婚約破棄騒動事件9
イベントスキップボタンがない強制イベントなのが現実の辛いところ。
知らないイベントはスキップに限る。
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カリオ・トランシ―伯爵子息に抱く疑念内容は四つ。
アレイヤが現れる先々の予測の根拠。
どんなに拒絶をしても改ざんされる記憶。
第二王子や公爵令嬢と仲が良いことを知っているはずなのにくじけない心の根拠。
何より、アレイヤへの強い興味の理由。
カリオはララからアレイヤの話を聞いた後に、誰かから入れ知恵をされた可能性がある。でなければアレイヤの行き先の予測や思い込みの激しさが理解できない。
そしてその入れ知恵をした人物は、アレイヤがこれまでの事件の中で残してきた謎の張本人なのではないか。
誰もいないはずの階段から落とされた理由も、その人物が知っているのではないか。
ならばここでカリオから話を聞くことが最重要課題だと言える。
何か知っていることを聞き出さなければ、まだアレイヤを狙った事件が起きかねない。
「ああ、ノルマンド嬢。そこにいたのですね!」
壁際でダンスの復習を終えたアレイヤは、ルーフェンに飲食物が受け付けないことを伝えるのを忘れていたことを思い出した。
壁となっていたルーフェンが動いた瞬間に見つかるのも理由があるのかどうかと考えながらも、イベントが始まるのかと身構える。
「なんと麗しい素敵な姿なんだ。今まで隠れていたなんてズルい人だね」
貴族らしい飾りだらけの言葉にドン引きする。
足早に近付いてくるカリオに、再びルーフェンが壁になるためにアレイヤの前に出る。本物の壁と騎士の壁に挟まれたアレイヤは想像以上に狭い状況から逃げるように大講堂の中央を目指して移動する。動き始める前にルーフェンの背を叩いて伝えた。
「本当はノルマンド嬢をエスコートしたかったのだけれど、試験で中々タイミングが掴めなくて……。見たところエスコートはいないのかな? よかったらこの後のダンスを今の内に申し込んでいいかな? いいよね? だって僕たちは運命に導かれているのだから」
ルーフェンに守られながら移動しているのさえ見えていないのか意識から外れているのか、エスコートやダンスの申し込みなどよくできるな、と誰もが思う台詞をつらつらと口にするカリオに夜会に来ている生徒たちの視線が注目し始めている。
カリオに追われる格好になっているのを心配そうに見つめるトワレスとララの姿を見つけ、なるべく他人の振りをするように手で制した。
短時間で茶番を終わらせるためにはアレイヤは一人で行動していると思わせ続ける必要がある。
「旧図書室で出会ってからノルマンド嬢との運命を感じずにはいられないのです。ああ……この胸の高鳴りは生まれて初めてのもの。アレイヤ・ノルマンド嬢……ぜひこの僕と婚約をしてくれないだろうか」
ざわり、と会場全体がうねりを上げた。
貴族間の情報として婚約者の有無は共有されている。
カリオ・トランシ―にはララ・ロベルタという婚約者がいることは広く知られている。相手の名前は知らなくても、存在だけは周知されているものだ。でなければ間違って婚約者のいる相手へ婚約の申し入れをしてしまう危険があるからだ。
とは言っても、知られているからこそ大きな声で婚約の話を持ち出す事例があることもアレイヤは知っていた。
「カリオ・トランシ―は今ここで宣言する! ララ・ロベルタ伯爵令嬢との婚約を破棄してアレイヤ・ノルマンド子爵令嬢と婚約することを!」
この場にいる全員が証人である、と声を張り上げるカリオに賛同する人間は誰一人としていない。
当然だ。あまりにも突然の宣言に脳の理解が追いつかずにいるのだから。
このまま放置すれば「あの二人はいつの間にかそういう関係だったのか」と思われかねないので、理解されるよりも早くアレイヤは息を吸い込んだ。
「お断りいたします!」
声を張り上げるためにルーフェンの腕を思いっきり引っ張ってしまったが、構わない。
「あなたが私自身を求めているわけではないことは、もうお見通しです!」
見通せたのは割とさっきの話だけれど、言わなければ分からない。
