斬髪事件2
あらすじ。
ヒロインの髪が一部パッツンと切られた。
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「ゼリニカ・フォールドリッジ! また貴様か! 一体どういうつもりで彼女を陥れようとするのだ⁉」
呆然としたままのアレイヤの前、ゼリニカの後方から颯爽と現れたのは、ゼリニカよりも濃い金髪の長身。
絶世の美男子との呼び声高いアルフォン・ル・リトアクーム第一王子は、あろうことか自身の婚約者を糾弾し始めた。
(いや、キレるのは私の役目……)
アレイヤの心の声は表に出ることなく、王子の怒声でなかったことにされてしまう。
入学してすぐに声をかけてくれたのは同程度の階級の令嬢たちではなく、一つ学年が上のアルフォン王子だった。最初は誰もが「珍しい光魔法の適性を持つ元庶民に気を遣っているのだろう」と理解を示していたが、ある意味では王子と交流が始まってから周囲で異変が起きたと言える。
王子が元庶民にご執心だと思われたのなら、嫌がらせの類も分かろうものなのだが。
「アルフォン殿下。畏れながら、私がやったと仰っているのですか?」
誰よりも冷静なゼリニカ・フォールドリッジ公爵令嬢は、努めて柔らかい口調で徹底している。彼女には公爵家としての矜持があると強く意識していた。
「貴様以外に誰がいるというのだ? ふん、大方この俺が他の女を気にかけているのが気にくわないといったところか。器の小さい奴だ」
「……殿下の妄想にお付き合いする暇は、ありませんが」
「妄想だと⁉」
小さく溜息を吐き出すゼリニカは、アレイヤと目が合うと苦笑した。
あなたも大変ね、と言われているようだ。
そもそも公爵家の令嬢ならば、子爵家の新参貴族令嬢に陰湿な嫌がらせをする理由はない。まずは直接注意するのが当然だ。それがないということは、こそこそ隠れなければならない立場の人間ということになる。
例えばゼリニカの近くにいる友人令嬢とか。
ゼリニカの犯行だと思われてはいけないから、隠れる必要がなかった。そう考えれば嫌がらせをする理由にも納得がいく――わけがない。
それもやはり、まずは口頭での注意の後にすればいい。注意してもアレイヤの素行が変わらなければ嫌がらせに発展してもおかしくないし、そうなるのも時間の問題なのだろう。
だが、アレイヤは何もしていない。
アルフォンに声をかけられて無視するわけにもいかないので挨拶を返しているだけ。
たったそれだけの行動でゼリニカの名を借りた他の令嬢たちから小言を多くもらってはいるけれども。
「ノルマンド嬢が歩いている頭上から水を落としたのもお前だろう⁉」
「身に覚えがございませんわ」
「しらばっくれるんじゃない! 他にも彼女の制服に切り刻んだのも、彼女が使っている机に刃物を仕込んだのもお前であると聞いた!」
「一体どなたからお聞きになったのでしょう? 殿下は私ともアレイヤ様とも学年やカリキュラムが違っておりますが」
廊下で繰り広げられるアレイヤが受けた嫌がらせの内容と、すべてをゼリニカの仕業だと糾弾する怒号。
始まってしまった王子と婚約者の諍いに巻き込まれてしまった。
アレイヤに行われるえげつない嫌がらせの数々。机に刃物が入っていた件はアレイヤにも身に覚えがない。何のことを言っているのかとショックから抜け出していると気付きもしない。
その度に追及される公爵令嬢と、詳細になってもいない証拠を並べる王子。
公爵令嬢に非がないことは明らかだが、周囲も巻き添えを食らいたくないのか、はたまた公爵令嬢がやっていないという根拠がないからか、遠巻きに見ているだけ。
どの世界でも関わりたくないのはみな同じらしい。
話の時空が現在に戻り、髪を切られた直後のアレイヤは咄嗟に目の前のゼリニカに助けを求める視線を投げてしまった。
