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公爵令嬢謎の恋文事件 後

「申し訳ないことをしたわね」

「なんです、突然?」


 一通り招待した令嬢たちにアレイヤの話をしたところで落ち着いたゼリニカは、冷えた飲み物で喉を潤すノーマンに謝罪した。腕を組んだ状態で謝罪されても、とノーマンは思ったものの、改まられても困るので指摘はしなかった。


「もっと積極的にアレイヤ様を口説く様子を見たかったのだけれど、うちのロナルドもアレイヤ様の選択肢に入れてみたらどうかしらと思ってしまったのも事実なのよ」

「本当に何なんです?」

「今日のことを話した時、あの子がアレイヤ様と話してみたいと言ったものだから……。珍しいことなのよね、ロナルドが特定の令嬢を話題に出すのなんて」


 だから、とゼリニカはノーマンを見る。

 その目がいかにも何か企んでいます、といった含みを感じて身構える。

 ノーマンがアレイヤに好意を抱いていると自覚したのはレオニールとゼリニカが原因としか言いようがない。


 貴重な光属性の魔力の持ち主。

 婚約相手となれば基本的に王族。または魔力の高い貴族が選ばれる。


 前回いた光属性の人物は魔力が少ないために魔力量が国内で一番多いクロード・ランドシュニーが婚約者に選定されたけれど。

 常識的に考えればアレイヤの婚約者は王族になる。アルフォン第一王子はやらかしてしまったために候補にもならないが、レオニール第二王子であれば年の頃も合うし仲も良い。ノーマンの父親であるドルトロッソ宰相はレオニールの婚約者として考えている節がある。が、ノーマンも年齢差を考えれば可能であるとも思われているので現状保留状態だった。

 それもこれも――


「ノーマン・ドルトロッソ様の働きに期待、ですわ」

「……貴女は誰の味方なんですか?」

「私は私の味方ですわ、当然でしょう?」


 なるほど、とノーマンは再び飲み物を口にする。

 アレイヤもいつかは誰かと結婚する。それでもゼリニカは自分の近くにアレイヤがいればいいと望んでいる。

 ゼリニカ本人も結婚相手次第ではどうなるか分からないというのに。

 確かにノーマンやレオニール、弟のロナルドと結婚すればゼリニカからは近い存在で居続けられるのだろう。あくまでもゼリニカが国内で結婚をしたと仮定したとして考えれば。


「……問題が一つ」


 ノーマンはゼリニカだけに聞こえるように声を潜める。

 生徒会室で毎日のようにアレイヤと顔を合わせているからこそ発見した疑念。

 現状の最有力。


「彼女はほぼ毎日、クロード・ランドシュニーと手紙のやりとりをしています」

「何ですって?」

「正しくは魔法についてのレポートのやりとりのようですがね。書かれている内容までは知らないので、個人的な会話のやりとりだとしたらお手上げです」


 毎回届いたばかりのクロードからのレポートを捲るアレイヤを見て複雑な感情を抱いている。だからこそ自身の中の嫉妬心を無視しきれていない。


 嫉妬心があるのは独占欲があるからだ。

 独占欲があるのは、恋愛感情を持っているから。


 そっと静かに、ノーマンは心の中で呟いた。


(認めよう。私はアレイヤ嬢のことが好きだ)


 ほぼ毎日レポートのやりとりをしているクロードにも、友人だと割り切っていてもお気に入りを公言しているレオニールにも嫉妬している。

 何よりも一番に尊敬されているゼリニカにも、強い嫉妬心を抱いている。

 それでも微かに希望はあると知っている。

 アレイヤは目が合ったと思えば顔を赤くするのだ。それはつまり、外見はアレイヤの好みに嵌まっていると思っていいはずだ。


「せっかくだし今夜、アレイヤ様に聞いてみようかしら。今まで聞いたこともなかったし、私も気になってきたわね……」


 腕を組んだ腕を解きながら、ゼリニカはアレイヤの悪口を言わなかった令嬢令息のいるところへと歩いて行った。



+++++



 差出人不明のゼリニカ・フォールドリッジ公爵令嬢宛ての手紙が実際に目の前に用意された。というか、老齢の執事の後ろにいたメイドがずっと持っていたらしい。

 公爵家の言葉を子爵家の人間が断れるはずもないので、手間が省けていいのだろうけれど。


「解明できなくとも貴女を責めることはありませんので、ご安心ください。分かったらいいな程度の期待値なので」

「そう言っていただけると非常に助かります」

「……苛立たせてしまうと覚悟していたのですが」


 あからさまにホッと胸を撫で下ろすアレイヤにロナルドが怪訝な顔を見せる。アレイヤとしては自身に危機が訪れた時にだけ仕方なく探偵の真似事をするスタンスでいたので、困惑するロナルドや執事たち使用人に首を傾げそうになった。


