3話 考察
口内にはまるで吸血鬼のような鋭い牙が見えた。
他に見えたものは単なる見間違いだった。
多分、血液の小さな塊がそのように見えたのだろう。極度の緊張下では幻覚を見てもなんら不思議ではないはずだ。
「もう一度聞く。ワシに何か用かね?」
男はベッドから降り、立ち上がりながらこう言った。
俺と浩平は予想外の状況にまるで産まれたての子鹿のようにガクブル震えていた。あるいは本来の用途で使われることが少なくなったAVや大人のお店御用達の電気マッサージ機の弱程度には震えていた。
まさか本物の化け物が出るとは思わなかったのだ。せいぜい出るにしてももはや絶滅危惧種に近い暴走族や、住居がなくなぜか勝手に人の敷地に住み着いている人の類だと思っていた。
「答えられないかね?」
やばい。何かうまいこといわないと俺たちも死ぬ。血を吸いつくされて死ぬ。
全力で機転を利かせろ!ここが正念場だ!全力で脳みそに血液を回せ!
「・・・道を間違えました」
真剣な顔で俺はそう答えた。答えた瞬間自分でも疑問に思った。道を間違えてホテルの最上階に行くことは果たしてあるだろうか?と。どんなうっかりさんだ。
「なるほど、まあ肩を楽にして一般的な世間話だと思って気楽に聞きなさい」
「「はい」」
俺と浩平は背筋を伸ばし揃って返事をしていた。相変わらず無駄に息が合っていた。
「とある者が家でくつろいで食事をしていたら、急に見知らぬ若い男が二人家に入って来たんだよ。そしてその男たちは下品な猥談をしながら騒いでいる。実に楽しそうだ。感度数千倍の忍者で童貞を捨てたい・・・とか言っている。それもこんな時間に無断で入った人の家で・・・・だ。そして食事をしている部屋まで何の遠慮もせずに入ってきたんだ。この実に無礼な男二人をとある者はどうすれば良いと思うかね?ああ、ちなみにこのホテルはワシの家のような場所だ。参考までに伝えておこう」
心当たりが有りすぎる一般的な質問だった。明らかに俺たちに向けた個人的な質問だった。むしろ詰問だった。激昂こそしていないが詰問の仕方に秘められた怒りを感じた。下手な対応をしたら俺たちはその怒りをこの身体で味わうことになるだろう。
人を殺していた化け物相手に言われてもおまゆうだが、今言われた内容自体はもっともな話だ。他人の建物に許可もなく勝手に入った上に猥談などするべきではない。その上猥談のジャンルが悪すぎた。NTRの上に感度数千倍は流石に不味かった。
せめて・・・純愛ハーレムものにすべきだった。俺たちは失敗した。
「念のために聞くが、君たちはこのホテルの所有者の関係者ではないね?」
「所有者です」
機転が利く俺は食い気味に答えていた。ここはゴリゴリに押そう。押せば開ける道もあるはずだ。
「・・・このホテルは法人名義なのだよ」
・・・やべえ。裏目に出た気がする。
「法人の株主です」
言い逃れろ・・・言い逃れるんだ。なせばなる!
「なるほど。何株持ってるんだね?」
「13万株です」
俺は多めに答えておいた。もちろん本当はゼロだ。
「嘘をついているね。そもそもこのビルはワシの所有だよ」
あ、詰んだわ。死んだ。
「ご、ごめんなさい」
俺はとりあえず素直に謝った。とりあえず童貞のままでは死にたくない。
「ふむ、悪いことをした自覚は有るわけだね。そちらの君はどうかね?」
「大変申し訳ないことをしました。ご容赦ください」
声をかけられた瞬間、浩平は背筋を伸ばして座った後に綺麗な動きで土下座の体勢になっていた。さすが空手をやっているだけはあった。俺も慌てて後に続き土下座した。
・・・なんとか許してくれないだろうか。
「ふむ、ワシも鬼ではない。まあ、吸血鬼だがね。男の血にそれほど興味は無いし君たちは実に不味そうだ。性根が腐って見える。血や腸もドブのような味がしそうだ」
好き放題言われてるが否定はできん。それに血や腸に興味を持たれるよりはいい。そして気付けばなんだろう、死を前にして生存本能が限界まで刺激されたのだろうか?俺の股間は富士山のように勃起していた。なお、富士山はたしか休火山だ。白いマグマが出そうな気配はない。
「ワシが餓死しそうなら君たちみたいな不味そうなドブ汁でも吸ったかも知れんが・・・あいにく喉は乾いていない。そうだな、罰として代わりに誰か女を連れてきなさい」
・・・・・・・・・・
「死にたくなければ女を連れてきなさい」
