中村和馬立志編(3浪時代後編)
2017年11月-2018年3月
自動車免許を取得した。
俺は医学部は受験をするべく計画を立てることにした。
実家で受験勉強を続けるのは非常に難しい。
なぜなら2浪まで宅浪で、その後Fラン大学を半年で中退しているから、親との空気が悪いのだ。
そんな中、受験勉強をするのは精神的にも酷なのは明白だった。
俺は誰からも邪魔をされない(1.2浪時に邪魔をされたことはなかったが)、一人暮らしを夢見るようになった。
どこか遠い地で一人暮らしをして、そこで受験勉強をするのだ。
春はバイトをして、夜は勉強をする。
そして国立医学部にバシッと受かって実家に凱旋する。
漢たるもの、一度決めたら最後までやり通すことが大事なのだ。
末は学者かお医者さんか。
実に俺に相応しい。
そして後にはうちの家名に錦を飾ってやろうじゃないか。
そんなことをムフムフ考え出した。
そして一人暮らしをする地域を決めた。
家からバスで10時間程かかる甲信越地方のとある地方都市だ。
近くには山があり、気分転換に山登りをすることもできる。
少し歩けばまた1番の駅に行ける。
バイクで20分くらい走れば大型ショッピングセンターに行ける。
ここで暮らしていくには充分な環境が備わっていた。
早速、資料を作成し、親に掛け合いに行った。
「はぁ?何馬鹿なこと言っての」
猛反対を喰らった。
俺の人生いつも猛反対だな。
しかし、大学を辞めた以上、もはや自分のやるべきことは決まっていた。
1週間に及ぶ家族会議の結果、なんとか親の了承も得られた。
なぜ親の了承が必要なのか。
これは精神的な話ももちろんあるが、制度上の親の助けが必要だったからだ。
アパートを借りる際、連帯保証人が必要になってくる。
俺はそんなことを頼める友人を持っていなかった。
だから親のサインがどうしても必要だった。
20歳になって、一人暮らしをするといっても結局、正社員として働いているわけでもないので親の助けは必要なのだ。
10月末
引っ越し屋さんに段ボール10箱ほど回収してもらい、俺は単身、深夜バスで新天地へ向かうのであった。
父さん、母さん…俺、必ずBIGになって帰ってくるから…
青年は胸に大きな野望を秘めて生まれ故郷を去っていった。
朝4時ごろ、終点のバス停に着いた。
俺は透き通ったひんやりとした空気を肺いっぱいになるまで吸い、暗い夜空の向かってふぅと吐いた。
これから俺の新たな人生が始まるんだ。
確かな希望を胸にキャリーバッグを引いて不動産屋の方角は歩き始めた。
辺りは暗く、静かだった。
遠くから新聞配達の人がスーパーカブで走っている音が聞こえるだけだった。
近くのコンビニで珈琲とマルボロメンソールを買った。
星々が煌めく夜空を眺めながら珈琲と煙草を飲む、極上の世界へようこそ。
こんな経験したいと思ってもできませんよ!
