婚約破棄騒動事件3
教師のところに避難するという案は悪くはなかったが、試験前とあって教師と多くの時間を共有するのは公平性に欠けると判断されかねないと却下した。
ララと一緒にいれば、ララと婚約の破棄を狙っているかもしれないカリオからすると「嫌がらせをしている」と言われのない冤罪を大声で言う可能性もある。本音を言えば名前呼びを許された正真正銘の友人なのでもっと話したいのだが、ララが不利になりそうなことだけは避けたい。
アレイヤの言葉にトワレスもララも頷いてくれた。
カリオならやりかねない、とお墨付きをもらい、同じ教室内で過ごす時も多くのクラスメイトたちの目があるようにと仕向けた。
校舎から外に出ればアレイヤの身を守るために巡回している騎士や衛兵がいるのでそこも安心材料になる。
問題なのが、教室の外の校舎内。
どこにいてもカリオが現れて付き纏う。
「一年生の試験範囲なら力になれると思うよ。どうかな、今から一緒に」
「結構です。間に合っています。ありがとうございます」
廊下を走らないまでも急いで離れようとしているが、歩幅が違うのかいっそ走っているのか前を行くアレイヤには分からないが、ずっと付いて来ていることだけは間違いがない。
嫌と言われていたらすぐに諦めた方がいいとオブラートに包んで言ってもまるで通じやしない。
どこに逃げれば誰を頼ればと校舎内をひたすら歩き回る。
クロードは試験前日で忙しいだろうからなるべく迷惑をかけたくないし、用もないのにレオニールに会うと周囲の目が怖い。
なら、ここはやはり……。
頭に浮かんだ緊急避難先に足の向きを変えた。
方向を察したカリオが「やっと僕の力を借りる気になったかい⁉」と歓喜の声を上げたが、そうではない。
階段を上がって廊下を進み、ある教室を目指す。
「の、ノルマンド嬢? 教室はそこではなくてだね……」
「アレイヤ様?」
アレイヤが立ち止まったのはある二年生の教室の前。ほんの少し中を覗いただけで目的の人物の姿を見つけ、さらにはすぐ近くから別の人物から名前を呼ばれた。
柔らかく少しだけ長い黒い髪と、知的な印象を与えるネオンブルーの瞳の青年。
「ノーマン様」
恭しく頭を下げて挨拶をすると、柔らかく微笑む顔と目が合った。
うっ、とうめき声を出してしまいそうになったが寸前で飲み込む。
外見が好みすぎる。
「アレイヤ様、後ろの方はお連れの……?」
一瞬だけ瞳が鋭く光り、後ろにいるカリオに向く。
「いいえ、ノーマン様とゼリニカ様に用があってこちらに来たのですが、勝手に付いて来られて……」
何度もお断りしているのですが、と半歩ノーマンに近寄る。
助けてほしいとその動作だけで訴える。するとノーマンはアレイヤに腕を回して背中から引き寄せて教室の中に入れた。
「なるほど。遅くなったのはそういう理由でしたか。フォールドリッジ嬢がお待ちです」
すぐに察して話を合わせてくれたノーマンに「さすが」と心の中で称賛する。
「それで」
アレイヤを背中で庇うように立ち位置を変えたノーマンはそのままカリオと向き合う。どんな顔をして対峙しているのかアレイヤには見えないが、カリオの顔が段々と青ざめていくのが見えた。
「あなたはアレイヤ様とお約束がありましたか?」
「い、いえ……失礼、します」
ノーマンの圧に負けて、カリオは去って行った。
やっと離れてくれた、と息を吐くアレイヤに二人分の視線が降り注いだ。
「アレイヤ様、また面倒事に襲われているのですか?」
「まったく、貴女という人は……」
ノーマンと近くまで移動してくれていたゼリニカに同時にそう言われて、苦笑で「申し訳ありません」と返すしかなかった。
約束もなく現れたアレイヤから事情を聞いた二人は改めて深い溜息を吐き出す。
「カリオ・トランシ―には婚約者がいたはずですが?」
「私のクラスメイトのララ・ロベルタ様です。彼女がトランシ―様に私の話をしたことで、このような事態に……」
「……逃げ場所に私たちの教室に来たことは英断でしたわね。彼一人を追い返すくらいなら容易いですし」
廊下を一瞥してもカリオはすでに姿を消した後なのか、ゼリニカは教室の扉をぴしゃりと閉めた。
「女性を執拗に追い掛け回すなど、紳士の風上にもおけませんわね」
「しかもアレイヤ様は学園に入学して初めての試験ですよね。明日から始まりますが勉強の方は大丈夫ですか?」
