騎士団幻覚事件4
魔導研究所の案内は、レオニールが吐いた嘘をそのまま採用することになった。
つまり、クロードが案内を務めてくれる。
中に個人の研究室を貰って一か月とは言うが、それ以前から研究所への出入りはしていた。なので勝手知ったる顔で案内はつつがなく終えて、今はクロードの研究室にお邪魔している。
研究室と聞けば中は散々たる様相を想像していたが、クロードの部屋は綺麗だった。
そもそも広い。
外から見た研究所全体の大きさと比べても広すぎるように見える。
もしかして一番良い部屋を提供してもらっているのだろうかと納得しかけたアレイヤに、レオニールが「知っているか、アレイヤ」と声をかける。
「魔導研究所のすべての部屋は魔法で空間を広げているんだ。魔法が使われていると言われなければ気付けないだろう?」
「言われても魔力の感知はまだできないんだよなぁ……」
「入学して最初は自身の魔力操作に重点が置かれていますからね」
来学期は多少難易度上がりますよ、と学園のカリキュラムを軽く話してくれるクロードは研究室に備え付きの給湯スペースでお茶を淹れるアレイヤに視線を向けた。
研究所に給仕してくれるメイドなどはいない。飲みたければご自分でどうぞスタイルが普通なのだが、王族がいるなら適当なものは淹れられない。そこで手を挙げたのはアレイヤだった。
今は慣れてきたが、少し前まで他人の手が加わった飲食物を口にできなかった時期もあり、淹れ方は知っている。
まさかアレイヤに紅茶の淹れ方を教えたノルマンド家のメイドたちも、王子に飲まれるなんて思ってもみなかっただろうなと思うと一層丁寧に淹れてあげないとな、という気持ちになる。
さすがに運ぶのは我々がと護衛騎士の一人に任せてしまったが、カップが行き渡ったところで空気が弛緩した。
「さて」
安全性はアレイヤが目の前で淹れたものだからと誰も疑わずにカップに口を付けて騎士たちを動揺させたが、構わずにレオニールは切り出す。
「一度これまでの情報をまとめておこう。もしかすると現段階で分かることもあるかもしれない」
カップを置いて足を組み、首の後ろを掻いた。
レオニールと同時にカップに口を付けていたノーマンとクロードもカップを置く。
「もしや、何か事件でも起きましたか?」
クロードが微笑を浮かべながらアレイヤに目を向けてくるので、はっきりと目を逸らした。分かりやすすぎる態度に重要ではないがレオニールが興味を引く案件が発生した、と見当をつける。そしてそれが間違いでないことがノーマンから語られた。
騎士団内で広まりつつある影の話。
寄宿舎で見つけた魔法陣を模した落書き。
約一か月前から話は浮上し、影の形状に変化があること。
「そのような話はこちらには届いていませんね」
クロードの目が研究室の壁際に立って護衛をしている騎士に向けられる。
「あくまでも騎士たちの中で不思議に思っていた程度ですので。侵入者ではないこともあり、騎士団長と副団長にも報告していませんでした」
「まぁ……実体ではなく影、ですからねえ」
魔法陣に魔力を注いでも反応がないことも合わせて話すと、学園の教員らしく呆れられてしまったが、レオニールもアレイヤも「最初からただの落書きだと分かっていた風」を装って誤魔化した。
とんだクソガキ具合にいい感じの年齢まで生きた前世の自分なら指を差して笑うだろうな、などと脳内でイメージした。
「問題は、「誰が」「何を目的として」やったのか……。なぜ騎士団の敷地内で行動し、騎士たちに見せたのか、もあるのか」
レオニールの声に、脳内に現れた前世の自身が現世の自分と同じポーズをとる。椅子に座りカップを両手に持っている。
今回を事件と呼ぶには実害がない。
せいぜい寄宿舎に落書きをされているので、ギリギリ問題視するかどうかくらいだが、誰も問題視しようとはしていない。
王子の無茶ぶりに騎士がどうにかこうにかひねり出したものでしかない。
起こった事象だけで言えばの話――だけれど。
「殿下、魔法陣である理由も必要かと」
