婚約破棄騒動事件8
「ノーマン、君ってアレイヤ嬢と知り合ってから面白い人間になったって自覚ある?」
「……突然何を言い出すんですか、レオニール様」
夜会の会場となっている学園内の大講堂にはかなりの生徒たちが集まっていた。
貴族校舎に通う生徒たちだけと言っても、三学年も集まればかなりの規模になる。だからこそ生徒会主催よりもその時在籍している上位貴族が主催する方が満足されやすい。成り行きで生徒会長に就かざるしかなくなったレオニールは、ゼリニカの存在に声には出さずとも感謝していた。
生徒たちだけの場である上に男女の組み合わせでの来場と呼び込んでもいないので、婚約者のいない生徒たちも気楽に参加できる。
中には婚約者がいるのに別の異性と参加する人たちもいるにはいる。
ノーマンと並んで、レオニールは二年生のカリオ・トランシ―の動きを注視していた。
彼は今、友人らしき三人と一緒にいる。婚約者のララ・ロベルタは同じクラスのトワレス・アークハルトと大講堂に現れたところだ。
ここまでなら何も問題はない。婚約者と共に入場するよりも友人との時間を優先する生徒は多い。
問題なのは、ララが視界に入っただろうに、カリオは別の人間を探していることか。
ララは会釈をしているのにまるで無視。それよりもとララとトワレスの周囲から会場全体へと体ごと動かして見渡して誰かを探している。ゼリニカとノーマンから聞いていなければ、アレイヤを探しているのではなくもう一人友人を探しているようにしか見えなかっただろう。
「二人がリボンを交換していたことに深い意味はないと分かったはずなのに、どうしてそういつ噴火するとも言えないギリギリのラインで耐えているんだろうね?」
「別に、私は……」
「いつもの彼女の髪型は確か、君の好みなんだって?」
アレイヤはすでに会場入りしているが、ダンスを踊ることが決定してから壁際で背を向けても猛復習していた。レオニールから見えている相手役のルーフェンがさっきから笑いを堪えるのに必死で会場内に目だけでも巡らせて警備したいのにできていない。
カリオがアレイヤを見つけられないのは、ルーフェンが壁になって視界から外れているからだった。
「好みっ、……アレイヤ嬢に似合う髪型だと思っただけで、そんな言い方をしたのはフォールドリッジ嬢です」
頭を抱えそうに手を動かしてせっかくセットしてもらった髪が崩れるのを寸前で耐えたノーマンは、上げた手で前髪の位置を整える。
「そっかそっか。でも否定はしないんだね。じゃあやっぱ二人の交換は穏やかではいられないよねえ?」
「レオニール様……どうかご容赦を」
前髪を整えてそのまま顔を片手で覆ったノーマンにレオニールはやりすぎたかと内心で反省する。後悔はしていないが。
詳しいことは聞いていないが、聞ける範囲のことはノーマンから聞いている。またアレイヤが面倒事に巻き込まれていると。生徒会長として無視できない内容に、本当は参加を見送りたかった夜会に参加を決めた。
人の大勢いる場で声高々に婚約破棄を突きつける事案はこれまでにもあった。
それが今夜行われると聞けば放置はできない。今も生徒会役員は散らばりながらも様子を見守るべく気にしながらこの場に集まっていた。
「僕は今のところアレイヤ嬢と友人以上になるつもりはまったくないけれど、父上――国王がどう言うか分からないからね。行動は早めにするといい」
「フォールドリッジ嬢と同じことを言わないでください」
すでに言われていたらしいとレオニールは小さく笑って一度視線をアレイヤから外す。
会場内は各々思い思いの会話を楽しんでいて賑やかだ。
こうして生徒たちが楽しむ姿を見るとレオニールも嬉しくなり、生徒会長を引き受けてよかったとも思う。
「ああ、ノルマンド嬢。そこにいたのですね!」
楽しい時間は突如として終わりを告げるということも、知っている。
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ダンスの復習を終えたアレイヤは、それでも不安が拭えないままルーフェンに尋ねた。
「ルーフェン様はダンスの経験っておありですか?」
「ええ、一応。騎士も望まれれば踊りますから教養として教わります。自分は平民出身なので、人前で披露できるようになったのは最近ですが……」
「ルーフェン様も平民ですか! ……よかった」