アレイヤの心配をしてくれる二人に無意識に力が入っていた肩から力が抜ける。
「日頃から勉強以外にすることもなかったので、大丈夫だと思います。まぁ、直前の復習くらいは集中したいですけど……」
邪魔が入って中々、と言えばゼリニカが溜息を吐く。
カリオに邪魔されて勉強できなくてカリオに溜息を吐いたのか、日頃から勉強以外にすることがないという部分でアレイヤに溜息を吐いたのか確かめずに苦笑いだけでやり過ごす。
「とにもかくにもカリオ・トランシ―ですわね。あの調子ならいつまでも付き纏ってきますわよ?」
「婚約者からの注意は入っているのでしょうか? 婚約者からが難しいのであれば、両家の家族から注意させることも可能だとは思いますが」
「ララ様の言うことは聞かないようです。なので、もしかすると……」
家族の言うことすら聞くかどうかも怪しい。
アレイヤの言葉に同時に頭を押さえたゼリニカとノーマン。とりあえず、と教室の奥へアレイヤを招いた。
「試験が始まればあの方の邪魔も控えられるでしょう。それまではここに避難すればいいわ。私か、ドルトロッソ様がいれば貴女も入りやすいでしょう?」
そこがゼリニカの席なのか教室中央の窓際に案内され、隣にどうぞ、と示されて緊張しながらも座らせてもらう。二年生の教室でゼリニカの隣に座る行為に思わず顔がにやける。顔がにやけているのを一年生が二年生の教室に座ることに対する嬉しさと受け取ったノーマンも頬が緩むのを感じた。
「試験前だけれど、試験後の夜会の招待状を貴女にも送っておきましたわ。来てくださるわよね?」
「そのつもりです。あの……ご存じだとは思いますが、社交界というものに初めて参加するので……」
ドレスはノルマンド家に来た時にいくつか作ってもらったりしたけれど、他に必要なもの――エスコートについてはまったくどうしたらいいのか分からない。
「御友人と参加してくださって構わないのですけれど……そうですわ! せっかくの機会ですし、男性にエスコートしていただいてはいかがかしら?」
両手をパチンと合わせたゼリニカの顔が輝く。美声と合致した表情が眩しくて体が仰け反った。
「男性といらしてくださればカリオ・トランシ―も諦めると思いますの。いいんですのよ、婚約者を視野に入れるとかそういう相手ではなくても身近な男性と仲良くお話したりダンスを踊ったりしていれば。なので御父上の子爵以外の方にしなさいな。奥方をお一人にするのも申し訳ないと思うのでしょう?」
貴女なら、とアレイヤの心情を当てるゼリニカは、ちらりとノーマンを見上げる。アレイヤとゼリニカの斜め前に立ったままのノーマンは、なぜゼリニカが自分を見ているのかを一瞬だけ考えた。
アレイヤにはエスコートを願い出る異性は限りなく少ない。
ノーマンと、レオニール。
あとはクロードも候補に挙がったが教師という立場上生徒たちの夜会には参加し辛いだろう。
同じ学年の生徒ではあるが王族のレオニールには恐れ多くて相手になるくらいなら夜会を欠席すると言い出しかねない。
ここは自分が名乗り出るしかないのか、と婚約者のいないノーマンはゼリニカの視線の意味を正しく理解した。
「アレイヤ嬢……」
「まだ夜会の日まで時間もありますし、どなたか協力してくれそうな方を探してみます。ゼリニカ様、お誘いいただきありがとうございます! ゼリニカ様のドレス姿、とても楽しみです!」
もちろんノーマン様も、とそのノーマンの台詞を遮ったアレイヤはなぜか興奮気味に声を大きくした。
もうすぐこの日最後の授業が始まる。
アレイヤは立ち上がり丁寧に椅子を元の位置に戻しながら、満面の笑顔で自分の教室へと戻って行った。
ゼリニカはゲームの背景の中でドレス姿が描かれていたが、攻略対象のノーマンはスチルとして夜会の姿が描かれていた。
着飾った姿がリアルで見られるのかと思うと、今から楽しみで仕方なかった。
ノーマンにエスコートされるという、スチルでは当たり前であるはずの立ち位置にまるで興味を持たないことに疑問すら覚えないほどに。
自分がヒロインであることを、すっかり忘れている。
「ドルトロッソ様。もっとこう……押しを強めないと意識もしていただけませんわよ?」
「意識がないのはむしろ彼女の方かと……」
アレイヤにとっての「身近な男性」枠に入れられていないのかと、ノーマンは短く息を吐いた。
アレイヤの今の髪型を選んだのは、ノーマンだというのに。