのである。

逆にいうと、身体を覆っている皮脂を必要以上に取り除かなければ、皮脂腺から大量に皮脂が分泌されることもなく、匂いも抑えられるというわけだ。

このように考えると20日目以降の安定期が理解できる。


20日目で皮脂分泌量が減ったからだ。


そういえばイランに半世紀以上風呂に入らない生活を送っているのに病気にならなかった老人がいたっけ。


現代社会の常識はある意味では資本主義の戦略に巻き込まれた非常識なのかもしれない。


ただ実際のところ、自分が匂わなかったのかどうかは分からない。

何しろ自分ではそれが慣れていたために、正常の匂いの判断が着かなかった可能性があるからだ。

しかし、バイト先では、同僚にそのことについて突っ込まれることはなかった。

むしろ3日に一度しか風呂に入っていないと自称する中国人留学生のことを臭い臭いと噂が立つほどであった。



またこの時期になるとバイト仲間とも打ち解け、仕事終わりにいつも通り駐車場の一角で煙草を吸っている時だった。


黒澤 「長谷部さん、夜中腹減らないっすか?」

長谷部「腹減ったなぁ」

黒澤 「ですよねぇ?」

長谷部「うーん」

黒澤 「この辺にぃ、美味いラーメン屋があるらしいっすよ。」

長谷部「あっ、そっかぁ~」

黒澤「行きませんか?」

長谷部「いきてーなー」

黒澤 「行きましょうよ」

黒澤 「じゃけん夜行きましょうね~」

長谷部「おっそうだな。あっそうだ(唐突)、オイ室井!」 (以下略)


黒澤(大学3年 バンドマン)

志田(大学3年 バンドマン)

室井(大学3年 バンドマン)

クマ(大学3年、熊のような風貌をしている)

長谷部(仕事を掛け持ちしてるお兄さん)

パリ岡(ゴミ店長)


長谷部とパリ岡は自身の車に乗り、俺と大学生4人組は黒澤の車に乗りラーメン屋に向かう。


ラーメンを食べた後の煙草は旨い。


その後、雑貨屋に車を走らせる。

黒澤はパンクロッカーなので車の運転もロックだった。

ヤバイTシャツ屋さんの『あつまれ!パーティーピーポー』を大音量で流し、熱唱しながら運転席の上をぴょんぴょん跳ねる。

高速移動する車のサスペンションが揺れるのを感じる。


生命の危険を感じた。


雑貨屋ではR18コーナーに入り浸り、どのグッズがいいかとか、どんな本が面白いかとか、おすすめのドールはどれだとかそんな話をした。

R18コーナーに飽きてくると各々の趣味のコーナーへと散らばっていった。


明朝、ようやく退店した。

店の駐車場で煙草を吸いながら、今日のクラスの会話 あの流行りの曲かっこいい とか あの服ほしい とか そんな他愛無い話をした。


7月末

藤本の夢を見た。

夢の内容はあまり覚えていないが、夢の中で何か言葉を交わしたような、そんなものだった。

その数日後、1年ぶりに藤本からLINEが届いた。

1年前に喧嘩をして別れて以降、二度と連絡を取り合うことはないと思っていたが、こうしてまた話すことになるとは。


この時、俺は自身の行動が関与しない出来事を夢で予知したことについて、どのような説明がつくのか考えた。


シンクロニシティが起きたのだとか、藤本の夢は定期的に見ていたが、実際にLINEが来るまではそれらの夢を意識していなかっただけだとか。

まぁそんなことは考えても仕方がない、そんなことより、二度と会わないと思っていた人とこうしてまた話せるというのは良いものだ。

互いにあの時は悪かったと謝った。

俺もそうだが、当時向こうもかなり焦っていたらしくカリカリしていたとのことだった。

そんな藤本が今取り組んでいることはアフィリエイトだった。

手始めに作ったブログを俺に見せてきた。


「中村もやってみるか?」

「いや、遠慮しとくわ。」


ずっとアフィリエイトで食っていくのか聞いたところ、藤本はあっさり否定した。


「まさか、若いうちにいろんなことに挑戦したいだけよ、俺は35歳までに人生の方向性が付けばいいと思ってるから。そんで今は将来心理カウンセラーになって起業するためにカウンセラーのスクールに通ってるんよ」


ほへー、そんなことは考えてたのか。

それにしても前は30歳までに人生の方向性が決まればいいと言ってなかったっけ?