 どうやら学園での学力や扱いで負けず嫌いだとでも思われていたらしい。

 まったくそういう性格ではないのに。


「ノルマンド子爵令嬢はレオニール王子殿下お気に入りの探偵だと聞いていたので」

「それはあの方が勝手に言っているだけです。そんな将来もありかなー、としか考えておりません」

「本当にレオニール王子殿下と仲がよろしいのですね」

「……そうしないと王子権限で何を言い出すか分からないもので」

「それは……いえ、お疲れ様です」


 何か言いたそうにしていたがすぐに引っ込め、ロナルドは勢いで前のめりになっていた姿勢を戻した。

 男女の仲が近ければ自然とゴシップを見出すのは人として当たり前だ。無理もない。問題は違った時に正しく認識を変えてくれるかどうかだ。ロナルドはアレイヤの言葉で理解してくれた。

 レオニールが王子権限を用いるかもしれない人間だと思われた可能性は無視しておいた。


「では、手紙を拝見しても?」

「もちろんです」


 見たとして、「この手紙を出したのは○○です」と言える自信はまったくない。

 社交界から距離を取らせてもらっている立場の元平民が、公爵令嬢にお誘いの手紙を送るような身分を持った人間の名前を知っているわけがない。

 それでも読み取れる部分があるなら、そこから後はお任せすればいい。


 なんせこの世界の手紙は――手書きなのだから。


 要するに、筆跡鑑定をすれば簡単に差出人を割り出せる。とは言え、アレイヤは筆跡で特定できるほど国内の人物を知らないので、ここは現状最適と思える手を使う他にない。


「ノーマン・ドルトロッソ様にもこの手紙をお見せしても構いませんか?」


 宰相の補佐の補佐として働いている彼ならばすべてとは言わずとも分かるものがあるのではないかと提案してみる。老齢の執事は周囲に待機するメイドたちに目をやった。メイドが二人足早に移動をしてその内の一人がすぐに戻ってくる。執事にふるふると首を横に振れば、老齢の執事が「申し訳ありません」と溜息交じりに謝った。


「なるべくこの件はゼリニカお嬢様には秘密にしたいのです。先ほどドルトロッソ様はゼリニカお嬢様に連れられたまま近くにいるようでございまして……」

「そうですか……」


 必勝法とも言えそうな手を封じられてしまったが、そう簡単に済ませられるようならわざわざゲストの子爵令嬢に頼みはしないだろう。アレイヤは内心ガッカリしたが表には出さず、大きく息を吸い込んで切り替えた。


「やれるだけのことはやりましょう」


 アレイヤの意気込みに周囲の反応は早かった。

 封筒に入れられた便箋をすべて取り出して並べ、差出人のある手紙も用意してもらった。

 筆跡で人物を特定するのは何も画期的な手法ではない。


 差出人が不明なのは五通。一通は夜会への招待状だが、他の四通は婚約の申し込みや恋文だ。

 夜会への招待状と、二通の求婚の手紙については筆跡で目星を付けているようで、差出人のある手紙が添えられた。


「こちらの三通についてはこの通りで合っていると思います。筆跡以外にも文章の構成や書き始めの癖が一致しているようです。ただ、もう一言勝手ながら加えさせていただけるのであれば、これらの書き方はあまりにもお手本通りというか、公爵家のご令嬢をお誘いするには相応しいとは思えません」


 要約すると、代筆は結構だがそんな態度でゼリニカ様を手に入れられると思うなよ、である。


「残るは二通。どちらもすでに送られてきているどの手紙とも筆跡は違っているんですよね?」

「はい。差出人――書き手が同じだと気付いたので、使用人総出で確認いたしましたが、その二通だけはどの書き手とも筆跡が異なっております」


 老齢の執事が代表して教えてくれる。なるほどね、とアレイヤは差出人不明の手紙だけをテーブルに残して、他の手紙は下げてもらった。

 残った二通は書き方も丁寧だし、ゼリニカへの情を感じる。親しくなりたいというより、ただ気持ちを知って欲しい、というような控え目で優しい情。

 恐らくは大量の手紙がゼリニカ宛てに届いているという話を聞いて、自身の気持ちもその中に紛れ込ませようとしたのだろう。読まれずに捨てられることを前提に考えて。

 差出人に自分の名前を書く勇気が足りず……本当にそうなのか?


