5浪時代
2019年4月-2020年3月
5浪時代
4月
俺は深夜2時にコンビニの店長室で廃棄されたファミチキをバリボリ食べていた。
ファミファミファミ~マファミファミマ~♪
「ッチ…また客か……。こんな時間に来んなよな……。」
店長室の監視カメラにはベロベロに酔っ払った客が複数名押しかけているのが見えた。
俺はそれまで吸っていた煙草の火を灰皿に押し付け、徐に椅子から立ち上がり、レジへと向かった。
「っしゃーせぇ。」
買い物カゴに馬鹿みたいに沢山の商品を詰め込んでくる客。
コンビニで爆買いって金銭感覚バグってんのか……
「あとセッターボックスとマルメルライト、美沙も吸うやろ?」
「え?うん笑」
「あーじゃあピアニッシモも」
「はい、6980円でーす。あざっしたー」
こんな生活を始めてから彼此2ヶ月が経とうとしていた。
初めは夜勤に抵抗もあったが、慣れると仕事量も少なく、勤務時間の大半を椅子に座ってくつろぐことができ、当初思っていたほど悪くないものだった。
仕事に慣れ始めた3月の後半あたりから俺は、参考書を持参して客が来ない時間は、参考書をパラパラめくって勉強をしていた。
その姿を店長室に仕掛けられた監視カメラで店長に見られていたのか、朝に店長が出勤した時に何を読んでいるのと問いかけられ、受験勉強をしていることを話した。
どこを目指しているのとまで聞かれたので医学部を目指していることを話すと、店長は偉く感心し、応援してくれた。
これまで高校を卒業してから何年も経つのに医学部受験をしていることを知られるのに抵抗を持っていたが、このように快く応援してくれる人がいることに俺は驚いた。
自分にとって成績の届かない大学を目指していることを他人に言うのは、明治期の新平民が穢多出身だと周囲に打ち明けるのと同じく、出来るだけ隠したいものであった。
そういうわけで、店長からの公認を得て、俺は客が来ていない時間は堂々と店長室の机で勉強をできるようになったのだが、いざ参考書を開いてみるとまるで集中力が続かない。
眠るべき時間に寝ていない夜勤のストレスは徐々に身体に蓄積され、勉強に適した状態とは程遠いものとなっていた。
あんまり勉強に手がつかないので、俺はポケットからスマホを取り出し、スマホゲーム『メイプルストーリーM』をやり始めた。
とりあえず今日はこのクエストをやってから、ここの狩場で自動戦闘して放置するか…(ポチポチ)
あー、暇だ…
俺は徐に椅子から立ち上がり、店の雑誌コーナーから成人誌を持ってくる。
致すか… (コネコネ)
翌朝、その状況を監視カメラで見ていた店長から「君は勤務中に何をやってるんだ」と問い詰められた。
「受験勉強をするといったから、本当なら店内の掃除をやってもらうところを免除しているのに、まさかゲームをするとはねぇ…」
俺はその瞬間、昨晩、店長室で致していたこともバレたのではないかヒヤッとした。
幸いにも店長はそのことには言及しなかったが、あれは多分バレていただろう。
4月末
自宅でダラダラしていると、聞き慣れないインターホンの音が鳴った。
我が家に訪ねてくる人とかこっちに引っ越してからNHKしかいなかったぞ…
どうせロクな奴じゃない決まっている。
そう思い、居留守を決め込むことに。
すると玄関のドアをドンドンと叩く。
なんなんだよ、こいつマジで…
「スーキョーでーす。開けてくださーい」
宗教の勧誘だった。
これが噂に聞く、一人暮らしを始めるとやってくるというアレか。
怖いもの見たさにドアを開けると、60過ぎくらいののっぺりした顔つきのハゲかかったおっさんが立っていた。
「どーもー、スーキョーの勧誘だす」
「はぁ、、」
「お兄さん、日蓮宗って知ってますか?」
「はぁ、、」
「わたすはここの組合員でして云々…」
このおっさんを喋らせたら一人でぶつぶつと5分くらい話してきたので、段々と面倒くさくなって、俺は消えるように戸を閉めた。
するとおっさんもそのまま消え去った。
他にも、エホバの証人の勧誘も来たことがあった。