突然の出来事に驚いているのはゼリニカも同じなのに。
ゲームでは悪役令嬢となっているゼリニカに主人公のアレイヤが助けを求めるのもおかしな話ではあるが、今の時点で一番信用があるのがゼリニカ以外にいないのだから仕方ない。
はらりと落ち損ねた髪がまた落ちる。恐る恐る手を伸ばせば、指にまた髪が絡まり、そのまま頭から離れる。
私の髪は、産みの母親も育ての母親も好むピンクパール色。実の父親譲りの滑らかな指通りが気持ちいいから、子女らしくあれるようにと伸ばしていた。
「ない……」
何度触れても肩口でざっくりと切られた髪は元に戻らない。
自分でも気に入っていた長い髪。
慣れない貴族の世界の中で唯一憩いの場である寮の自室で今朝も綺麗に梳いた長い髪が――ない。
前世は髪を短くしていたから、長さ自体には懐かしさもある。けれど、それ以上に喪失感が大きかった。
「ノルマンド嬢!」
呆然と立ち尽くすアレイヤの後方から焦った声が近付いてくる。
「アレイヤ様!」
走って来ている男の声に我に返ったらしいゼリニカもアルフォンとの言い合いを途中で切って慌ててアレイヤに駆け寄る。
先にアレイヤに触れたのは、後方から声を掛けた男の方だった。
「ノルマンド嬢、ご無事ですか⁉」
「アレイヤ様、近くの教室にまず入りましょう」
顔を覗き込む深緑の髪を持つ男の顔を見て、王子の取り巻きの一人であることを認識する。少し遅れてアレイヤの手を握ったゼリニカが周囲を確認している。
「ゼリニカ様、アレイヤ様から離れてくださいませんか!」
「あら、まだ私の仕業だと言い張るおつもり? けれど、まずはアレイヤ様をここから離れさせるのが最善ですわよ、キュリスさん」
王子だけでなく王子を取り巻く人たちとも軋轢があるゼリニカは、必死にアレイヤの頭部を庇ってくれている。誰の目にも触れさせないようにと。
本当はすぐにこうして誰の目からも守ろうとしてくれていたのだと、優しくも力強くアルフォンの取り巻きの手を退ける威圧感からよく分かった。
すぐ近くの空き教室を見つけて連れて行こうとするゼリニカと、アレイヤの後方から声をかけて寄ってきたロイド・キュリスが言い争いを始める。どちらがアレイヤに寄り添うか。二人の大きくなっていく声に私は段々と平静を取り戻し、周囲に人が集まってきている雑音も耳に入るほどには回復した。
すー、はー。
分かりやすく全身を使って深呼吸をするアレイヤに二人の言い争う声も止む。
「ゼリニカ様……少しお時間、よろしいでしょうか?」
「あ、アレイヤ様……?」
「やはり、ゼリニカ様が一連の」
「キュリス様も、少々よろしいですか?」
うるさい。
みんなもう、うるさすぎる。
「なんの騒ぎだ?」
タイミング良く現れたのはアレイヤと同じ一年生の第二王子――レオニール・ラ・リトアクーム殿下。
アルフォンの弟君。
「ゼリニカ様、第二王子殿下にこれから話す内容の証人となっていただけるようにお願いしていただいても構いませんか?」
アレイヤ・ノルマンドは子爵。ロイド・キュリスは侯爵。そしてゼリニカ・フォールドリッジが公爵となれば、王族に声をかける権利があるのは一番爵位の高いゼリニカにある。また、ゼリニカは第一王子の婚約者でもあるので、同じ公爵の位を持つ人間がいたとしても、ゼリニカ以外にレオニールに話しかけられる人間はいない。
不穏な気配を察知したゼリニカはアレイヤをそっと離してレオニールに声をかけ、四人だけが揃う教室の中、アレイヤは息を大きく吸い込んだ。
女の子の髪を切った代償は大きいぞ。
反撃するのは悪役令嬢役であるゼリニカではない。
被害者であるアレイヤ・ノルマンドだ。
明けましておめでとうございます。
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