「そもそも、なぜ匿名で手紙を送る必要があったのか」

「……まず思い浮かぶのは、悪戯や嫌がらせでしょうか」


 アレイヤが無意識に口に出した独り言をロナルドが拾った。


「ええ、中にはあったと思います。第一王子との婚約が消えれば、普通ならばゼリニカ様の傷となります。傷は、貴族の間では笑い話のネタですしね」

「婚約解消後の姉上は、人前では気丈に振る舞っていましたが、時折落ち込んでいるのを隠せない瞬間もありました」


 ただ、とその後に見せた姉の表情は上手く言葉に出せなかった。

 学園での騒動の直後に王城で取り調べを受けて帰ってきたと話した姉のゼリニカは最初こそ本当に落ち込んでいる素振りを見せていた。なのに、気付けば窓の外に目を向けて微笑んでいたのだ。あれは婚約がなくなって安堵した表情ではない。何か愉快なことを思い出した時に出るものだった。

 それからだ。ゼリニカがアレイヤの話をし始めたのは。

 王族との婚姻が不可能になったというのに、悲しむよりも助けてくれた下位の貴族令嬢の話をする姉にロナルドは恐怖した。人間は強いショックを受けると涙ではなく笑顔を浮かべるものなのかと。しかし違った。ゼリニカは冷めた関係だった婚約者の王子ではなく、手を差し伸べ続けていた令嬢との関係を選んで正解だったと言った。


「善い行いをすると自分に返ってくるって本当ね。婚約者はいなくなってしまったけれど、心から信頼できる友ができたのよ」


 下位貴族の令嬢と仲良くする公爵令嬢なんてありえない。その概念があったためにこれまで言えなかったけれどと上目遣いに見た先は両親の公爵夫妻。公爵家は貴族の中でも最高位の爵位だ。その公爵家のしかも長女が子爵家の養子に目をかけるなんて貴族の在り方としてはありえない行動だが、両親は落ち込むよりはるかに良いと、むしろ娘を守ってくれたからと受け入れた。


 そこからゼリニカは明るく意欲的になった。


 すべてを言いはしないが、ロナルドは心の中で深くアレイヤに感謝していた。

 今現在、ゼリニカのために頭脳を活用してくれていることにも。


「普通、落ち込んでいると思いますよね。婚約が解消されたのですから」


 ふむ、と再び便箋とのにらめっこが始まったアレイヤの呟きを拾って返す技量がロナルドにはない。アレイヤの頭の中が、ロナルドにはまったく読めなかった。

 ロナルドはフォールドリッジ公爵家を継ぐ者。婚約者の選定には慎重になる。ゼリニカのこともあってか、余計にだ。物心ついた頃には後継者としての教育が始まっていたロナルドにとって、他人の心を推測するのは呼吸をするのと同じくらい自然なこと。

 だから先ほどから――テーブルに向かい合わせて座ってからずっと、アレイヤの心情を推測しようと試みているのだが、アレイヤ・ノルマンドという子爵令嬢はこれまで相対して来た令嬢たちとまるで違った。


「悪戯や嫌がらせではない理由があるならば」

「そうですね……」


 アレイヤの言葉にロナルドが考え込む。アレイヤは決してロナルドに尋ねているわけではなく、思考を声に出すことで混乱を防いでいるだけだ。


「名乗れる身分ではない、とかでしょうか。我がフォールドリッジは公爵家。声を掛ける地位も限られています」

「名乗れる身分ではない……」


 ロナルドの意見はアレイヤが考える意見と似通っている。似通っているというか、選択肢を多く出してその中から正解を探すいわゆる網羅推理にほとんど近い推測を行っている。


 差出人不明の二通の内、一通を手に取る。


 細い筆致に滑らかな綴り。文章も繊細で、しかし女性らしいとは言えない男性らしさを感じる。

 ゼリニカのことを強く想っているのに、一言も直接的な言葉を使用していない点が特徴と言える部分だろうか。


 ――なぁんか、見たことあるような気がするんだよなぁ。


 最初に見た時にはなかったが、残り二通となり、改めて手に取ってまじまじと見て以降、既視感が離れない。何度か見たから起きたのか、脳の片隅に残った記憶と無意識に照合されて起きたのか判別つかない。