まぁ、あれから色々大らかになったのだろう。


それから彼此2時間くらい電話で話し合った。

俺はその間、コンビニの周辺をフラフラと徘徊した。

家だと部屋の壁が薄くて電話は気が引けたのだ。



家の壁といえば、俺の隣人ガチャが失敗した話をしようか。


レオパレスの安アパートだったので、変な住居人が集まってくるのはある意味世の真理だろう。

そしてその全員が不思議と男である。

賃金が低いとされる女性は安アパートに流れてきてもおかしくないはずだが、何故か集まってくるのは野郎ばかりなのである。

俺の生存範囲には男しかいなかった。

世界には35億人の女性がいるというのに。



隣人Aは仕事から帰ってくると1分間に一度咳払いをするカスで、その規則正しい頻度に俺は次第にイライラしてきた。

俺も小学生の頃にそのような症状になったことがある。

所謂チック症である。

本人は喉の奥に何かがつっかえたような気がして咳払いをする事で取り除こうとするのだが、いくら咳払いをしても決して取り除かれることはない。

なぜならそれは病んだ精神が生み出した幻想なのだから。

そして本人は自分の喉につっかえた空想の異物を取り除くことに必死になり、周りへの配慮をしなくなる。

かくいう俺も小中学時代、喉や鼻につっかえた幻想の異物を取り除くため喉や鼻をすんすん鳴らしていると後ろの不細工な女子からうるさいと指摘されたものだ。


そんなわけで20歳を超えた大の大人が他人の迷惑を顧みずにいつまでも咳払いを続けることに我慢が出来ずに、ついに俺は一通の手紙を書くことにした。


「隣人の者です。夕方以降、あなたの部屋から大凡1分に一度咳払いが聞こえてきます。たまにならいいですが、あまりにしつこいので迷惑してます。やめてください。」


こういうのはダイレクトに書くのがよい。

相手を変に思いやることでこちらが迷惑している意図が伝わらなければ意味がないからだ。


これをドアのポストに入れた翌日から、あれほどしつこく続いた咳払いはピタリと止まった。


なんだ、やるじゃねぇかチック野郎。

少しだけ感心した。


しかし、2週間もすると元に戻った。

結局人間の本質は変わらず、か。



隣人Bは脳筋の大学生だった。

帰宅した後に、電話でベラベラと知人と話した後、汚いラップを練習しだす。

「てめぇのケツに俺のチ○ホ°をぶち込んでーうんこ垂らしテェ」


最悪である。

なんで俺は隣人の気色の悪いラップを毎晩聞かなきゃいけないんだ。


あんまりしつこいのでアパート管理会社に辞めさせるよう電話した。


しかし、この手の住宅の騒音問題というのは基本的にアパート管理会社がどうこうできるものではないのだ。


明確な器物損壊とは違い、受け手によって解釈が変わる音に関しては、被害者と加害者の関係が成り立ちづらい傾向にあるのだ。


この音の問題は日本の住宅問題に深く根を下ろしていて、多くの人が泣き寝入りしているというのが現状だろう。


結局は、隣人と仲良くなるか、ボコボコにするか、犯罪級の騒音を出させるように仕向けて証拠として録音するかしか対処のしようがないのである。

あとは家賃の高い部屋の壁が分厚い家に引っ越しするか。



また、この気色の悪い隣人Bの奇行はまだまだ続く。

夜中に大学の知人である男と女を部屋に連れ込み、酒をたくさん飲ませたあとに乜ッ勹スするのである。

初めに自分で女とやり、その後にもう一人の男にも勧めて3Pをするのだが、もう一人の男はたたないとか言って行為から一歩引いた場所にいるようだった。


なんでそんなことが分かるのかって?