エホバの証人の勧誘はまた特徴的で、俺の場合は、50代くらいのおばさんとその娘と見られる高校生くらいの清楚な女の子のペアでやってくるといったものだった。
主にBBAが前に出て宗教の説明をベラベラ喋り、娘は後ろで棒立ちしているというものだった。
俺は後ろの可愛らしい娘ばかりが気になって、BBAの説明が頭に入ってこなかった。
「君、可愛いね。(ニチャァ)」
俺がボソッとそういうと、さっきまでベラベラ喋っていたおばさんは急に血相を変えて話を打ち切り、来週末にどこそこの教会でミサをやるからと言ったきり、娘を連れて消えていった。
それ以来、宗教の勧誘が来ることは無かった。
また、この時期にWi-Fi契約のセールスも来るようになり、1度目のセールスでは3人の子供がいるという俺よりも1歳年上の若い男がやってきて、口角に泡ができるほどベラベラと契約を迫ってきて、断っても「ちょっと待ってください。契約するとこんなお得なことがあるんです」としつこく迫ってきたので、俺は契約の印鑑を取ってくると適当な理由を言い、家の戸を閉め、鍵を閉めてからそのまま布団に入って眠った。
途中、何度も戸を叩く音がしたが、気にせずそのまま放っておいたら向こうも諦めたのかそのまま消えていった。
あの男からは何か鬼気迫るようなものがあり、キツいものを感じた。
俺よりも1歳しか歳が違わないのに子供ばっかり作りやがって。
2度目のセールスでは、比較的落ち着いた感じの人が来たので、そのまま契約した。
晴れて、Wi-Fiがある生活が始まった。
これまで家の近くのローソンでWi-Fiを借りてアニメ動画をダウンロードして見ていたのが、これからは家にいながら観られるようになり、生活の質が格段と上昇した。
5月
ゴールデンウィークに一度実家に帰り、高校時代の陸上部の仲間と中岡の家で会うことになった。
中岡は偏差値が低めの医療系大学出ではあったが、人柄の良さから県内でも屈指の綺麗な大病院に内定が決まり、そこでコメディカルとして働いていた。
俺と一緒に二浪した小谷は関関同立から神戸大に編入し大学3年生になっていた。
この前に会った坂田も何十社も面接落ちをしたが、どうにか拾ってくれた会社があったらしく、そこで働いていた。
他にも何人か来ていたが、やはり皆、それほどそれなりにマトモな人生を歩んでいっていた。
そんな中に、謎の大学中退コンビニアルバイターの俺が交わると。
かつて高校時代は皆同じ土俵にいたはずなのに、どうして彼らとこれ程までに距離ができてしまったのか。
俺が大学受験している間に、みんな大学を卒業して就職が決まっていってしまった…。
そんなことを考えていると、案の定、小谷が俺の2浪以降の身の上に関心を示して聞いてきた。
ロクな成績をとっていないことから、医学部を目指しているとも言い出せず、アーとかウーとか適当にお茶を濁すことしか出来ないでいると、中岡が助け舟を渡してくれた。
「まぁ、和馬も色々考えてるやろ。まぁ今日はそういう話は抜きにして呑もうぜ!」と。
中岡の家は大病院に勤務しているだけあって新築の綺麗なマンションタイプの社宅だった。
俺は記憶が飛ぶほど呑んだ。
翌朝、一同、二日酔いと共に各々の自宅に帰っていった。
数日後、俺は単身アパートに戻った。
単身アパートに戻ってから更に数日が経った頃、藤本からLINEが来た。
「俺、アメリカの大学辞めるわ。とりあえず日本に帰るから、一度和馬ん家寄らせてくれん?」と。
また、急な話に、俺は戸惑い、そのワケを聞くと、異国での生活にストレスを感じて精神に異常をきたしたとのこと。
俺は快く彼を迎える準備を始めた。
これを機に、彼に俺と一緒に医学部受験をして人生逆転しないかと持ち掛けた。
すると彼はアリ寄りのアリとの返事をくれた。
6月
藤本が帰国し、俺の町にやってきた。
半年ぶりの来訪だった。
俺は駅で彼を出迎え、家に招いた。
「まぁ、色々あったと思うが、まずはおつかれさま」と言い、彼にキンキンに冷えたビールを差し出した。
