婚約破棄騒動事件6
彼女を認めるということは、あの人を否定するような気がして嫌だった。
だというのに彼女ときたら、常に何かから狙われていないと気が済まないらしい。
狙われるという意味ではあの人と同じではあるけれど、あの人はここまでではなかった。
もっと分かりやすかったというか、暗殺者や刺客なんかが多かった。
毒薬を仕掛けられたり、婚約者がいながら言い寄ってくる男、落ちてくる花瓶や落ちている針なんて騎士団の仕事ではない。
なのに、放っておけば命まで狙われそうで。
あの人を守る騎士になりたかった。
それでも彼女を――アレイヤ・ノルマンドを見て見ぬふりはできなかった。
「あの針の件について、もう一つ聞き出したことなのですが」
事情聴取のために付いて来てもらったアレイヤは、どこまでも落ち着いていた。
「どうやら誰かに唆された可能性があります」
+++
三日間の試験を終え、結果が出るのは夜会の最中としているのが王立スフォルト魔法学園のならわしである。
その年在籍している高位の貴族が主催するが、場所は学園の大講堂。
貴族の財力と権力を主張する催しだが、学園の敷地内で行われるのに生徒会が関与しないのは、もう一つの校舎に配慮しているから。
平民だけが通う別校舎でも貴族主催の規模とまではいかなくても、学園の予算を使用してのパーティが開かれる。そこでも同じように成績の発表の予定が組み込まれていた。
初めての社交界が学園の中であることは、貴族の子息令嬢たちの保護者にとっても安心できる。
さらにその場が初めてとなれば、アルコールデビューをしたとしても失敗も笑い話で済ませられる。
夜会用のドレスを寮に持ち込んで着替える令嬢も多い中、アレイヤは一度子爵家に戻っていた。
初めてであり、複数作られたドレスのどれを着るのかをギリギリまで悩み、どうせなら義両親に最初に見てもらってから出掛けたかった。
エスコート役に選ばれなかった子爵も最初は落ち込んでいたものの、アレイヤのドレス姿とまさかの騎士が手を引いてくれると聞いてからは気分も上がっていた。
「綺麗だわ、アレイヤさん」
「本当に、本当に綺麗だ……」
まるで嫁入りさせる気分にでもなっているのか、目元をハンカチで押さえている二人にアレイヤは侍女と目を合わせて苦笑した。
「ありがとうございます。今日は楽しんで来ますね!」
そう言ってくるりと回る。
黄色い生地に白いレースをあしらったドレスは、回転するとふわりと裾が広がった。
思ったよりも派手ではなく、動きやすさもあってアレイヤも気に入っていた。
黄色のドレスだとまるで美女と野獣の世界だと思ったが、迎えに来てくれるのは野獣さの欠片もない細身の長身騎士である。
「でも、どうして騎士様がアレイヤさんのエスコートをしてくれるんだろう?」
「学園で騎士様とどのような経緯があったの?」
夫妻の言葉にせっかくのドレスの背中部分が冷や汗で濡れる。
「え、ええと、以前レオニール第二王子殿下のお供をさせていただいた際にお会いした騎士様と偶然再会しまして! それで、夜会のお話をさせていただいたらぜひと言ってくださったのです!」
すべて捏造というわけではないが、端折った部分が多すぎて嘘にしか聞こえないんじゃないかとさらに冷や汗が流れる。
「まぁ、まるで運命の再会のようだわ!」
素敵ね、と目を輝かせる夫人は少女のようだ。
「騎士と令嬢の物語は多くの読み物が出ているくらい人気の組み合わせなのよ? アレイヤさんは読書はお好きかしら? いくつか揃えておくわね!」
「あ、ありがとうございます……」
小説を読むのは嫌いではない。むしろ好んで読むくらいの気持ちでいる。コミカライズが増えていた前世の記憶を辿れば、コミカライズを待つ余裕がなくなった作品を読むには原作の小説を読むしかなかった。
ただ、今生きている世界には物語のカテゴリが少ない。
物語は女性が読むもの、という認識が強いのか、世に出ているものは恋愛物が主流だった。中にはミステリーもあるが、男性が物語を読んでいる、というだけで冷ややかな視線が送られるので難しいものがあった。