歩き続けていくと河の上の橋に濃い霧が掛かっていた。
向こう側が全く見えない。
俺が住んでいた地域ではこんな現象見たこともなかった。
まるで神々が俺の門出を祝福してくれているかのようだった。
不動産屋が開くまでまだ時間があったので、マクドナルドで朝マックを食べた。
朝9時になり、開店時間になったので、マクドナルドを出て不動産屋へ向かった。
「こんにちは、10時から予約していた中村です。」
「お待ちしておりました中村様、では住居の方へご案内します。」
俺は車に乗り込み新居へ向かった。
新居前へ着いた。
ここに来るのはちょうど2週間前だったか。
前に来た時は、家の前の葡萄畑には丸々と太った葡萄がぶら下がっていたが、ここ2週間で収穫されたらしい。
近くの山には住居が立ち並んでいた。
天空の城ラピュタを彷彿とさせる街並みだ。
遠くには薄らと雪掛かった日本アルプスが聳え立っていた。
俺管理人から鍵を受け取り部屋に入った。
南向きの2階、ロフト付きの単身アパートだ。
家賃は2万円という破格。
さすがは地方都市だ。
しばらく陽光が射す窓辺に横になり天井を眺めた。
知らない天井、顔に差し掛かる陽光、外から聞こえる小鳥の囀り。
静かな昼だった。
しばらくするとインターホンが鳴って、引っ越し屋さんが入ってきた。
段ボール10箱くらいがどんどん置かれていった。
中身は主に衣服と参考書だった。
とりあえずその日は引っ越し祝いということで、近所のスーパーでケーキとワインを買ってきて1人乾杯した。
翌日、目が覚めると、今後の予定を紙に書き出していった。
今が11月だから残り2ヶ月で東大理Ⅲに受かるには1週間で青チャートを終わらせて、やさ理を1週間で終わらせて、ハイ理を1週間、名問の森と化学の新演習も同じくらいの時間で終わらせて、センター過去問は1週間で5教科7科目を10年分終わらせて…
極上だ。
完璧すぎる計画を立ててしまった。
これから2ヶ月でこの通りに勉強を進められて東大理Ⅲに受かってしまったら俺は生きる伝説になるぞ。
そうしたらメディアが放っておくはずがない。
たちまち俺は受験界隈のスーパースターになってしまう。
計画を立てたことに安心した俺は、外に出てマルボロを吸う。
はぁぁ…一仕事終えたあとの煙草は格別だ。
その日は朝から始まる俺の伝説を祝して赤ワインで乾杯した。
翌日
食っていくために仕事を探す。
近場のバイト先を検索すると蕎麦屋がヒットした。
早速、そこに電話を入れて面接の予約を取り付けた。
面接は1週間後となった。
その間、俺は青チャートと睨めっこすることになったのだが、一向に理解できない。
当初想定していた進度から大幅に遅れてしまい3日も経たないうちに勉強するのをやめた。
気分転換に旅行に行きたくなった。
と言っても、脚がないので原付バイクを購入することにした。
今手元にあるのが15万円なので、そこから当分の生活費を抜くなると8万円ほどしか予算がないことになる。
近くのバイク屋に行って、その予算で何かないかと店員に聞いてみる。
すると2台紹介された。
一つは5万円の汚らしい原付、もう一つは8万円のそこそこの見た目の原付。
俺は後者を選んだ。
納車は1週間後とのことでワクワクした。
蕎麦屋の面接の日になり、店舗へ向かった。
僕「すいません、面接の予約をしていた中村です」
店員「裏口から入り直してください」
……
店長「どうぞ、そこに腰掛けてください。えー、ではまず履歴書を拝見します…ほう、元々関西に住んでいて、大学を中退して、ここに来たと……。これはどうしてなのかな?」
僕「いろんなことが嫌になりまして…(医学部のことは黙っていよう)」
店長「なるほどね。まぁそういうこともあるでしょう。よし、いいでしょう。中村さんは採用です」
僕「え!マジすか!そんな即決しちゃっていいんですか!?」
店長「ちょうどうちも従業員が少なくてね。別な店舗になるけれど同じ系列店だから安心してね」
僕「はぁ…(ここじゃないんだ…)」
初勤務は2週間後と決まり、その間に原付バイクの納車を済ませた。
人生初の原付バイク。
これまでどんなに遠いとこも自転車を漕いでいたが、これでようやく楽ができる。
人生初のスロットルは思いの外、勢いよくバイクを発進させた。
うギャァァァァァァ危ない危ない
危うく事故を起こすところだった。
なにせ初めてのことなので加減がわからない。
しかし、公道へ出て運転していくうちに感覚が掴めてきた。
なんだこれ…面白すぎだろ……!!