藤本は勢いよくビールを飲み干して、これまでにアメリカであった嫌なことを吐き出した。
要約すると以下のようなものだった
・日本人は大学で浮く
・同じルームシェアのおっさんに暴力を振るわれた
・アメリカでは皆んなが気取っていて気疲れする
とのことだった。
ルームシェアのおっさんの件が気になり、詳しく聞くと、そのおっさんは普段からガサツな人間で、扉を閉める際も勢いよく閉め、ガタンと音を鳴らすような人で、そのことで注意すると逆ギレして、更にそのことについて論破すると首を絞められたとのことだった。
とんでもない奴とルームシェアをしたもんだと同情した。
でも大丈夫だ。
今度は俺の家でルームシェアしよう。
俺は藤本にこれからの人生について話した。
「つまりこれから俺の家で俺とお前とで家賃を折半する。夢は医者になって人生逆転する。一緒に勉強できたら勉強も捗って一石二鳥!!(早口)」
藤本の反応はイマイチだった。
まぁ、初めはこんなもんだろう。
数日、家に泊めた頃に、また真剣な話をするために藤本に医学部受験の今後について話し合った。
やっぱりどこか腑に落ちていないところがあるようだ。
医者になれば年収も1000万は稼げるというのに何を躊躇うのだろうか?
俺はヤケになり近所の書店まで連れて行き、受験参考書を買わせるように仕向けた。
しかし藤本はやはり腑に落ちないらしい。
今日は見るだけでいいわと暗めの口調で言い、お互いが白けたのでそのまま家に帰る。
俺は医学部受験をするリア友が欲しくて堪らず、藤本にハッキリしてくれと問い詰めると、藤本も藤本の方で糸が切れたようで、「俺もう限界やわ、ごめん、帰るな。」と急に立ち上がり帰り支度をし始める。
あれよあれよと部屋にあった藤本の私物が、彼のキャリーバックに消えていく。
「お、おい、なんだよ…おい、なんなんだよ…ふざけんなよ…そんな別れ方ねぇだろ…おい!!」
俺は声を荒げた。
藤本は何も言わずに荷物をまとめ続ける。
完全にまとめ終えると、玄関の前に立ったときに、「じゃあな。もう一生逢うことはないだろうけど。」と言い残し俺の前から消えていった。
「ッッッ!!ふざけんな!!!!!!」
部屋に俺の怒声が響き渡るも、部屋に残るは、藤本の僅かな残り香と虚しさだけ。
俺はしばらく冷静でいられずイライラして煙草を何本も吸った。
何がいけなかったんだろうか。
やはり本人の意思を尊重せず、誘導するようにして医学部受験の沼に招こうとしたのがマズかったのだろうか。
俺はただ同じ目標に向かって一緒に頑張れる友達が欲しかっただけなのに……。
他人との共同生活の難しさを痛感した出来事だった。
7月
京アニで青葉被告が火をつけて36人の命を奪う事件が起きた。
京アニは『氷菓』と『無彩限のファントムワールド』でお世話になったアニメ会社なのでそのショッキングなニュースに驚きが隠せなかった。
8月
LINEにオープンチャットの機能が追加された。
俺は後にこの機能を大いに使うことになるのだが、その話はまた別の機会に。
コンビニバイトの方では、独特な先輩とよく話すようになった。
風貌と話し方が2016年に『ラーメン二郎』のインタビューで「レベルの高い合格点を超える二郎オールウェイズ出してくれる」と答えて有名になったオールウェイズニキに似ていたので、ここでは彼を親しみを込めてオールウェイズさんと呼ぶことにする。
オールウェイズさんは車やバイクが好きで、仕事を何個も掛け持ちをして、36時間勤務を何度もしたことがあるのに、疲れた様子を見せないエグい人で、一体どこにそんなパワーがあるのか一度聞いたが、本人は「さぁ」としか言わない。
このことについて自分で考えてみたが、どうも彼は普通の人と比べて、他者との壁を出来る限り無くして、常にオープンにしているから日々を自然体で振る舞えて疲れにくくなっているのではないかと思った。
対して俺は、過去に惨めないじめを受けたことや、この歳にもなって全く成績の振るわない医学部受験を続けていることに人としてある種の引け目を感じてしまい、他者との間に壁を設けるようになった。
