公爵令嬢謎の恋文事件 前
魔法学園は三年制で夏と冬の二度、長期休みがあるタイプの学校だ。前世で言えば二期制の大学や海外の学校制度みたいなものと言えばいいのか。
貴族制度のある世界での長期休みの使い方は当然、貴族特有の過ごし方になる。多くの子息令嬢は社交に興じている。婚約者のいる人はさらなる親交を深めるために。婚約者のいない人は婚約者を探すために参加する。
平民から子爵家へと貴族入りしたアレイヤ・ノルマンドはと言えば――
「先ほどから何を熱心に見ているんですか?」
逃げに逃げを選択して無理矢理地位を与えられ生徒会役員補佐にならされたアレイヤは、休暇中にも関わらず書類整理に駆り出されてその休憩中にレポートを読んでいた。レポートとは言うが、他人に見せられる程度に整えられたメモでしかない。
一緒に学園の生徒会室で仕事をしていたノーマン・ドルトロッソに声をかけられて、アレイヤはレポートから顔を上げた。
「光魔法についての研究です。どうしてもやってみたい魔法があって、それをクロード先生とやりとりしてまして……」
「へえ……?」
感情が消えた相槌が聞こえたが、アレイヤは会話を続ける必要性がないと判断して意識をレポートに戻す。
以前アレイヤが提示した「簡易魔法陣を用いて任意の魔法を発動」はクロードによれば難しいというのが今回の返答である。
魔法陣の描き方や考え方そのものを工夫すればできないこともなさそうなのだけれど、とクロード手書きのレポートにさらにメモを書きかけて手を止める。せっかく綺麗にまとめられているのに自分の字で雰囲気を壊すなんてできない。
「アレイヤ嬢は休みの日には何をして過ごしているんですか?」
ノーマンの声に再び頭を上げると、アレイヤと会話以外するつもりがないとでも言いたげに両手の指を組んだ手の甲に顎を乗せていた。
休憩時間になるまではアレイヤは資料整理だったり休み明けの予定についてまとめたりとも黙々と作業していた。ノーマンもそれは同じだが、ノーマンは生徒会役員の候補者の選定という重要な仕事もあるからより大変そうだった。宰相補佐の仕事を学ぶために王城へ通う日の方が多いこともあってあまり進んでいないらしい。生徒会長であるレオニールも頭を抱えている新役員問題は休みが明けても続いてしまうようだ。
本日、レオニールは王子としての公務があるので欠席している。
「休みの日、ですか? そうですね……あまり面白味のない休日ですよ?」
「聞いてみたいですね」
「週末は義兄の墓参りに行っています。それ以外は光魔法について考えたり、学園の勉強の予習とか復習をしています」
「本当に面白味のない……いえ、貴族令嬢とは思えない過ごし方ですね……」
「自覚はあります。ありますけど……」
実は、と控える意味もないのに声を潜めて切り出したのは、長期休暇が始まってすぐのこと。
騎士団所属の騎士が団長からの言伝だと耳にしたのは、他国がまだアレイヤを攫おうとしているかもしれないという忠告だった。
あまり外を出歩かないように。
けれど行動に厳格な制限を設けるつもりはないので、基本的には自由にお過ごしください。ただし、お屋敷と学園、いつもの墓地以外へ行く場合はお知らせください。
ああ、護衛の騎士をお付けしても?
