8話 心配
さて、意外と休めたな。出るとしよう。
軽く仮眠を取った俺は早めに家を出ることにした。なんせ相手は吸血鬼だ。油断をしてはいけない、気合を入れておくにこしたことはないだろう。
住んでいるマンションの部屋を出た。俺の部屋は3階にある。築30年以上経つ少し古い物件だが中は綺麗だった。他の部屋の間取りは知らないが俺の部屋が2LDKなことを考えると家族向けの物件なのかもしれない。
故に、マンションの廊下で体育座りで顔を伏せてしゃがみ込んでいる子供を見かけても不思議ではなかった。今が夜の8時過ぎだということを無視すればだが。
妙に気になった。吸血鬼の能力を得た俺は人間の頃より感覚が鋭くなっていた。何かを察知したのだと思う。気づけば俺は声をかけていた。
「君・・・こんな時間だが・・・家には帰らなくていいのか?」
不躾な質問だった。こんな時間にわざわざ家に帰らずにマンションの廊下で蹲っている。理由があるに決まっていた。反応はなかった。
「君・・・その起きているか?意識はあるか?」
反応が無い。悩んだが俺は肩に触れることにした。
「すまない、意識はあるか?確かめるから少し触るぞ」
俺はゆっくりと子供の肩に触れようとした。
「・・・起きてます」
ぞっとした。生気の無い虚ろな声だった。子供の出すような声ではなかった。
「そうか・・・すまない、顔をあげてくれないか。おそらく俺は邪魔なんだろう。でも顔を見たらすぐにどこかに行くから頼む」
子供は・・・ゆっくりとだが顔をあげた。見て後悔した。頬がこけてガリガリだった。顔をあげることで見えやすくなった身体は・・・明らかに平均よりも細かった。健康的な細さではない。栄養失調の病的な細さに感じた。
どこか遠くを見るような目だった。目の焦点があっていなかった。
悩んだ・・・おそらくは・・・厄介な家庭の事情があるのだろう。俺の家で保護してやりたいが・・・すれば誘拐になるだろう。それは不味い・・・どうすればいい。
俺は悩んだ末に部屋に一度戻った。そして買い置きの比較的胃に優しい簡単に食べれるパンとペットボトルに入った飲み物をいくつか袋に入れて持ってきた。
「すまない、本当にこれで最後だ。君の邪魔はしないからそのまま聞いて欲しい」
「・・・・・・」
「俺はすぐそこの部屋に住んでいる者だ。1か月ほど前に引っ越してきた。怪しい者ではない。君に危害を加える気は無いし、細かい事情も聞かない。ただ、ここに食べ物と飲み物が入った袋を置いていく。良かったら一口でいい・・・食べてくれ」
「・・・・・・」
「置いたら俺はすぐに立ち去る。何か変なものを入れたりはしていない。その・・・赤の他人に言われても嘘くさく聞こえるかもしれないが心配なんだ。ここに置く。その・・・食べてくれよ」
「・・・・・・」
顔を伏せた子供は顔をあげることも何か反応を返すこともなかった。心配ではあったが、見知らぬ子供とカーネルとの約束ならばカーネルが優先だった。残酷だが俺は見知らぬ子供に出来ることは既にやったと自分を納得させてその場を離れた。
それに・・・俺がいては決して置いた食べ物に手を付けることはないように思えたのだ。
・・・・・・・・・・
「やあやあ、久しぶりだね」
ドキリとした。マンションの一階の共用部分の玄関を出た瞬間、声を掛けられた。声をかけてきたのは例の島で会ったドミと名乗る男だった。
「ドミさんですよね、お久しぶりです」
「クックック、久しぶりだね。なかなか順調にやっているようじゃないか」
「はあ、まあなんとかですが」
島で出会った時と同じ服装だった。相変わらずパーティーに参加でもするような白いスーツを着ていた。左目にモノクルをつけているのも同じだ。見た目は落ち着いた感じの紳士といった感じの見た目なので似合ってはいる。似合ってはいるのだが・・・住宅街で見るには浮いている服装だった。
「君のことが心配でね。様子を見に来たんだよ。なんせ・・・吸血鬼は強い。とても強いからね」
「ええ、それは知っています。心配・・・ですか?」
「ああ、そうだとも。君たちはね・・・幸せになるべきなんだよ。だからね、危険な依頼に手を出そうとする君が心配になってね。普段はこんなことはしないのだが・・・ついつい忠告をしに来てしまったよ」
「はあ」
「吾輩はね。基本は傍観者なのだよ。世話係みたいなことはしているが、基本は何もしない。どうなるかの結果は流れに任せている。全てに手や口を出していたらきりが無いからね。だがね、君のことはとても気になっていたんだ。だから忠告に来た。吾輩がここにいるのはそういうことだ」
「はあ、心配して下さったということですか。ありがとう・・・ございます」