俺はバイクが好きになった。
家に帰り、早速旅行の計画を立て始めた。
行き先は静岡県沼津市。
2017年秋、ちょうどアニメ ラブライブサンシャインの2期が放送していたのだ。
俺はこのアニメの大ファンだったので、聖地巡礼をしたかったのだ。
出発は納車日から2日後の朝に決めた。
それまで練習も兼ねて付近をドライブした。
そうして出発日となり、俺は万全の装備をし沼津へと向かった。
道中は富士山の麓を通ることになっていた。
後ろから迫り来る車に気を遣いながらの運転はかなり疲れるものがあった。
安い原付なので、シートが硬い、途中バイクを降りてストレッチをする必要があった。
特に長いトンネルを走るときは命懸けだった。
フルスロットルで60km/hで走っていても、どうしても車に追いつかれてしまう。
どうもトンネルでは車は平均80km/hで走るらしい。
車に追い抜かされるのは構わなかったが、大型トラックに抜かされるときは死を覚悟した。
20m級の大型トラックが迫る中、逃げ切るのは無理だと悟ると、減速して出来るだけ傍によった。
そこへトラックが勢いよく追い抜かしていく。
空間を抉ったトラックによる風圧がエグい。
なぜかトラックに吸い寄せられる方向に風が向かうのだ。
少し気を抜くとトラックのタイヤに吸い込まれる気がした。
こんなことが何十回もあったのだ。
そして、そういう状況でフルスロットルで60km/h 走行するのはメンタルに響く。
タイヤが小さく軽い原付でそれをやると、大型バイクだと大したことない道路の割れ目や石ころでも原付で運悪く当たると、衝撃に耐えられずバイクごと空中は投げ出されてしまう気がしたのだ。
そこへトラックが後ろからぶつかってきたら死は免れないだろう。
そんなヒヤヒヤした道中だったが、やはりツーリングは楽しい。
綺麗な空気を吸いながら、風を切って走るのは開放感がある。
遠くに見えてた富士山が目の前に見えた。
ここらで一服。
マルボロの紫煙を肺一杯にまで吸い込む。
これ格別なり。
原付を走らせること5時間。
ようやく静岡県に入る。
原付でも走行可能な高速道路のようなものもあるらしいが、轢かれそうなので下道で沼津まで行くことにした。
後ろから猛スピードで走ってくる車がないこと下道は緊張を解きほぐしてくれた。
そうして油断していたところに現れるのが警察である。
俺は、一時停止の十字交差点を一時停止をせずに徐行運転していたことで、鼠取りをしていた警官に捕まってしまったのだ。
プォオォオオンとパトカーのサイレンが鳴り響く。
警察「はいそこの原付バイクの人ォ止まってー」
河川敷にバイクを停めて、パトカーから警官2人が降りてくる。
警察「駄目じゃないかー、あそこは一時停止しなきゃいけないんだよ」
僕「はぁ、見逃してくれないすかね…」
警察「駄目だね」
僕「そんなぁ…」
バイクに乗り始めてから3日目ではあるが、実はこれが初めての交通違反ではなかったのだ。
バイクを乗り始めた2日目に俺は交番へ道を聞こうと駅のロータリーにバイクで侵入した。
どうもそこのロータリーはタクシーやバス以外侵入禁止になっていたらしい。
道なんて今のご時世スマホがあれば十分だろ思うかもしれない。
事実そうなのだ。いくら通信制限があるとはいえ、時間をかければいくらでも検索することはできなのだ。
しかし、俺は孤独だったが故に、誰かと話したいがために、交番へ駆け込んだ。
警察相手なら俺の話も聞いてくれるだろうと思って近づいたのだ。
俺は病んでいた。
そして、道を尋ねようと交番に入ると、目の前に見えるバイクを指さされ、切符を切られたのである。
そして、今、静岡県への旅行中に警察に捕まっている。
この時、免許を取ってから1ヶ月しか経っていない。
運転免許初心者は6点で免許停止となる。
一度の軽度な交通違反で2点引かれる。
そして今回累計4点目だ。
免許取得してから1ヶ月で免停までリーチが掛かってしまった!