俺が壁に耳を押しつけて聞いていたからだよ。



あんまりイライラしてきたのでこの日ばかりは警察を呼んで、隣人Bの部屋に送り込ませた。


男と女はそれからまもなくソワソワした様子で隣人Bの部屋を出ていった。



8月

バイト終わりにいつもの様に黒澤の車で深夜徘徊をした後に、高台の公園でパリ岡、黒澤、室井、クマたちと真夏の炎天下の中、キャッチボールをした。

なんかよく分からんが楽しかったような気がした。



9月

行きつけの漫画喫茶で漫画『静かなるドン』を読み始める。

Twitterの広告として出てきたので読んでみたが、とても面白い。


バイトの店長が変わった。

パリ岡は他の店舗に飛ばされたらしい。

次に来た店長は優しい感じの人だった。

しかしどこかソワソワして落ち着きのない、何かに怯えているような、そんな感じがした。

パリ岡がいなくなってから気の弱そうな店長がやってきて従業員は舐めた態度を取るようになっていった。

やはり底辺の巣窟である飲食バイトには厳格な管理職が必要なのだろうか。

その皺寄せは新しい店長(以後、忍耐店長と呼ぶ)にやってくる。

忍耐店長はイエスの如く皺寄せされた重荷を一人で背負い込む。

俺はこの時、自分に飲食チェーン店の店長絶対に務まらないと思った。

この人の性格が俺と似ているのだ。


そして、まさかこの店長が後にあんなことになるとはこの時、俺たちは想像すらしていなかった。




10月

共通テストの模試を受ける。

結果は酷いものだった。

模試を受けてる最中、なんであんなに時間があったのに俺は勉強しなかったんだ。とか、この模試が終わって家に帰ったら絶対勉強しよう。とか、まぁそんなことを心中で強く思うのだけど、家に帰る頃にはへたへとでビールを呑んで倒れ込むだけ。


俺は決意の脆さを痛感した。




それはとある雨の夜だった。

仕事が終わり、いつも通りバイクで帰宅していた。

ただその日は少しだけ気が立っていた。

雨なので早く家に帰りたい思いが強かったんだと思う。

いつもの道を走り抜け、いつもの交差点を右折しようとしたときだった。

信号機が突如、青から黄色へ変わった。

俺はそのまま突っ切ろうとし、アクセルを強めた。

無情にも信号機の光はすぐさま赤になった。

俺は対向車が見えたことから、俺はすぐにブレーキを強く握った。

雨で路面が滑りやすくなっていることもあり、バイクはそのまま左右のバランスを崩しコンクリートの路面に滑り転けた。


や、やばい……!!