アレイヤからすればもっと好きに書けばいいのにと思ってしまう。残念ながらファンタジーの世界観の所為で生まれにくいのだろうとも理解してしまう。
フィクションがノンフィクションになってしまう。
SFではないのだろうけれども。
身分差のある恋愛物が多いんだろうな、と学園内の図書館のカテゴリの片寄りを思い出しつつ断れないでいると、玄関の鐘が鳴った。
誰が来たのかと考えるまでもない。
夜会のお迎えが来たのだ。
「…………」
「ノルマンド嬢?」
「いえっ、あの、ちょっと、待ってください。いつもと違っているように見えて」
約束通りアレイヤをエスコートするためにノルマンド子爵家に訪れたルーフェンの姿に、アレイヤは悶えそうになっていた。
騎士の団服であることに違いはない。
白地に紺と金の、普段ならばラインが引かれるだけだった装飾が、今は細かな刺繍に変わっている。
「ああ、これは団員用に支給されている式典参加の際に着用する団服です。違いに気付かれたのはさすがですね」
細やかな刺繍は一見すれば通常のラインと同じように見えただろう。ルーフェンに見慣れたアレイヤだからすぐに気付いたのもある。あるが、違いはそれだけではない。
いつもの団服にはない、襟元のリボンがやけに目に付いた。
紺色の、恐らくは団服の紺と同じ色のそれは、凛々しい騎士の体にやけに可愛らしく見えた。
「あの、その……よくお似合いです」
「ノルマンド嬢もそのドレス、よくお似合いですよ」
直視できていないのに褒めるアレイヤにルーフェンは口元に軽く握った拳を当てて笑う。
礼装用団服はゲームでも見たことがある。
攻略対象にルーフェンではない騎士がいて、その人物が着ていた。
画面越しよりも断然美麗な実物の団服は輝いて見える。
ただ、とアレイヤはゆっくりと呼吸を落ち着けてから見上げる。
キリっとした印象のルーフェンに、襟元のリボンはちょっと可愛すぎて残念にも思えてならない。スカーフではないことにも驚いている。
個人的なフェチを押し付ける格好になりそうで本当は避けたいのだが、どうしても気になって仕方ない。
そう言えばゲームの中ではリボンではなかった。
この世界にはリボンタイが主流だからだろうか、リボン結びのアレンジは豊富でも、それはまだ見たことがない。
「あの、ルーフェン様。少しだけ変えてもよろしいですか?」
「はい? 変えるとは……」
何を、と問われるよりも早く、アレイヤはルーフェンの襟元に手を伸ばして紺色のリボンをしゅるりと外した。
「お嬢様⁉」
「お嬢様一体何を⁉」
悲鳴にも近い声のメイドたちに構わずリボンを外しきり、思ったより細かったことにどうしようかと悩む。
もう少しだけ太い方がいいな、と代わりになりそうなものをと考えて、自身の髪に手を伸ばす。
髪をまとめ上げた最後に結んだ、濃い緑のリボン。
こちらもしゅるりと外して太さを比べる。アレイヤが付けていた方が太く、求めていたものに近かった。
ルーフェンから外したリボンを、アレイヤの意図を察したメイドが受け取る。
「失礼しますね」
前からやるのは苦手な人が多いとよく聞いたが、それは男性側の意見。女性側にも苦手な人はいるだろうが、アレイヤはむしろ前からでないとできなかった。
何度も何度も練習した。前世で。
別作品の推しが付けていたものが売られたので買い、推しにしていると妄想しながら結んだ。
ネクタイを。
「思った通り! こちらの方がルーフェン様にお似合いです!」
やはりネクタイは至高なのだ、と気分が高揚するのを抑えきれずに両手を合わせるアレイヤに、誰もがぽかんと口を丸くさせていた。
できることならネクタイの色は元々付けていたリボンの紺色に合わせてみたかったが、手持ちにあったかどうか怪しい。今から探すには時間が足りなかった。
せっかく団服の装飾と同じ色で――ルーフェンの髪の色なのに。
「これは……?」
「ネクタイ結びと言います。ルーフェン様は凛々しい顔つきをされているので、こちらの方が似合うと思いました。少しだけ手の込んだ結び方をしているんですけど、解く時はこっちを引っ張れば簡単に外せますから」
