夏休みのお誘い2
魔法は上手く扱えなければ危険なもの。魔力暴走を防ぐ意味でも補習は重要だ。ただし、醜聞を気にする高位の貴族は教室で集団の補修は受けられないと個人的な指導を求める場合も少なくない。それに応じられるのも長期休暇ならではと言えた。
逆に言えば、高位ではない貴族の令息令嬢は集団での補習のために学園内にいるということだ。
「あら。一年生の成績優秀者が何の用なのかしら?」
「笑いに来たのかもしれませんわ?」
「意地の悪い方ね。これだから平民は」
「平民は平民たちの校舎に通うべきですわ」
まだ補習の時間ではないからだろう、庭園に集まっていた令嬢たちはアレイヤを見つけてすぐに嫌味を言い出した。
大きな声で。
声を掛けなければ補習に出ていることを知られずに済んだのではないか? と咄嗟に言いかけたのを堪え、まだアレイヤに言っていると決まったわけではないと信じてできるだけ視界に入れないように移動する。
探しているのは学園の庭師だ。
前世で言う用務員でもいいのだが、確実なのは庭師だろうと狙いを定めて探す。本当に探しているのは庭師ではなく別のものだが、貴族の通う場所ではただ歩いているだけで見つかりそうにない。
問題は、庭師に聞いても見つからない可能性が大きいこと。
最終的には自分で作ることも視野に入れて庭師を探し、声をかける。
「すみません。大きな木の枝があれば分けてほしいのですが」
「? 一体何に使うおつもりですか、お嬢様?」
日に焼けた肌と土まみれの軍手をポケットに突っ込んだ姿の庭師の男はアレイヤの要望に肩にかけていたタオルが落ちた。
「魔法を使うのに使ってみたくて」
「はぁ……。ですが、貴族のお嬢様にお渡しできるようなものは何もありませんよ?」
「見せていただくだけでも大丈夫です。選ぶのは私がしますから」
なければごめんなさい、と先に頭を下げると、変な貴族の令嬢だなと思っていそうな顔で切り落とした枝などを集めておく場所に案内された。プライドの高い、それこそ貴族至上主義の人たちは顔を顰めること請負の場所だった。
剪定した花の枝葉まで集められていて、庭園とは違った植物の香りが広がっていた。
どことなく聖域の森に近い香りに懐かしさを味わった。
ただ、思ったよりも長さが足りない枝ばかりしかなく、太さも心許ない。地面に強めに刺した瞬間に折れてしまうほどのものしかない。そもそも学園内の木の剪定なんて頻繁に行われているだろうことを考えていなかった。
きちんとお礼を言って校舎の中に戻る。光魔法の使い方を模索していく中で前世の知識が有用であることを突き止めた魔法実技試験の前に気付き、それから夢見ていた。
やりたいことは闇魔法のヒロインがやっていたものだしあのヒロインのような使い方にはならないだろうけれど、光魔法の適性があるからこそのやり方もあるし、その想定で考えている。
土産もなく来てしまったとわずかに後悔しながらも、アレイヤはクロードのいる魔法準備室と書かれた部屋の扉をノックした。
返事を待ってから中に入ると、三名の教師が一斉にこちらを見た。
一人は手紙を蝶にして送ってきたクロード。
二人は補習授業のために出勤しているのだろうけれど、その内の一人はあまり会いたくなかった教師だった。
「こんにちは」
できればクロードだけに挨拶をしたかったが、そういうわけにもいかない。
「ノルマンドさん! どうしたの、私に用事かしら? そうよね、数学の話をするなら私しかいないわよね!」
エニータ・モロフ。数学オタクでおっとりした雰囲気の女教師である。
生来の天然の性格がそう思い込ませているのか、アレイヤの目的が自分以外にあると想像もしていない。数学の話をしたかったのはむしろそちらじゃないのか、と言ったとしても言い過ぎではないはずだ。
「すみません。クロード先生がいらっしゃるとお聞きしまして、少し相談をと」
「あらそうなの? 私には一つも用件はなし?」
「……今のところは」
悲しそうな顔をされると無理にでも会う理由を見つけなければならなくな――りはしないのだけれど、また次の授業の後に話をさせてもらいたいと告げれば機嫌も取れた。
問題は、次回までにきちんとエニータの満足がいく程度の質問を見つけておかないといけないことか。
それよりも今回呼び出した相手を見る。
さっきから一言も返さないどころか、肩を震わせて笑い声を我慢している教師はこちらを見ようともしていない。
「クロード先生? 呼び出しておいて無視は酷いのではありませんか?」
「……ふ、ふふ。失礼、あまりにも愉快なやりとりに思わず……」
「帰ってもいいのなら帰りますよ? この後レオニール殿下と約束もありますし」