咄嗟に受け身を取ろうと手が出る。


10月という時期もあり、あまり寒くなく、また原付なので手袋の着用を怠っていた。


そのまま柔らかい素手が無機質なコンクリートに擦り付けられる。


ガチャン!!ザザザー!ジョリジョリジョリ…


ああ、やってしまった……


転けた瞬間はアドレナリンが出てたこともあり、あまり痛くはなかった。

傷も大したことはないと思った。


そのままバイクを立ち上がらせ、路上で少し休憩してから家に帰った。


帰宅して改めて右の手のひらを見ると、痛々しいまでに肉が抉れていた。


直前になって日和ってブレーキを踏んで痛い目を見る。

まるで俺の人生そのものだな。


その日から右手の療養生活が始まった。

バイトの皿洗いは手袋を三重にして行った。

仕事が終わる頃には手のひらがインスタント麺のように皺々にふやけていた。


この傷が完治するまで1ヶ月を要した。

怪我の経過は、怪我した翌日まではすぐに治るものと思っていた。

しかし1週間ほど経つと様子が変わってくる。

当初想定していた傷よりも広範囲に瘡蓋が現れてくる。

瘡蓋は傷と傷の合間の癒着を遅らせて、溝が大きくなる。

その溝がピリピリと痛む。

瘡蓋が出来るまでは早いが、その瘡蓋が自然に取れるまでが長かった。


俺はこれ以来、雨の日は細心の注意を払って運転することにした。



10月中旬

バイトのメンバーの渡辺という声優専門学校に通う奴が専門学校を中退して実家に帰るということで、送別会を兼ねた飲み会を長谷部さんと3人で行った。

ドン・キホーテで酒とつまみを買い揃え、渡辺のアパートに向かった。

俺の部屋とは違い、整理の行き届いた部屋だった。

なぜか一人暮らしなのに布団が2枚敷いてあった。

準備のいい奴だ。


俺たちは早速、酒を取り出し大いに飲んだ。

「渡辺さぁ、なんでせっかく入った声優専門学校辞めるの?」

「なんか思ったのと違ったからかな」

「ふーん、因みに学校ではどんなことやってるの?」

「こんな紙を渡されて早口言葉の練習とかやってる」

そういって渡辺は赤パジャマ黄パジャマやら東京特許許可局とか書かれた紙を俺に見せてきた。

はっきりいってググれば一発で出てくる類のものだった。

渡辺もそのことに違和感を感じていたらしく、馬鹿らしくなって辞めたとか。


「じゃあ実家帰ったら何するん?」

俺は渡辺の口から大学受験をしてみるという言葉が出てくることを期待して。

しかし

「梅田のバーで修行積んで、自分のバーを作りたいなぁ」


なんとも普通の19歳が考えそうな夢だった。

そりゃそうか、大学受験なんて底辺が考えることだもんな…。

俺はちょっぴり寂しく思った。


俺たち酒を飲み直し、機械のようにおつまみを口に放り込んだ。


酒を飲み始めて2時間ほど経った頃、俺は抑えられない気持ち悪さを感じた。


マズい………吐く………ッッッ!!!


「渡辺…スマン…トイレ借りるぞ……ッッッ!!」


ダッダッダッダッッッ

ガチャン…!!


おえええぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!

ごべぇぇええええええ!!!

げぼおぁぉぉおおおおぉぁぁぁ!!!!


その日、人生初の酒の飲み過ぎによる嘔吐を経験した。

他人の家のトイレで吐くことの気持ち良さといったらなんの。


自分がされた嫌だろうなぁと考えながら便器に向かった吐き続けた。


「ごめん!ごめん!渡辺!ごめん!!」

ごぼおぉぉぉぁおぉぉ!!!!!



しばらく吐き続けると、アパートの外に行き一服する。


落ち着きを取り戻した俺は部屋に戻り、用意された布団に包まって、渡辺と長谷部が何かを話しているのを聞きながら酔いに呑まれるようにして朝まで眠った。


翌朝、コンビニでペパリーゼを買って飲み、帰宅するとまた深い眠りに落ちた。



10月末

受験のため、回転寿司のバイトを辞めた。

同日、渡辺もバイトを辞めたので、俺たちは帰り道に牛丼屋にいってチーズ牛丼を注文した。

「とりま乙〜」

「やっと長い長いお勤めも終わりっすね」

「全く…清々したぜ」

「地元に帰ったらバーで働くんだって?」

「うーん、まぁそんなとこかな」

「そっか、頑張れよ」


それから俺たちは店を出てお別れをした。

今世で俺たちが再び逢うことは二度と無いんだろうな。


途中、コンビニに行って、酒とおつまみを買い揃えて、帰宅する。


仕事終わりの祝勝会と称して、ツイキャスで懇親会を開いたのだ。

そこには錚々なる面々が集った。


宿守(北の留年王)

佐藤(宿守の嫁)

ステファン(浪人)

王清明(仮面浪人)

修郎(多浪)

ラルゴ(精神疾患)

キヨモリ(精神疾患)



「え、中村氏、仕事やめたの!?」

「受験に専念するからね」

「草www」

「草に草生やすな」


キャスは賑やかなものだった。

俺が宿守に受験の極意を聞いていると、そこにラルゴが現れて、あまり聞いたことのない大学のコンピュータサイエンス学部に行ってプログラマーになりたいとか。そこにステファンが現れて身長190cmの高学歴マッチョになってロシアの美女を抱きたいとか、王清明が現れて東大受験するとか、佐藤が現れて宿守とイチャついたり、キヨモリが現れて謎の説教を食らったり、修郎と共に絶望の高笑いをしたり。


総じて楽しいものだった。


こうして10月が過ぎていった。




11月

飲食バイトを辞めた俺は、食生活が変化した。

それまで従業員割引を使ってそこの寿司を食べていたのだが、それが使えなくなって、再び自炊の日々を送ることとなった。

といっても、作るメニューは限られていた。


オムライス(よくケチャップで"6浪"と書いてその写真をTwitterにアップしていた)、うどん、そば、豆腐、チャーハン、スパゲッティ、白米…etc.


