エピローグ3
学園の医務室は基本的に宿泊――入院は行っていない。
しかし、学園の寮に暮らしている生徒を一人返すにはまだ療養が必要だし、その療養に異性の魔法使いの存在が必要になる可能性があるとなれば、しばらく医務室で過ごしてもらう他になくなる。
退院まではあと二日といったところか。
その生徒の治療に尽力した異性の魔法使い――学園の教師でもあるクロード・ランドシュニーも自身の魔力を渡したことで行動が制限されてしまっていてはこちらも無理に追い出すことは難しかった。医務室に常駐している医務官は泊まり込まなければならなくなった事実に酷く悩んだが、騎士団から騎士が派遣されることになったことで普段通り家に帰ることができた。
騎士団の治療班が来てくれたのなら、無理に居続ける必要もない。学園側も医務官の帰宅には反対の声を上げなかった。
衛兵もいる。
騎士もいる。
学園の食堂から様子を見に来る料理人もいるし、食材を運んでくる農家の人もお見舞いだと顔を出した。
学園の医務室に、やたらと人が出入りする奇妙な時間が発生していた。
医務室で異例の入院措置を受けている一人、クロードは昼食の時間だというのに目の前に置かれた品揃えの数々に目を丸くしていた。
クロードの病名――正しくは病気ではないが――は魔力の一時的な低下である。魔力が一定以上回復しなければ貧血に似た状態が続く。エリクサーのような回復薬があればいいのだが、この世界で魔力はほぼ自然回復に任されている。それ以外には誰かの魔力を譲渡する方法があるが、クロードの魔力量は全世界的に見て希少なほど多い。クロードを回復させられるほどの魔力を持つ人間はそれこそ――アレイヤくらいだろう。
ただ、アレイヤはクロードから魔力を渡されて回復した身である。渡された魔力を返すとまたアレイヤが倒れる羽目になり、本末転倒の結果が待っている。
そして魔力譲渡には条件がある。
それは、輸血と同じく「同型の魔力しか渡せない」こと。
だから、トワレスがアレイヤに魔力を渡そうとしてもできなかった。
「先生、食べましょう」
「アレイヤ嬢、これは一体?」
同じく異例の入院措置を受けているアレイヤが、医務室の一区画を学食のようなテーブルの配置に変えていた。
テーブルの上には見たことのある玉子焼きと、見たことのない料理が並べられている。
茶色のスープに、白い三角の米の塊。魚を焼いたもの、と見た目は質素だが、医務室を満たす香りは以前玉子焼きを食べた時にも嗅いだことのあるものに近い。
「一つの実験とでも思ってください。前に別の光魔法を使った時に、意図せず回復効果もあったことがあったんです。それで、私の作る料理にそういった効果があったらいいなーという考えです。ついでに空腹も満たせるなら最高ではないですか?」
テーブルの皿の数を見るに一人分ではないことは確かだ。クロードは戸惑いながらも椅子に座る。アレイヤも対面の席に座った。
作ったのはアレイヤだと聞かなくても分かる。
彼女はまだ、他人の作った料理を食べることを怖がっている。
「ま、回復の効果は私の髪に現れたので、他人に効果あるのかどうかが実験の主題になるのですけれど」
「教師を実験体にする生徒は聞いたことありませんね」
食事自体をついでと呼ぶ人もなかなかいないでしょう。とクロードは苦笑した。
アレイヤといると、不思議な感覚を覚える。それは前にいた婚約者――本当は男で、婚約も名ばかりのものでしかなかったが――といた時には覚えなかった奇妙な感覚。
魔法を使われていないのに、癒されている感覚。
「僕は、前世持ちなんです」
だからなのか、クロードはぽつりと誰にも話したことのない秘密を軽い口調で声に出していた。
「前世持ちは珍しくない症例ですが、僕の場合は前世での属性魔法が使えるという点が他と異なります。アレイヤ嬢が光の魔力を注入した魔法石を僕が使えたのは、前世……正しくは三度前の人生で光の魔力を持っていたからです。今回、魔力切れの貴女に魔力を渡せたのも同じ理由です」
