試験問題改竄事件~情報提供~
詳しく話を聞くまでもなく、エニータ・モロフは完全なる単独犯だった。
黒幕の気配すらなかった。
机の上に何も出さないアレイヤの授業態度が頭に来て衝動的に起こした事件。
この件では手掛かりは得られないと分かると、クロードとノーマンの二人が神妙な顔で短く溜息を吐いた。
レオニールが個別にアレイヤに渡したものと同じ問題を解かせてくれと依頼した後、エニータはほくほくとした満足な顔をしながらもアレイヤに同情した。
「それにしても、光属性の人って大変なのね。前の方とよく比べられているの?」
特別な魔法を使えるって言うものね、と世間話と同じテンションで話すエニータに思わずアレイヤの目が丸くなった。
「……比べられたことというか、あまりその方の話は聞いたことがありません」
比較はないが好意を持っていたと知ってしまったことはあるし、誰かから話を聞く以前に本人からの手紙を参考に授業をしたりしている。
他人から話を聞いたことは、そう言えばなかった。
「え、そうなの?」
驚くエニータの声から逃げるようにアレイヤがクロードに目を向けてしまったのは、唯一日常的に話をしているからだったが、不安から助けを求めるように見てしまったのだと推測したララは口元を手で覆った。
「アレイヤ様はランドシュニー先生と仲が良いと思われているので、気を遣われているのでは……!」
「ら、ララ様?」
「ララ様の仰る通りかもしれませんわね……。前の光属性の方と婚約関係にあったランドシュニー先生が今の光属性であるアレイヤ様と仲良くしておられますし」
「トワレス様まで何を?」
「「お二人には現在婚約されている方はいませんし!」」
二人はやけにアレイヤとクロードの仲を勘繰る。これまではただ勘繰るだけで終わっていたのに、声を重ねてしまうほど期待されている。
教師と生徒の禁断の恋――その響きに夢中になってしまっているようだ。
ノルマンド子爵夫人は騎士との身分差に夢中なのだったか、と余計なことまで思い出した。
用意しておくと言われていた本の連絡はまだ届いていない。
「先生、その……生徒に手を出すのはいかがなものかと」
「出してませんし出す予定も今のところありませんよ?」
言いにくそうにするエニータに終始笑顔のクロード。視界の端でノーマンの睨む顔が見えたような気がしたが、アレイヤは見ないようにした。
外見の推しの豹変した姿を直視してはいけないオタクの勘が働いた。
事件が解決してそのまま妙な空気感に包まれようとしている中、教室の扉がコンコンと鳴らされた。
「よろしくて?」
いつだって困った時には現れてくれるアレイヤの悪役令嬢――になる予定だった人。
「ゼリニカ様!」
金髪碧眼の美女が、教室の壁に体重を傾けながら呆れた顔でこちらを見ていた。
「何か事件があったようですけれど、解決しましたのね? でしたらアレイヤ様、次はこちらにお時間を頂けますかしら。客人ですわよ」
「お客様、ですか? 私に?」
「エマニュエル・ローゼス辺境伯令嬢、と言えば伝わりますかしら? そちらの生徒溺愛教師から名前くらいは聞いていると思いますけれど」
ちら、とゼリニカが軽蔑の目を向けた先にはクロードがいる。生徒溺愛教師の呼び名にさすがのクロードも顔が引き攣った。
学年が違うゼリニカにも妙な名前で呼ばれる程度には認知されているのか、とアレイヤは日頃の行動を反省する。きっと毎日昼食を一緒に食べているのが知れ渡っているのだ。教室の中が見えるように開けっ放しにしていたから仕方ないのだが。
それとも、試験中に耳元で良い声を発しているところを他の生徒が言い触らしたのか。
どちらにしてもクロードの自業自得である。
「夜会の成績貼り出しの任を自分にしてくれと学校側と交渉なさったと聞きましたわ。アレイヤ様の身をお守りするために名乗り出たのでしょう?」
階段から落ちたのを騎士様と二人で助けたと聞きましてよ、とゼリニカの口が饒舌にすべてを語った。
「え?」
「フォールドリッジ嬢、あの、そういうことは言わずにおくものではないかと……?」
明らかに困った表情を見せるクロードも珍しい。
「積極性があるのはいいことだと思っただけですわ。ローゼス様はご自身の寮の部屋でお待ちいただいています。アレイヤ様、参りましょうか」