総じて簡単に作れるものばかりだった。


そしてそんな簡単に作れる料理でさえ面倒になって作らなくなっていく。


そうして俺はスーパーに繰り出し大量のカップラーメンを購入する。

カバンいっぱいになるまで買い込んだカップラーメンをピラミッド状に積み立てる。

その画像をTwitterにアップする。


俺はこの時、Twitter廃人になっていた。

事あるごとにTwitterに画像を載せて、いいねの反応が来るのを楽しみしていた。


その努力もあり、アカウントを作ってから9ヶ月でフォロワーが5000人になっていた。


多浪関連のネタツイを考えて投稿する日々、思えば自分のコンプレックスを無理矢理ネタに昇華させることで、苦しみを緩和していたのかもしれない。

もっともそれは常に不完全燃焼であったが。

承認欲求は決してTwitterのバズ程度では満たされないのだ。



12月になった。


遠距離恋愛中のアオイとはしばらく連絡を取ってなかった。

セクハラ発言を繰り返していたために愛想を尽かれて未読無視をされていたのだ。


そんなアオイから久々にLINEが来た。

「やっほー」

「おう久しぶり!元気にしちょったか?笑」

「( ゜ー゜)ウ ( 。_。)ン」

「なんか反応薄くね?w」

「べつに。」


半年ぶりのアオイは別人と化していた。

前の仔犬のような人懐っこいアオイはこの世から消えてしまったかのように思われた。


アオイは今年、高校受験をし、早稲田の附属高校を受けるらしい。


まぁ、受験が終われば元のアオイちゃんに戻るだろう。

俺はそんなことを思いLINEを閉じた。



この時期、2ヶ月前からコツコツと描いていた''ごちうさ''の3期オープニングの描いてみたシリーズが完成し、YouTubeにアップした。

我ながら、なかなかの出来だったと思う。

詳しくは 【手描き】ごちうさ3期op 『天空カフェテリア』を検索ください。


1月になった。

今年は2年ぶりに街が雪で白く染め上げられた。

俺は仔犬のように雪が積もったアスファルトに出て、嬉々として小さな雪だるまを作って遊んだ。

この時、24歳であった。


受験に関して例年とは違うのは、今年からセンター試験が廃止され、共通テストになったことだろう。

そしてこの年、世界的にコロナの大流行となった初めての年だということだろう。


俺は例年通り、試験本番までに勉強が間に合わず、慌てふためいていた。


だが、流石に今年で決めないと身が保たないと思い、歯を食いしばり1日12時間の勉強を12月の末から始めていた。


この時期の日にちの過ぎることのなんと早いことか。

一瞬で1日が終わり、1週間が終わり、あっという間に試験3日前になってしまった。


この時点で

数学は基礎問題精講の数ⅠAIIBをなんとか一通りやり終え、物理は物理のエッセンスが電磁気と原子の範囲が手をつけられておらず、化学は重要問題集の有機範囲がノータッチという状態だった。


今から覚醒状態に入って、精神と時の間を自分の内側に創り出して、1時間を24時間にして、現実時間で1日18時間勉強するとして、すると1日に432時間の勉強時間が確保できて、それを3日続けると1296時間になって……。


ギリギリ間に合うか……?


よし、覚醒しよう。

俺は切羽詰まると凄まじい集中力を発揮できるんだ。

元に中学、高校の定期テスト前夜はそうだった。

あの時の感覚を取り戻せ!!!



参考書に目を移す。


無理だわ。

人の思考速度には限界がある。

これは出来ない類のものだ。


俺は諦めた。


しかし、ここで諦めると俺の今までの苦労が全てパァになる。

俺はなんのために青春を削って、この苦行に満ちた浪人生活をしてきたのか。

また来年も同じような虚無に満ちた生活を繰り返すのか……?


それだけは赦せなかった。


俺は勉強から意識を切り、なんとかこの危機的状況を回避することは出来ないか考えた。


すると今年がコロナ大流行の初年度ということもあり、共通テストの追試(正確には第二日程)の門戸が例年よりも開かれていたのだ。


つまり、例年では本試から2週間後の追試を受けるには、インフルエンザ級の重病に罹り、尚且つ医師に診断書を書いてもらう必要があったのだが、今年はコロナウイルス感染拡大の観点から、ちょっとした微熱でも診断書が貰えれば、追試が受けられることになっていたのだ。