おかしいな。僕は誰よりも法律を守る心優しい市民のはずなんだが……。
悶々とした気分のまま沼津へ向かった。
作中、主人公の実家のモデルとなった安田屋旅館前に着いた。
そこにはアニメで何度も見た景色が広がっていた。
砂浜にはラブライブ好きのオタクどもが群がっていた。
波打ち際に Aqours (※作中のグループ名) と書いてそれが波で打ち消されるところを動画に収めようとしていた。
俺もミーハー魂が燃えて真似した。
ちょっと恥ずかしかった。
次に作中、主人公たちが通う高校、浦の星女学院のモデルとなった長井崎中学校へ向かった。
長井崎中学校は海に面した高台の上にあった。
長い坂道の途中には蜜柑畑がいくつもあった。
長い坂道も原付があればなんの苦労もなく登れるのだから良い。
校門前に着くと早速写真撮影に取り掛かった。
校庭、校舎、校門、辺りの景色……。
ちょうどその日は休日だったこともあり、校門から見える体育館では生徒たちがバスケットボールに興じていた。
それを見守る父兄と先生たち。
俺はそれを校門の外から撮影する。
やっていることが不審者だった。
校門には「関係者以外の方は、学校用地へ無断で入らないでください。生徒や教員が写り込む写真等は、撮影しないでください。」と書かれた札が掛けられていた。
でも仕方ないよね。
こんなところを聖地にしたアニメ製作者と校長が悪いんだよ。
高台を降りる途中、内浦の海の先に富士山が見えた。
こんなところで中学校生活を送れたら楽しかっただろうなぁ…。
ここの生徒は地域ガチャに成功したのだ。
生涯その喜びに浸るといい。
さて、一通り観光もできたし、あまり遅くならないうちに帰ろう。
原付バイクでは片道7時間かかる。
あんまり遅く出ると真っ暗で路面凍結している中、富士山麓を通らなければならなくなる。
UNIQLOウルトラライトダウンを二枚重ねにしていても、11月の夜の冷気には耐えられなかった。
仕方なく付近のネットカフェで一晩過ごした。
郊外のネカフェは都会のネカフェと比べて広くて綺麗で安い。
都会はクソ。郊外最高。はっきりわかんだね。
翌朝、お日様の登るのと同時に店を出てバイクを走らせた。
富士山が目の前に見えるゴルフ場の入り口を通ると昨晩の寒さで枯れ草に霜が降りていた。
あまりに綺麗だったので、バイクを降りてしばらくその景色を肴に煙草を楽しんだ。
朝方なので寒いことには変わりないが、やはりお日様が登っているというのは峠を越すのにとても心強い。
そうしてまた数時間、バイクを走らせ昼前にはホームタウンにたどり着いた。
ふらふらの状態で牛丼屋で食べたネギ玉丼つゆだく紅生姜七味大盛りは格別だった。
自宅に着くとそれまでの疲れにから、確かな達成感とともに眠りについた。
12月上旬、いよいよ蕎麦屋のバイトが始まる。
初めに店長から店舗の説明を受けた。
店舗の歴史から店舗の運営理念等を聞いた後に
「このバイトをしたら他の仕事が楽に思えるよ」という話を聞いた。
将来的に医者としてデビューする俺としては、下々の厳しい労働を知っておきたいという想いがあるので、望むところだと思った。
初めはメニューの注文係として働く、それに慣れてから厨房を任されることになる。
「一名様ご来店です」
「あいよー!」
「いらっしゃいませー!」
「い、いらっしゃいませー」
「君、声が小さいよ、もっと自分の殻を破って」
「は、はぁ…」
これから2週間が経った頃、業務にもだいぶと慣れてきた。
「ご注文お伺いします」
「これの特盛と単品で海老の天ぷらで」
「御確認します、もりそばの特盛と単品の海老の天ぷらですね」
「はい、そうです」
「せいろ一枚乗せ一枚と天ぷら一つ!」