詳しく聞きたいような、あえて聞きたくないような。クロードが自分の身を案じてくれていたという事実に頭が追いつかないままゼリニカに言われるままに付いて行く。
まるで乙女ゲームや少女漫画のヒロインみたいだ、と感心すると同時に自分はそのヒロインの位置づけだったなと思い出しては力不足を痛感する。情緒が不安定になったまま、アレイヤは一度校舎を出た。
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寮は学年によって使う部屋が分けられている。
進級の際に部屋を移動する必要がないように、学年ごとで分けられているらしい。
現在一年生が使っているのは三階建てになっている寮の三階にあり、二年生が二階、三年生が一階にある。三年生が卒業したら一階には新しい一年生が入ることになる。
エマニュエル・ローゼスは三年生で、寮の部屋は一階の階段のすぐ隣にあった。
「先に申し上げておきますわ。ローゼス辺境伯令嬢はまだご婚約者様がおりませんので男性の同席を避けるために寮にいていただいています。話を聞いた後でアレイヤ様が誰に共有しようとも自由ですわ」
「ご配慮ありがとうございます、ゼリニカ様。ゼリニカ様は同席していただけるのですか?」
さすがに初対面の先輩令嬢と二人きりにされるのは嫌だ、とゼリニカに訴える。
クロードから聞いた話によれば、これから会うエマニュエルはアレイヤを階段から弾き飛ばした魔法道具を置いた人物である。黒幕と思われる人物との接触も考えられるために一対一での対面は遠慮したかった。
「もちろんですわ。私は仲介人。同席するのが筋というものですわ」
筋とは言うが、ゼリニカも相当アレイヤには優しい。
アレイヤが扉を叩くと返事はすぐにあった。
中にいたのは当然、部屋の現在の主人であるエマニュエル・ローゼス。
夜会の日にゼリニカの控え室ですれ違って以来だが、あの時とは様相が違っていた。それもそのはず、あの日は夜会に合うようなドレス姿で髪も整えていた。
今は制服から着替えずに待っていたようで、長い黒髪がそのまま背中に垂れている。
「夜会の日はご挨拶できずに申し訳ありません。アレイヤ・ノルマンドです」
相手は上位貴族であり、二学年も上の先輩だ。こちらから名乗るのは当然だと頭を下げるアレイヤに対し、エマニュエルは慌てて立ち上がった。
「こちらこそ、あの時は大変な失礼をいたしましたわ! エマニュエル・ローゼスと申します!」
やたらと腰の低い人だな、という印象を植え付けられたアレイヤは一瞬だけ気圧されそうになりながら勧められた椅子に座った。付き添いのゼリニカは少しだけ離れた位置にあるこの部屋の中で一際豪華な椅子に座っていた。
「あの日、魔法道具を置いたのは私です。まさか人を階段から落とすためのものだとは知らずに大変なことをしてしまいましたっ!」
本人も椅子に座っているにも関わらず、エマニュエルは床に打ち付けそうなほど頭を下げる。
最上級生で貴族としても上位にいるのにこの腰の低さはもはや性格なのだろう。家柄なのか家の中での扱いからそうなっているのかはさておきとして、アレイヤは「それで」と早速本題に踏み込んだ。
ゼリニカの時間を貰っているのだ。無駄な時間は過ごさせたくない。
「今回、フォールドリッジ様にお願いしてノルマンド様をお呼びしたのは、銀の聖女様のことでお話しておいた方がいいと考えたからです」
こんなタイムリーなことがあってのいいおかと、アレイヤは戦慄した。
つい先ほどエニータに「誰からも比較されたことがないのか」と言われたばかりだというのに、すぐに話題になるなんてこと、ありえるのか。
エマニュエルは比較したいわけではないことは分かっている。分かっているが、話題に上がるというだけでアレイヤの手には自然と力は入った。
クロード以外から語られる、前の光魔法の使い手の話。
授業で毎回のように手紙を通じて魔法の使い方を教えてくれる、もう一人の先生。
「あの魔法道具を用意したり、ノルマンド様へ危害を加えてようとしているのは、もしかしたら……その方なのではないかと思うのです」
その言葉は、しっかりとアレイヤに衝撃をもたらした。