常に仮面を被って生きているような感覚だった。
そんなことをすれば余計に体力が削れることになるのは明白だった。
しかし分かっていても、長年に渡り形成されたペルソナは容易には剥がせられない。
剥がそうとすれば、「今ここで自分を変えるということは即ち、医学部を諦め、虐められた過去を妥協することなんだぞ。何よりそんなことをすれば、これまで我慢して生きてきた自分に対して申し訳が立たないだろう」と心の声が聞こえてくる。
医者になればモテるし儲かるという固定観念が、現在の冴えない自分の免罪符となっているのだ。
今は惨めな生き方をしているが、後に医学部に受かれば全てが挽回できると思っているのだから末恐ろしい。
自分に対する呪いである。
話は戻り、オールウェイズさんと近所の高台の公園までバイクでツーリングしたときは楽しかった。
俺はここで初めて仲間とツーリングする楽しみを知った。
夜に彼と高台で吸った煙草は今でも忘れられない。
しかし、オールウェイズさんは実は本当に二郎のインタビューに答えていた本人だったのではないかと今になって思う。
本当に声も姿も似ていたのだ。
あのとき本人に聞いておけばよかったと思った。
また、この時期、夕勤をやってると週に何度か、最近入ってきた40代ほどのおじさんと一緒に仕事をするようになった。
ここでは彼をその性格の刺々しさから四角さんと呼ぶことにする。
四角さんは、元々教育関係の仕事をしていたが、1年ほど前に車に乗っていると後ろから別の車に衝突され、むち打ち症になって、それ以来、仕事を退職し休養するようになり、最近になってコンビニで少しずつ働くようになり、現在は行政書士になるために資格勉強をしている人だった。
そんな四角さんのことが僕は嫌いだった。
彼は常にカリカリしていた。
ある日、自分では真面目に働いているつもりなのに、ウォークイン(コンビニのドリンクなどが陳列されている冷蔵庫の裏側のこと)のドリンクの出し入れがちゃんと出来ていないとかなんとかいちゃもんをつけられて、「給料貰っとんやぞ、やる気あんのか?サボっとんちゃうぞ」と怒鳴られたことがあった。
あまりに唐突に怒鳴られたので殺意が湧いた。
そんな性格してるから車に衝突されてんだよ。ばーか。
その晩、家に帰って四角さんに呪詛を飛ばした。
数日後、四角さんとも普通に話すようになり、少し険悪な雰囲気がなくなった。
四角さんは行政書士の試験勉強も順調に進み、資格合格後の事務所の開設の準備も進めているようだった。
四角さんは、休憩時間中に煙草を吸いながら、最近体の不調が多くてしんどいと口にした。
これから夜勤があるようだが、あまりに辛そうにしているので、自分は23時上がりなのだったが、そのまま夜勤を交代してあげた。
四角さんはありがとうと言い残しとぼとぼと店を出ていった。
やれやれ、あの人大丈夫だろうか。
資格さんの次の出勤日は翌々日の夜勤だった。
俺はその日、23時に四角さんが来るのを、花屋の仕事と掛け持ちをしているお姉さんと共に精算等の処理をしながら待っていると、待てど暮らせど一向に出勤してこない。
四角さんは、体調不良で遅刻することがよくあったので、またそれだと思い、やれやれ仕方のない人だとため息をついた。
すると、店に電話が掛かってきた。
それきた、どうせ寝坊しました。今から向かいますだろうよ。
「はい、ファミマXX店です」
「どうも、夜分に失礼します。私、そちらの店舗に勤めている四角の妻です。実は先程、夫が亡くなりました。」
え
身体が凍りついた。
心臓がバクバクなり意識が遠のいていくのを感じる。
「いま、なんと?」
「今朝、夫が体の調子が悪いと病院に車で向かって、診てもらったんですが、そのときは問題なかったのに、帰る途中に車内で急に体調が悪化して、そのまま病院引き返したのですが、、、」
話を聞き、そのときの状態がありありと想像できた。
