婚約破棄騒動事件10
こいつら、恋愛ばっかで全然勉強してねーな、みたいな台詞のある漫画が読みたくなってきたけれど、どこを探しても漫画なんて娯楽は存在していない悲しい世界。
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(※読み飛ばしていただいて大丈夫なアレイヤさんの長台詞)
「入学して最初の試験なんて、先生方のご配慮が多分にされているものじゃないですか。ここで高得点取っておかないと今後は期待できないと思うんですよね。それくらい甘い問題だったんですよ、実際。ここまで真剣に試験対策しなくてもよかったかなーって思ってしまうくらいには。種別クラスの試験くらいのものでしたよ、容赦ない難易度だったのは。比べるべくもないのですけれど、あの担当教師のやりそうなことです。その試験のために真剣になっていたと言っても過言ではありませんけれど、その試験のために頑張っていたわけではありませんよ、当然です。どんな問題がどんな難易度で出題されるのか分からなかったのですから。他の人はもしかすると先輩方から出題傾向を聞けたかもしれませんけれど、私は何も聞けませんでした。いえ、聞ける機会はありました。ゼリニカ様とノーマン様のクラスにお邪魔させていただいたことがありましたし。でもその時はトランシー様の問題の最中で突発的な突撃だったので試験に関する話はできなかったわけですよ。というわけで、私には一切試験に関してイカサマをすることは不可能なのです」
「分かりました。分かりましたから自分にそこまで熱弁されなくても結構ですよ」
成績が貼り出され、一年生の一番上の順位にレオニールと連名でアレイヤの名が記されていたことに動揺したアレイヤはルーフェンだけに早口で弁明をまくし立てていた。
どうして、なんで、と未だに動揺しているアレイヤにルーフェンは苦笑することしかできない。
成績で優秀さを披露できたというのに狼狽えている理由が分からない。
もっと胸を張ればいいのにと思うのに、本人は困惑の顔しかしない。
「アレイヤ様が頑張られた結果です。誰も疑いはしません」
そもそも試験に対してイカサマをするという発想は誰も持っていないのではないかとルーフェンは考える。平民ではあるが魔法学園に通ったことのないルーフェンでも騎士として王族の通う学園の話は聞いたことがある。もちろん試験の話も。騎士になる人間には衛兵を経て騎士に挑戦する人間もいれば学園に通う中で騎士への道を見出す人間もいる。ルーフェンは最初から騎士になる道を目指し歩んでいたタイプの人間で、それも珍しくはない。
イカサマをしたところで通用しない世界で生きていたからかもしれないが、それくらいでどうにかなる成績ならば全員がイカサマをしていておかしくないのではないか。
「失礼。これまで言いがかりをつけられることがあまりにも多かったので、やっかみのネタになりそうな成績に思わず……」
取り乱してしまいました。と項垂れるアレイヤにルーフェンは目を丸くした。
そのまましばらく放心してるのか何も言わないまま、口元を片手で隠して笑い出した。どこにそんなウケる要素があったのか分からないが、それほどまでにアレイヤの成績に対する感じ方がおかしかったのだろう。
変に遠慮されるよりいいか、と黙って笑われることにした。
「本当に、アレイヤ嬢は他の令嬢とは違いますね」
「元々平民ですからね。ルーフェン様と同じで」
「ですが、今はれっきとした貴族のお嬢様です」
いつの間にか手に持っていたグラスがルーフェンの手に渡っていることに気付いたと同時に、小さく一口毒見がなされる。
初めて会った時から騎士というよりも王子っぽい人だと思ってはいたが、本当に毒見してくれるとは思っていなかった。
「……ん。これは飲まれない方がいいですね」
グラスから唇が離れ、顔を顰めたルーフェンは毒見した方のグラスをアレイヤから遠ざける。ルーフェンが取った方のグラスを今度は口にして、こちらも表情が歪んで何かが混入していることが分かった。
「毒……ではないようです。申し訳ありませんが、レオニール殿下の毒見を念のためしようと思うので付いてきてもらっても構いませんか?」
「もちろん構いませんが……、大丈夫なんですか?」
