魔法実技試験事件7
衛兵は貴族や実力の認められた平民を集めた騎士とは違い、全員が平民で構成されている。誰でもなれる衛兵は、貴族たちにとっては空気やその辺を歩いている犬猫などの小動物と存在は同じ。視界に入れるほどでもない程度の認識しかない。
衛兵から助言を受けるなんてありえない。衛兵からの言葉を耳に入れても記憶しない。貴族至上主義を掲げる貴族たちにとって、衛兵とはそれだけの存在だった。
だから、声をかけられて振り向きはしても記憶に留めない。
王城の正門前に立つ衛兵を意識した国民がいないのと同じくして、学園に通う生徒たちにとって衛兵は学園内に立ち入ることのない門番のような役割という認識しかない。
故に、根からの貴族であればあるほど、意識から外れやすくなる。
「何かあれば呼べば来てくれますし、呼ぶのは大抵男性なので、女性の貴族は特に記憶に残らないかもしれませんね」
アレイヤは例えばとエマニュエル・ローゼスの名前を挙げた。
彼女は以前、アレイヤの「今のお話を、ゼリニカ様や私にされる前にどなたかとしませんでしたか?」という問いに対して
「そうですわ。聖女様からの手紙が領地に届いた時、学園のある日は私がランドシュニー様にお届けすることがあるのですわ」と答えた。しかし、
――どなたかとお話したのは覚えているのですけれど、どなただったのかを忘れてしまいましたわ。
何度も思い出そうとしていたが、記憶に留めないような相手の存在を思い出すことは難しいようで、結局思い出せはしなかった。
その場に同席していたゼリニカはアレイヤの話を聞いて絶句している。
登校直後に大量の針が落ちている箇所を踏みそうになったアレイヤを引き留め、衛兵を呼んだノーマンも意表を突かれたように目を見開いている。
ルーフェンは衛兵とやりとりをして学園内を巡回していた時期があるし、同じ騎士のギルベルトも衛兵の存在は貴族よりも認知している。
クロードは窓の外に駆け寄って、学園の門前に立っているはずの衛兵の姿を探している。
レオニールは、一人天井を見上げていた。
「……衛兵はいわば有志の集まり。衛兵ではない人間が紛れ込んでいたとしても誰も気付かない。騎士とは違い、経歴をまとめた書類も作られてはいない。確かに盲点と言えば盲点だ」
冷静に自身が納得できる理由を呟くように口にしたレオニールは、天井から視線を下ろすと短く息を吐いた。
「衛兵は、学園の中に勝手に入ることはできない。衛兵とは別に、学園内に仲間がいると考えるべきだと思うんだけど、どう?」
「その通りかと。多くの衛兵の中から犯人を見つけるのは難しくても、学園内にいる方なら割とすぐに見つけられるはずです」
レオニールの見解に素直に頷きつつ、アレイヤの対応にレオニールの眉間にやや皺が寄ったのを見逃さなかった。いくらライバルで対等で友人だと認めたところですぐに対応を変えられるわけがない。名前だって呼び捨てにするのをすでに後悔していた。
それでもアレイヤは今はそこが主題ではないと切り替えた。
「もう一人について、恐らくご存じの方もいらっしゃるのではないでしょうか?」
「……どういう意味ですの? まさか、私たちの中に犯人がいると?」
「いえ、ゼリニカ様。当てはまる人物をご存じではないかと言いたいのです」
だから怖い顔しないでください――とはさすがに言えないが直視できずに顔を背ける。ゼリニカの凄む声はご褒美でしかなかったが、美麗な顔面が歪むところは見たくない。
紛らわしい言い方した自分が悪いのは承知の上だけれど。
全員の視線をもう一度集めて、探して欲しい人物の特徴を伝えた。
アレイヤを恨むに相応しい特徴を持つ「家柄」の人物を。
+++
魔法実技試験。
前世の日本の学校で言うところの期末試験に相当し、その名の通り試験が終わると長期休みが始まる。二学期制が採用されているので、前期が終わるという意味だ。
「とても良い街並みですわね」
生徒が立ち入れる範囲内の校舎で一番高い場所にある廊下で外を眺めていたアレイヤは、すぐ隣にやって来た人物の言葉に首を傾げた。
「街並みは……さすがに見えませんよ、トワレス様?」
「現在の感想ではありませんことよ。貴女がレオニール殿下とお造りになられた仮初めの姿を拝見いたしました」
なるほど、そういう意味か。と視線を外に向けたまま「ありがとうございます」とはにかむ。
あの場にはゼリニカとノーマンもいて、三人が来てくれたからこそ可能になったものだということも合わせて告げる。アレイヤとレオニール二人の手柄だと思われるのは心外だ。アレイヤは最後の飾りつけを担ったにすぎない。実際に雨風をしのげる建物を作り上げたのは三人の方だ。
「ええ、それはそうなのですけれど、光魔法の神髄を見させていただいたと言いたいのですわ。……いえ、貴女の力量の――本髄を」
アレイヤと並んで窓の外に目をやりながらも、実際に見ているのはここからでは見えない色彩豊かな仮初めの城下町だろうか。トワレスは長い息を吐き出しながら零す。
「魔法とは、魔力を注いでいる内は発動をし続けるもの。なのに発動からこれまで一度たりともあの街並みは姿を変えていない。それがどれほど常識外れなのか理解されているのですか?」