「…………」
クロードの独白に、すぐに反応できずに固まってしまった。
アレイヤ以外の前世持ちに会ったのは初めて――というか、前世持ちであることは基本的に誰も言わない。言ったところで意味のない話だからだ。アレイヤのように前世がまったく別の世界であることは、別の意味で言えないが。
アレイヤが反応できなかったのは自身が別の世界からの転生者だから、クロードの「前世持ち」の言葉にまさか同じ世界からの転生者なのかも、という可能性を考えてしまったからだ。
一瞬の内に、「声帯が同じだからもしかして前世はあの声優⁉」と、発想が飛躍してしまった。
同時に「そんなわけあるかい」と否定意見も出て思考がストップしてしまった。
結果的に絶句してしまったアレイヤに、クロードは苦笑して「困りますよね、こんな話」と誤解を与えた。
困らない。
前世持ちで、前回の人生だけでなく、何度も人生を巡っていることに対して困りはしない。アレイヤは自身の話の方が困らせるという自信がある。
言いはしないけれど。
「理由はなんであれ、先生が私を助けてくれたことに変わりありません。ありがとうございました」
「アレイヤ嬢……」
「それと、前から言っていいのかどうなのか分からなかったので言えなかったんですけど」
「なんでしょう?」
ゼリニカはあちらから提案してくれた。
レオニールは勝手にし始めた。
ノーマンには、家名ではなくと勧めた。
トワレスとララには、友人になったのだからと言い合った。
教師であり、前世から狂おしいほど好んでいる声の持ち主である相手に言うのはおよそ自殺行為なのではないかと思われるけれど、もう少し、歩み寄ってもいいのではないだろうか。
「先生は教師で、私は生徒です。光魔法を教え教えられの関係です。なので、その……敬称を略していただけませんか?」
「いいのですか?」
返しが早すぎてまたしてもアレイヤはすぐに反応ができなかった。
「は、はい。どうも私は様や嬢付けで呼ばれるのは苦手なんですよね。さすがにゼリニカ様やトワレス様のような生粋の貴族の方にお願いすることはできませんが、先生ならいいかなって」
明らかに貴族然としている人たちにフランクに接することは難しいが、クロードは授業を抜け出してスイーツを食べに行ったりした仲だ。一緒に光魔法を模索している仲間でもある。だからこそ、クロードだけには言えた。
「女性に敬称を付けずに名前だけを呼ぶのは、邪推する者がいるかもしれませんが?」
要するに、呼び捨ては家族や婚約者の間柄の人間に許された特別な呼び名である。
分かっている。
分かっているが、そういう深い意味ではない。
担当教師が受け持つ生徒を呼び捨てにして何が悪いのか。
「邪推しない人もいますよ。……これからは気を付けるつもりではありますけど、あの夜私に危機があった時、呼びにくくなかったですか?」
「…………」
否定しなかったところから察するに、ちゃんと呼びづらいと思っていたようだ。
階段から投げ出されたアレイヤを見上げるクロードの顔は、魔力暴走の際の顔が思い出されて居たたまれなかった。
「先生の学園での立場もあるかもしれませんから、無理にとは言いませんが……」
「アレイヤ」
にっこりと笑みを浮かべながら、不意打ちとも言えるタイミングでクロードは躊躇いなくアレイヤの名前を口にした。
「――さん。いやあ、自分の生徒とは言え、いきなり呼び捨てにするのは恥ずかしいですね」
微妙な間が空いてから軽い敬称を付け足したクロードの顔がほんのりと赤く染まる。
そろそろいただいてもいいですか? とさらに恥ずかしさを忘れようと目の前の質素ながらも豪勢な料理に意識を向けたが、名前呼びを注文した本人が今にも気を失いそうなほど顔を赤くしていた。