――丁重にお断りさせていただいた。
他にもかなり落ち着いたとは言え、貴族至上主義の派閥からも身を守る必要もある。
アレイヤの安全が確保されるまで行動範囲が狭められていることはノーマンも知っているはずだが、面白味のない過ごし方と言われると心外としか言いようがない。
だが、無意味ではない過ごし方ではあるはずだ。
特に勉強面。
アレイヤは数学だけは下手な成績を残せなくなっている。
一度目を付けられ、酷く気に入られてしまった今では数学だけはとにかく必死に勉強しておかなければならなかった。
クロードとレポートのやりとりをするようになったのもある意味ではこれが理由だ。
エニータ・モロフという名の数学教師は、すっかりアレイヤを気に入っていた。次回の数学の試験問題の難易度が上がってしまった時は影響を受ける子息令嬢の生徒たちに土下座するつもりでいる。休暇中でも学園に来ているエニータと会う度に引き攣った表情をするアレイヤを見かねたクロード――ではなく他の教師がクロードに秘密裏にどうにかしろと言ったらしい。
そして始まったのが、校舎内を歩き回らず真っ直ぐに生徒会室に行くことと、クロードとのレポートのやりとりである。ほんの少し世間話も書かれていたりするところから交換日記を彷彿とさせて面白味もある。
エニータの脅威を思い出していたのが顔に出ていたのか、さらに意味が完璧に通じてしまったのか、ノーマンが「そ、そういうこともありますよね」と気を遣われた一言と空気を入れ替えるための咳払いが放たれた。
「フォールドリッジ公爵令嬢とは何も連絡を取られていないと聞いています」
ゼリニカの名前を出されて、アレイヤの背筋が無意識に伸びた。
「ここに、フォールドリッジ嬢から渡されたパーティの招待状があります。いかがですか?」
いかがと聞かれて、断るアレイヤではなかった。
ノーマンに白い封筒を渡されて中を見れば、間違いなく「アレイヤ・ノルマンド子爵令嬢様」と書かれていた。
ゼリニカの文字ではない。だが、短い茶会への招待状の最後の署名は確かにゼリニカの直筆。
この世界にはワープロがない。活版印刷の技術はあっても招待状の類は直筆が当然であり、屋敷の使用人たちに代筆させる行為も当たり前に行われている。だからこそ、招待状が本物であるという確信を得られた。
アレイヤは知らない。
宰相補佐の仕事と生徒会役員の仕事で多忙にしているノーマンに痺れを切らせたゼリニカが、ノーマンにアレイヤをエスコートさせることを条件に茶会の開催を決めたことを。
+++++
「それでは、お嬢様をお預かりいたします」
まるで結婚の申し込みにでも来たかのような大きな花束と、煌びやかな笑顔。
花束はドルトロッソ侯爵家で育てられたという上等なもの。アレイヤにではなくノルマンド家にとノーマンは言うが、どう見てもアレイヤを意識した色合いでしかない。
明らかにアレイヤを嫁にしたいと言われているも同然だと子爵夫妻は驚いていた。
「ノーマン様……」
普段とは雰囲気のまったく異なる髪型と格好に目を丸くするしかない。
アレイヤのすぐ後ろでは子爵夫妻が似たような顔になるのを堪えていた。
「アレイヤ様。本日もお似合いのドレスですね。子爵家の使用人の手腕も大したものです。髪型も……」
水色の夏用ドレスに身を包み、朝早くから五人ものメイドたちが髪型に工夫を凝らしてくれた。何やら予定の都合上、手の込みすぎていないものがいいらしいが、公爵令嬢にお呼ばれしているのに手抜きが許されるはずがないと試行錯誤されていた。
完成したのはハーフアップなのだが、まぁ、アレイヤには再現できない部分的に凝ったものになった。
そんな髪型にもノーマンは言及しようとした。
「いえ、あの、メイドの皆さんには感謝しっぱなしではあるんですけど、ゼリニカ様のいらっしゃる公爵家へ行くのに私は場違いなのではないかと昨夜から気になっておりまして」