アレイヤとレオニールは友人同士であることも名前を呼び捨てにし合うことも公言しているから、例え教師の前とは言っても敬称を付ける必要はないのかもしれない。それでも教師の前で王族を呼び捨てにはできなかった。
平民根性が染みついて取れない。
「すみません、来てくれてありがとうございます。では行きましょうか」
立ち上がりながらも堪え切れなかったのか、片手で口を隠しながらも笑っているクロードはアレイヤと共に準備室から出た。
廊下に出て振り返ればごくごく普通の広い部屋だが、中は前世のパーティションで区切られたオフィスのようだった。大学院生の研究室とも言えそうな空間は、実技担当の教師たちの研究室も兼ねているらしい。
魔力暴走を引き起こされたきっかけの魔法石も、この部屋に保管されている。
オフィスや研究室にも見えた準備室だが、廊下から見るより内側は広く見えた。魔法が関与しているのか、それとも綺麗に整頓されていたから広く見えただけなのか、それは分からない。
「まさか早速会いに来てくれるとは思わなかったな」
「たまたま待ち合わせが学園だったんです。それならついでにと……」
「ついで……でもいいけど」
「休暇明けの授業で魔法陣のことを聞きたかったので、今でもいいかなっていう気持ちもあります」
「魔法陣?」
「やってみたいことがありまして!」
ついでと言われて拗ねているのかと思ったが、魔法陣の欲求に勝てなかった。前世では乙女ゲームのプレイヤーをしていたが、アレイヤ自身は恋愛的な言動や行動が極貧だ。操作して選択肢を選ぶことはできても、自主的に行動することは苦手である。
どこに行くのか、ただクロードの隣を歩きながら杖を探していること、庭園の庭師に聞いたところ、杖に使えそうな枝は見つからなかったことを話した。
「魔法陣に杖が必要……なんて話は聞いたことがありませんねえ」
「こういうのがしたいんです」
丁度庭園に戻ってきたところでアレイヤは小走りでクロードと距離を取った。
自分の身長ほどの杖を想像して構える。そして、くるくると踊るように地面に魔法陣を描く――想像上で。
まずは丸。その内側に三角を書いて、足を止める。最後に描いた魔法陣に杖を突くとキャンプファイヤー程度の火が現れる――と想像するが、光魔法の適性がある以上は本物の火は出せない。
「本当にこういう風にできるかを、先生に聞きたくて……先生?」
実際の動きと口頭でも説明を終えたアレイヤは、その場でうずくまるクロードに首を傾げた。右腕で頭を抱えているが、突然頭痛を覚えたわけでもないだろう。
荒唐無稽な話すぎて、どう扱ったものか悩んでしまったのだろうか。
「え、不可能ですか⁉ 不可能なんですか⁉」
「あ、アレイヤさん……君、もうちょっと見目が良いことを自覚してください」
「はい?」
ちらりと右腕で隠された顔が露わになり、アレイヤを見上げている。よく見れば顔が真っ赤に染まっていた。
アレイヤ・ノルマンドの見た目が良いのは、乙女ゲームのヒロインになるくらいなのだからそうだと同意するが、中に入ってしまった人間の性格が悪さをしていてゲーム内ほど惚れた惚れられたはできないと思っている。
「……さっきのアレで、魔法陣を描くつもりですか?」
「そう、ですけど?」
さすがに踊りながら描く必要はないが、元ネタでは踊りながら描くことが重要だったために踊ってみただけだ。
魔法を使うのに遊んでいると思われただろうか。それなら普通に淡々と魔法陣を描くだけだが、と言おうとすると、頭を掛けていた右腕をそのまま口元に移動させながら立ち上がったクロードに「次も絶対に、私の前だけでやってください」と念押しされた。
「くれぐれも他の男の前で安易にしないように」
「……魔法陣が使えるかどうか分かるまでは先生の前以外で言うつもりもありません」
「それを聞いて安心しました」
安心されてもなぁ、と声に出さず小さな溜息を零すだけに留めたアレイヤは、想像上の杖を適当に投げた。
想像の杖だけあって地面に落ちることも音が鳴ることもなかったが、だからこそひらめいた。
見つからないなら、作ってしまえばいいのではないかと。
「先生っ!」
「返事したくないなぁ。嫌な予感がする」
熱心なのは評価しますが、とクロードはアレイヤの言葉から逃げる素振りを見せはするものの、本気で逃げる様子はない。
「休暇が明けたら、魔法で杖を作る練習がしたいです!」
「思ったより余裕のある予定に、正直驚きが隠せませんが?」
「王子殿下との約束を無視する勇気は私にはありません」
「ああ、なるほど……」
いくら友達と認められていても、絶対的な格差がある。
王族相手に勝手をするような豪胆な性格にはなれないし、なれたところで実行する勇気はやはりなかった。