しかし微熱と言えども、やはり平熱時が36.5度の自分が37.3度以上になるには、それなりのことをする必要があった。


この時点で、共通テスト1日目は翌日に迫っていた。


俺は翌日の試験に向けて、早速体調を崩そうと窓を開けて薄手になり布団に入った。

これで翌朝には風邪を引いているだろう。


翌朝、試験当日。

身体はピンピンしていた。

逆に心はどんよりしていた。


これじゃ診断書貰えねぇよ…。


次の手を考える。


まずは2日連続で追試を受ける為の正確な条件を知る必要がある。


とりあえず試験会場には体調が悪いから追試を受けられないかと打診の電話をしてみる。


「もしもし、今日そちらの会場で試験を受けることになってた者なんですが、実は昨晩から体調を崩しまして、はい。追試に回りたいのですが…」

「まぁ、それは大変でしたね。では医師の診断書を持って後日、大学側に来てください」

「あの、診断書は日曜日分だけでいいんでしょうか?」

「いえ、それだと日曜日分の試験しか追試は受けれないことになりますね」

「といいますと、2日分の追試を受けようとするには、今日と明日まで療養が必要だという医師の診断書がいるということですか」

「そういうことになりますね」

ガチャン。


危ないところだった。

とりあえず診断書があればいいというのではなく、試験本番の土日に風邪を引いているという証明書が必要だったとは。


しかし、事実現時点は風邪どころか微熱すらない状態である。

なんとか明日までに客観的な数値として現れる程度の熱を出さねばならない。


俺はまず試験会場へ赴いた。

ふむ、これが今年の受験生の顔ぶれか。

ふん、他愛無いな。


試験場の様子を見た後に半袖になり、そのままバイクでショッピングセンターに行き、ゲーセンのゲーム機をベタベタ触り、その手をベロベロ舐め回した。

これで外のウイルスを取り込んだことになる。

それから帰宅すると、トイレに入り大便をし、拭き取ったティッシュペーパーについた便を舐める。

これで菌の再接種が完了した。

続いて窓を全開にして全裸になり、布団を被らずに横になる。

当然、1月の夜は身体が震えるほど寒く、ガタガタと歯を鳴らしながら一夜を過ごすこととなる。

寒さで一睡も出来なかった。

無論、これは狙い通りでもあったのだ。


その甲斐あって、翌朝にはいい具合に意識がボーッとして微熱になっていた。


これなら医院に行っても風邪の診断書を発行してもらえるはずだ。


とりあえず診断書を書いてくれそうな医院を探そう。

俺は近所の医院に打診のための電話を掛けた。


「あの、実は昨日今日と共通テストを受けるはずだったんですが、風邪を引いてしまいまして、昨日と今日分の診断書を書いてくれませんか?」

「昨日の分?いやそれは無理だよ。昨日の分は昨日に来てくれないとこっちも書けないよ。虚偽の申請に加担することになっちゃうから」

「え?そんな、そこをなんとか…」

「とにかくうちじゃ無理なんで、他を当たってください」

ガチャン


は?

殺意が湧いた。

俺は全身全霊を掛けてこの苦行をしてきたというのに。

医者の風上にも置けない。

ヤブ医者め。


気を取り戻して別の医院に掛ける。

しかし同じような返事が返ってくるだけだった。

これを5件くらい繰り返してみたが、やはり結果は同じだった。


ひょっとすると追試のために仮病を使って休もうとする輩が過去にいて、それに対しておいそれと診断書を書いてしまい、それが機関にバレてしまい、罰せられた医師がいたのかもしれない。

何処の馬の骨かも分からない受験生に、肩を貸したが為にせっかくここまで積み上げてきた名声を失いたくないという保守的な医師のなんと多いことか!!!