男はそう言い放ち、ゆっくりと俺たちに近づいてきた。近づいて来る足音が聞こえた。ひたすら地面を見つめ土下座している俺たちの身体は恐怖で金縛りのように動かなかった。動けば殺される気がした。
ふと思えば土下座の体勢だから富士山じゃなくて逆さ富士だな・・・そんな現実逃避をしていた。もはや半泣きだった。男が一歩ずつ近づいて来るたびに死が近づいて来る感覚がある。生存本能が刺激されたのかさっきより股間の硬度は増していた。仮に富士山が活火山ならもう噴火していたかもしれない。
男は俺と浩平の身体に静かに手を伸ばし触れた。
その瞬間、俺の身体に何か得体の知れないものが入り込んで来る気持ちの悪い怖気の奔る感覚がした。
仮に俺が感度数千倍の謎の女忍者の出てくるゲームの登場人物なら元気よくアヘ顔ダブルピースしながらンホオオオオオと叫んでいただろう。
ここが感度1倍の世界で本当に良かった。危ない所だった。女顔の上に男にしては髪の長い俺がそれをやると嵌まり過ぎだ。
・・・・・・・・・・
「お前たちのいる場所はこれでワシにわかる。どこに逃げてもな」
よくわからないが何かとんでもないことをされたのはわかった。身体の中に何かを埋め込まれたのだ。幸いアへ顔はしなかった。ごく普通の真剣な顔で俺は話を聞いていた。
「一週間だ。一日でも過ぎたら殺す。それまでにワシのもとに女を連れてこい。逃げてもどこまでも追って殺す。逃げれば・・・そうだな酷い目に遭わせた上でお前たちの家族も殺そう」
男は淡々とそう語っていた。激高していないのが逆に怖かった。逃げれば当たり前のように酷い目に遭わされた上に殺されると思った。
「なあに、言うことを聞けば解放してやろう。わかったなら帰れ。ワシは忙しい。やることが色々とあるのだ」
俺と浩平は頷いて帰るしかなかった。扉の鍵はなぜか開くようになっていた。
・・・・・・・・・・
俺たちは逃げ帰るようにホテルの外に出た。股間はまだ勃起していた。よくみると浩平の股間も微妙に膨らんでいた。まるで高尾山のようだった。
「「夢じゃないよな?」」
気持ちは同じだったのだろう、同じ言葉が同じタイミングで出た。
「アイツに触られた所どうなってる?」
浩平がそう聞いてきた。
「少し待て」
俺は服をずらし、触れられた肩を確認した。
肩には植物の芽のようなものが生えていた。赤黒い・・・とてもとても不吉な色をしている。
・・・夢じゃなかった。
「今日は休もう。どこかホテルでも・・・いやどこかで時間をつぶすか。泊まれる金も無いしホテルはこりごりだ。俺は実家暮らしだから家には帰れない。帰ると家族を巻き込むことになる。幸い今ならまだあいつに家族のいる場所はばれていないはずだ」
混乱はしていたが、判断力はまだ残っていたのでそう提案した。
「オレは一人暮らしだけど・・・アイツに家がバレると思うと家には帰りたくないな」
そういう浩平の気持ちはよく理解できた。一人で過ごしているところに家にあいつが来るかもしれないと思うとたまったものではない。一人で家で寝ていたらそのまま殺されたことにすら気づかずに命を失う可能性もあった。
「・・・お互い一人で家に帰るのはなしだな。安く長時間過ごせて文句の言われない場所となると・・・カラオケにでも行って仮眠するか」
俺たちはカラオケで朝まで休むことにした。静かな場所は嫌だったのだ。
ピチャピチャジュルジュル・・・アイツが血を啜るそんな嫌な音が耳にまだ聞こえていた。
・・・・・・・・・・
俺と浩平はソファに横になっていた。あんなことがあったんだ。すぐに眠れるはずもなく・・・お互いに認めたくない嫌な現実から目をそむけるかのように別の方向を向き、無言のまま夜が過ぎるのをひたすら耐えていた。
何かを一言でも言葉を発してしまうと負の感情が抑えられなくなって爆発してしまいそうで、必死にお互いに耐え続けるしかなかった。
早く意識を失い楽になりたかった。何か冷静に考えられる状況ではなかったのだ。
いつまでも続くかと思った酷く苦痛な無音の静寂の中、ボソッと一言だけ話す浩平の声が聞こえた。
それを聞いた俺は浩平に何も言うことが出来なかった。どんな声をかけてやれば良かったのだろう。
・・・・・・・・・・
気づいたら眠りについていたようだ・・・目が覚めた。スマホで時間を確認したら朝になっていた。
