騎士団幻覚事件2
ルーフェンが聞いた話では、はっきりした形の描写はなかった。
しかし、シリルははっきりと「髪の長い女性」と言った。
影の話が出始めたのは約一か月前。
シリルが影を見たのは十日ほど前。
「女性の影とは……今回初めて聞きましたね、殿下?」
「ああ。先ほどの騎士からは形が不安定なのだという印象を抱いたが……」
レオニールとノーマンの視線がアレイヤに向けられる。
成績優秀な二人なのだから察しはついているだろうが、もう少し確信が欲しいらしい。
それよりもアレイヤは食堂と寄宿舎の奥に見える木々と建物が気になっていた。
寄宿舎の最上階よりも低い木々は葉が覆い茂っていて夏の暑い今日のような気候でも涼やかだろう。薄手とは言え長袖のドレスを着ているアレイヤには今すぐ行きたい場所ではあるが、やはりその奥の建物である。
蔦に覆われた建物。
王宮の中にあるとは思えない様相だが、手入れはされているのかされていないのか判断がつかない。
「アレイヤ嬢?」
何か気になることでも、とノーマンが声をかける。アレイヤの目が一人だけ別のところへ向いていることに気付いて、視線の先を追う。
アレイヤには見える蔦に覆われた建物だが、ノーマンの視力ではその手前の木々までが精一杯だった。しかし、宰相補佐の補佐として王城に通う以前――アルフォンの補佐をしていた頃から木々の奥にある建物は知っている。
「王宮所属の魔法使いの研究所ですね。入ったことはありませんが……ああ、そう言えばランドシュニー卿が研究所に部屋を与えられたのですが、ご存じですか?」
「あの場所がそうなのですね。クロード先生にはいつでも来てもいいと言われているのですが、どこにあるのかまでは知りませんでした」
「い、いつでも……?」
「朝は学園にいるので、昼以降でなければいないそうです」
騎士団と森を挟んで隣接していたのか、と場所を記憶しようとするが、すでに騎士団の演習所までは馬車で移動しているのですぐに諦めた。
そもそも城門を一人で潜る度胸はまだなかった。
ノーマンが目を丸くしているのにも気付かず、アレイヤは蔦だらけの建物から視線を外した。
「それで、アレイヤ?」
ずいっ、と効果音が付きそうな勢いでレオニールがアレイヤの目の前に立つ。
「なんです?」
「影のことで気になったところは?」
わくわくとした目で見られて一歩下がるアレイヤを追いかけるようにレオニールは一歩前に出る。今日は一段としつこくて珍しい。
「別に……何も気になることなんてありませんけど?」
影は影だし。
騎士たちに危害や業務妨害を与えているわけでもないし。
アレイヤに危険をもたらすものとも考えにくい。
やる気が出ないのも無理はない話だ。
興味があるのはあくまでレオニールであり、アレイヤはただ付き添いをしているだけ――なのだが、さすがに言い方が冷たすぎたようで、レオニールが見るからに落ち込む表情を見せた。
一国の王子が感情を表に出すのはいかがなものなのかと言いたくなるが、言いたくなってすぐにこれがわざとなのだと理解する。レオニールは馬鹿ではない。どういう顔をすれば相手がどういう感情を持つかを考えている。
だが、アレイヤには効かない。
レオニールは間違いなく顔が良い。が、アレイヤの好みではない。顔だけでなく声も、バックボーンもアレイヤには響かない。
アレイヤには意味がないと分かったのか、レオニールは残念そうに唇を尖らせた。こちらは素のように思える。
自分で動くつもりはないが、方法を教えるくらいならいいかと絆されることにしたアレイヤはぐるりと周囲を見渡した。
「まずは、くまなく見てみればいいのでは? 王子殿下の護衛のために周囲を騎士様が確認されてはいますが、それは護衛のためのものであって、影の捜索のためのものではありません」
「なるほど。そう言えばアレイヤはいつも集められる情報は集められるだけ集めていたな」
「そういうことです。情報がなければ推測も立てられません」
アドバイスを受けたレオニールは護衛の騎士たちに待機を命じて、ノーマンと周辺の捜索に乗り出した。