しかし、ショックで何も言えない。
「そう、、なんですね。その、なんと言えば…お悔やみ申し上げます、、、。」
電話を切る。
花屋のお姉さんに電話の内容を話すと当然ながら動揺した。
電話で店長に繋げようにも、何度かけても出ない。
しばらく経ってから掛け直すとようやく出たので、起きたことを話すと絶句した。
まさか自分たちの店舗で、身近な人が亡くなるのだ。
誰も想像できまい。
結局その日、四角さんが入る予定だったシフトを俺が代わりに引き受け、その日の夜勤をこなしていくことになった。
夜間、揚げ物や焼き鳥などが陳列されていた受け皿を独りでゴシゴシ洗っていると、資格さんの最期のことで頭がいっぱいになった。
彼は最期、何を思ったろうか。
彼はなぜ急に死んでしまったのだろうか。
彼の体調の悪化は、本当に車の衝突事故だけが原因だったのだろうか。普段から人生に対して悲観していて、その無意識の思いが彼の体調の悪化を招いたのではないのだろうか。謂わば、無意識による自殺だったのではないか。
しかし、彼の残された家族も不憫だ。
まだ下の子は中学生になったばかりだと言う。
さぞショックだろうに。
什器の皿を洗い終わり、店長室に戻り椅子に座り、煙草を取り出しライターで火をつける。
蛍光灯の切れかかった薄暗い店長室の天井を見つめながら、彼の冥福を祈り、俺は少し泣いた。
翌朝、店長が出勤すると、目元が赤くなっているのが見てとれた。
店長は一日中忙しない感じだった。
後に四角さんの妻と見える人が来店して、店長と話していた。
自分の働いているところでまさかこんな形で人が居なくなるとは思いもしなかった。
令和元年10月1日
消費税が8%から10%へと引き上げられた。
駅前のコンビニということもあり、近くのテレビ局から税率が変わる瞬間をカメラに収めるべくアナウンサーたち一行が来店してきた。
「すいません、今から消費税10%の引き上げの様子を撮影したいのですが宜しいでしょうか?」
と、テレビ局のスタッフが聞きにくる。
「はぁ、どうぞ」と、俺。
ようやく俺にもカメラのスポットライトが当てられる日が来たか。
俺はレジから店長室へと戻り、鏡で髪型を確認する。
満を持してレジに戻ると、アナウンサーのお姉さんがボールペンを一つ買って退店していった。
しかしそこにカメラの姿はなかった。
俺はいつになったらカメラが回るのかと、まだかまだかとソワソワするも、いつまで経ってもそれらしい展開が見えない。
店の外ではアナウンサーのお姉さんが、何度も取り直されている様が伺えた。
彼此1時間程、リテイクを繰り返した後に、撮影団はそのまま去っていた。
俺は呆気に取られた。
3日後に地元のニュース番組に流れるというので、家でテレビを眺めていると、見知ったコンビニが画面に映し出され、例のお姉さんがそこに居た。
「えー、ただいまこちらのコンビニでボールペンを買ってみたところ、、確かに税率が10%になっていました!」
終わり
そこに俺の姿は映されていなかった。
はなからレジ店員を映す気などなかったのだ。
ふん、くだらん。
しかし、1時間も撮り直した結果、10秒しか地上波には流れないのな。
俺はコンビニを通じてテレビの闇を垣間見た。
12月になり、また寒い日々が続くようになる頃、俺はコンビニを辞めた。
本来であれば10月中旬に辞めるつもりだったが、四角さんが亡くなったことで、店が忙しくなったこともあり、12月の月初まで働くことになったのだ。
はぁ、今日で終わりか……
思えば人生初の夜勤、色々あったなー。
店を一人で任され、あれこれする日々。
眠い目を擦りながら店長室で煙草を吸ったり、モンスターエナジーを飲んだり、朝明の時間をしみじみと感じたり。
ちょっぴり俺はおセンチになった。
そして、
店を辞める時、店長から応援の言葉をいただき、俺は満を持して受験に励むこととなった。
…はずだった。
さて、問題。
怠け者が仕事を辞めたからといって、その瞬間から受験ファイターになれるだろうか?