「そのゼリニカ・フォールドリッジ嬢が貴女に会いたいと言っているのにですか?」
首を傾げて覗き込む形になるノーマンに、アレイヤは両手で顔を覆った。
「ただ下ろしているだけでもアレイヤ嬢の魅力はありましたが、今の髪型も素敵です。今度、髪飾りを贈らせていただいてもいいですか?」
そう言えば髪を切られた時、短くなった髪を誤魔化すために王城の凄腕メイドたちに編み込みのハーフアップにされた。ノーマンの好みの髪型で、とゼリニカのアドバイスを受けて注文をしたが、ノーマンはそんなにもハーフアップが好みなのだろうか。
「……いえ、お気持ちだけで十分です。ありがとうございます」
どちらにせよ、恋愛ストーリー系のヒロインに向けるような言葉を聞くのは恥ずかしい。
アレイヤは一応乙女ゲームのヒロインのはずなのだけれど。
「アレイヤ嬢は本当に、どの令嬢とも違いますよね」
目を細めて笑うノーマンにアレイヤは直視できずに、しかし「元平民ですしね」と返すには背後に義理の両親を始めとした現在の家族たちがいるのでできない。
「ノーマン様、今日はそういう感じなんですか?」
「今だけです。フォールドリッジ嬢にからかわれるのが目に見えているので」
ノーマンが手配した護衛の二人を連れて馬車に乗り込む。その際もエスコートはされたが柔らかく微笑むノーマン・ドルトロッソに目を焼かれる気がしてならない。
好みの顔面がすぎる。
――他にどんな人が招待されているのか知らないけど、この状態のノーマン様と一緒にいると恨まれる気がする。
アレイヤは身の危険を感じながらも、抗う術はない。
そして予感は当たる。
広大すぎる王都公爵邸の敷地にまず圧倒され、案内された庭園の広さと手入れの行き届いた花の数々に圧倒され、最終的に招待された子息令嬢たちの美麗さに圧倒された。
「アレイヤ嬢?」
隣にはなぜ圧倒されているのか皆目見当がつかないといった表情の推し(顔が良い)。
宰相子息として顔の広いノーマンが招待客である令嬢たちの視線を受けないはずがなく、その隣に立つのが子爵令嬢であるアレイヤと分かると明らかな苛立ちが空気で伝わってきた。
「ゼリニカ様と挨拶したら帰っていいですか……?」
「それはちょっと無理ですね」
即答された。
ノーマンも同じく呼ばれた側だというのにどうして断言できるのだろうか。
多くの視線の棘に晒されて居たたまれない気持ちになっていると、ポニーテールにされた金色の髪を揺らしながら優雅に歩くゼリニカと目が合った。
学園内で会うわけではないのだからテンションを抑えなければ、と自身の心を律する。
下品ではない程度に肩を出したデザインのドレスは深い緑色で、胸の下あたりから足元までを彩る真っ白なフリルが歩く度に揺れている。前世の記憶があるせいか、夏だしせっかくならフリルではなくシースルーのように透け感のあるスカートにすればもっと似合いそうなのにと考えてしまった。自身のセンスなので絶対とは言えないし、ゲームのイラストに文句を言うほど偉くなったつもりはない。
ただ言えるのは、この世界の夏は前世の地球ほど暑くはないが、見た目から涼を得るような日本の流行は存在していないということだけだ。
ゼリニカが立ち止まるのに合わせてお辞儀をして、改めて目を合わせた。
「お久しぶりですわね、アレイヤ様。ようこそ我がフォールドリッジ王都公爵邸へ! 早速だけれど弟を紹介いたしますわ。ロナルド・フォールドリッジ。次期公爵であり、私の可愛い弟です。それだけでなく学園入学後は主席も取れるほど優秀であり、武術も嗜んでいて馬術も得意。見目もこの通り、私と並んでも年下とは見られないほど恵まれていると言えますわ。姉上と私を慕ってくれているところは子供っぽいかもしれませんが愛嬌もある可愛い弟ですわ」