「ああ、そうだったね。今時魔法陣を利用する理由はあったのかどうか……いや、魔法陣に見せかける必要があるとすれば、犯人は魔力を持たない人間と考えられるのか」
ノーマンの助言でレオニールがなるほど、と唸る。アレイヤがノーマンにそういう話をしていた時はシリルから話を聞いている最中だったので、初耳なのである。
「アレイヤ嬢は魔法陣と誤認させる理由があるのではないかと仰っていましたね」
事細かに覚えているノーマンの記憶力に今だけは感心できない。
いくら魔法陣を模した落書きが見つかって、自身を陥れようとする勢力がいて、クロードを利用しようとしているのではないかと考えているなんて知られるのは正直恥ずかしい。
被害者意識が強すぎる。
最初は興味がないと言っていたのに。
今でもそれほどの興味はないけれど。
「魔法陣と誤認させる理由……魔法陣でなければいけなかった理由……けれど、魔法陣を描いた人物は魔力がない……」
しかし、レオニールは一人で思考を続けている。
真剣に考えに耽っている様子は絵本に出てくる王子様そのものだ。
「魔法陣でなければならなかった理由……現代において魔法陣の重要性はあまりない。それでも使うことに決めたのはなぜだろう。騎士団内で行う必要はあったのか。なぜ影なのか……影? 影には光が必要で、だけれど目撃情報は夕方以降。光源は自然光ではない。では別の光源が存在していた。その光源は魔法陣からではないとすると……そもそも魔法陣でなくとも光源はなんだ? 火? 火魔法? 確かシリルは影は揺らめいていたと言っていた。光源は火と考えると、たいまつを使用した? なら影発生時、犯人は現場近くにいたことになる。それを確認した騎士はいない。でも……」
すべて口から思考内容を駄々洩れにしているが、全員が認識を共有させるのには成功しているので何も言わずに、アレイヤも聴く。
レオニールの推測は大きく間違っていないように思う。
影を作るには影の元になるものと、影を作り出す光源が必要だ。
影の元になるものはなんでもいいが、光源となるとなんでも、とはいかない。
「光源となっているものは魔法か、魔法ではないのか」
アレイヤはレオニールの発した声に俯いていた顔を上げた。頭の中で浮かんだものが同じタイミングで言われたと錯覚した。
「魔法だとすれば魔法陣に魔力が乗らなかったのはなぜだ……?」
だとすればやはり光源は魔法ではない火なのか? と独り言が段々と小さくなっていく。根拠も証拠もなく、自信がなくなっているらしい。
天井を仰ぎ、五分ほど黙った。
その間、護衛の騎士たちは緊張感を切らすことなく立っているし、ノーマンもレオニールが次に動いたり発言した時に備えている。クロードはただ成り行きを見守るようにアレイヤが淹れた紅茶を堪能していた。
アレイヤは、五分もあれば次の紅茶を淹れる準備はした方がいいかと立ち上がり、再び給湯スペースに移動した。
湯が沸くまでの時間で綺麗に使われている研究室内に目を向けた。
――綺麗、というか、掃除をしたて……というより、片付けた感じか。来客の予定でもあったのか。例えばさっきのワガママボディおじ。東屋で会っていたということは部屋に入れたくなかったのか。なら、掃除をする必然性がない。それに……。
着任一か月にしては、研究室らしく見えない室内に違和感が強まる。
案内されてもここがクロードの研究室だと分かる人は恐らくいない。
――片付いている、と綺麗に掃除されている、と何もないは違う。
いっそ殺風景と言える研究室の主を、アレイヤは見た。
クロードはすぐにアレイヤの視線に気付いた。
クロードの表情に戸惑いはない。焦りも恐れも、感情の変化が見られない。
「アレイヤ、これ以上は限界らしい。君の見解を聞きたい」
もうダメだ、頭がおかしくなる。と長い溜息と共にレオニールが両手を上げた。降参を示すポーズだ。
まだ紅茶のための湯が沸くまでに時間がかかる。
降参を示しされてもレオニール一人で調査させると約束していたわけでもないし、レオニールが諦めたら代わりに謎を解くなんて約束もしていない。