答えはNOだ。
例年通り、やる気が起きずうだうだと過ごす日々、漫画喫茶に行き、『無職転生』を読み、主人公の生い立ちと自分を重ね合わせる日々。
終いには、創作活動がしたくなり小説家になろうにとある作品を書いていくことにした。
話の大筋は大体こうだ。
《コンビニで働く冴えない23歳の青年が仕事に疲れ果てて家に帰って寝て、次の日起きると、自分と女の子しかいない世界になっていた。青年は道端で泣いている女の子たちを拾い集め、男と大人たちが消えた街に残された設備を使い女の子たちを養っていくのであった。》
ここでいう設備とは車とか、ショッピングセンターとか諸々のものを言うのだが、まぁ現実が辛くなったので、自分が必要とされる理想的な世界を創り上げたのだが、これが書いてみると意外と楽しい。
俺は勉強そっちのけに創作活動を続けた。
出来た作品をLINEで友人たちに披露する。
彼らは喜んで読んでくれた。
俺の世界が誰かの役に立っているんだ……
しばらくすると書いてる内容が恥ずかしくなったので、小説を削除した。
もっともあれ程時間をかけて書いたものを完全に消すのは忍びなかったので、小説の内容を消して、当時流行り出して間もなかったコロナ関連の英語の記事をコピペして貼り付けて、本文とタイトルを無関係なものにすげ替えるだけに留まった。
年末年始を終え、いよいよセンター試験まで2週間を切った頃、俺は焦り焦った。
しかし、どうにも実際の行動に結びつかない。
頭の中では今やればまだ間に合う、という言葉と、もうどうせ間に合わない、手遅れだ。という言葉がぐるぐる回り布団に寝込む日々が続いた。
結局、この年のセンター試験は完全なる敗北だった。
試験中、これからの人生どうしたいいんだろうとばかり意識が向かった。
休み時間中、Twitterで知り合った、同じ5浪の人とリプで傷を舐め合った。
「もぉ〜、ほんとボクたちどうなるんですかねえ…( ; ; )」
「いやほんとw鬱だわ、、、」
夕方になり、試験場を出る頃、雪が降ってきた。
嗚呼、この雪は俺だ。
俺の人生もこの雪のように地面(試験)に落ちるや否や溶けて、儚く散っていくのだろう。
センター試験から数日が過ぎ、重い腰を上げてようやく自己採点をした。
その結果
52%
またこれかよ。
この数字、去年から一昨年にも見た気がするぞ………。
すべてがどうでも良くなった。
俺はバイクに乗り、近くの山の公園まで出掛けた。
夕暮れ時、寒空の下、平日の誰もいない公園のベンチに座り、自販機で買ってきた熱い珈琲の栓を開け、空を眺めた。
遠くの木でカラスが鳴いている。
夕陽で赤色に染まった鉛色の空に我は何を想ふ。
珈琲を飲み終えると、公園内をあてもなく歩いた。
すると竹馬が置いてあるのが見つかる。
竹馬か…幼稚園以来乗ってなかった……。
結局、あの時も挑戦したけど乗れなかったんだよな……。
昔を思い出し、不意に竹馬を手に取った。
17年ぶりの竹馬の乗り心地は実に面白いものだった。
つま先立ちをしているようで、その実、自分の足ではないもので歩くのは不思議な感覚だった。
それから夢中になり1時間ほど、誰もいない夜の公園で竹馬に乗り続けた。
その後も、何度も暇を見つけたは竹馬に乗りに行き、2月になる頃には、公園の端から端までは歩けるようになった。
こんな面白いものがあるというのに、世間の目を憚って乗らないのは実に勿体ないと思った。
竹馬と対を為すのが、一輪車だろう。
一輪車もそうだ。
俺はあれを幼稚園の時に練習したが一向に乗れる気配が無かった。
だが、今やればきっと乗れるはずだ。
そして乗れた暁にはきっと楽しい気持ちになるだろう。