周りが貴族ばかりだからてっきりルーフェンも貴族なのだと思っていたが、平民と聞いて肩の力が抜ける。気負いすぎていたと分かったのは伸ばし続けていた背中を丸めた瞬間に骨が鳴ったからだ。
「私も一年前まで平民だったので、途端に親近感が湧きました」
「……そうでしたか」
目を細めて笑うルーフェンにアレイヤも頬を緩ませる。
貴族社会――以前に養子として迎え入れてくれたノルマンド家の恥になってはならないと、それだけで肩肘張って生きていた気がしていた。以前の平民としての自分というより、社会性を身に着けた前世の記憶を元に行動を律していた。
だが、同じ視点を持つ人間が現れたことで神域の森近くの村で生きていた頃の自分を出すことが許された気持ちになれた。
「なら、我々のダンスは少し気楽に踊りましょうか?」
そういう提案に二つ返事で即答するくらいには気も緩む。
「いいですね! みんな下心が見えすぎてて今すぐ帰りたかったんですよ」
「正直すぎません?」
いくら周りと距離を取っていて様々な話し声にかき消されるからといっても明け透けすぎると窘められた。
「だって……見てくださいよ。主に令嬢たちの目のほとんどがレオニール殿下に向いてる。婚約者がいなくなってフリーになったからですよ。そうでなくても隣にいるノーマン様とか他にも将来有望な貴族令息を見つめる目の熱の入りよう。令息たちも見目が良い令嬢を見定めてる。婚約者がいようがいまいが関係ない。ああいうの、苦手なんですよね」
「見目が良いのはアレイヤ様も同じですが?」
「ご配慮どうもありがとうございます。……私を見てるのは、多分何か起きないようにってたまに見てくる殿下とノーマン様だけですよ」
「それは自分が壁になっているからかと」
ほんの少しだけルーフェンが横にずれると途端に視線が集まる。この視線の中に悪意が含まれていたらすぐに反応できる自信がないからとルーフェンはわざと壁になっていた。ダンスの練習を隠す意味もあったけれど。
自身の見目がどんなに整っているか自覚のないアレイヤを説き伏せられるほど語彙力がないと分かっているため、ひたすら時間が来るまで壁に徹していた。
「誰にとっても夜会やパーティが結婚相手を探す場だと分かっているんですけどね。なんかこう……常に恋愛脳なのは、違うと思うんです。他にやることあるだろって」
「例えば?」
「学生なんですから、本分は学業でしょう?」
この世界の元である「光あれ! ポップアップキュート」を七週目くらいしてからふと現実に気持ちが戻ったことがあった。
あれ、ヒロインって狙った相手のためだけに行動しすぎじゃない? と。
学園のどこに行けば誰に会える。何月にどこへ行けば誰に会える等、勉強していたら気が回らないほどの綿密なスケジュールで動いていた。そんな彼女が学業に力を入れていた一瞬が果たしてあったのだろうか。
そしてそれは、いざ現実として生きる今になって痛感する。
この学園に在籍する生徒たちの中で、本気で勉学に励んでいるのはどのくらいなのか。
ただでさえ魔法なんていうおっかないものが当然として存在する世界で、魔法の授業だけでも真面目に受けておかなければうっかり事故が起きてもおかしくないはずなのだ。
それこそ、ゲーム序盤で魔力暴走を起こしたアレイヤが良い例だ。
実際には他者の悪意によって魔力暴走に見せかけた事件になったが、つまりは簡単に魔法は危険要素のありすぎるものになってしまう。
人によっては大砲を持ち歩いていつでも発射できるのと同じだ。
「今夜は成績発表の場でもあるのですよね? その結果を見て、アレイヤ様の考えを確かめてみれば良いのでは?」
「そうですね。推測だけで判断するのは良くありませんでした」
さすが大人、と顔を上げれば「まだ十九です」と笑われた。
それでも十五歳のアレイヤと比べれば四歳も年上だ。大人でもいいだろう。
「喉が渇きませんか? 飲み物を貰いに行きま――」
しょう。と、ルーフェンが会場内を歩くフォールドリッジ公爵家の侍女たちに声を掛けようと体の向きを変えた時、その男に見つかった。
「ああ、ノルマンド嬢。そこにいたのですね!」
知らないイベントの始まりだ。
興味のないイベントなんて、一瞬で終わらせてやる。
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