勇者編②プロローグ
世界は一握りの幸福と多くの絶望に満ちている。
「「「「「どうかこの世界をお救い下さい」」」」」
光の差さない閉ざされた部屋だった。全体的に薄暗く松明の光だけが頼りだった。
そんな中、僕はまるで生贄の祭壇のような場所にいた。
周囲には大勢の人間がいた。遠目に少しだけ表情が見えたが、誰も彼もが余裕の無い追い詰められたような表情をしているようだった。よく見ると倒れている人も何人かいるように見えた。大丈夫だろうか。
「これから僕は邪心崇拝か何かの生贄にされるのかも知れないな・・・」
転移して辺りを見回した瞬間は思ったが、杞憂だった。
転移した僕を見た人たちは深々と平伏した。
・・・そして冒頭の言葉を言われたのだ。
「世界を救ってほしい」と。
・・・・・・・・・・
僕はとある国にいた。
僕自身はそれほど幸せではなかった。
だが、世界的にはとある国に生まれただけでラッキーだと言えるかもしれない。戦争や紛争がない、殺人事件が少ない、銃や薬物事件はあるが海外よりはおそらくはましだ。行ったことは無いから真実はわからない。だが聞く話ではそうだった。
勿論たまに事件はある。
おかしい人あるいはもうどうしようもない程に追い詰められた悲しい人たちが起こしたのであろう個人的なテロのような事件はある。
だがそれは、影響を受けた個人には不幸を齎すものの国全体には影響を齎すものではなかった。あくまでそれは局所的な不幸だったのだ。
僕には父がいた。最後にあったのは異世界転移する少し前だったので今も生きているかはわからない。
母はもう随分と前に死んだ。母は僕を産んだことで身体を悪くした。
何年かは入退院を繰り返しながらも何とか持ち堪えた・・・だが、とうとう限界がやってきたのだろう、僕が小学1年生の時に亡くなった。
美しく・・・そして優しい母だった。
多分、そこから父の歯車は狂ったのだろう。
父は常に病弱な母のことを心配していた。元々仲の良い夫婦だった上に母の身体が悪いから心配で心配で余計に愛情が深くなったのだと思う。
僕のことも父は愛してくれた。
父の愛情の割合は母に偏ってはいたが、僕のことを愛していないわけでは決してなかった。遊びに連れて行ったもらったこともあるし、母の体調が悪い時は父が料理をしていた。それほど美味しいわけではなかったが僕は父の作る食事が嫌いではなかった。父の作る焦げた目玉焼きが嫌いではなかったのだ。
ある日のことだ。僕の幸せは母が死ぬことで崩れ去った。
母が死んだ後、父の行動が少しずつ不安定になっていった。先ほどまで笑顔で笑っていたかと思うと突然泣いたりする。
泣いているのが心配でそばに行ってひっついて慰めようとした。父は泣きながら「すまない・・・すまない」と言っていた。何かにずっと謝っていたんだ。
そんな不安定な生活を何年も何年も過ごした。いつしか僕は中学生になっていた。来年はそろそろ受験だ。
その頃からだ、父が家に帰らないことが多くなった。外でお酒を飲んでいるようだ。帰ってきた父からはアルコールの匂いが酷く匂っていた。
「お前のせいだ、お前のせいで死んだんだ・・・」
いつからかそんなことを父から言われるようになった。殴られるようにもなった。辛かった、身を切られるように辛かった。
そんなことは誰かに言われるまでもなく知っていた。
そのことで独りで泣いたことは何度もあった。誰かに相談出来たら楽だったのだろうが・・・僕には父以外誰もいなかった。
なぜか僕に構う近所のお兄さんが一人いたが・・・深い悩みを相談できるような関係ではなかった。おそらく相談して裏切られるのが怖かったんだろう。そう思う。
母が存命の頃、父は僕を罵ることはは決してなかったし不器用ながら優しかった。
母が亡くなったことで僕たちの幸せに必要な歯車が致命的に狂ってしまったのだろう。あるいは欠けてしまったのだろう。
そう思っていた。絶望とまでは言わないが、薄い膜のように僕を常に纏う諦観のようなものに僕は包まれていた。色々ともう諦めていたんだ。
学校では友達は出来なかった。
家で辛い分、学校で気分転換するのが本当は賢いのだろう。ストレスがたまる場所があるなら、うまく息抜きできる場所を作ってバランスを取る。賢明な大人ならそうするのだろう。