 既視感が本物だったとしても、いつ見たのか、確認が可能なのかさえ分からない。


 ――既視感を気のせいと思うのは早計だ。どこで見たんだろう。多分最近のはず。そうじゃなければこんな些細そうなことで引っ掛かりを覚えるなんて……。


と思考が大きく逸れたところで我に返ったアレイヤは、一旦既視感のある手紙とは別の、もう一通の差出人不明の手紙を手に取った。

 文面は熱烈な恋文ではなく、冷静に婚約者がいなくなったゼリニカへの配慮ある心配の内容から始まり、実は恋心を抱いていたという告白。字体は恐らく女性が書いたと思われるが、差出人まで同じとは限らない。匿名ということもあってカモフラージュされている可能性を否定できないからだ。


「名乗れない身分。……もしくは、名乗れるけれど名乗れない理由のある人物」

「ノルマンド嬢?」

「あ、いえ。思ったことをそのまま口に出しているだけなのでお気になさらず」


 独り言が大きくなってしまうのは考え事に集中してしまっているからだと自覚している。とは言え自制も難しい無意識なのだけれど。

 しかし、筆跡鑑定ノーマンが封じられている今、他に特定する方法なんてあるのだろうか。

 こうして名乗らない理由だけをあげつらっても特定に至るとは思えない。


「……何か、お手伝いできることがあれば何なりと言ってください。お茶のおかわりでも」


 ずっと一人で考えていたからだろう、ロナルドが躊躇いがちに言ってくれる。そのおかげでアレイヤは自身の姿勢が俯き加減になっていたことに気付けた。背筋を伸ばして「では、お茶のおかわりをお願いしても?」と笑顔を浮かべた。


「それから……なるべく甘いお菓子をいただけますか?」


 アレイヤの要望に公爵家の使用人たちが静かに動き出す。

 ずっと頭をフル回転させていると糖分が欲しくなる。甘い物を欲した時に老執事が「おや?」という顔をしたが、甘い物がそれほど好きではない情報も持っていたらしい。


「あと……」


 もう一つだけ要望を、とアレイヤは正面を見る。

 ロナルドではなくて老執事でもいいのだとは思うのだが、アレイヤはロナルドを見据える。

 名前を呼ぼうとして、高位貴族の手紙のやりとりについて教えてもらおうとして、ふと指先に違和感を覚えた。


 ピリ、と電流が流れたような、奇妙な感覚。


 アレイヤは便箋を翳してみた。光に透かすように。そうすると、うっすらとインクの文字とは別の文字が見えた。

 見えたというか――感じたのだ。

 魔力を。


「ノルマンド嬢、どうかされましたか?」

「差出人が分かるかもしれません」

「え?」


 便箋にわずかに魔力を注ぐ。光属性の魔力はそれ単体ではただの光でしかない。火や水の魔力を流して、もしも便箋に乗せられた魔力と合致してしまうと火や水が飛び出す可能性があるが、光属性の魔力は希少だ。問題はない。

 便箋の魔力と反応して、隠されていたものが浮かび上がる。


「文字が……っ⁉」


 アレイヤの光魔法によって浮かび上がった光る文字は流麗なもので、紙面上にインクで書かれた文字とは違う筆跡だった。

 ただ、その筆跡にはロナルドには身覚えがあったようで食い入るように便箋を見ていた。


「これは……アルフォン第一王子殿下の筆跡では?」


 ごくりと大きく喉を鳴らして、驚愕を隠さないロナルドが口にした名前に温室にいる全員が呼吸を忘れた。

 今更、ゼリニカにどういった用なのかと女性使用人を中心に苛立ちの雰囲気が立ち込める。


 ――愚かな私を許してほしいとは言わない。


 宛名ではなくそんな書き出しで始まった手紙は、見つからなくて当然、もしも見つけられたとしたらその場にはアレイヤが同席していると見越しての内容が綴られていた。

 ゼリニカとアレイヤ二人が読んでいることを前提とした、謝罪の手紙。


「……ノルマンド嬢、こちらは貴女にお渡ししておきます。僕らが先に読むものではない。姉上と目を通してください」

「よろしいのですか?」


 ロナルドは一度老執事に目をやるが、首肯が返ってきたのを見て「もちろんです」と頷いた。


「……分かりました。後程、ゼリニカ様と読ませていただきます」


 アレイヤは少し先まで読んでしまっていたが、何も言わずに封筒に戻された手紙を受け取った。

 本来ならば直接会って謝りたかったが宰相に止められたことや、会った際には何発か殴られたり魔法で攻撃をされても仕方ないだとか、目を疑うような内容が書かれていたが、どんな反応も先に返すのはゼリニカでなければならない。


