悪役令嬢予定だった彼女の楽しみ
「姉上、質問があるのですが」
「何、ロナルド?」
フォールドリッジ公爵家は、国内の最高爵位を持つ家として夜会やパーティの主催の機会が多い。
昼間のパーティならまだしも、夜会への参加となるとパートナー同伴が多い。
現在婚約者のいないフォールドリッジ公爵家長女のゼリニカは、弟のロナルドをパートナーにしていた。ロナルドもまた、婚約者はいない。魔法学園に入学してから――卒業してからでも男性の場合は結婚は間に合う。
「なぜ僕が姉上のパートナーを続けているのでしょうか。父上は母上と参加するので不可能なのは分かりますが……」
「あら、お誘いしたいご令嬢でもできたの?」
なら仕方ないわね、と微笑むゼリニカに、ロナルドは分かっていて言っているな、と理解した。
「そういう相手はおりません。僕はいいのです。が、姉上はよくないでしょう?」
魔法学園の二年生で、卒業までまだあるとは言っても悠長に構えている時間はないはずだ。
弟として姉の心配をしているのだと、ゼリニカよりも深い色の目をキリっと鋭くさせる。
同じ髪色を持つ弟の頭を撫でようと手が浮いたゼリニカは、そっと下ろす。来年学園の入学を予定しているロナルドはもう、小さい子どもではない。
「私はほら、もうしばらくは難しいでしょうから。私に責はないと誰もが思ってくれているけれど、前の方がああだったから、名乗り出る方もいらっしゃらないわ」
仮にも元王太子を「ああだった」と表現する姉に溜息が零れる。確かに、婚約をしていた相手は王族、剥奪はされたが王位継承権一位にあった人物の後に公爵令嬢への求婚をしようと考える貴族は限りなく少ないだろう。
ゼリニカもすぐに婚約を、と考えてはいない。一年以上は間を空けられるだろうことも承知している。
それに……
「今は学園に面白い子がいるから、退屈もしなくってよ?」
「面白い……ええと、レオニール王子殿下と話していて、騎士と踊っていた方でしたっけ?」
ロナルドは参加させられた魔法学園の夜会を思い出していた。入学前に参加することを強く躊躇ったが、姉のパートナーを務める相手がいないと言われては断りきるのも難しい。ダンスの相手だけをして早々に引き下がったが、ダンスの最中に姉から紹介された令嬢がいた。
ピンクパールの髪をした、小柄な令嬢。一年生だからロナルドの一歳年上。さらにレオニール王子と成績を争うほどの優秀さを持つとあって関心は持った。
まだ興味と呼べるほどの気はないが。
「そうよ。アレイヤ・ノルマンド子爵令嬢。光魔法を使うご令嬢よ」
「子爵令嬢ということは、パーティにお呼びしてはいらっしゃらないのですね」
「ロナルド、アレイヤ様が気になる?」
「姉上が気にされる方ですからね、気にもなるでしょう」
学園の夏の長期休暇期間に催される公爵家主催の会には伯爵以上の貴族が招待されている。お茶会程度の小規模な集まりならゼリニカが呼びかけることもできるだろうが、なぜかゼリニカはそれをしない。
光魔法を使う令嬢。その話を知らない国民はいないだろう。国に一人だけ置かれる属性魔法。アレイヤが現れたことで、それまでいた人間は魔力量の少なさを理由に国から追い出された。それを嘆く国民はいまだに多い。ロナルドは直接会ったことはないが、会ったことのある人間は国からいなくなった事実を受け止めきれず放心状態――廃人と化しているのを見た。
あれほどまでに人間の心を掌握できるのかと、ロナルドは少しだけ光魔法を恐れた。
ゼリニカがアレイヤ・ノルマンドを気にかけていることに不安を覚えるほどに。
「そうね……ロナルドがアレイヤ様と結婚してくれれば、ずっと彼女と一緒にいられるのよね……」
「姉上?」
まるで独り言のような呟きに、ロナルドが反応する。
聞き流せない内容を口走らなかったか? と姉を真っ直ぐ見つめる。
「侍女にする案もあるけれど、それでは立場が離れてしまってつまらないわ。それならロナルドの嫁に迎えて義妹にすれば……」
「姉上? 聞こえていますか、姉上?」
「聞こえていますわ。学園で成績優秀を維持してくだされば、公爵家に入ることも許されるのではなくて? 光属性ですもの、レオニール様との婚姻は望まれていないなら、我が公爵家が引き受けるのも良いのではないかしら? あの教師もアレイヤ様を気にかけておられたけれど、あのお二人が一緒になるとそれはそれで魔力のパワーバランスがおかしなことになるかもしれませんわね。であれば急いでお父様に相談しなければ!」
「姉上、お待ちください!」
「ロナルド、まさかあなた、アレイヤ様との結婚が嫌だなんて言うの? ならばどこが不満なのか言いなさい。私がどうにかしてみせますわ!」
「不満とかそういう問題ではなく、僕にしてもあちらにしても、直接顔を合わせておりませんから判断のしようも……ってそうではなく! 勝手に僕の結婚相手を作らないでください!」
「お見合いがしたいのね、分かったわ!」
「違いますっ!」
全然分かっておられないじゃないですか! と叫んだロナルド・フォールドリッジの声は、使用人たちが漏れなく驚いた事態だった。
フォールドリッジ公爵家の姉弟と言えば、王族の姻戚になるからと常に冷静沈着、品行方正を保ってきた。
それなのに。
まるで幼少の頃に戻ったかのような騒ぎっぷりに、使用人たちは笑みを抑えることができなかった。
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今夜のパーティは、長期休暇中の令息令嬢を多く招いた。