地面から始まり、食堂の中に入って料理人たちに驚かれたり、寄宿舎の中に入って騎士たちから個人の部屋に立ち入らないようにハラハラさせたりしながら何か手掛かりがないかと探す王子と宰相候補。
シリルもその場から大きく離れないまま何か見つからないかと顔を動かしている。
捜索が始まって約五分。
「ノーマン、アレイヤ、ちょっと来てくれ」
レオニールは食堂と寄宿舎の間の通路とは言えない隙間から手招きした。
人一人は余裕で通れる隙間にノーマンが先に入り、アレイヤに手を差し出す。
こんな場所でエスコートされなくてもいいのに、と後から思っても、反射的に手を取ってしまっては離すタイミングは見つけられない。
レオニールも狭い場所でのエスコートよりも見つけたものに興味を示しているようで、これを見てくれと寄宿舎側の外壁を顎で指し示す。王子として顎だけで注目させるやり方には一言言わなければならないのかもしれないが、見えたものに気を取られてどうでもよくなった。どうせ騎士も見ていないし、例え見ていたとしても王子に物を申せる立場にいる騎士は同行していない。
ノーマンから手を離すタイミングを見つけられないまま、レオニールが示す箇所を見る。
寄宿舎の壁には、一見すると落書きのようなものが見られた。
「なんでしょう……チョークで書かれていますね」
よくよく見なければ分からなかったのは、白いチョークで描かれていたからだった。前世の学校現場で多用されていたチョークはこの世界でも使われている。加工のしやすさから共通していたのだろう。黒炭もあるのでこの世界でも絵画のデッサンには黒炭が使われ、消しゴム代わりのパンもある。
アレイヤはほとんど消えかけている落書きを一瞥する。
壁の落書きと言えば前世でもよく見かけた。
シャッターはもちろんのこと地下通路の壁にも見かけたようなスプレーの落書きを彷彿とさせる。
落書きの形は円形。
一番外側を丸で囲み、その内側にさらに丸。その内側に上手く読み取れないが文字らしきものや模様らしきものが見える。
元々薄かったのか風などで消えかけているのか知らないけれど、これが元の形というのではないだろうことだけは断言できる。
ただ、これだけの情報で該当するものが浮かんでしまったアレイヤは、すでに自然とノーマンと手が離れていることすら忘れている。
落書きを見るのに集中して、それぞれがそれぞれの手を腰に当てたり顎の下に添えたりしたことで離れただけなのに、無意識だった。
「これ、魔法陣じゃないかと思うんだけど。アレイヤ、どう思う?」
円状の落書き――もとい、円状に描かれたそれは例えるならば確かに魔法陣だ。
学園の図書館で読んだ魔法陣も大体が円状で、魔力を循環させるためには円が必要不可欠なのだという記述も目にした。
現代で使われる魔法のスタンダードは二種類。
呪文を詠唱するタイプの魔法。
呪文を詠唱しないタイプの魔法。
魔法陣は大規模な魔法を行使する際によく使われたそうだが、魔法陣が必要なほどの魔法を使う機会はほとんどない。魔力の多さや人数でカバーも可能になっているからだ。
魔法の研究は日々続けられている。
だから、魔法陣が必要になる場面はなかなかない。
それ以前に、魔法陣は多くの人が使わない。
「魔法陣のように見えるけれど……」
アレイヤは人差し指に魔力を集めて、そっと壁に触れた。
「アレイヤ嬢っ⁉」
慌ててノーマンがアレイヤの指を壁から離す。
火や水と違って光の魔力はそれだけならばただ光るだけの明かりでしかない。
「魔法陣に魔力が乗らない……?」
レオニールが呟いた。壁に手をつき、自身の魔力を乗せようと人差し指に魔力を集めてそっと壁に触れたが、何の反応も見られない。
どういうことだ、と魔力を出さずに人差し指で白い線をなぞっていく。
人差し指には白い粉が付着した。親指と合わせて擦り合わせてみても、ただのチョークであることを確信するだけ。
「魔法陣に見せかけた……本当にただの落書きということでしょうか?」
真剣な表情で壁を調べる自国の王子に不安を抱きつつ、ノーマンがアレイヤを見た。
「そもそも、影を出す魔法というのは存在しますか?」