幸いイジメには遭わなかった。誰かがイジメられている現場に遭遇したことはある。見てていい気はしなかった。
仲間を作るのは簡単に見える。同じ趣味、経験、遊びなど共通点を持つことだ。共通点が少ない程仲間外れにされる可能性は高くなる。
イジメはどこかで溜まったストレス発散の手段であると同時に、一緒に悪いことするということで仲間同士の結束を強めるという役割もあるのだろう。
だが、イジメに関わる人間はイジメられている人間は当然として、イジメている人間の方もふとした時に暗い表情をしていた。おそらく幸せではないのだろう。僕よりましだとは思うが・・・。
学校生活では僕は常に一人だった。最低限の必要な会話はあったが、まともな交流はなかった。
そんな生活が続いていた時だ。ある夜、僕は錯乱した父に襲われた。
僕は年々母に似てきていた。
精神の均衡を失いかけていた父には僕と母の区別がつかなかったのか、救いを求めるかのように何かを大声で叫びながら僕を押し倒した。
必死に抵抗した。
暴れた、暴れた・・・そして殴られた。無我夢中でどこか柔らかい場所に噛みついた。父が痛みに慄き絶叫した。
何かを引き裂くような何かの液体の音が混ざっているような嫌な絶叫だった。怖くて怖くて仕方なかった僕は家を無我夢中で飛び出した。当然着の身着のままだ。父に破られた服のまま僕は慌てて逃げ出した。
僕は、どこにも行く当てはなかった。どこにも行く場所はなかったんだ。
僕はフラフラと夢遊病にでもなったかのように歩いていた。目的は無い。無いけど止まるともう・・・再び立ち上がって歩き続ける自信がなかった。動けなくなるのが怖かったんだ。
そこに・・・遠くからトラックがやってきた。運転席には男がいた。
男は苦しそうに胸を抑えていた。
ぼーっとフラフラと見つめながら歩いているとトラックのスピードは落ちずむしろ上がった。別にひかれても良い・・・と思っていたのかもしれない。
特に避ける行動はせずにトラックをそのまま見つめ続けていた。
衝突するな・・・と思った瞬間に僕は地面から放たれた光に包まれた。
・・・・・・・・・・
そして話は冒頭に戻る。
世界を救ってくれと言われた僕は困惑していた。何の力もない父すら救えない僕に何を期待しているのだろうか・・・。
僕はそんなことをぼーっとした頭で考えつつも周囲の人間が何をするのか他人事のように傍観していた。
そして一人の女が僕の前に歩いてきてこういった。
「シオンと申します。勇者様。今は混乱していることでしょう。世界を救って欲しいと申しましたが、今すぐに何かをしろとは申しません。何かをするには理解する時間や納得が必要でしょう。勇者様のご様子を見るにお疲れだと思います・・・救いを求めて勇者様の同意なく勝手に召喚した身で偉そうに言える立場ではないのですが、今はお休みください。おそらく・・・少し休まれた方が良い」
女はそう言った。
確かに安全な場所で休めるのならば休みたかった。トラックに跳ねられても良いとは思っていたが積極的に死にたい訳ではない。
「わかりました・・・」
僕はそう答えていた。
女に案内され部屋に移動した。
「そのお召し物ではぐっすりお休みにはなれないでしょう」
そう言われなすがままの僕はボロボロになっていた服を脱がされた。
身体の痣や傷を見られた。女は何も言わなかったが一瞬だけ悲しそうな表情をした。
柔らかい着心地の良い服に着替えさせられた。女は明日の朝、また様子を見に来る旨僕に伝えたあと、丁寧に頭を下げて挨拶をして部屋を出て行った。そしてその夜、悪夢にうなされながら・・・気づけば朝になっていた。
・・・・・・・・・・
目が覚めた僕はベッドで天井を見ていた。
起きよう・・・上半身だけゆっくりと起こし、窓から入る光を感じていた。光は弱くどこか薄暗かった。
しばらく何もせずに時間をつぶしていると、シオンと名乗っていた女がやってきた。
「ご朝食をお持ち致しました。お口に合うと良いのですが・・・」
味はわからなかった。
