婚約破棄騒動事件~お弁当~
本編に必要な話が後半にあります。
試験が終わってもすぐに長期の休みがあるわけではない。
前世の世界観で言うと中間試験が終わっただけ。それで試験終わりの夜会があるのかというツッコミもあるかもしれないが、期末試験にあたる試験が終われば夜会を開く間もなく長期の休みに入る。
つまり、試験が終わっても学園の通常授業はある。
周囲の視線は試験の前と後で大きく変わってしまったが、嫌がらせの回数が激減したのは幸いだった。恐らくはアレイヤを見る視線が増えたせいで、嫌がらせしにくくなっているのだろう。
カリオ・トランシーの登場で黒幕の存在が見えたというのに、これではまた手掛かりが薄くなってしまう。
それに、嫌がらせの頻度が減ったところで飲食物に対する拒否感はなくなっていない。
学生寮を朝早くに出発したアレイヤは、学園に到着後すぐに学生食堂の調理場に向かった。
副学長のジェラルドから話は通っていたのですんなりと入らせてくれる。朝の仕込み中に申し訳ないと頭を下げるアレイヤに料理長の男性は昼休みの忙しい時間帯に来られるよりいいと笑った。
学生たちの昼食の仕込みで忙しい調理場の端を借りて、アレイヤは自分だけの昼食を作る。
前世の記憶を頼りに料理するなんて、乙女ゲームのキャラクターに転生した日本人あるあるじゃないかと一人で笑いながら作るのは普通の学生時代のお弁当だ。
ちゃんとした弁当箱なんて存在していなかったので、別の用途で使われているブリキの容器を採用したが、シンプルな見た目は完全に昭和のブリキの弁当箱である。
ごはんに梅干しだけのものを想像してしまったが、さすがにそれでは現役女子学生として心象に悪い。
転生先の世界に米がない、なら米から作ろう! という展開は幸か不幸かならなかった。米イコール日本米ではない。
穀物はどこにでも存在し、日本米でなくても米はある。日本食のごはんとしての食べ方はされていないが、あるものはある。
用意した米を一合分、小鍋を借りて炊く。炊けたら火傷しないように三角に握って冷めたら詰めていく。さすがにおにぎりだけで済ませるつもりはない。ウインナーに似た料理はあるが燻製されていないものを焼き、卵焼きも作る。ミニトマトと茹でた野菜があれば最低限のお弁当の完成だが、せっかくの手料理だ。一品か二品は凝ったものを作りたい。
学食で余った野菜の屑をもらい、濃いめの味付けに炒める。小麦粉と塩と水で練って薄く広げた生地にそれらを乗せ、長方形に巻いていく。さらに少量の油で揚げれば簡易春巻きができた。
あとはこの世界でもよく作られているポテトサラダを自作して弁当箱に詰めて完了となる。
箱に詰めるタイプの昼食なんて初めてだと学食で働く料理人たちから説明を求められたりしたけれど、学園に来る日は毎回来る予定だと伝えればすんなりと解放される。
きっと毎日同じようなものしか作らないだろうし、冷凍食品なんて便利なものもないから珍しいと思われるのも数日だけだ。
出来上がったお弁当箱を抱えて、ようやく登校を果たした。
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「今日の授業はここまでにします。……この後、時間ありますか?」
魔法種別授業が終わると同時にこの後の予定を確認されたアレイヤは、考える間もなく頷いた。
クロードも分かった上で聞いていると分かるのは、学生食堂を利用しないと知っていたから。
弁当持参という周到な用意には最初に疑問符を頭上に浮かべていたが、「持ち運びできる食事です」と端的に答えれば一応の納得の後に本題に入った。
「階段から君が落ちた原因は、魔法道具でした」
魔法道具。
魔力暴走の一件の際、入院中のアレイヤの身を守るために渡された四角い箱を思い出す。
目を包帯で覆われたまま渡され、使われ、回収されてしまったために実物を見たことはない。
「置いたのはローゼス辺境伯家の令嬢、エマニュエル・ローゼス。階段のところで君とすれ違ったと本人は言っていましたが、記憶にありますか?」
ゼリニカに挨拶をした直後に会った人を言っているのだろう。アレイヤは多分と言いながら頷いた。
ひどく驚いた顔をしていたが、魔法道具を仕掛けた直後だったのか。
「彼女は魔法道具をある使用人から階段の上に置いておいてほしいと頼まれたそうです。後で使うからと。物は薄い板だったようですが、階段から投げ出されたところを見ると反発する魔法でもかけていたのかと」
「最初は足を取られて動かなくなったので、もしかすると吸着してから反発する魔法だったかもしれません」
「……二つの魔法を組み込んでいたとなると、それもまた厄介ですね」
誰もいない二人きりの教室内で顔を顰める二人は、廊下の賑やかな喧噪も耳に入らない。