食べれば回復するだろうか。
+++
王城で開かれる魔法実技試験終了記念の夜会が、以前ノルマンド子爵家内で言われていた「今度の夜会」だった。
ノルマンド子爵家でドレスを着こんだアレイヤは、ノルマンド子爵夫妻が持ってきた手紙の山を前にひきつった笑顔を浮かべていた。
「どうしようかしら、と思ってね。アレイヤさん、婚約相手について考えていることはある?」
「十五歳と言えば平民でも夢を現実的に捉える頃合いだろう? 私たちはまだ早いと思っているのだが……」
「はい、私もまだまだ早いと思っています」
だから婚約申し込みの手紙は今すぐ廃棄してほしい。
アレイヤの心の声が聞こえたわけではないだろうが、手紙の山は執事の手によって一瞬にして消え失せた。
大量の手紙を捨てたところで、王城の夜会に行けば手紙の差出人が山ほどいると思うと行く気も失せるし、せっかくのドレスも脱ぎたくなる。
ちなみに、ドレスはノルマンド子爵家で用意したものではなく、レオニール第二王子殿下から贈られてきた。
学年首位のお祝いだと適当な理由を付けて。
実際、贈られてきた時は婚約の申し込みだと義両親を始め、屋敷中が騒いだものだけれど、同封されていた手紙を読んだところ、どうやらアレイヤを守るためのものらしかった。
大量の婚約申し込みをしてきた殿方たちからの、
王族との婚約を望む国王からの、
盾になる。
一見すれば「僕が君を守る」なんて情熱的な文言ではあるが、その実、書かれた文字のままの意味であることはアレイヤには一目瞭然だった。
その代わりに会場入りしたらレオニールと行動しなければならない約束まで書かれていたが、何からも守ってくれるのならば問題はない。お互いに友人以上の感情は持っていないと学園内では十分に広まっているからこその余裕でもある。
脅威も去ったことだし、エスコートしてもらう相手も見つけられていないしと、レオニールの厚意に甘えることにした。
それが功を奏したのか、夜会では厄介なイベントも起きず、国王夫妻の前でも魔法を無事に発動し終え、なんなら褒められもして、滞りなくノルマンド子爵家に帰ることができた。
夜会の会場には騎士も警護に来ていたが、ルーフェンとギルベルトの姿はなかった。
自室でメイドたちにドレスからラフな格好に着替えさせている間に、ルーフェンと交換したリボンを返しそびれていることを思い出した。
もう学園内で襲われることもなくなった今、騎士であるルーフェンと接点を持つのは難しい。レオニールに頼めばリボンの返却ぐらいなら簡単にしてもらえるのだろうけれど、たったそれだけの用件で王族に依頼を出すのはどうかと思う。
ノルマンド子爵家から騎士団に使いを出してもらう手もあるにはあるが、ルーフェンとの仲を勘繰っている子爵夫人の目を盗むのは至難の業だろう。
ギルベルトの様子も気になる。
ゲームでの悲惨な展開は回避できたが、いわゆる「シナリオの強制力」が働かない保証もない。
いまだに回復系の魔法が使えないアレイヤにとって、まだ不安の残る生活は続く。
乙女ゲームのヒロインとしての役割は何一つとしてこなしていないのだから。
恋愛をするゲームの世界に転生して、結婚で人生が決まるような世界に生きていて、恋愛から程遠い性格や生き方をしているのは、間違っていないのだろうか。
そんな不安を抱えたまま、今日も明日も生きていく。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
誰かが死ぬようなものは書きたくない、という気持ちで書き始めたものです。
主人公だけが被害に遭うけれど、その主人公が解決するから誰も死ぬことはないまま始まって終わる。そういうお話でした。
最初に書きたいと思っていたことをすべて書けたと思います。
まだ書きたい話もあるので、いつか続きを書いたらまた読んでくれると嬉しいです。
それでは、また。