あの不安定なバランスを維持する感覚は不安を解消することに繋がるはずだ。
しかし、現代日本では一般的に竹馬や一輪車は大人のおもちゃとしては扱われおらず、趣味で買おうにも世間の目が気になっておいそれと買えない。
スケボーとかよりぜってぇこっちの方が楽しいんだわクソボケが。
俺はそんなことを思い、フラストレーションが溜まった。
2月末、本来であれば医学部の2次試験を受けているはずだったのにと、理想と現実のギャップに苛まれ苦しんでいた。
それまで使っていたTwitterのアカウントは、度重なる暴言の書き込みにより凍結されていたので、また新たにアカウント作り直した。
俺は、そのアカウント名をこれまでの浪人生活を皮肉るように『浪疾苦』と名付けた。
他者から承認されることに飢えていた俺は、アカウントを作るや否や、ハッシュタグを使いフォロワーを稼ぐことに専念した。
《春から浪人予定
一緒に頑張れるお友達が欲しいです!
気軽にフォローお願いします
#春から浪人
#浪人生と繋がりたい
#RTした人全員フォローする》
こんな感じのツイートを延々と垂れ流すことを2週間ほど続けていくと、6浪というのがウケたのか瞬く間にフォロワーが1000人に到達した。
ふーん、こうすればよかったのか。
3月になり国立大学の医学部の合格発表が始まると、タイムラインには、俺が喉から手が出るほど欲していた医学部合格のツイートが流れてきて発狂した。
俺もみんなから賞賛されたひ!
祝福されたひ!
俺はTwitterで医学部に合格したと虚偽のツイートした。
すると驚くべきスピードでいいねが増えていき、多くの人から祝福のコメントが寄せられた。
き、気持ちいい……///
これが合格の疑似体験か…!!?
それから、それまで溜まりに溜まった抑圧されていた鬱憤をぶつけるかの如く、あらゆる大学の医学部に合格したという虚偽の合格ツイートを次々に発信していった。
よし、トドメは東大理Ⅲに合格したツイートを送信…っと。
《お、お、お、おおおおおお!!!なんと、、、なんと、、、、、!!!東京大学理科三類に合格していましたァァァァ!!!!(;_;)これまでの努力が報われて本当に良かった(´;Д;`)》
このツイートはそれまでの有象無象の医学部とは違い、圧倒的速度で伸び続け、遂には5000いいねに到達した。
たくさんの賞賛のコメントが寄せられる中、眉を顰めるコメントが見つかる。
「みなさーん、コイツの他のツイートも見てくださーいw コイツ他の大学にも受かってるとか言ってるんで嘘つきですよーwww」
「うわぁ…可哀想な人……笑」
「きっつ…」
「これが大学に落ち続けた人間の末路か」
まず脳みそが瞬間沸騰した後、急いで冷却しようとして、するとその刺激が胃の方に行き、胃がチクチクし出して、お腹をさすると、今度は全身に蕁麻疹が出てきて、身体中にアンチの非難が走り回っているような気がした。
気分が悪くなり、俺は即座にアンチコメントを寄せてくるカスどもをブロックしていき、また、ミュートワードを200個ほど設定し、徹底的に不快なコメントが目につかないようにした。
それでもミュートワードの穴を掻い潜り俺に寄せられる悪意あるコメントは絶たなかった。
なんなんだよ、コイツら。
俺がお前らに直接的に何か悪いことしたのかよ。
赤の他人に何故そんなに無慈悲になれるんだ。
俺は人間が嫌いになった。
祝福のコメントが9割だとして、アンチのコメントは1割と、数にしては少数だったが、この時の俺は、大学受験に失敗し、友達もおらず、特に人生に絶望していたので、アンチのコメントが刺さった。