「魔法道具を渡したという使用人は見つかったんですか?」
「それが、会場の中を歩いていたという証言までは取れましたけど、その人自体は消息不明です。主催者であるフォールドリッジ公爵令嬢にも確認を取りましたが、そのような人物は雇い入れていないと」
「外部からの侵入者だったわけですか。会場内にいたとなると、私も見ている可能性はありますよね?」
特徴を教えてほしいと言うと、使用人の――メイドの格好をした女性だった。
これといった特徴はなく、ごくごく普通の使用人。特徴がなさすぎてゼリニカからは「そのような特徴のない人間は我が家にはおりません」と一蹴されたらしい。使用人を一人一人覚えているという点でゼリニカのすごさが窺えた。
ただ、そう言われて該当する人物がアレイヤには覚えがあった。
「その人から受け取ったドリンクに、混入物があったと騎士のルーフェン様が言っていました。結局仕込まれていたのは私とルーフェン様のグラスにだけで、レオニール殿下とノーマン様のグラスには何もなかったと。他の参加者の様子に異変がないところを見ると、やはりその二つに仕込まれて……あれ?」
「どうしました?」
「待ってください。確かあの時……トレイには三つ乗っていたはずなんです。三つの内二つのグラスにだけ何か入っていたなんてこと、考えられますか?」
「普通なら、三つすべてのグラスに入っていたと考えた方が自然ですね」
確実に飲ませるなら、すべてに入れておいた方がいいのは当たり前だ。
三つのグラスから二つを取った後、残った一つは誰の手に渡ったのだろう。
すぐに人混みに紛れてしまったメイドを目で追いかけるようなことはしなかったし、光魔法で映像を記録していたわけでもない。だが、三つも用意した薬物を混入したグラスを確実にアレイヤに渡したかったのならグラスを一つ取られた時点で止めておけばよかったに、そうしなかった。三つのグラスをすべて決められた相手に投与したかったと考えるべきだろう。
アレイヤと、あの日側にいたルーフェンと――
「残りの一人は……この流れだと」
急激な不安に襲われ、クロードと目を合わせる。
静かに首を縦に振られた。
「……あの夜会の後、たった一人登校していない生徒がいます。今は家に戻っていますが錯乱状態にあるという話です。自分勝手に婚約を破棄し、勘違いから君に婚約を迫った彼――カリオ・トランシー伯爵子息」
「……やられたっ!」
やっぱりか、と机を強く拳で叩きつけた。
カリオにはまだ聞かなければならないことがあったのに、先手を打たれた。
錯乱しているのはグラスに仕込まれた薬物のせいだろう。アレイヤ、もといノルマンド子爵家の財政は財政難に陥った貴族家を立ち直らせるレベルには裕福な状態ではないと突きつけられ、元々の婚約者のララからも婚約を破棄させられた直後だ。精神を壊すことは容易かったはずだ。
会場内で気付けなかったということは、ルーフェンが言ったように遅効性のものだったらしい。
「彼は黒幕の正体を知っている可能性が高かった。だから狙われた!」
「落ちついてください。後悔しても始まりません。残っている手掛かりを探した方が早い」
クロードの宥める声が耳から体全体に染みわたっていく。
どんなに「どうせ裏切る」だのと言われる声だろうと、優しい声音は癒し効果が高い。
呼吸を整え、短く息を吐く。
「毒見をしてくれたルーフェン様がいて助かりました。ルーフェン様は無事なんでしょうか。すぐに吐き出したとは言え、口に含まれましたし」
「騎士団の方から騒ぎは聞こえてきていませんから、無事なのではないですかね? 心配であればレオニール殿下に頼んで連れて行ってもらうといいかと」
「……そうですね」
ルーフェンが心配だから騎士団に連れて行ってほしいとはとても言えないが、何か理由を付ければ様子を見に行くくらいはできるかもしれない。
騎士の力が必要な時は呼べとも言われているし。
ふと、ルーフェンに対する当たりが他の人と違うような気がして下がっていた顔を上げる。
カリオのことは家での様子まで調べているのに、ルーフェンには距離を取っているような。
ルーフェンはアレイヤの前にいた光魔法の使い手を慕っていた。
恋慕していた。
何度か護衛任務にも就いていたと言っていたし、婚約者がいることも知っていた。
その婚約者は、目の前にいるクロードだ。
ルーフェンはクロードを知っていた。
では、クロードは……?
アレイヤの視線の意味を読み取ったクロードは、苦笑いで理由を教えてくれた。
「あの騎士と必要以上に関わってしまったら、アレが男だとバレてしまいそうで」
やはりそうか、とアレイヤは笑ってしまった。
恋した相手が同性であると伝えるのは、可哀そうだ。