婚約破棄騒動事件1
今回は長めの話になります。
アレイヤ・ノルマンドは光魔法を使える希少な人物である。
魔力量の多さから我が国に必要な人物とされ、平民から子爵家へ養子入りしている。
入れ替わるようにして、前任の光魔法の使い手は国外へ移動。光魔法を使える人間のいない小国へと旅立った。
一つの国に、光魔法を使える人間は一人だけ。
世界の平和を保つには、光魔法は大事な魔法属性だから。
誰もがアレイヤの存在に歓喜し、前任者は国民から笑顔と惜しみない悲しみで見送られた。
別れを惜しんでいるのは、国民だけじゃない。
少女の存在に懐疑的になる人間だって、いる。
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前世日本では、定期試験を失くした学校もあったと聞いたことがあったけれど、王立スフォルト魔法学園は定期試験を行っている。
試験があるとこれまでの内容を復習する機会にもなるし、どこまで理解度が進んでいるのかの確認にもなるとアレイヤは思う。何より、娯楽が少なすぎる世界でできることなんて、それこそ勉強くらいのものだった。
観劇や読書もいいけれど、テーマパークがあったらもっとよかった。
スポーツ施設もないし、そもそも野球やサッカーなどの観戦もない。別の国にはあるらしいけれど、今いる国にはなかった。
電化製品どころか電気もない世界では、バラエティ番組もアニメも望めない。
小説があるなら漫画だってあるだろうと探してみたが、絵と言えば絵画。コミカルなイラストは存在していない事実には絶望した。
アレイヤには絵心がない。
創作活動よりも公式から与えられる供給に甘えるだけだった。
オタク活動に向けられるはずだった時間も集中力も、ここでは勉強のみ。
ゼリニカやノーマン、クロードの姿や声を聞いていればオタクとしての心が潤うが、用もないのに会いに行くとどこからともなく反感を買いかねない。
せめて家格の釣り合った人と友達になれたら、勉強以外に時間を割くことができるのだろうけれど。
「でも勉強は一人の方がいいんだよなぁ」
試験期間でなければ友達が欲しいと周りを見渡すこともしたが、今は集中したい気持ちが勝つ。
試験は前世のようにすでに習った部分から出題されるところは変わらない。だが、記述式、小論文の問題が多い。
授業中に教えられた内容が答えになっているものよりも、自分の考えを書く問題が多いのは海外の学校の方式と言える。留学経験はないが、留学経験のある教師の話は聞いたことがあった。
試験範囲の内容が書かれた本は図書室に当然並べられている。
その図書室には多くの学生が試験勉強のために集まっていた。通常時の図書室利用者も少なくはないけれど、特売日のスーパーのような詰めかけ方は利用を諦める学生も生み出していた。
アレイヤも普段からよく図書室を利用していたが、初めての試験期間中の図書室の様子には苦笑いを浮かべるしかなくなる。
しかし、他にも勉強できる場所はある。
レオニールと廊下ですれ違った際に、二か所存在する旧図書室の存在を教えてもらっていた。
一か所目は校舎から出た別館。
図書室ではなく図書館だが、現在も利用は可能。古い本しかないので、興味のある学生や古い文献を探す教師たちが主な利用者だ。
二か所目は現在の図書室と同じ校舎内にある。
日当たりが良すぎるとの理由で使われなくなったが、勤勉な学生たちのための自習室扱いに変化している。少ないながらも蔵書は並べられている。
アレイヤはその二か所目の旧図書室へ向かった。
普段の授業の復習のためだけなら利用者もいるが、試験勉強ともなると参考書が必要になる場合もあるので利用者は激減しているらしい。
扉を開ければ、確かに人は片手で数えられるほどしかいない。
空いている席に座る前に使えそうな本がないかと本棚の前に立つ。
初めて来た場所の本棚は楽しい。
右上から左下までをざっと目で追う。
さすがに元図書室なだけあって冊数は少ない。ここから今の図書室へ移されたのだから無理もない。
すべて一瞥した後、一冊だけ取ろうと手を伸ばす。
魔法陣の描き方なんて試験には出なくても面白そうだと思ったが、上から二段目にあるにも関わらず届かなかった。
ふん、とりゃ、と声には出さず力を爪先に入れてもあと一歩のところで届かない。
前世なら多分届いたのに、と悔しさで苛立つ。そりゃあ乙女ゲームのヒロインは小さい方が可愛く見えるけれど。
こういうベタな展開は乙女ゲームや少女漫画にありがちだ。
主なルートがアルフォンだから、本を取るとするならアルフォンだろう。「光あれ!」にはなかった展開だったし、アルフォンはいない。代理でレオニールかとも考えるが、旧図書室の存在を教えてくれた人物がわざわざ来るとは思えない。
脚立か足場があれば、と周りを確認しようとして踵を下ろした。
「もしかして、これ?」
ふわ、とアレイヤのすぐ隣から腕が伸びた。
手を伸ばした先の棚に並んでいた本が一冊抜き取られ、アレイヤの手に乗せられる。
「どうぞ」
「…………」
呆然と本を渡してきた人物を見上げる。
明るい茶髪に黒い瞳の、一見すると地味な外見の男子生徒。
「カリオ・トランシー。二年生だよ。君はアレイヤ・ノルマンド嬢だよね?」
聞いてもいないのに自己紹介された、とアレイヤは警戒を強める。
名乗られ、名前を知られている相手に思うのはただ一つ。
――誰だコイツ。
二年生なら普段の行動範囲が違っているから初めて会うはずなのに、一方的に知られていると気持ち悪い。さらに初対面の相手にする距離の近さじゃない。
近い。
「ええ、私のことをご存じなのですね?」
一歩近付かれたので一歩後ずさる。
「もちろんだよ。光魔法を使えるというだけで知らない人間はいない。それに、君のクラスのララ・ロベルタは僕の婚約者でね」
婚約者いるなら離れてくれないかな、とさらに半歩下がりながら「そうでしたか」と微笑む。
ララ・ロベルタ嬢。直接会話したことはないが――誰に対してもまともな会話なんてしたことがないけれど――先日のチョコレートの件で話しかけてくれたトワレスのすぐ後ろにいた記憶がある。その時も顔を見ただけで声をかけられたりかけたりはしなかった。
「本、ありがとうございます」
「ううん。それじゃ今日はこれで」
笑顔で手を振って旧図書室を出て行ったカリオ。
静かに扉が閉められた後、アレイヤを含めて中にいた全員が首を傾げていた。
――あの人、何しに来たんだ?
さらにアレイヤは声を出さずに言葉を漏らす。
――今日はって言った?
手に置かれた本を元の位置に戻し、その勢いですぐ隣の本に指をかけながら嫌な予感を胸に抱えた。