多浪の心は繊細なんだからな。ふざけんな。
虚偽の合格ツイートでアカウント作成からフォロワーは1ヶ月で3000人に達したが、俺はしばらくTwitterが嫌いになった。
そうこうしている時、コンビニ時代の先輩であるオールウェイズさんから電話が掛かってきた。
俺は後ろめたさから居留守をしようと思ったが、遂に出てしまう。
「おう中村、元気か?」
「え、ええ、まぁ…」
「医学部受験どうだった?」
「あー、えーと…2次試験まで行った(大嘘)んですが…駄目…でした…ね」
「そっかー、まぁ強く生きてくれ、じゃーな」
--プツン--
Twitterでセコいやり方で承認欲求を稼ぐ自分。
2次試験を出願すらしていないのに、2次試験を受けてきて、あと少しのところだったという含みを持たせて話した自分。
5浪しても52%しかとれず、廃人と化した自分。
すべてが嫌になった。
それから2週間ほど布団に包まる生活を送った。
コンビニで蓄えた貯金を切り崩し、カップ麺と酒と煙草を摂取するだけの日々。
5浪して結局52%か…
こっちに来てから早2年。
親に単価を切り、大学を中退してまでやってきた結果がこれか。
6浪?
いや、もうそんな気力ないわ。
はぁぁぁあぁ
もうすべてがどうでもいい
本当にどうでもよくなった
どうせこの先生きてても良いことなんてないしタヒぬか。
死ぬならなるだけ自然に還る死に方がいいな。
綺麗な山で凍タヒしたい。
山に登ってタヒねば、家族にも自56したようには見えないし、それほど禍根は残さないだろう。
今の時期だと北アルプスに行けば雪も残っているし、頂上まで登った後、夜空を眺めながらタヒぬか。
そんなプランを延々と考えていた。
しかし自56マニュアルなどというサイトを見ると、どうも凍タヒも穏やかなタヒではないらしい。
結局、穏やかなタヒなんぞいうものは、老衰かスイスの安楽タヒかの2択なのだろう。
つまらない。
結局、自56する勇気も持てずに生きながらえることになった。
しかし、人生でこの時期ほど自56したいと思ったことは後にも先にもなかった。
それ程までに思い詰めていたのだ。
余談だが、受験の際に高校で貰う調査書は、5浪で一旦打ち切りになるのだ。
6浪目以降は、成績証明書なるものしか発行して貰えなくなるのだ。
勿論、それで受験自体に支障が出ることはないのだが、気持ち的にも5浪が浪人の区切りのような気がした。
3月末、深い鬱が多少和らぎ出した頃、
俺は受験から脚を洗うべく、就職することにした。
試しに、アニメ会社の応募フォームに飛んでみた。
そのアニメ会社の名は、『ufotable』
アニメ『Fate シリーズ』や『鬼滅の刃』で名を馳せているアニメ界の大御所だ。
それまでアニメ制作の現場を題材にしたアニメ『SHIROBAKO』を見たことなどから、アニメ制作に興味を持っていた俺は、応募フォームに早速、履歴や志望理由を書いていく。
…しかし、書いていく最中にそれまであった熱は冷めてしまう。
2浪→某Fラン大学中退→5浪失敗
尚且つ医学部受験に深いコンプレックスを持っている。
こんな奴、果たして企業は採るだろうか……。
一応、送信はしてみた。
数日後、企業から、次の審査に移ってもらうべく、より詳細なことを書いて送るよう指示が書かれたメールが届く。
どうせやっても受からんだろ。
俺はメールに返信を送るのを辞めた。
結局俺には医学部受験しか残されていないんだ。
青年は流されるように6浪の道を歩み始めた。
世間には桜が咲いていた。
5浪目の3月はマジで一番辛かったです。
コンビニの夜勤とインスタント食品で知らないうちに自律神経が壊れていたんだと思います。