「あとはまぁ、毒見の方が来てくれるらしいので、久しぶりに高級な何かを食べられそうで楽しみなんです」
アレイヤはまだ自分で作ったもの以外は安心して食べられない。そのことを知っているクロードは、嬉しそうな顔のアレイヤに目を細めた。
「楽しんできてください」
クロードに見送られて、そろそろ着替えに寮の部屋へ行こうかとしたところで、声が掛けられた。
「アレイヤ!」
どこから聞こえたのか分からずに二人して辺りを見渡す。
「二人とも、生徒会室に来てくれ」
生徒会室、の言葉に二人は同時に上階の窓を探した。
五階建ての校舎の最上階の窓から身を乗り出している人物を見つけた。
「殿下! 危険なのでそのような真似はお控えください!」
「ごめんごめん。アレイヤの声が聞こえたからつい。いいから早くこっちに来てくれないか? 話があるんだ」
教師としても臣下としても見過ごせない我が国の王子の素行に注意をせずにいられなかったクロードに対し、片手で謝罪のポーズをしながらもレオニールはアレイヤたちに早くと急かした。
呼ばれなくてもこの後待ち合わせて美味しいものを食べに行く約束をしているのに不思議だな、と思いつつ、なぜクロードも一緒に呼ばれたのか理由が浮かばないまま、二人は生徒会室へと向かった。
「アレイヤさん、レオニール王子殿下はあのような方でしたっけ?」
階段を上りながら、先ほどのレオニールの様子に困惑するクロードが聞いてきた。
「いえ、もっと思慮深くて畏れ多い方だったと思います。……私が悪いってことになりませんよね?」
今現在、国を背負い立つ身でありながら窓から身を乗り出す軽率さ。少し前のレオニールなら絶対にしなかったであろう行動だ。
それを言うなら、勉強や魔法に熱心になっているというのも変化の一つなのだけれど。
「アレイヤさんと友人関係になってから殿下が変わられたと? そう言う人もいるかもしれませんが、アレイヤさんが悪いと言ってしまうと、貴女を友人と選んだ殿下やそれを止めなかった周囲にまで問題が広がってしまうから、大丈夫じゃないですか?」
「……身分が違うって、本当に面倒ですよね」
王族と貴族。
元平民と、貴族と、王族。
どこまでもしがらみは多い。
「もし何か問題が起こったとしても、アレイヤさんには光魔法の適性がある以上、どうにでもできますから」
「どうにでも?」
「例えば、先生のところにお嫁に来るとか」
「あっ、じゃあ、世界と戦争するしかないってなったら、そうしましょう!」
「は?」
身分は身分でも教師と生徒の方が、この世界では優しい。
前世では大事件だが、今世では珍しくもないと聞く。
どうせいつか誰かと結婚しなければならないと言われたら、クロードだったらまだ良い。一生好きな声と共にあれるのなら、ある意味では前世と同じとも言える。
妙案のようでいて名案の提案に、アレイヤは手を打つ勢いで「それがいい」と大きく頷く。
しかし、頷いてからふと気付く。
「先生がもしも私以外の人と結婚する時は、真っ先に教えてくださいね? ああ、あの人の次でもいいんですけど」
「は?」
二度目の「は?」だ。
「そうじゃないと、私が追い詰められたら世界と戦争するしか選択肢が残っていないことになりますし」
「軽率に世界と戦争をしないでください? というか、その……」
ふらふらと視線を彷徨わせるクロードに、アレイヤは無意識に引いていた。
アレイヤは何も無自覚に「結婚」の言葉を使ったのではない。最後の最後、女性の独身は生きづらい世の中だと分かった上での保険だ。以前いた光魔法の適性者との婚約が解消された後も浮いた話が出ていない。つまり、フリーだ。見目も声も良く魔力量も潤沢で学園の教師という職を持っている。貴族籍の有無はこれまで聞いたことがないしゲーム内でも語られていないから知らないが、これほどのポテンシャルを持つ男を世の女性たちが放置しているのには理由があるとしか考えられない。
これまでに何度も聞かされてきたけれど、前の婚約者の存在感が邪魔をしているらしい。
どこまで幅広く慕われていたんだ、あの性別詐称の天才聖女は。
「アレイヤさんにもしも好きな人ができたら、教えてください」
「……まぁ、はい」
先に相手を見つけたら報告しろ、と言った以上言い返されるのは当然だった。
それでも言い淀んでしまったのは、アレイヤ自身が少女漫画よろしくときめき満載の恋を体験できると思っていない。
我ながら波乱万丈の経験が豊富だからか、前世の年齢は現在の年齢よりはるかに上だからか、安寧を好む傾向にある自覚が強い。
無理にでも結婚の約束を取り付けない限り結婚なんて一番縁のないイベントになる自信があった。