「トランシ―伯爵家では数年前より資金繰りに苦労なさっているようですね。しかしララ・ロベルタ様と婚約を続行し問題なくご成婚と相成ればその問題もわずかながら解消されたはず。それをなさらなかったということは、ことは急を要している……何か事業に失敗でもされましたか?」
本当はノーマンから聞いて知ってはいるけれど、カリオに投げかけることで余裕を奪う。大衆の面前で婚約破棄騒動を起こしたのはカリオ自身であり、その状況をアレイヤは利用しているだけだ。話したくなければそれも自由。
「そこでなぜ私を標的としたのかですが……ララ様から実はこのようなお話を聞いていたのです。トランシー様は同じクラスである私とララ様が会話をする仲であるとは、ご存じないようですが」
引っ張ってしまっていたルーフェンの腕を解放して、口元を隠して令嬢らしく笑ってみせる。
ララとの関係をカリオに見つからないようにしたのは故意だが、これも言わなければいいだけの話で続ける。
「ララ様はご婚約者であるトランシー様との会話のネタとして初めて私の話をしたそうです。内容は少し前に一年生の各クラスで配られたチョコレート菓子について。ご好評いただいたようで何よりでございました。レオニール第二王子殿下にも味の感想をいただきましたことを、ここでご報告させていただきます」
「うん。思わず毒見をしてくれた子が全部食べてしまいそうなほどだったよ」
急に名前を出しても嫌な顔一つせずに感想を口にしたレオニールは隣に立つノーマンの事情が分からない様子に、トーマスから贈られてきたチョコレートの話を手短に説明していた。
レオニールの声はただ話しているだけでも周囲に響く。カリオの耳にももちろん届いていた。
「な……そんな、だって、ララは……そんなこと、一言だって」
「ララ様も他の皆様も、私が贈ったものだと思い込まれていたようですね。まったく不思議じゃないですか? 子爵家の、しかも養女となって間もない私がどうして貴重も貴重なチョコレート菓子を買えたって言うのでしょう?」
そんな伝手なんてどこにもないのに、とアレイヤとカリオを中心にした輪にいる生徒たちに「ねえ?」と問いかける。二年生と三年生は初めて聞いた内容に羨ましいと口々に言い合い、一年生たちは「言われてみれば確かに」と頷き合っていた。
恐らくはアレイヤが第一王子であるアルフォンだけでなく第二王子のレオニールにまで気に入られていると思われているからこそ起きた勘違いだろう。
カリオ・トランシーは金目当てでアレイヤを口説こうとしていたが、事実はトーマスによる当てずっぽうを違った捉え方をしただけだった。
「ララ……ララ、僕は……」
縋る思いでカリオは婚約者のララを探す。その姿からは自信を感じられず、プライドの高い貴族からは惨めでみっともない姿でしかなかった。
「……カリオ様」
「ララ! すまなかった! 君にまで見捨てられたら僕は……トランシー伯爵家は終わってしまう!」
トワレスに寄り添われながらも声をかけたララに縋るカリオに、周囲が離れるように移動する。大講堂は広いため、壁際に追い詰められるほどではないがアレイヤのすぐ近くにまで人が避けていた。
「カリオ様は皆様の前で宣言されました。私は――ロベルタ伯爵家はその宣言をお受けいたします」
「――は?」
「私、ララ・ロベルタはカリオ・トランシー様からの婚約破棄を受け入れます。すでにゼリニカ・フォールドリッジ公爵令嬢様立ち合いの下、書面に名前を書き終えております」
「ララ、何を言って……?」
「どうぞ、カリオ様――いえ、トランシー様もお書きくださいませ」
膝を追って深く礼をするララ。礼を終えると大講堂の最奥の扉の前を開くように横に逸れた。続くように最奥の扉の前にいる生徒たちも気付いて道を開く。
「茶番劇は終わったのかしら?」
いつからいたのか、扉の前には主催者であるゼリニカが立っていた。一枚の紙を手に持って。
「彼がここにサインをすれば、パーティを始めましょう。先生が先ほどから成績を貼り出すタイミングを探っておられますのよ?」
悪役然とした笑みを浮かべて、ゼリニカがララとカリオの婚約解消を認める書面を両手で広げて見せた。