休み期間も残り半分となった頃合いで学園の友人たちと顔を合わせて話をしたくなるだろうからとフォールドリッジ公爵が提案したものだ。娘のゼリニカに誰か声を掛ける勇気のある令息を見繕いたい気持ちが強い。公爵令嬢たるもの、いつまでも婚約者の席を空けておくわけにもいかない。
何より、いい年をして弟をパートナーにしている娘が哀れに見えて仕方なかった。本人は普通を装っているが、その心はきっと悲しみに暮れているはず、と父親の目で見ていた。真実はまるで別のところにあると、父親には分からない。
「ようこそお越しくださいましたわ、お二人とも」
ゼリニカが歓談中の二人の乙女に声をかける。二人はゼリニカに声をかけられ、目を大きく開いて喜びを表した。
「お招きありがとうございます、フォールドリッジ様」
「ありがとうございます」
二人は同時に頭を下げる。息の合ったタイミングはさすが気心の知れた友人同士というところか。
トワレス・アークハルト。
ララ・ロベルタ。
伯爵位以上が招かれる場に当然呼ばれる二人は、主催者がただの上位貴族の令嬢ではなく「ゼリニカ・フォールドリッジ」だからこそ、喜んで招かれた。
「今宵も素敵なドレスですわ! 彼女が見たら、さぞ目を輝かせることでしょう」
「間違いありませんわ。学園が再開の折には、羨ましがられるかもしれません」
三人に共通する友人こそ、下位貴族の令嬢のアレイヤ・ノルマンドだった。
アレイヤがいなければ、トワレスもララもゼリニカと話そうとは思わなかった。
「お二人も素敵なドレスだわ。私もきっと、羨ましがられますわね」
ふふふ、と貴族に相応しい笑顔を浮かべる。
二人はトワレスの双子の兄たちにエスコートされてこの場にいるが、男性二人は今飲み物を取りに行っている。ロナルドも同じ理由で今はゼリニカの側にはいない。
「この休みの間に、お会いになりました?」
「……いえ。お手紙のやりとりは少しだけさせていただいているのですが、どうやら彼女、殿下に呼び出されてあちこち連れ出されたりしているようで」
このままでは噂が真実味を持ってしまいますわ、とトワレスが嘆く。
トワレス・アークハルトは、学園の友人のアレイヤには魔法種別授業で二人きりになる機会の多い教師のクロード・ランドシュニーと結婚してほしいと思っている。だから、別の誰かとの――それが例え王子でも――噂は避けてほしい。
「殿下は、まだ本心にお気付きでないだけで、実は恋心が生まれているのかもしれませんわ」
逆に、ララ・ロベルタはにこにこと噂が本当になればいいのにと思っているレオニール派である。
そしてゼリニカは、宰相子息であるノーマン・ドルトロッソを推していることを二人は知っている――のだが。
「私先ほど、考えを少し改めてみましたの」
にっこりと笑ったゼリニカの言葉に興味を惹かれ、トワレスとララはわずかに顔を寄せた。
「学園を卒業しても、彼女を近しい場に置いておきたいと思いまして。彼女、とても面白いでしょう? けれど公爵家と子爵家では普段の付き合いがないのが悩みですの」
「……侍女になさろうと? 彼女なら喜んでなりそうですけれど」
トワレスはゼリニカの侍女になったアレイヤの姿を簡単に想像できた。それはララも同じなのか、すぐ隣で何度も頷いている。
「いいえ、侍女にするとどうしても越えられない格差というものが生まれますわ。ですから私……」
一度言葉を区切ると、タイミングを図ったように三人の男性が戻ってきた。
同じ顔をした年上の令息二人と、幼い顔立ちのまだ少年と呼ぶべき令息。
「姉上、グラスをお持ちしました」と言いつつ会話の邪魔にならないようにそっとグラスを渡そうとした少年――ロナルドの腕をゼリニカは引いた。
「彼女に我が弟を紹介しようかと思いますの」
おほほほ、と笑う声と姉上⁉ と動揺する声が重なる。
登場した瞬間から疲れた顔をしていた弟に何があったのだろうと会場内では囁かれていたが、その理由はこれか、と理解した。
別に賭けをしているわけでも、強く勧めたいわけでもない。単純に、恋愛というものからかけ離れた位置から動こうとしない友人を案じているだけだ。
だから鞍替えをしても問題はない。
思うのは、自身の身内を差し出すのか……ということだけ。
トワレスはちら、と自身の兄たちを見る。
瓜二つの双子の内の一人は騎士団に所属する騎士だ。幹部なので戦場に出るのではなく作戦を立てる参謀の仕事が多い。他にも文官のような書き仕事がメインで、命の危険はない。そして、独身だ。もう一人はアークハルト伯爵家を継ぐ跡取りなので婚約者がそろそろ確定しそうな頃合いだ。
候補に差し出すなら騎士の方の兄だろうが、トワレスは頭を振って浮かんだ案を消した。
やはり自分は、教師と生徒の恋愛が見たい。
欲には逆らえなかった。
トワレスは学園を卒業してもアレイヤと友人関係を続けるつもりでいるから、余計に。
「私がもしも男性だったら……参戦したかったですわね」
ララは心にもないことを口にしている自覚を持ちながら、うふふと笑った。
王族としての意識が強いレオニールが恋に溺れる瞬間が見たい、という欲は、誰にも言わずにそっと自分だけの楽しみにしておいた。
トワレスの双子の兄たちは、姉におもちゃにされている公爵子息を哀れに思いながら、年下でも女性とは恐ろしい、と顔を見合わせて肩を竦めたのだった。
次回、やっとの事件編です。