ハンカチを取り出して毒見したものを出しているルーフェンの身に何か起こらないか不安になる。飲み込んでいないとしても口に含んだだけで効果が発揮されるような類の混入物である可能性も無視できない。
「問題ありません。即効性がないところを見ると遅効性の何かか、それとも味がおかしいだけなのか判断できかねますが、まずは王子殿下の御身が心配です」
使命感溢れる様子にひとまず直近の不安はなさそうだと意識を切り替えたアレイヤは、急いでレオニールとノーマンのいるところへ急いだ。
結果から言えば、レオニールの飲み物に混入物はなかった。
アレイヤとルーフェンに渡されたグラスにだけ入れられていたのだろうと思うと、どこまでもアレイヤだけが狙われていると自覚する。
「ただ、この場にアレイヤ嬢を狙う何者かが紛れ込んでいることだけは間違いないようですね」
一応と言ってルーフェンの毒見を終えたグラスを手にするノーマンの発言にアレイヤは頷く。
「これまでは犯人がバラバラで一貫性があるように思えませんでしたが、階段のことも含めて、黒幕が直接手を出してきたと考えて間違いはないでしょう」
犯人はそれだけ焦っていると言える。
いや、パディグノでの毒入りスイーツの一件から妙な焦りがあったのだろう。
「……アルフォン兄上も、その人物に唆されたのか」
ぽつりと呟くレオニールはアルコールの入ったグラスを傾けた。
台詞だけを聞けば兄を慕う弟のようにも聞こえるが、その表情は深く思案していておよそ嘆きや悲しみ、後悔といった雰囲気はなかった。どちらかと言えば対策を練っている策士の顔だ。
誰も視線を会場内に向けない辺りに周囲に――黒幕に気付かれまいとする気遣いが感じられた。
「ま、何にせよ祝いの場で話すようなことではないね。アレイヤ嬢、次の試験を楽しみにしてるよ?」
「……きっと偶然ですよ、今回の順位と成績は」
単純に対策が十分だっただけだ。次回の試験ではこう簡単にはいかないはずだ。そう考えるアレイヤにレオニールもノーマンも目を瞬かせ、ルーフェンは苦笑した。
一度成績が貼り出されて自身の実力を知り、焦りを覚えた他の生徒たちが次回の試験に向けて努力をしないとは言えない。だから、周りが油断した今回がラッキーだっただけ。
そう納得するアレイヤにもう誰も何も言わない。
令嬢は将来の夫よりも成績が下の方がいいからわざと手を抜いているだとか、将来の職業に必要な教科だけに集中している令息が多いだとか、そういった理由があることを知らないと分かっているから。
ゼリニカの成績が二年生の十五位である理由も、実は王妃教育の必要がなくなり暇になって勉学に時間を割いただけだなどとは思いもしない。
レオニールとしては勉学に力を入れる理由となるライバルが現れて喜んでいることもアレイヤは気付いていない。
成績の話で盛り上がる生徒たちの声が途切れる。
大講堂内の設けられた楽団員たちのスペースから譜面台や楽譜を用意する音まで聞こえた。
ダンスの時間が始まる。
最初に踊るのは主催のゼリニカだ。
本来ならば婚約者と踊るものだが、今はいない。どうするのだろうと誰もが視線をゼリニカの相手を探す。レオニールは今いる場から動こうとしない。
まさか一人で踊るわけではないだろうな、と一瞬だけ空気が不穏な方向へ流れるが、ゼリニカが登場してきた奥の扉が再度開かれる。
現れたのは幼い顔立ちの少年。
ゼリニカと同じ髪色で、釣り目で、どこか嫌そうな顔をしていた。
「あれは……弟御のロナルド・フォールドリッジですか」
「えっ、ゼリニカ様の弟さん?」
アレイヤはノーマンの説明にゼリニカに手を差し出す少年をまじまじと見つめた。
ロナルド・フォールドリッジ。
悪役令嬢ゼリニカの弟にして、「光あれ! ポップアップキュート」の攻略対象の一人。ゲームではヒロインが二年生に進級してから出会う年下枠だ。
声を当てるのは日本刀擬人化ゲームで話題になったことのある男性声優。年下なのに声が低く、年下なのに頼りがいがあって、だけど弟属性も持ち合わせる美味しいキャラクター。
――まさかこんな早い段階で見られるなんて。
嫌そうな顔をしているのは、まだ入学してもいない学園の年上の先輩たちに囲まれているからだろうか。しかし、それでもゼリニカとのファーストダンスは始まった。