可愛い弟って二度も言ったことを自覚しているのかしていないのか、ロナルドを紹介するゼリニカはとても楽しそうで嬉しそうで、そんなゼリニカを見ているだけでアレイヤは幸せな気分になっていた。
紹介された本人の表情からは段々と感情が消えてしまっているけれど。
「ロナルド、こちら、アレイヤ・ノルマンド子爵令嬢ですわ。見た目の可憐さからは想像できないほど勤勉で努力家な令嬢よ。まだ貴族の世界には慣れていないけれど、光の魔力属性をもっていらっしゃるからと国王陛下から社交は控えても構わないとお許しをいただいているそうよ。レオニール王子殿下とも友人ですから、決して軽んじてはいけませんわ。学園で主席を狙うというのなら、アレイヤ様からお話をお聞きしてみたらどうかしら? レオニール王子殿下と並ぶ学年主席よ。この間の新魔法はとても美しく素晴らしい魔法でしたわ。あなたにも見てもらいたかったくらいに」
今日のゼリニカ様はよくお話になるなぁ、と軽く驚いていると、ロナルドも同じことを思ったのか目を丸くしていた。アレイヤの視線を感じたのか目が合い、どちらともなく会釈する。
「ロナルド・フォールドリッジです。姉がいつもお世話になっております」
「アレイヤ・ノルマンドと申します。ゼリニカ様にはいつもお世話になっております」
御社弊社みたいな簡素な挨拶になってしまったが、無理もないと割り切る。ここで名刺交換があれば完璧な日本のサラリーマンスタイルだなぁ懐かしいな、あんまりやったことないけど、などと意識が別の方へと飛んでいきかけて留める。
ロナルドはそのままアレイヤの隣にいたノーマンとも挨拶を交わす。こちらは以前からの知り合いらしく会話が続いている。アレイヤもゼリニカと話せるかも、と淡い期待を胸にゼリニカを見れば、にっこりと微笑むゼリニカもアレイヤを見ていた。
「お久しぶり……というほどでもないはずなのだけれど、なんだか懐かしい気持ちになりますわね」
「お会いしたかったです、ゼリニカ様」
「生徒会の活動で忙しくされていると聞いていますわ。体調は大丈夫でして?」
「問題ありません。……レオニール殿下からは、ゼリニカ様にもお声がけをしたと聞きましたが、断られたのですよね?」
「ええ。私がレオニール殿下の側にいると、あらぬ噂が立ちかねませんもの。ああそうだわ。今夜の予定についてドルトロッソ様から聞いていらして?」
手をパチンと合わせたかと思えばこれまでになくにっこりとした笑顔を浮かべるゼリニカはどこか幼い。絶賛開催中のパーティよりも楽しそうなのは良いのだろうか。
どちらにせよ、レアなゼリニカの笑顔の方にアレイヤは夢中になってそんな心配はすぐに吹き飛ぶ。
どうしても周囲には乙女ゲームらしく顔の良い男性キャラクターたちが多い。攻略対象者だけでなく、ゲームではモブだったりモブにもなっていなかったりする男性たちも多く集まってきてしまう。例外はレオニールくらいかもしれないと思えるほどに多い。
その中でゼリニカはゲームに必ず登場しヒロインと敵対する悪役令嬢だ。男性キャラで疲弊しがちな心の拠り所、安定剤のような存在である。
前世のアレイヤはそういう目でゼリニカを見ていた。
可愛い女の子キャラは同性であっても、同性愛者でなくても癒しだ。
ゲームでは嫌がらせをされる相手だが、コンプライアンス的な意味でもさほど酷い内容ではない。精々「お嬢様が一生懸命考えた悪いこと」程度だ。
ただし、現実になっている現在ではゼリニカはアレイヤの友人となっている。そして現在進行形に起きているイベントは、ゲーム内では発生していないまったく未知のイベントである。当然、夜の予定も知らない。
「……ええと、夜、ですか?」
ノーマンからは何も聞いていない。ドレスと髪型を褒められ、馬車の中では緊張するアレイヤを宥めてくれていたのだから、説明する余裕がなかっただけなのかもしれない。
それにノーマンは言っていた。
――ゼリニカ様と挨拶したら帰っていいですか……?
