婚約破棄騒動事件~混入物~
――ダンス、楽しんでもらえたようで良かった。
王立スフォルト魔法学園の夜会にアレイヤのエスコートで参加したルーフェンは、思いの外存在が浮かなかったことに安堵していた。
学園の夜会でも、エスコート役に選ばれるのは学園内の生徒だけではなかった。
筆頭としてゼリニカ・フォールドリッジがまだ生徒ではない弟のロナルドを連れていた。公爵家の人間がそうしてくれたおかげで助かったと感じた人間はルーフェンだけではないはずだ。いや、アレイヤが騎士をエスコートに選んだと聞いた瞬間に決めたのかもしれない。真相は本人に聞く以外は明らかにはできないが。
夜会が終わり、ノルマンド子爵家までアレイヤを無事に届けた後は騎士団の詰所に戻って騎士団長に報告。アレイヤが狙われた件についての報告が長くなり、騎士団の中にある寄宿舎の自身の部屋に戻ったのは深夜だった。
時間が過ぎれば過ぎるほど、自分の身に起きる異変に気付く。
思えば、ダンスの最中からおかしかった。
妙にアドレナリンが出て気分が高まっていた。
だから激しいダンスになってしまった。
驚き、笑い、あれほど壁際で確認していた基本のステップを無視した自分のリードに付いてきてくれるアレイヤ。
踊っている間だけ、ずっと心の中で慕い続けていた人物を忘れていた。
あれほど焦がれていたのに、だ。
「ふうー……」
ちょっとした動作が全身を強く刺激してくる。
厄介な混入物を用意したものだ。
トレイに乗ったグラスを取ったのはルーフェン自身だ。一つをアレイヤに渡し、もう一つは自分の分。乾杯した後に再度アレイヤからグラスを取って毒見をした。
両方、アルコールの香りに紛れて妙な味がした。
騎士団に所属する騎士として毒見の機会は珍しくもない。だから訓練は日常的に行われる。すぐに分かったのも訓練の賜物だった。
まさか本当に毒見としての機能が功を奏するとは思わなかった。
アレイヤのグラスに入っていたのは、強い媚薬だった。一口にも満たない量でも相当な効き目があった。飲み込んだ後で異変に気付いたが、毒ではないことは間違いなかったからそのままにしていた。
ルーフェン用にと取ったグラスには痺れ薬が入っていた。こちらはすぐにハンカチに出したので効果はほんの少しだけ舌先が痺れる程度で済んだ。用意していた解毒薬の出番がなかったことは幸いだったが、それでも媚薬の効果にこうして耐える羽目になっている。
一口にも満たない量でこのザマだ。
もしも普通に喉を通していたらどうなっていたか考えるのもおぞましい。
一体アレイヤにどんな恨みを持っているのか。
階段から落とすだけでは飽き足らず、強い媚薬や痺れ薬まで用意して。
深呼吸を繰り返して、自身の中で暴走する熱を誤魔化す。
これをアレイヤが飲んでいたら、大変なことになっていた。社会的地位が失われるだけでは済まない。人間としての――女性としての尊厳を奪われていたに違いない。
なんて恐ろしいことを考える人間なのか。
媚薬にしても痺れ薬にしても、アレイヤが摂取していたらきっと犯人の思惑に深く嵌まってしまっていた。
訪れる結果はきっと同じ。
騎士の自分が夜会の相手に名乗り出ていなければと考えれば考えるほど心の中を恐怖が支配する。同時に自分がいてよかったという快感に襲われる。
快感の意味が体の中で変化する過程さえ刺激となってルーフェンを襲う。
「ダメだ。耐えろ……耐えなければ……俺は騎士だ。騎士なんだよ……」
体が熱い。
屈辱的な熱に屈するわけにはいかない。
ましてや四歳も年下の、それも騎士になりたかった人の後継の少女を思い浮かべながらなんて絶対にやってはいけないことだ。
首元の拘束を緩めようと手を伸ばし、あ、と思い出した。
騎士が夜会などのパーティに客として参加する際に着用する通常の団服とは別の団服。その首元には本来他の貴族同様スカーフやリボンで装飾されるのだが、今夜はアレイヤの発案でネクタイに変わっていた。
アレイヤの髪を彩っていたリボンと交換して。
ネクタイとして結ばれたリボンを解く。
今夜でアレイヤの護衛任務は解かれた。だから、しばらく会うことはないと思っていた。
なのに。
「……タイミングの悪い」
アレイヤのことを考えないように頭の中の記憶を一時的にでも封じようとしていた矢先、忘れてはならないと半ば強制的に思い出させる品物に顔が大きく歪む。
おもむろにルーフェンのリボンを外し、ネクタイを締める時の真剣な表情。
階段から投げ出された時の焦った顔と、受け止めた時のドレスの滑らかな質感。軽くて小さな体。
ダンスに誘った際の戸惑いの表情。
想像していたダンスとは違うことに気付いた時の驚きの表情。
風変わりなステップを楽しむ表情。
一瞬にして脳裏に溢れる今夜のアレイヤ。
切り替えないと、と強く自分を保つ。
彼女は普通の令嬢ではない。
自身を狙う何者かからの襲撃に冷静に対処しようとする強い少女だ。
光魔法の適性があるからといって、決して自分を特別に思っていない。
アレイヤの存在によって国外へ移されたか弱い人とはどこも似ていない。素朴で、強かで、どこまでも強く光り輝く太陽のような明るさを持つ少女。
体の内側が燃えるように熱い。
冷水でも浴びてくるか、それとも鍛錬をして熱の理由を無理にでも変えるか、いっそ寝て忘れてしまうか。
媚薬には解毒薬がない。
体に害のあるものではないということと、薬がなくても解消される術が存在しているから優先して研究されないのだ。
現に盛られていた媚薬に苦しむ人間がいたとしても、薬はない。
息を大きく吸い込み、吐き出す。
ぐだぐだと分析しなくてもいい戯言で時間を稼いだからか、幾分か楽になってきた。
「犯人、絶対に許さないからな……」
余裕が生まれて湧き出すのは強い憤り。
毒物なら解毒薬を飲んで事なきを得ていた。今頃苦しんでいるのは毒物ではなかったからだ。
媚薬や痺れ薬の入手経路から犯人に辿り着けないだろうか。
明日から別の任務が入っているというのに、ルーフェンはすべての感情をアレイヤを狙う犯人への怒りに変えた。
トレイには三つのグラスが置かれていたこと、残り一つのグラスには媚薬や痺れ薬とは比べ物にならないほど酷いものが入っていたことを、ルーフェンは知らない。
(4/18)前回か今回に誤字を発見していたんですけど、見失いました…。
明日更新あります。