「名乗れるけれど名乗れない理由のある人物――でしたか。ノルマンド嬢の推理力は想像以上でしたね。まさか姉上の元婚約者からとは思いませんでした」


 誰もがまさかと思ったはずだ。

 まさか魔力を流さないと読めないようにされているのもそうだが、贈り主がまさかの元婚約者の第一王子。驚くなという方が無理だろう。

 アレイヤとしては、アルフォンからのものだと推測だけで行き着いてもよかったのではないかと反省していた。

 ここまで正体を隠す工作を施したい相手など、ゼリニカにとって気まずい人物が筆頭候補に挙がるべきだった。ゼリニカと気まずい相手なんて、一人しかいないのに。


「これであとは一人だけですね」


 差出人の驚きはあったが、判明した事実には変わりはない。ロナルドが期待の目でアレイヤを見る。


「そうですね……。そうなのですが」


 困った顔を浮かべると、ロナルドの目に不安が映った。

 アレイヤはテーブルの上に置かれた甘い一口サイズのケーキを食べてから頭を下げた。


「申し訳ありません、今日のところはもう限界のようです」


 疲れてしまいました、と苦笑すれば、ロナルドはハッとした顔をして慌てた。


「こっ、こちらこそ、申し訳ありません。貴重な光属性の方だというのに魔力まで使わせてしまって! すぐにベッドを用意させますので少しお休みになっていただいて……」

「そこまでしていただかなくても……。あの、もう少しだけここでお茶をする許可をいただけますか? フォールドリッジ公爵子令息様も他の令嬢と交流なさってください」

「では使用人を残しておきましょう。何でも申し付けてください。折を見て姉上にこちらに来るように伝えて参ります」

「ありがとうございます」

「ああ、それと……」


 温室から出るために椅子から立ち上がったかと思えば、アレイヤのすぐ前に移動したロナルド。アレイヤの手を取ると、手の甲に恭しく触れるか触れないかの唇を落とした。


「ロナルド、とお呼びください」

「…………」


 軽く口を開いた状態で放心してしまった。

 なるほど、これは乙女ゲームの攻略対象者で間違いない。



+++++


 甲斐甲斐しくメイド服の女性たちがアレイヤの要望を聞こうとするが、アレイヤが求めるのはただ温室の散策と甘い食べ物とそれに合った紅茶だけ。新しく用意して参りますので先に散策を、と勧められて一度周囲を見渡したアレイヤは一人の使用人に声をかけた。


「あの、温室の花について詳しいですか?」


 少し砕けた口調にしたのは、元平民であることを押し出すためだ。言い換えれば、距離感近めのヒロインに寄せた。こうすれば物珍しい人間だと認識され、断られにくい――らしい。

 相手が平民なら親近感を、貴族なら目新しさを。


「フォールドリッジ公爵家に仕える者として、一応の知識はございます」

「そうですか、では貴方と……貴女と貴女に案内をお願いしても構いませんか?」


 そう言って指名したのは、若い男性使用人と二人のメイド。三人は困った顔も悩む素振りも見せず、二つ返事で温室の中を案内してくれた。老執事は何も言わずテーブルの側に付いたままだった。

 温室には薔薇が多く植えられており、他にも温度調節の難しい白い花や貴重な青い花もあり、すべて三人が詳しく教えてくれた。

 テーブルから離れ、声も聞こえにくいだろう位置に来たタイミングを見計らってアレイヤは足を止める。


「すみません、こちらの花の名を書いていただけませんか? とても綺麗で、少し調べたくなってしまいまして」

「もちろんです。僭越ながら、手持ちのもので失礼いたします」


 若い男性使用人はお仕着せの内ポケットから茶色い皮の手帳を取り出し、さらにその中から持ち歩いているのであろう小さなメッセージカードを取り出してサラサラと書き、丁寧に両手で持って差し出した。