「あいよー!」
バイトの仲間も良い人で恵まれていた。
・近所の私立大学に通いながら関西大学への編入を狙う大学生
・中学生の娘を持つ健気なシングルマザー
・15年ぶりに子供を産んだ快活なママさん
・禿げで変態で面白い30代後半の柏原さん
・娘3人を育て上げたサッカー好きの気さくなおじさん
・バセドウ病と思われる頼れる店長
この中で柏原さんとは、バイトを辞めるまでよく話した。
仕事にも慣れてきて深夜に店を閉めるラスト作業を柏原さんと一緒に任されるようになったとき、柏原さんはよく独り言を話していた。
「ふんふふんふふーん♪ んにょきーwww わしゃーしゃしゃーwwww 」
何このおじさん面白すぎだろwww
俺は店舗のバックヤードで煙草を吸いながら監視カメラから聞こえてくる厨房の声に耳を澄ませてゲラゲラと笑った。
柏原さんは根っからのロリコンだった。
土日の昼間、幼稚園児くらいの娘を連れた家族が来店し、女の子が食べ終わったお子様ランチのフォークを食器と一緒に返却口に置いたとき、このサッカー好きの気さくなおじさんは柏原さんに向かって、「かっしー、フォークあるけど舐める?」と聞き、柏原さんは「おおー!舐める舐める!!」と意気揚々と応える。
俺はそのやりとりを聞き笑いが止まらなかった。
世の中にはこんなにも面白い人がいるんだなと。
その日から俺は柏原さんを尊敬することになった。
端的に言うと、禿げで変態でアニオタで仕事もできて面白いのにフリーターでよく分からない生き方をしているけど、悲壮感を感じさせず強く生きている柏原さんという生き物に興味が湧いたのだ。
それに比べて俺は……この人のように強く生きれるだろうか………。
2017年12月31日 大晦日
家族や友達と過ごす必要のない俺は、ここぞとばかりにシフトに捩じ込まれた。
蕎麦屋だけあって、年越し蕎麦として食べに来る客はたくさんいた。
0時、店を閉じ、閉店の作業をしていると別の店舗から店長が応援にきていつもより早く帰ることができた。
コンビニで温かいブラックコーヒーを買い、近くのお寺に向かい2018年が良い年になることをお祈りして珈琲を啜った。
2018年1月13日 センター試験1日目
地理Bを受けるために朝から近所の国立大学のセンター試験受験会場へと向かった。
やれやれ、人生4回目のセンター試験を受けることになるとは…
不思議と緊張は全くなかった。
それもそのはず、今日は昼から蕎麦屋のバイトが入っているので、地理だけ受けて帰るつもりだったからだ。
センター試験で緊張する状況とはどのような状態なのか。
それはなんとかその日までにセンター対策を済ませ、あとは本番で凡ミスをしないか、それだけを不安に思っている状態の者だけが感じる感情なのだ。
俺はというと、センター対策は試験一週間前から絶対に間に合わないことを悟り諦めていた。
そして、都合の良いことにバイトが入り、完全舐めプで本番を迎えることになったのだ。
挙句の果てに、前日にスーパーでキットカットとカイロとそれらをラッピングする為の袋を買い、試験日に大学の正門前で受験生に袋に包装したキットカットとカイロをあげるお兄さんになったのだった。
「おはようございます!試験頑張ってくださいね(ニチャァ)」
そう言って道ゆく受験生に渡していった。
普通、こういったものには予備校などの広告がついて来るのだが、俺のは完全なる善意から来るものでそういったものは一切入っていなかった。
こんなん誰もが欲しがるやろうなぁ(ニタニタ)
しかし、配り続けていると、ある傾向が際立ってきた。
どうも袋を受け取る人が、いかにも試験に自信がなさそうな暗い顔をした男子だったのだ。