意外だった。自分は世話係だと言ったこのドミという男を俺は正直信用していなかったのだ。詩音からは相談するといいとは言われていたが、あまり他人に興味のあるような男に見えなかったのだ。
「君たちはね・・・幸せにならないといけないんだよ。呪いの武器を手にしたからといってね。諦めてはいけない。諦めはね、駄目だ。実に駄目だ。ロマを知っているだろう?ああ、今はナイアと名乗っていたか。確かそうだったな。彼女はね・・・素晴らしい。素晴らしく美しい人だったよ。でもね、ある日急に諦めてしまったんだ」
「諦めた・・・ですか?」
「そうだ。ロマはね。素晴らしい女性だった。吾輩は彼女のことが大好きだったよ。とても大好きだった。だから今も彼女の世話係のようなものをしているのだがね。吾輩はね、待っているのだよ。彼女が再び・・・諦めるのを止めて気力を取り戻してくれる日をね。待っているんだよ」
「・・・そうなんですね」
ものすごく意外だった。女性に興味なんてなさそうな男だと第一印象で勝手に想像していたが、意外と人間味のある男なのかもしれない。
「話が逸れたね。いいかい、君たちは幸せにならないといけないんだよ。まずは幸せになる。そしてね、それでようやく次のことが始められるんだ。いいかい、まずは幸せになりなさい」
「え、ええ。俺も幸せにはなりたいですよ」
なんかものすごく熱く語りだしていた。なんだろう・・・言ってることは悪くないのだが、なんでこのタイミングで長話をしに来たのだろうか。まだ時間はあるが・・・長いな。
「吸血鬼はね、とても強い。君が死ぬ可能性も十分にある。なぜ吸血鬼が強いかはわかるかね?」
「まあ、なんとなくは」
「それはいけないな。吸血鬼はね。吸血鬼が強い理由はね。血を吸うからだよ。血を吸うのはね。実は血を吸っているんじゃない。魂を吸っているんだ。吸血鬼はね、魂を吸っているんだよ。だから強いんだ」
「・・・そうなんですか?」
「ああ、そうだとも。全ての生命には魂がある。魂はね、本来は平等だ。だから、ある程度の個体差はあれどそれほど強さに差は生まれづらい筈なんだ。だがね、吸血鬼は別だ」
「・・・はあ」
「吸血鬼はね、とても酷い生き物だ。他人の魂を吸ってね。それを己の魂の栄養として吸収してね、自分自身の存在を強化している。だからとても強いんだ。本来ならありえない反則的な存在なのだよ。いわば神が作った魂の循環システムとも言うべきものの破壊者だ。そんな・・・存在自体が罪ともいえる恐るべき敵なのだよ。だからね、気をつけなさい。敵は恐ろしい。決して死んではいけないよ。死ねば・・・君は幸せになれなくなるじゃないか」
ドミと名乗った男はこちらを見て一方的に話しながら涙を流していた。なんだろう・・・詩音の言う通り悪い人ではないのかもしれない。話し方や人との関わり方へのズレのようなものを感じはしたが、こちらを心から心配する真摯さというものが感じられた。心底意外だった。
「すいません、わざわざ心配して頂いてありがとうございます。大丈夫です。カーネルは頼りになる仲間です。カーネルと一緒に力を合わせて必ず生き残ります。約束しますよ」
俺は・・・ドミと名乗った男に真摯に答えを返していた。当初は隔意を持っていた俺だが、そうするのが礼儀と感じたのだ。
「ああ、そうしなさい。死んだら・・・悲しいからね。君たちには幸せになって欲しいんだよ」
「はい、難しいかもしれませんが、そうする努力はします。俺も幸せになりたいですから」
そういった時のドミの顔は・・・満足したあるいは安心したといったような笑顔だった。
君たちには幸せになってほしいと言った言葉は・・・おそらく、ドミさん本人が幸せにしたかった誰かを幸せに出来ずに失ったことがあるのだろう。おそらくは・・・そうなんだろう。
ドミさんが俺たちに何度も幸せになれというのは・・・言わば自分が叶えられなかった過去の代償行為なのかもしれないな。
「すまないね。また長話をしてしまったよ。君たちの幸せを祈っている。あと、仲間は大切にな」
「はい、大切にします。必ずとは言えませんが幸せに・・・なりますよ。頑張って」
ドミさんは満足そうに去っていった。本当に俺が心配で忠告と激励しに来たんだな。自分で世話係というだけあるな・・・心配性で長話が玉に瑕だけどいい人じゃないか。
詩音の方が人を見る目があるじゃないか、相変わらず馬鹿だな俺は・・・自分の余裕の無さが嫌になる。
俺は自分の欠点を恥ずかしく思いながらもカーネルの待つ公園へと足を進めた。感傷に浸るのは後だ。無事に帰れたら心配してくれたドミさんにはちゃんとお礼と報告をするとしよう。




