終わっていない事件
事件のない回その2
頭上から花瓶が落とされたと分かったのは、誰かに後ろに引かれた後抱き止められ、よく知った教師が駆けつけて来てくれた後だった。
――全然気付かなかった……。
普通に教室移動で歩いていた渡り廊下で、後ろに引っ張られた瞬間はまた事件の被害者になるのかと心の中で泣きそうになったが、直後目の前でガシャーンと派手に何かの割れる音が響いて息が止まった。
このまま歩いていたり、ふと立ち止まったりなんてしていたら頭に直撃していた。
少し前、もう二か月ほど前のことになるが、アルフォン第一王子に言い寄られていた時に頭上から物が落ちてきた時は、当時婚約者だったゼリニカの犯行と思わせるためのものだと分かっていたからゼリニカの行動パターンを調べて回避していた。
しかし、今は。
アルフォンはいないしゼリニカがアレイヤを襲う理由もない。だから、再び悪質な嫌がらせを受けると思いもしなかった。
絶対アレだ。レオニールがゼリニカとノーマンを伴ってアレイヤに構おうとするから、レオニール派の誰かにやられたんだ。
心臓がうるさく動くので頭上を見上げて犯人の顔を見る余裕がない。
「生徒を助けていただき感謝します、騎士殿。彼女をこちらへ。詳しい話は場所を移動してお聞きしたいのですが?」
「分かりました。他の騎士たちに報告次第、お伺いしましょう」
アレイヤのすぐ頭の上では大人の男が二人、黒い空気を纏って会話している。
一人は二人きりの授業が楽しみなクロード・ランドシュニ―。彼の元婚約者が光魔法の使い手であることからアレイヤの担当教諭になった人。
もう一人は先日のレオニールたちとの食事会で馬車の乗り降りの際に手を貸してくれた騎士のルーフェン。
間違いなく「光あれ! ポップアップキュート」という乙女ゲームの世界を現実として生きている最中ではあるのだけれど、二人とも攻略対象者ではない。
ヒロインはアレイヤなのに。
それよりもどうしてまた花瓶を落とされるようになっているのか、だ。
学校の中で狙われる理由がまだあるというのか。
つい三日前にも訪れた店で毒入りスイーツを振舞われかけたというのに。
いや、待って。とアレイヤは顔を顰める。
あの時はひたすら犯人を探すために動いたけれど、詳しい動機や国の許可を得る前の新種の花の経緯など、明かされていないことが多い。必要がなかったから関わらないようにしていたし、ノーマンからざっくりとした犯人の動機は聞いた。興味はさほどなかったし、好みの外見と二人で会話する羞恥で会話どころではなかった。
ゲームはもっと、学園を中心に相手の好感度を上げる純粋たる乙女ゲームなのに。
たまに王都で配達の手伝いだとか魔物退治の依頼があったりもするけれど、基本的には狙った相手との交流を楽しむものだ。
何より、起用されているイラストレーターの美麗イラストと声優さんの声を楽しむためのゲームである。
やたらめったらと命とはいかなくても髪や視覚、味覚を奪われて解決するゲームではない。
ヒロインの髪を切るってどういうことなのか。
ゲーム本編ではささやかだった事故が大事故になっているっておかしいでしょ。
あと、この間の新種の花の毒は杜撰がすぎて話にならない。
あの日の印象に残っているのは一時間以上待たされたこととノーマンの私服が素敵だったこと、そして騎士の手を借りて束の間のお姫様気分を味わったことくらいだろう。
結局、スイーツ食べられなかったし。
外で食べるものすべてに何かしらの毒を入れられているんじゃないかって疑心暗鬼になっている。
極めつけはたった今起きた事故に見せかける気満々の傷害未遂事件。
「……騎士殿がいてくれてよかった」
ぽつりと呟かれた言葉は、はっきりと聞こえた。
「先生?」
一緒にアレイヤの護衛として学園内を巡回している騎士や衛兵たちに少し抜けると声をかけに行ったルーフェンを見送った後、クロードは目を細めてアレイヤを見下ろしていた。
「アレもたまに狙われることはあったけど、貴女はどうにも狙われすぎではないかと思うよ」
行きましょうか、と校舎へ向かって歩き出す。
「……私も、どうしてこうなるのか分かりません」
もっと平和に乙女ゲームのシナリオ進行してほしいと今でも願っている。