魔力を切らしても結果だけが残る他の属性とはまったく異なるはずですわ、と話すトワレスの意識は今、城下町にあるのだろうけれど、実際に眼下に広がっているのは魔法実技試験が行われている広大な園庭の光景だ。
三学年同日に行われる試験は、しかし同時に行われるものではない。
三年生から順番に披露され、アレイヤたち一年生は最後だ。だからこうして校舎内にいて見物している。一年生が後回しなのは、三年生の優れた魔法を見て研鑽に励むべしという学園側からの計らいである。
「……聞く方が野暮というものですわね。平民から貴族入りするほどの――以前いらした方を他国へ移してまで国が欲したほどの方なのですもの」
試験が楽しみですわ、とトワレスは一度だけアレイヤを抱きしめてからその場を離れて行――かれる前に呼び止めた。
「トワレス様。ところであの、ララ様はご一緒ではないのですか?」
気付けばいつも一緒にいる二人なのに、と思って尋ねたのだが、トワレスは小首を傾げて小さく笑った。
「私たちは常に一緒ではありませんわ。別行動もとります。けれど、質問に答えるのならばララ様は今、お呼び出しを受けていますわ」
「お呼び出し?」
教師の誰かにだろうか。試験当日に呼び出されるとは何か発表予定の魔法に不都合でも生じたのか。
トワレスを真似するように小首を傾げるアレイヤの脳内を見透かしたように、さらに笑われた。
口元を手で隠しながら、優美に。
「数多の殿方から、ですわ。お勉強は優秀でも、アレイヤ様はこういったお話が苦手なようで大変良いですわ。そういうところ、どうして数多の殿方はお気付きにならないのかしら。唯一お声がけをしているのがララ様の元婚約者だけ、というのは許せませんわね」
他の殿方は何をなさっているのかしら。クロード・ランドシュニー様とか。とトワレスはなぜかクロードの名前だけを挙げて、怒っている言葉を発しながらも楽し気に、廊下を再び歩き出した。
「この試験が終われば、王城で大きな夜会が開かれるのですもの。ノルマンド子爵夫妻にお会いできるのが楽しみですわ。アレイヤ様がどなたにエスコートしていただくのかも含めて、ね」
「…………」
かくも女性は他人のコイバナが好きである。
何も反応できないままトワレスを見送ってしまったアレイヤは、若干頭を抱えそうになりながらもトワレスが来る前と同じ窓枠に体を預ける形の姿勢に戻った。
窓の外では、三年生の先輩たちが派手に魔法を使って試験に挑んでいた。
その中に第一王子であるアルフォンの姿もあるのだが、まったく気付きもしなかった。
+++
魔法実技試験において物品の持ち込みは事前申請しなければならないルールがある。魔法実技の試験なのだから、純粋に魔力のみを使って魔法を使わなければ評価できないのだが、行使する魔法如何によっては必要になる生徒もいる。
魔力数が事情があって足りなくなってしまった生徒の救済措置でもある。
試験前にはあるあるの、詰め込み勉。それによって魔力の回復が間に合わなかった生徒たちの駆け込み申請は教師側にとってもあるあるらしい。
杖を使ったり、魔法道具を使ったり、自身の魔力の扱い方を分かっているという評価のされ方もある。
最初「杖」と聞いて、杖を使って魔法陣を土の地面に描くという某ギャグマンガを思い出した。来年、もしくは後期末の実技試験でやってみようと考えている。
話は逸れたが、申請のない物品はすなわち、「カンニング」と見做される。申請が許可されているのにカンニングを行った場合、自身の能力を偽る必要ありと思われて試験は当然落第。内容次第では進級不可、もしくは退学もあり得る。
申請のない物品持ち込みなんて、普通は他者を妨害する目的と思われてしまうから。
では問題。
もしも今回の魔法実技試験で申請のなされていない物品が持ち込まれていたとするなら、何でしょう?
そしてそれを炙り出す方法として最適なのは?
「アレイヤ様」
窓の外、空の色がかなり暗くなってきた。
見下ろせば三年生、二年生の試験は終わり、一年生も半数を残すばかりとなっている。
アレイヤは呼びかけてくれた二人の騎士を振り返った。
「そろそろ時間ですね」
「お嬢様、随分と落ち着いていらっしゃるようですね? 試験とは緊張するものでは? ……いえ、狙われていると分かっていれば、緊張するものではないかと推察しますが」
ずっとアレイヤのすぐ近くで護衛していた二人の騎士の内の赤い長髪の方が聞く。もう一人の青い髪の騎士が最初に名前を呼んだ方だ。
赤い髪の騎士――ギルベルトの問いにアレイヤは「うーん」と少しだけ考えてから答えた。
「試験の準備はもう済んでますし、私を狙っている人物についての対処も終わっていますからね。緊張のしようがないと言いますか……」
そこで一度言葉を切ったアレイヤは、苦笑しつつ頬を掻いた。
「後はなので、やるだけ、です」
アレイヤの背後に見える夜空に浮かぶ『星』が、存在を主張するように瞬いた。
気付けばもう50話になっていました。
ここまで長く書くつもりではなかったはずなんですけど、読んでくださる方にはお付き合いいただけて嬉しい限りです。