俺は焦った。

ここまで来てこの壮大な計画が潰されるのではないかと思うと視界がぐらぐらしてきた。


最後の一件、ダメ元で電話を掛けた。

すると奇跡的にOKが出た。


俺は一安心し、その医院に向かった。

そこの院長は60歳後半と言ったところで、大方、医師業で稼ぎ終わり、名声を気にしなくなったところなのであろうか、すんなりと診断書を書いてくれた。


思えば他の医院はどこも若い医師ばかりでこれから稼ぐ必要があるためか、リスクを負いたがらない傾向にあったのだろうか。


こうして無事、診断書を貰い、必要書類を揃えて後日、大学に追試の申請をしにいくのだった。



さて、こうして得た奇跡の2週間を俺はどう過ごしただろうか。


勿論のこと勉強に励んだ。

俺ほど惜しんだ1時間が今こうして2週間という時間の塊となって目の前にある。

2次試験の勉強は全くやってなかったが、それはそもそも共通テストで少なくとも75%とらないと話にならず、共通テストが終わってから考えれば良いことなのであった。


俺はすぐさま問題集に取り掛かり、荒削りではあるが何とか1週間で全教科の全範囲をおさらいした。


残りの1週間を過去問演習に充てた。

しかし、過去問を解いてもまるで解けない。

当然なのかもしれない。

これまで本番の意識で緊張感を持って勉強をしてきたわけではない。

自分の都合のいいところだけを抜き取って勉強していた。

そんなだから本番の形式の問題を見てもピンとこない。


忽ち不安の闇が僕の心を覆った。


終わったのか……。



こうしてあっという間に1週間が過ぎていった。


2021年1月30日

追試当日

俺は試験会場である近くの大学に原付バイクで向かった。

試験に対する自信は3%程度だった。

いや、75%をとるという目標から考えれば3%は盛りすぎたかもしれない。

0.01% だった。

それは基礎的な問題だけはしっかり解き、残りの標準レベル以上の問題を勘で解くことに等しかった。


試験会場には、人が少なかった。

60人教室に10人いるかどうかだったと思う。

いくら追試の門戸が開かれていたとはいえ、俺のようなクレイジーな方法で追試に回る人間なんてまぁいないか。

とすると、ここにいる奴らはほとんどが偶々、偶然、試験当日に風邪を引いたやつらなんだろうな。


まぁ、そんなことはどうでもいいや。


問題用紙が配られる。

そして響き渡る試験始めの声。


ふむ

現代文の評論は…

椅子が人体の構造にフィットして…はぁ。

小説は…

学校を中退したことを世間から重く受け止められてしまうことに恐れる千春という少女か……こいつは俺だ………。


翌日、追試2日目。

当然の如く、1日目の結果が思うようにいかなかったので、お先が暗い気持ちで試験に挑むことになる。


数学を解いてる途中、将来の不安について考え、自分が今試験中だということを何度も忘れた。


俺、これからどうしようか…

また次のバイト探して同じような日々を送るのだろうか、一人暮らしも初めは希望に満ち溢れていたけど、最近は惰性の日々。

人生が前に進んでいる感覚がしない。

俺は本当にどうすればいいんだろうか。

人生詰んだか?