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大変面倒なイベントだったな。とアレイヤはフロア中をグラスの乗ったトレイを持って移動するメイドたちの器用な動きに目を向けつつ、溜息を吐いた。
全員にドリンクが行き渡ったら乾杯と同時に成績が貼り出され、順位を喜んだり悔しがったりしながらグラスを生徒たちがぶつけ合う。
順位如何ではグラスが割れるほど強くぶつけ合ったりもするので、風魔法を使える人たちが壁際で待機しているのが面白い。
カリオはララと婚約破棄をした後は大講堂の壁際に項垂れたまま動かない。気を遣ったカリオのクラスメイトが何度か声をかけに行ったが、少し話すとまた一人になっていた。
普通ならいたたまれなさすぎてこの場から去りそうなものなのだが、この後アレイヤの行く先々が分かったことなど判明していない事情を聞くために目の届くところにいてもらっている。
「アレイヤ様、飲み物はどうされますか? 今夜が社交界デビューでしたらアルコールでもいいと思いますが」
「あー……伝え忘れていたんですけど、今私飲食物に不安がありまして」
ルーフェンもいたパディグノでの一件以降のことを簡単に話すと、「なんだそんなこと」と自身を指差した。
「毒見ならお任せください」
「いや、でも」
「こんなこともあろうかと、解毒剤も持ってます」
騎士として王族の護衛任務の際に毒見をすることもあるからと言われては容易に拒否もできない。ならばレオニールの毒見をした方が、と言いかけたが、両方すると返されることを想像すると口を噤むしかない。
毒見してもらって夜会の料理を食べられると言われると、少しだけ楽しみたい純粋な気持ちも芽生えてしまう。
「じゃあ……」
「ああ、でも光魔法をお使いになるなら回復魔法が使えますよね?」
目の前にやって来たメイドの持つトレイから三つある内、二つのグラスを取ったルーフェンはそう言えばと尋ねた。
光魔法が癒しの魔法を使うのは有名な話である。他国では「聖女」と崇められることも珍しくないのだとはクロードからの教えだ。前の光魔法使いこと元婚約者は「男」なので「聖女」にはなれない。あの時のクロードの笑い声に色気が混ざっていて意識を飛ばされるかと思った覚えがある。
しかし、
「……使える、予定、ではあると思います」
現時点で、アレイヤは回復魔法が使えない。単純に使い方を知らないということもあるが、森を半壊にしたり暴走させられた魔力で自分の視力を奪われたりしているせいで、魔法を使うのに抵抗感が出てしまっているのだ。
ゲームでもとあるイベントの後でないと魔法を使えていなかったので、ある意味では順当とも言えるけれど。
アレイヤの言葉からまだ使えないことを察したルーフェンは「そういうこともありますよ」と雑な宥めで片方のグラスを一度渡してきた。乾杯の後に毒見をしてくれるらしい。
「では先生方、お願いいたします」
ゼリニカが声をかけると、クロードを含めた三人の教師が一斉に紙を貼り出した。
三学年、成績の上位五十人がこの場で発表される。五十一位以降は明日、学園内の廊下にて発表される予定だ。
「それでは皆様、グラスを掲げになって! 今宵の皆様のグラスがどうか美酒になりますよう……乾杯!」
バサッと豪快な音と共に晒された成績。
グラス同士のぶつかる音と歓声とで大講堂内が一気に熱気に包まれた。
アレイヤはもう少し時間が経ってからゆっくり見に行こうと空間に余裕のある位置で掲げたグラスをルーフェンと合わせていたが、主に一年生たちからの視線が突然集まった。
上級生たちはすでに盛り上がり始めていた中での部分的な静寂。
まだ何もしていないはず、と同級生たちの視線に瞬きを繰り返すアレイヤは、ルーフェンに再度乾杯のグラス合わせをされて知った。
「レオニール第二王子殿下と同点数での一位、おめでとうございます」
「……そんな馬鹿なことってあります?」
普通に試験勉強してただけですよ、私。
この部分をまるっと三回ほど書き直していたために更新が遅くなっていました。
次回でこの事件は終わりです。