そうか……、そういえば俺も現役生だった頃、こういうものを受け取るときは不安を打ち消す目的で受け取ってたんだっけな…。
どうせ受からない、無駄金を払っただけの試験にするより、予備校が無料で配っているお菓子を貰って、少しばかりの元を取ろうとする薄汚くセコい感情が蘇ってきた。
なるほど、自信がある受験生は、そもそも準備万端の姿勢でくるものだ。
前から用意していた自前のドリンク、お菓子、カイロくらいそりゃあ持ってくるよな。
わざわざ門の前で貰うなんてことプライドが許さないよな。
そんなことを感じながら、自分の分を残して一通り配り終えると俺は試験会場へ向かった。
こういうこともあり、
そんな状態で緊張なんて起こるはずもなく、周りの受験生を見回して、こいつらは人生のかかった時間に緊張してるんだろうなぁとぼけーっと眺めていたのだった。
10:40
問題用紙が配られて、社会の試験(制限時間60分)が始まった。
バイトは12時からなので11時20分頃に教室を抜けてバイクで向かえば間に合うだろうと考えていた。
それまで適当に問題文を流し読みして適当にマークシートに黒鉛を塗りたくった。
11:20
俺は手を挙げた。
四角い眼鏡を掛けた厳格そうな初老の試験官が寄ってくる。
「あのー、バイトがあるんで帰っていいですか?」
単刀直入に申し上げる。
その申し出を聞いた途端、試験官の眉間に皺が刻み込まれる。
それまで一受験生の要望に真摯に応えようとしていた試験官は、この瞬間から俺を異常者のように認識したようだ。
試験官の目は吐瀉物を見るようなものと化していた。
想定していなかった質問だったようなので、一度本部に掛け合ってみると言って試験官は教室を出て行った。
早くしてくれ…じゃないとバイトに遅刻してしまう………。
10:30
試験官が戻ってくる。
「えー、本部に掛け合ってみたところ、試験が終わるまで教室に留まるように、とのことです。」
「は?いや、こっちはバイトがあるんですって。遅刻しちゃうんですって」
「そういう規則なので。」
試験官は吐き捨てると教室の前にスタスタと戻っていった。
結局11:40まで教室に留まり、解答用紙が回収される等の諸手続きが終わる待つことにより、大学を出るのが11:50になった。
バイクで飛ばしても間に合わないので、仕方なく店舗に寝坊しましたと嘘の理由を話して遅れることを伝えた。
21歳で大学受験をしているとは恥ずかしくて言えなかった。
翌日のセンター試験2日目は朝からバイトが入っていたので、会場には行かずに初めからバイトへ向かった。
そうして3浪目の試験は終わった。
後にも先にもセンター試験を1科目だけ受けてブッチしたのはこの年だけだった。
他の年は全て受験したのだ。
2月、3月はバイトがぎっちり詰め込まれた。
飲食チェーン店というのはとにかく人手不足らしく店長は週80時間労働が当たり前だった。
俺も週50時間くらい働く羽目になった。
元々バイトだから勉強に支障が出ない程度に軽く働くつもりだったのだが、休みたいと言っても、もう少し入ってくれと頼まれるばかり。
ある日、嫌気がさして同じくバイトのサッカー好きの気さくなおじさんに
「ここってブラックバイトなんじゃないですか?」と愚痴ったところ、
「ここがブラックバイトなんじゃなくて君がブラック人間なんだ」と一蹴された。
このおじさんはバイトが入ってない日は、バイクの修理工を本業としていて、総労働時間としては店長よりも働いていて、それなのに気さくなのだ。
謂わばアイアンマンだ。
そんな人からそう言われた言い返せるはずもなく、俺は閉口した。
そんな調子で2017年度は終わっていった。