ポテトサラダ、卵、パン、そして野菜で作ったジュースのようなものが出た。栄養バランスは良さそうだし、美味しそうにも見えた。だが味はしなかった。
それでも食べないよりは食べたほうが良いだろう、全て完食した。女は少し嬉しそうにしていた。
「王様が可能ならば本日お話をしたいそうです。ご体調はいかがでしょうか」
女はそう言った。
「気分が悪ければ断ってくれても構わない」
そう言いたげな顔だった。
これから数日経っても僕の精神状態が今よりも改善しているとは思えなかった。それに女の話に興味も少しあった。
僕は基本的に孤独な生活を過ごしていた。そして父から暴力を受けることもあった。
そんな時に読める架空の物語は僕の救いだった。なにせ現実世界が辛いのだ。何か別のことに集中して意識を逸らせることは一種の現実逃避であるものの僕の心をぎりぎりの所で確かに守っていた。
そして流行りの異世界転移ものや異世界転生ものは当然読んでいた。わりと好きなジャンルではあったのだ。チート能力でも備わるのかな・・・そんな淡い期待もしていた。少しだけどね。
「いいよ」
そう言った僕に対し、女は案ずるような視線を向けた。静かに少しの間見つめられた後だ、案内をする前に少し準備をしましょうと言われた。そして服を寝巻から少しだけ立派な服に着替えさせられた。それから一度女は部屋を出てしばらくしてからまた戻って来た。
「王様がお会いになるそうです。案内致します」
・・・・・・・・・・
謁見の間、そんな場所に女は僕を案内した。中には何人かの人間がいた。思っていたよりは人が少なかった。気を使ったのだろうか・・・。護衛の兵士らしき人たちもいたが、少なかった。必要最低限・・・そんな風に思えた。
玉座があった。そこには王様が座っていた。
「うむ、昨夜は休めたようだな」
玉座に座る王様は僕にそう優しい落ち着いた口調で話しかけてきた。
「うむ、身体は・・・大丈夫そうだな。長話になる、椅子を用意するから楽にしなさい。疲れたら・・・また次にすれば良い。あまり無理はするな」
随分と待遇が良い。僕は用意された椅子に座った。フカフカのクッションがついていた。そのまま王様が話をするのを待つことにした。3歩ほど下がった位置には案内をしてくれた女がいた。
こちらを心配するような目で見ているような気がした。なんだろな。
「うむ、何から言えばいいのだろうな・・・そうだな。この世界は・・・この国は滅びに向かっている」
苦悩に満ちた声で王様はそう話し出した。
・・・・・・・・・・
王様との謁見が終わった。色々と話を聞いた。難しい話が多く、ゆっくりと考える時間が必要だった。
昔よく読んだ物語の勇者なら格好よく「僕にお任せを」と即答するところだろう。だが、僕にはそんな自信はなかった。
色々と不思議なことや疑問に思うことは多かったが、一番印象的な話はこうだった。
「引き受けなくても構わない。引き受けなくても最低限の生活は保障する」
王様ははっきりと僕の目を見てこう言ったのだ。
僕の読んでいた物語や現実世界の過去の話では、王様の言うことを拒否するなんて有り得なかった。王様の権威はすさまじく引き受けざるを得ないものだ。少なくとも誰もが納得するような正当な理由もなく断れば王様の権威を傷つけた報復を受ける羽目になった。王様とはそういったものだ。
あるいは物語の中では王様は勇者を騙してうまく利用する。そういうものだと思っていた。そちらの展開を警戒しなかったか?と言えば噓になる。
僕は無理難題を言い渡されることを半分くらいは覚悟していた。しかし王様はどこまでもこちらの自由意思を尊重した。なぜだろう。
「この世界は絶望に満ちている」
王様はそう言った。まるで魔王が言うような類の発言だなと思った。
「勇者にはそれほど期待していない。勇者一人でどうにかなる。それほど・・・甘い事態ではないのだ」
王様は続けてそう言った。なんだろう、そこは僕をおだてて戦わせた方が賢いと思うのだが、他にも色々と話はされたが印象的なのはそんなところだった。
僕は王様にされた話を思い返しながら、一人部屋で静かに過ごした。考えすぎて疲れたのかいつの間にか眠りについていた。考えすぎたことが良かったのだろう。幸い悪夢は見なかった。