――それはちょっと無理ですね
あの即答はきっと、この後にも予定があるから挨拶だけで帰すことはできない、という意味だったのだろう。
「聞いていないというのであれば構いませんわ。夜は人をごっそり入れ替えて、もっと楽しみましょうというだけですもの」
ぱちんとウインクされて、どうしようもなく胸を撃ち抜かれる。どうしてそう可愛らしい部分まで持ち合わせているのでしょうか。
本当のヒロインはゼリニカなのではないか、今からでもそうならないか、いや自分がそう思うことでゼリニカがヒロインということでいいのではないか。
「それに……あなたにとって今のこの場は居心地が悪いのではなくて? 申し訳ないわね、本当に。……情けないわ」
周囲から聞こえてくる言葉は妄想ではなかったらしい。
ノーマンを狙う令嬢がアレイヤを妬む声だけではない。
「あの方、何をしにいらしたのかしらねえ?」
「本当にゼリニカ様のお知り合いなの? 貴族ではありえないような香りがする気がいたしますわ」
「レオニール王子殿下とも親しいと妹から聞きましたわ。立場や序列という概念は学園では教えてくれないのかしら? ああ、それとも、貴族では幼い頃に済ませておくべき当然の教養だから知らないのかもしれませんわね」
「誰かお教えしてさしあげれば?」
くすくすとアレイヤを馬鹿にする発言。
声を抑えることもせず、むしろ全体に聞こえるように話していることは明白だった。
学園で毎日のように聞いていた会話だ。もはや懐かしいという気持ちになる。
言い返すつもりはない。言いたい人には言わせておくだけだ。ゼリニカが呼んだ家柄の貴族令嬢であればノルマンド子爵家との繋がりも薄い。顔を合わせる機会はほとんどない。
明らかにアレイヤを下に見る発言にゼリニカとノーマンが静かに怒っている。
ノーマンの話し相手になっていたロナルドが驚きすぎて小動物の警戒状態のようになっているのが可愛く見えた。
「ぜ、ゼリニカ様、あの、」
「ごめんなさい、アレイヤ様。私、どうやら他のお客様とじっくりお話しなければならないみたい」
――お話、の部分が「お叱り」に聞こえたのは気のせいだろうか。気のせいであってくれ。
王族を除いた爵位を持つ中で最高位貴族の公爵家であるゼリニカが使命に燃えていた。
颯爽と、まるで戦場へ向かうかのような後ろ姿を見せるゼリニカは、なぜかノーマンを引きずって行った。
一瞬だけめんどくさそうな顔をしたのも束の間、引きずられるまでもなくしっかりとゼリニカの隣に立った。
「ロナルド、アレイヤ様のお相手をお願いしますわ」
「はい、姉上」
歩くスピードを早めながらも弟へ指令を出すゼリニカの声は大きく、周囲に配置されている使用人たちが何人か堪え切れず肩を震わせているのが見えた。
「……あのような姉上は、初めて見ます。あなたと出会ったことで明るくなったようだと、いえ、あなたと出会い、アルフォン第一王子殿下との婚約が消えてから公爵家の中が華やかになりました。弟として御礼を、アレイヤ・ノルマンド嬢」
「いえ、ゼリニカ様に助けていただいていたのは私の方ですから、御礼を申し上げるならば私です。今ここにいられるのも、ゼリニカ様のお優しい心があってのことですので」
年下なのに身長で若干負けているんじゃないかと焦る相手――乙女ゲームの攻略対象者としては年下枠でも身長は高い方がよかったらしい――が頭を下げるのを止めようにも、アレイヤはロナルドよりも深く頭を下げてしまっていた。
名刺交換でどちらが下に出すか、乾杯する時はどちらが先にグラスを低くできるか、の前世日本人社会人の文化が垣間見える。
「……本当に、姉上が目をかけるだけはありますね。頭を上げてください。よければ別でテーブルを用意しているのでどうぞ。こちらはその……僕らがいては姉上もドルトロッソ様も本気を出せないようですし」