恋愛は、苦手だけど。
「守りましょうか? ずっと側で」
誰の仕業だ本気で探してやろうかと心の内で語調を荒げていると、耳に顔を近付けられて――囁かれた。
「ひあっ⁉」
破壊力の高すぎる美声に肩が跳ねる。咄嗟に耳を手で隠したが、顔に集まる熱は隠せない。
言われた台詞もそうだが、なぜ耳元で囁く必要があったのか。
問いただそうとするも相手は立場が上の教師。さらに。
「あっ、なっ……⁉」
目を細めて微笑んでいるクロード。
その表情は間違いなく、アレイヤがクロードの声に弱いことを完全に理解している顔だった。
+++
「……何事もなく、良かったですわ」
「本当に」
アレイヤの一部始終を見ていたゼリニカとノーマンは、クロードに何かを言われて顔を赤くしたアレイヤに緊張の糸を緩めた。
「今回は恐らくレオニール殿下を慕う令嬢たちの嫌がらせでしょう。それでも危険極まりないですが」
眼鏡を中指で押し上げながらレンズの奥の瞳を鋭くさせる。
ノーマンは父親が王城で宰相として働いている立場を利用して、学園内で起きた騒動を情報として集めている。これまでは王位を継承するはずだった元生徒会長のアルフォンに報告していたが、今は自分の下で情報を止めている。
アルフォンの次に生徒会長になったサンドラは直接アレイヤへ危害を加えようとした。現在生徒会長の席に座るのはアルフォンの弟であるレオニールだ。レオニールならアレイヤに危害を加えるとは思えないが、彼はまだ学園内で言えば一年生。まだ入学から半年も過ぎていないのに余計な情報を渡すことに不安もあった。それは宰相も同じ意見で、レオニールの父親である国王陛下からも何かあれば配置中の騎士や衛兵と共有するように言い渡されている。
共有しているからこそ、タイミングよくルーフェンがアレイヤを助けられた。
そして、アレイヤがよく助けを求める相手でもあるゼリニカにも、少しの情報を渡している。
故にこうして上の階からアレイヤの襲撃を黙って見ていられた。
知らなければゼリニカの風魔法が躊躇いなく放たれていたはずだ。
学園内ではゼリニカがアルフォンの事件をきっかけに気にかけているのが目撃されている。しかし公爵令嬢が子爵令嬢に目的なく手を差し伸べることは裏があると見られやすい。
あまり公に助けられないもどかしさもあるものの、アレイヤを守る人が他に現れてくれたおかげで心を砕く必要もなくなっていた。
だけど、とゼリニカはノーマンを盗み見る。
父親の宰相へ憧れを抱き、いつかは王宮の官僚を目指すノーマンは頭脳派で、ある程度体を動かすことはできても一人の女の子を守り切るには心許ない。
今も、自分が助けられたらいいのにと唇を強く噛んでいた。
ノーマンは宰相の三男だ。
子爵令嬢を嫁に貰っても誰も気にしない立場にある。
だから早く求婚すればいいのに、と思いはしても、ノーマンに自覚はないのかまだそこまで気持ちが入っていないのか見守るだけに徹している。
アレイヤもノーマンには好意的な目を向けてはいるが、どうも外見だけで性格他まではそれほどでもない様子。どちらかと言えばクロードの方に好意を強く向けているように見えていた。
……と、考えてはいるが、クロードに見せる赤い顔と、ゼリニカに向ける赤い顔がどうにも似ているのが気になる。
性別関係ないのか、それとも恋慕の感情でクロードと接していないだけなのか。
社交界で男女の恋愛模様を多数見てきたゼリニカではあるが、アレイヤの感情の動きだけは読めない。
「アレイヤ嬢は、まだ狙われるかもしれません」
眼鏡を再度指で押し上げたノーマンが声を潜めてそう言うと、自らの席に戻って行った。
不穏な空気だけ残して行かれても困る、の苦情を溜息だけで零す。
学園内で起きた二件は単独犯の様相が強かったが、先日の味覚を奪う事件では単独犯ではありえない雰囲気が強い。
アレイヤを狙う単独犯たちに紛れて、大きな事件でも起こそうとする誰かがいると考えるのも無理はなかった。
前回に続いて仮タイトルです。
事件が起きないので更新を早くしましたが、次回から事件のある回になるので更新頻度落とします。
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