「……私の記憶する限りでは、ありませんね」
「でしょうね。なので、影は影として存在するのではなく、光源と影の元となるもので構成されていたと見るべきでしょう」
光魔法があるのなら闇魔法もありそうなものだが、これまで(ゲーム内含めて)闇魔法の存在は確認されていない。
ならば、影は魔法ではない。
魔法陣があるのなら光源に関するものだろうとも考えられたが、国に光属性の魔力を持つ人間は一人だけと定められている。アレイヤがいる以上、他に光属性の魔力を持つ人間はいない。隠れているのでなければ。
もしくは――
「シリル、だったね。君が見たという影についてもう少し詳しく聞かせてくれ」
護衛の騎士たち同様、動くなと命じられていたシリルはレオニールの指名に声を裏返して返事をした。
隙間から出た三人を前にシリルの肩が強張る。
レオニールの質問攻めにシリルが最大の緊張を持ちながら答えている間、アレイヤは深く息を吐き出す。
「アレイヤ嬢、何か分かったのですか?」
「……ノーマン様、王宮内で私の評価はどのようなものなのでしょうか?」
「どう、とは……。いえ、誤魔化すのも無意味ですか。可もなく不可もなく、といったところですね。光魔法と言えば治癒魔法という前提があるもので、王族や王城内で働く大臣らの治癒をされない限りは良いとは言えないかと」
「え、なんですかその気味の悪い評価の仕方は――おっと、失言が過ぎました」
思わず脳内にお茶汲みを強要する毛量の乏しい丸体型のおじさんの偉そうな態度が浮かんだが、古い偏見である。
「否定はしません。ですが、レオニール殿下が高い評価を吹聴されているので半々というのが現状ですね」
こういうところでも助けられているのか、と思わずにはいられない。けれど、アレイヤに対する評価に低いものがあることが判明したのは念頭に置かなければならない。
――私に対する当てつけにしては、場所がここである意味が分からないな。
アレイヤの視線は、自然と研究所へと目が向く。
影を騎士たちに見せて、何がしたいのだろうか。
「アレイヤ嬢、まさかとは思いますが、これもアレイヤ嬢に対する嫌がらせのようなものだと考えておられますか?」
レオニールがシリルの話を聞きながら考え込んでいる姿を見ながら、ノーマンはアレイヤの隣から動こうとはしない。レオニールの行動を尊重するような動きにも思うところはあるが、それよりもと首肯した。
「魔法陣――のようなものとあえて表現しますが、それが描かれていたことが不可解です。魔力の通らないただの落書きを残した理由は、魔法陣だと誤認させる理由があったと推察します」
「魔法陣だと誤認させる理由……とは?」
「私、魔法陣に興味があるんです」
魔法陣は廃れていく一方の魔法技術だ。
廃れている最中なだけで、まだ使っている人もいるだろう。
関連書籍もまだ学園の旧図書室にあるくらいには現代に残る技術とも言える。アレイヤが使ってみたい魔法陣はまったく異なるものだが、それを知るのはアレイヤだけだ。
「例えば、私が魔法陣に興味を持っていると知られている場合、魔法陣をあえて残すことで私が関係していると思わせたかった、とかです」
「……それは少し、飛躍しているのでは?」
「ですが、ここには私に関係のある方がおられます」
「殿下や私、ですか?」
「いえ、もっと深い関係のある方です」
ノーマンも当然知っている人物である。知っているどころか、長期休み中の話でアレイヤは知らないかもしれないと教えてくれもした。
そして、アレイヤが魔法陣に興味があることを一番知っている人物でもある。
「……あなたが魔法陣に興味があることを、その人物はご存じだと?」
「私が魔法のことで最初に相談するとしたら、その人以外にはあり得ませんから」
一月ほど前に研究所内に部屋を与えられたというアレイヤの魔法の先生。
クロード・ランドシュニーは光の魔力が込められた魔法石を使って光魔法を使った実績がある。
いつも評価やいいねをありがとうございます。
変わらず続き書いていいという指標にさせていただいております。
誤字報告も大変助かっております!