「……いくつか、確認したいことがあります」
紅茶用のポッドに茶葉を必要分入れるために背中を向けながら言う。
「シリルさんが恐らく最新の影を見た方だと思うんですけど」
「は、はいっ!」
声をかけるのは控えてあげたいな、とは最初から思っていた。
魔導研究所の一階には医務官の拠点もあるが、いわば職場ではあるが初めて入る場所であり、何より護衛を務めてくれている騎士たちとは違い、シリルは王子であるレオニールの隣に座らせられていた。
研究室に入ってすぐ、クロードが使っていい椅子やソファを説明してノーマンが騎士たちに命じて配置させて、レオニールが最初に座り、次いでアレイヤとシリルに座るように命じた。
アレイヤが「紅茶淹れていいですか?」と先に聞いてしまったがためにレオニールがシリルに隣に座るように言ってしまった。
隣と言っても、レオニールは上等な一人掛けソファなので距離は多少あるが、それでも一般人にとっては王族と同席するという事実だけで緊張を強いられる。
「十日ほど前に見た影の形は髪の長い女性でしたよね?」
「そうです。……えっと」
どうにかレオニールを視界から外して緊張を紛れさせるシリルだったが、アレイヤを見て言葉を詰まらせた。
髪の長い女性、と言った後に騎士たちが驚いた反応をしていた。
彼らにとって髪の長い女性と言われれば、該当する人物がいると察するのは簡単だった。
「気にせず仰ってください。前の光の方に似ていたんですか?」
十分に沸騰した湯をポッドに入れるためにまた背中を向ける。これで多少は話しやすくなればいいが、という意味も含んでいる。
アレイヤの気遣いと理解したのか、シリルは「ええ、そうです。断言は、できませんが」と答えてくれた。
「あの方には何度かお会いして、その……治癒魔法を使われる場でのお手伝いもさせていただいたことがあります」
アレイヤがノルマンド子爵家に養子入りして一年半ほどになるから、そのギリギリまで一緒に仕事をしていたとするなら記憶は鮮明な方か、と紅茶の蒸しの工程を行う。
あと聞きたいことは、もう一つ。
この返答次第でアレイヤは本格的に影の真相を追及するかどうかを決めるつもりでいる。
「紅茶が入りました」
それよりもまずは、と蒸らし終えた紅茶のポッドを持ち上げた。一度目に淹れた時はカップに注いでから配っていたが、二度目ともなると違う。
空になったカップを見えやすい位置に置いてくれているので、誰が必要としているのか分かりやすくなっているのが助かる。
レオニール、ノーマン、控え目ながらもシリルにも注ぎ、アレイヤ自身のカップにも注いでから最後にクロードのカップを手に取った。
結局全員分だったな、と思いつつ全員分の量を用意していたアレイヤは狙った通りの分量に内心でどや顔をしそうになる。
ポッドから琥珀色の液体が流れだす。カップを持つ左手が下がり、ポッドを持つ右手が高く上がっていく。
前世でよく見た刑事ドラマの警部がしていた紅茶の淹れ方。
「先生にもお聞きします」
聞かなければ、と思う。同時に聞きたくないな、とも思う。
だけれど、聞くしかない。
「この研究室には、何度侵入者を許しているのですか?」
ポッドからすべての液体が消えると、カップには六割程度の紅茶が入っていた。
すべてのカップに、同量の紅茶が注ぎ終わった。
どうぞ、と差し出したカップを受け取ったクロードの顔は、アレイヤの質問を意外にも思わないもの。
いただきます、とカップに口を付ける寸前に、クロードは答えた。
「二度しか許していませんよ」
「そうですか」
アレイヤの感想も素っ気ないもので、異様な雰囲気にレオニールも誰もカップを持ったまま口を付けようとはしなかった。
「では、影を作り出していたのは先生……貴方で間違いありません」
更新が遅くなりました…。
映画観に行ってました。
最高でした。
好きなものを好きでい続けてよかったなぁ…
転生しても好きって相当だよなぁ…などと思いつつ。