カラオケボックスの部屋は窓がない。出来れば朝日で目を覚ましたかったが贅沢は言えない。一晩寝た俺は少しだけ余裕を取り戻していた。
俺と浩平は目が合うと無言でお互いに服を脱いだ。
「「・・・やっぱり夢じゃないよな」」
俺の肩にも浩平の肩にもホテルで見かけた植物の芽のようなものが生えており、それは昨夜よりも少しだけ成長しているようにも見えた。後、肩を見ていたら視界の端に浩平の雄っぱいが俺の目に映った。
見ようとして見たのではない。自然に視界に入ったんだ。浩平の雄っぱいの中心部にある乳首はまるで遊び人の乳首のようにドス黒い色をしていた・・・漆黒だった。右の乳首周辺には長いムダ毛が一本だけびょ~んと生えていた。疲れていた俺は少しだけ疑いを抱いた。
こいつ実は・・・童貞のフリをしている遊び人じゃないだろうな・・・って。
「引っこ抜いてみるか?それか燃やしてみるとか?」
そんなろくでもない余計なことを考えていたら話しかけられていた。一瞬一本だけ生えている乳首のムダ毛の話かと思ったが常識的に考えて肩から生えているこいつの話だろう。植物なら燃える可能性はある。これがまともな植物ならな。
「・・・これを目印に追って来るのなら、試す価値はあるな」
考えた末に俺はそう返事をした。
「「・・・それで、誰が試す?」」
お互いに目を伏せて無言になっていた。
試して上手くいけば良い、だがダメだった時はどうなる?
アイツは逃げるなと言った。
逃げれば酷い目に合わせるとも・・・家族も殺すとも言った。
引き抜くと言うことは逃げる行為と思われる可能性は・・・ある。
幸い今のところ、家族の有無や住んでいる場所はばれていないはずだった。なぜならそのことについて俺たちは尋問を受けていないし、身分証を落とすようなへまもしていなかった。尾行されているにしても俺たちは家に帰ったりはしていない。
つまりアイツが俺たちについて知っているのは顔と声と現在地だけだ。そのはずだ。
今なら試したとして・・・失敗しても被害は俺たちだけで済む・・・・・・・・はずだ。そのはずだ。
肩を触られただけで記憶を読むような能力やこの肩に植えられた植物から思考や記憶を読む能力を持っていたら話は別だが・・・幸い吸血鬼にそんな能力があるというような話は聞かない。
さて、次は逆に考えてみよう、アイツの言うとおりにして誰か女を連れて行ったとしよう。その時に俺たちが無事に解放される可能性は・・・どのくらいあるだろう。
極めて低い・・・そう思う。その上騙して連れて行った女は確実に血を吸い尽くされて死ぬ。ミイラの様に枯れ落ちる女の姿を今度は特等席で見ることになるだろう。
アイツの俺たちを見る目はどうでも良さそうだった。血が不味そうだからどうでも良い・・・何の役にも立たないなら無礼なことをした俺たちに罰を与えよう。そんな目に見えた。
おそらく・・・アイツの言うとおりにしてもしなくても俺たちはいずれ殺される。俺たちの今の状態は多分アイツにとって一種の遊び・・・・・だ・・・糞ッタレ。ぶち殺してやりたい。
俺は悶々と答えの出ない堂々巡りになる思考を続けていた。
ふと、寝る前に浩平が呟いていた言葉を思い出した。
「・・・いもうとのカナコ・・・に会いたい」
絞り出すような・・・助けを求めただ震えるような声だったのを覚えている。
普段は気丈で馬鹿な男が漏らしたまるで悲鳴のような・・・悲痛な声だった。
俺みたいなどうしようもない馬鹿でも・・・聞いていて胸が痛くなるような声だった。
・・・・・・・・・・
「俺が浩平を誘ったんだし俺がやるよ。見ててくれ」
怯える気持ちは当然あった。だが、この事態を招いた原因は俺だ。俺が誘わなければこんなことにはならなかった。恐怖よりも罪悪感の方が・・・強かった。この馬鹿のあんな悲痛な声はもう聞きたくなかった。
気持ち悪い血のような色をした俺の肩から生えている植物の芽を掴んだ。
そして力を込めて引き抜こうとしたが・・・。
「「抜けないな」」
「・・・燃やしてみようと思う。ライター持ってないか?」
浩平にそう問いかけた。
「これを使ってくれ」
準備の良い浩平なら持ってきていると思っていた。俺はライターに火を灯し肩の植物を燃やそうとした。
「・・・燃えないな。焦げもしないし、肌が熱いだけだ」
そこまで期待はしていなかったがやはりダメか。
俺と浩平は力なく肩を落とした。