やがて試験は終わり帰途に着く。


死んだように眠った。



2月になった。

共テの追試の自己採点はこの年はしなかった。

もうすべてがどうでも良くなっていた。

せいぜい50%のものを解答入力サイトに入力する気にもならなかった。

意味が無いのだ。

そんなことをしても意味がないのだ。


当初、新潟大学医学部を目指していた夢も崩れ、今年も失意のどん底に心が冷めきっていた。


一応、来年度のために新しいバイト先を探してみたが、小売店も飲食ももう飽きたので、事務系の仕事を探した。

だが半年ほどで辞められる事務系の仕事は存在しなかった。

一応あるにはあったが、それは新卒採用限定だったり、経験者のみの採用だったりと、俺には縁の遠いものだった。


また、交通整備の面接も受けてみたが、説明を聞いているうちに、何となく嫌になってそのままブッチした。


俺の心から闘う意志は無くなっていた。



そんな中、一昨年に働いていた蕎麦屋が潰れるという風邪の噂を耳にした。

最期に行ってみると、ハゲでロリコンの柏原さんは既に辞めていたらしく、サッカー好きの気さくなおじさんと店長が最後の営業を行なっていた。


「スゥー、さしぶりです…」

「おお、きてくれたか」

「はい…」

「まぁなんか食ってけや」

「はい…じゃあこのかけそば海老天載せで」

「あいよぉ!」


一昨年のことを懐かしみながら食べた蕎麦は喉につっかえた。

途端に涙が溢れそうになり、仕切りに服の袖で拭き取った。


俺はもう…限界なのかな……。


虚無の日々が続く、この時期、2次試験がないということはやることが無いということに等しかった。


俺は惰眠を貪るか、アニメを見るか、ネカフェに行くか、温泉に行くかという生活を繰り返した。


ネカフェでは半年前から読み続けていた漫画『静かなるドン』の最終巻(108巻)を読み感慨に耽っていた。

アニメでは『無職転生』の主人公を自分に投影して観ていた。



2月末、親がこっちにやってきた。

しばらくLINEを返してなかったのを心配して来たようだった。


俺は人生に対する後ろめたさから他人との距離をとっていた。


親は近くの旅館を予約し、俺をそこへ招いた。

美味い飯と、温かい風呂に入り、俺はこれまでのことを話した。


当然、医学部受験のこともである。


しかし、残された微々たるプライドから今年は共通テストでは7割をとったことにし、新潟大学の2次試験を出願したが、足切りを食らってしまったというシナリオにした。


我ながら姑息な言い分である。


そして実家に戻ることを打診する。


すると親はそうした方がいいと了承してくれた。


もはやこれ以上、この生活を続けるのは精神的に無理だった。


仕事だけに意識を向けるだけならまだしも、仕事と受験を両立させるのは神の業だった。


それほど大学受験とは繊細な脳内活動が必要とされるものなのだ。

ましてや鬱気味の人間にどうこうできる代物ではないのは明白だった。


しかし、結局こっちの地で3年間暮らしたけど、結局結果がこれか…

格好つかないな…




3月になった。

今年も例年通り、国立医学部の虚偽の合格ツイートを量産する。


「ぬぉおおおおおおお!!!!東大医学部に合格しましたぁぁぁぁぁ!!!!!! #春からuts3」

次々に付いていくいいねと祝福のコメント。


誹謗中傷のコメントは予め設定していたミュートワードにより殆どが俺の目に入ることなく成仏していく。


やっていることは薬物と変わらないな。

偽りの快楽を求め続けるその様はまさにゾンビそのものだった。

自らの魂が救われることは決してなかった。



また、この時期に、ドラえもんの画像を使ったネタツイを量産した。

ドラえもんのキャラクターに浪人関連のセリフを言わせる、所謂大喜利というものだった。

これが思いの外に伸びたので、次々にくだらないネタツイをツイートした。


その中からバズったツイートには、浪人のオープンチャットの招待URLを付け足していき、浪人グループの人数は鰻登り上がっていった。


3月初めには100人程だったのが、3月の終わりには400人にまで増えたのだ。

この時に副管理人を6人に増やしたわけだが、後にこの副管理人のうちの一人があることをやらかすことになる…。



3月中旬

回転寿司のバイト仲間から連絡が来て、黒澤の家で鍋パーティをすることになった。


メンツはいつも通りの

黒澤

志田

室井

クマ

パリ岡 だった。


パリ岡は仕事を辞めたらしく、運送業に転職するため、大型トラックの免許を取っているとのことらしかった。

黒澤の部屋で鍋を突き合いながら、パリ岡が俺の受験について聞いてくる。

惜しいところまでいったとだけ伝えた。

微妙な空気になった。

このカス、なんでわざわざそんなことを訊くかなぁ?


夜、黒澤の部屋で6人の男が雑魚寝した。

6人が寝るには狭すぎる部屋だった。


夜、トイレに行く為に立ち上がった隙に、部屋の外れで寝ていたパリ岡がすかさず俺の寝床を奪い、眠りこけっていた。

どこまでもクズ野郎だなコイツは。。



3月下旬

映画館で『映画ヒーリングっど プリキュア ゆめのまちでキュン!っとGoGo!大変身!!』を鑑賞した。

このとき24歳だったが、まだ大学受験が完了していないこともあり精神年齢は高校生ということで、高校生料金で入場した。(謎論理)


荒んだ心にはプリキュアの短調でストレートなストーリーが心に沁みる。


映画は大変楽しめた。


帰りに回転寿司に寄り、マグロを食べながらLINEで知り合った中3の男子(比企ヶ谷)に彼女と観に行ったと称して、映画のチケットの下に、全貌が見えないように、領収書をチラ見せする形で重ねて、写真を送った。

すると比企ヶ谷は羨ましがった。

比企ヶ谷もプリキュアだいしゅき少年だったのだ。

俺は自己肯定感が少し上がった。



3月末にはTwitterのフォロワーが8000人になり、それなりのアルファになっていた。


しかし、同時に虚偽の合格ツイートを連発しまくったが為に、それを不満に思ったカスどもからミュートでは抑えきれない非難の声が上がり、俺はTwitterが嫌いになった。



俺の心は既に死んでいた。

なんかヘンテコな人生ですね。

誰の人生ですかこれ。(他人事)

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― 新着の感想 ―
[良い点] 主人公のクズっぷりが良いですね。クズがクズ呼ばわりしてるの笑った。人間、性根が腐ったやつって、改善しょうがないのね。 [気になる点] 自堕落な日々をダラダラとしてますが、何故に勉強に向かな…
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