許しを受けて頭を上げれば、ロナルドはゼリニカたちのいる方へ目を向けて苦笑している。アレイヤも視線を向けてみると、ゼリニカのポニーテールが大蛇のようにうねって見えた。
きっと気のせいだ。
+++++
広すぎる温室に設えられたテーブルは、ゼリニカが特別懇意にしたい相手と外の声を気にせず楽しむためのもののようだった。
しかし、ロナルドの後方に控える老齢の執事曰く「ゼリニカお嬢様はしばらく懇意になさる貴族家を作るつもりはないようで、それをご主人様方はお許しになられている」のだそう。
それでも手入れの行き届いた温室には色とりどりの花が咲き乱れている。換気を行っているのか花の匂いで充満しているのでもなければ、ふんわりとした風に乗ってやってくる香りだけで気分も落ち着いた。
アレイヤの飲食に関する話も通っていた――というかゼリニカもあの場には同席していた――からか、紅茶は魔法を使って目の前で淹れられた。配慮もさることながら、パフォーマンスの意味でも見栄えする紅茶はロナルドからも称賛の言葉を引き出していた。恭しく頭を下げた給仕係の男性使用人も誇らしげな顔だ。
ロナルドは学園での成績の話や光魔法についての話をしてくれた。きちんと成立した会話だった上に、来年学園に入学するのが楽しみだという微笑みまでいただいてしまった。
お茶会に招待された令嬢たちから冷遇されるアレイヤを守ろうとしているのかと思っていたが、どうやら狙いがあったのだと知ったのは、ロナルドの後ろで待機していた老齢の執事が耳打ちして顔色が変わったからだった。
ロナルド・フォールドリッジの目が一瞬だけキラリと光る。
その目は、「ゼリニカがアレイヤに会いたがっている」という理由はまったく別の意味を感じられた。
「貴女をこちらにお招きしたのは他でもなく、姉上に関することなのです」
ようやく切り出された本題に、アレイヤは一口だけ紅茶を飲んでカップを置く。
置いた瞬間、奪われたと思うほど素早くカップが回収されて目の前に一枚ずつ紙が並べられる。五枚の紙が並び、びっしりと書かれた日付と名前らしき文字列にアレイヤは一瞬だけ目を逸らしかけた。
すべて男性の名前だ。公爵家で見せられているということは、身分の高い人たちなのだろう。
「こちらは、姉上に届いた婚約の打診やパーティの招待状の差出人のリストです」
そうなんでしょうね、としか言いようがない説明にアレイヤは耳を塞ぎたい気持ちを必死に堪える。
ゼリニカの婚約が白紙に戻された話は国内では有名だ。相手が第一王子だったのだから当然ではあるが、忘れてしまいがちなのは破棄ではないことと、瑕疵が王子側にあること。
ゼリニカは被害者であり、破棄ではなく白紙なので傷として捉えられていない。これまで王子妃教育を行っていたとあれば他家が我先にと婚約の申し込みをしていてもおかしくない。
当人の意思を無視しての申し込みも中にはあるだろう。
それだけ他人から見てもゼリニカが魅力的であるという意味なら納得しかしないけれど。
そう思うと途端にどんな名前の人物がゼリニカと縁を結びたがっているのかが気になってくる。
改めてリストに目を向けてみれば、学園内で聞いたような名前の家名もあったりして面白味がある。その中で目を引く部分があることに気が付いた。
日付順に並べられていたからこその違和感だろうその部分は――空白だった。
「お願いしたいこと、お分かりいただけましたでしょうか?」
アレイヤが空白に気付いたタイミングを見計らっていたらしいロナルドが不安そうに、若干の上目遣いで聞いてくる。
年下枠の恐ろしさを感じながらもアレイヤは小さく頷いた。
「不明な差出人の特定、ですね?」
お久しぶりでございます。
夏が始まってました。そして終わりそうです。
夏の話なのに…。
後編は明日更新します。よろしくお願いいたします。