姉弟の息の合ったダンスはさすがの一言に尽きた。
緩急織り交ぜ合い、アドリブでも入ったのか二人の顔が交互に驚きと挑発的なものになる。
一曲が終われば、拍手喝采。
アレイヤもゼリニカのゲームでは見られなかった姿に惜しみなく拍手を贈った。
攻略対象である年下のロナルドと、悪役令嬢になるはずだったゼリニカのファーストダンス。
ゲーム準拠なら絶対に見られなかった光景だった。
「アレイヤ嬢」
拍手を続けたまま見惚れて呆けていると、すぐ隣にいた人物の背丈が急に下がった。
片膝をついたルーフェンが、アレイヤに手を差し出している。
「私と、ぜひダンスを」
本当に、どこまでも王子様のような騎士である。
ずっと、アレイヤの前では王子様のように振る舞っている。
馬車に乗る際に手を貸してくれた、あの時から。
「喜んで」
差し出された手に自身の手を乗せれば、優しく握られる――のではなく、離すまいと強く握られた。
「うえっ⁉」
アレイヤの手を握るのと同時に立ち上がったルーフェンは、そのままダンスのステップを踏み始める。
ゼリニカたちが踊っていたようなものではなくて、もっとリズミカルに、飛び跳ねるような。
隙を見て周囲を見てみたが踊り出そうとしていた人たちが自分たちを見て足を止めている。楽団の奏でる音楽も、テンポの速いものに変わっていた。
目を丸くしたノーマンが見え、顔を背けて笑うレオニールが見え、驚きながらもただ眺めてくれているゼリニカとその弟のロナルドが見えた。
ダンスなんて初めて踊るアレイヤでもルーフェンのリードが上手いというか、考えなくても動く方向を示してくれるので不安はない。不安を覚えるより先に体を動かす方に必死になる。
なぜ、どうしてと疑問の目をルーフェンに向ける。
「失礼、貴女と踊るならこういったものがいいと先ほど決めました」
「いいんですけど、どうして急に⁉」
ついさっきまであんなにも王子様然とした所作だったのに、と頭の中をぐるぐると占める疑問。
もしかして毒見したドリンクの影響が出てしまったのかと心配になったが、毒ではないとルーフェンによって否定されたことを疑うわけにはいかないと頭を振る。
王子様のように振る舞ってほしいわけではないけれど、しかしなぜこれまで王子様のような振る舞いだったのかが気になってくる。
王子様を止めたのはアレイヤへのお姫様扱いをやめたかったから――だとしても最初にお姫様扱いをしたのはルーフェンの方だ。
騎士なのに、王子。
――王子様のように振る舞いたい何かがあったということか。
レオニール第二王子殿下が友人と呼ぶ元平民の子爵家令嬢は光魔法の使い手。
一年ほど前までいた光魔法の使い手は、他国へ移動している。
「……ルーフェン様。私の前の光魔法を使う方に会ったことがあるんですね?」
魔力量が少ないために、魔力量の多いクロード・ランドシュニーと婚約を結んでいた人。
今も手紙のやりとりがあって、間接的にアレイヤとも交流があるその人。
ルーフェンは、柔らかく、悲しそうに笑んだ。
「護衛として付いたことが何度かあります。あの女性の騎士になれたらと考えたこともありました」
「……好意を、持っていたんですね」
「婚約者がいると知っていました。伝えるつもりはありませんでした」
伝えなくて正解だ。
クロードから教えてもらったあの人の秘密を知る人間はほとんどいない。
国だって知らなかったのだから。
教えない方がいいんだろうな、と複雑な表情になってしまうアレイヤをどう思ったのか、片腕を腰に回して持ち上げられ、くるりと回る。
会場全体から歓声が上がった。
「今はもう、遠くに行ってしまわれた方だ。別の幸せを手に入れられたかもしれないし、今はアレイヤ嬢がいます。今夜まで貴女の騎士でいられたことは何よりも代えがたい経験ですよ」
「守りがいのない子どもですみません」
「そんなことありません。もし騎士の守りが必要な時は声をかけてください。すぐに駆け付けますから」
どうしてこうも気に入られてしまったのか。
理由に見当もつかないまま、ルーフェンとのダンスは終わった。
ゲームの展開の帳尻合わせのごとく突然だった婚約破棄騒動も、これで終わり。
長々と書いてしまいました。
次回から後日談がいくつか続きます。