 さすがに子爵家でも貴族の一員。元平民でも貴族の一員。きちんとした客人として丁寧な文字で花の名が記されていた。

 見たことがあると確実に言える、筆跡で。


「あら、もしかして貴方、今回の招待状を書いてくれた方ではありませんか?」

「恥ずかしながらいくつか担当させていただいております。ノルマンド様の招待状も僭越ながら」

「そうでしたか。それで、ゼリニカ様には名乗り出ないのですか?」

「…………は」


 若い男性使用人が固まる。


「ゼリニカ様にお誘いの手紙を書いた差出人不明の最後の一人って、貴方ですよね?」

「お、お嬢様、一体何のことか……分かりかねます」

「筆跡、一緒でしたよ?」


 気付くのが遅くなってしまいましたけど、と持ち込んでいた招待状を取り出した。

 この世界にはワープロがない。活版印刷の技術はあっても招待状の類は直筆が当然であり、屋敷の使用人たちに代筆させる行為も当たり前に行われている。だからといって、その使用人の筆跡が周知されているわけではない。

 長身の、少し筋肉質な体格をした茶髪の使用人の表情が引き攣っていくのを眺めつつ、二人のメイドに視線を向ける。


「ごめんなさい、さすがに二人きりになるとよくないと思って勝手に共犯者にしてしまいました。ここでの話は他言無用でお願いしますね?」


 メイド二人は目を大きく見開いて驚きを極限まで耐えていたようだ。アレイヤの言葉に首を激しく何度も上下に動かすと、メイド同士で目を合わせて叫び出しそうな口を両手で塞いだ。

 突然の恋バナ。しかも知っている使用人仲間が仕える家の令嬢に、である。テンションも上がるだろうが公爵家に仕えているので分別はしっかり付いているはず。


 ――思い出せてよかったあああああああ!


 思い出したのはアルフォン第一王子殿下からの手紙だと分かった後だった。

大量の手紙がゼリニカ宛てに届いているという話を聞いて、読まれずに捨てられることを前提に自身の気持ちもその中に紛れ込ませようとしたという推測は合っていた。

 もしも目に留まって本当の文章が分かった場合、その場にアレイヤがいることも想定したのがアルフォンだった。

 そうではなく、捨てられることを前提にした上で名乗れない理由のある人物――例えば公爵令嬢に求婚するにはあまりにも低い身分。子爵や男爵の家の人間。

 ただ、身分差と言えばで逃せない関係性があるのでは?

 乙女ゲーム的に、恋愛小説的に楽しいのは身近にいながら意識されない関係――主従では? と一瞬だけ想像して思い出したのが招待状だった。

 そしてそのほとんど妄想世界の推測は当たっていた。

 フォールドリッジ公爵家で使用人として働く若い男がゼリニカに向けて書いていた。

 たくさんある恋文の中に紛れ込ませてしまえば、ゼリニカに渡る前に下読みの使用人が排除しておけば、自己満足で終わるはずだった。


「……まさか、差出人不明の手紙が他にもあるなんて思わなかったんです」


 名前が書かれていなければ、不審な手紙として捨てられて終わるはずだったのにと、強く拳を握って悔しさを露わにした男性使用人は共犯にしたメイドたちから「カッシュ」と名前を呼ばれて慰められていた。


「私があえてあの席で言わなかったのは確信がなかったのもありますが、口にしてしまえば貴方はこの家から出されてしまう。私の言葉で一人の使用人の未来が決まってほしくありませんでしたし、誰かの気持ちを壊したくなかったからです。なので、最後の一枚は不明のままにしておいていいですか? 夢があって素敵だと思うのです。ゼリニカ様に懸想している謎の人物……。どうでしょう?」

「素晴らしいと思います!」

「いつか名乗り出られるような身分になった時に明かされるというのもいいと思います!」


 カッシュよりも親近感を抱かれたのか、メイド二人の興奮度合いが大きくなって老執事たちに気付かれてしまうのではないかと不安になったが、すぐに「失礼いたしました」と公爵家メイドらしくキリっとした表情に戻った。


「では、お二人に処理をお任せするように伝えておきますね。そもそも名乗れないくせにゼリニカ様に想いを寄せるなんて情けないって言っておきましょう」


 ちらりとカッシュに視線を送れば、溜息を吐きながら肩を落として失笑された。


「……精進いたします」

「私ももっと精進します。次は見た瞬間に指摘できるように」

「それは勘弁願います」


 やる気を出したのに止められたので、アレイヤは我が意を得たりとにっこり笑った。

 探偵なんてやるもんじゃない。


この後エピローグがあります。

まだ夏の話は続きます。

(明日の更新ではありません)

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