簡単に説明をして、メイドから鑑を渡されネクタイを確認しながらもどこか嬉しそうにしている。ルーフェン自身もリボンには可愛らしさを感じていたようだ。
「ありがとうございます。では、先ほどまでのリボンはお嬢様と交換ということにしましょうか?」
「交換?」
小さく首を傾げていると、背後に移動していたメイドに姿勢を正された。髪を触られている感覚にまさかと思えば、ルーフェンが鏡を向けてくる。
紺色のリボンが、アレイヤの髪を飾っていた。
伸びてきてはいるがまだ長さの違いが明白なため、髪を下ろすアレンジができないアレイヤの髪型は今は後頭部でまとめられている。鏡に映ったパーティ用の髪型を見ながら、跡形も消えた傷のあった首裏を手で擦った。
「お似合いです」
「ちょっと、恥ずかしいですね」
お互いの身に着けていたものを交換し合った結果に、ノルマンド子爵夫人は隣に立つ夫の背をバンバン叩いて興奮していた。
このままでは遅れてしまうと、ルーフェンがアレイヤに手を差し出した。
「では参りましょうか、お嬢様」
「よろしくお願いいたします」
馬車で手を取ってもらった時と同じように、差し出された手に自分の手を添えた。
+++
学園大講堂は三階建てになっていて、今日行われる会場は一階。
二階には参加者の控え室が設けられている。と言っても休憩所としての利用が原則で、控え室として利用しているのは今回の主催者のみ。
つまり、ゼリニカ・フォールドリッジ公爵令嬢だけだった。
「では、私はゼリニカ様に挨拶をして来ます」
「その間、私は見回りを。すぐに戻りますので」
「分かりました」
そう言えばエスコートはついでだったなと思い出す。本来は今日で学園への派遣業務が終了で、最後の仕事としてエスコートをしてもらっているだけだ。
念のためアレイヤが上る階段をチェックしてからルーフェンは大講堂の外を巡回すべく離れた。
ゼリニカはすでに準備を終えた状態で控え室のソファで寛いでいた。
「アレイヤ様、騎士様にエスコートしていただいていると聞いたのだけれど……本当なのかしら?」
悪役令嬢然としたゼリニカの微笑と冷たい気配。
何か気に食わないところでもあったのか、半眼でアレイヤを見てくる。
「はい。今回ももしかすると騒動になるかもしれないと思い、臨機応変に素早く対応していただけそうだったのでお願いしました」
「……貴女って本当、どこに行っても事件の被害を受けるのね。そういうことなら騎士様は適任だわ。騒動って、カリオ・トランシ―の件?」
「そうですね。対策はすでにしてあるので問題はないかと思います。後は……トランシ―様とララ様がそのまま婚約を破棄されるかどうか、でしょうか」
「それなら私に任せなさいな。必要な書類は持って来させているから。後で婚約者の彼女をここへ呼んできてもらえる?」
「分かりました」
頭を深く下げて挨拶を終える。
話した内容は挨拶の範疇を越える報連相のようなものだったが、これで初めての夜会に心置きなく参加できそうだ。
ゼリニカの控え室を出ると、入れ替わりでゼリニカに挨拶しようとしている女生徒とすれ違った。目が合った瞬間に酷く驚かれたが、貴族至上主義の思想の人なのかと予想をつける。元平民が公爵令嬢に何の用なのかと思われたに違いない。気にせず階下にルーフェンの姿を探す。
丁度外から戻ってきたルーフェンを見つけて、すぐに誰かと一緒にいるのが見えた。不審人物ならもっと忙しない動きをしそうだと思い、ならば誰と一緒なのだろうと見ていれば、クロードだった。
脇に紙の束を抱えているところを見るに、成績発表の貼り出し係にでもなったのだろう。そんな役目を引き受けていたのなら、なおさら夜会に誘わなくて正解だった。
気を取り直して階段を降りようと踏み出す。
手すりに手を置いて、反対の手でドレスの裾を摘まむ。
体の重心をやや前方の傾けたその時。
アレイヤの足が、前に出なかった。
「え――」
体が、宙に投げ出された。