22話 憔悴
今思えば幻聴だったように思う。
現実でもケタケタと聞こえる笑い声に俺の精神は少しづつ追い詰められていった。
眠ればまたあの夢を見る。そう考えると安心して眠りにつくことも出来なかった。
俺は一人ホテルの部屋で毛布をかぶり震えていた。寒くないのにガタガタと震えが止まらなかった。
一週間ほどそんな日を過ごしただろうか。病院から俺宛に呼び出しの電話がかかってきた。
一週間経ったが浩平はまだ目を覚ましていなかった。
医者の説明では少しづつ本当に少しづつ肉体は回復しているらしい、ただ何故か目を覚まさない・・・要するに原因不明だった。
問題点としては栄養状態がかなり悪いことだと血液検査のデータを俺に見せながら淡々と伝えられた。
点滴で充分すぎる栄養を補充しているのに、何故か不思議と栄養状態があまり改善しないらしい。
まるで底の抜けたバケツに水を必死に入れているような状態だと・・・そんな説明をしていた。
お見舞いして寝ている浩平に声をかけるといい、不思議とそんなことで奇跡的に目が覚めることもある・・・そう勧められて俺は病室に足を運んだ。
病室の扉を開けて部屋に入るとベッドに横たわる浩平の姿が見えた、見る影もなく痩せ細った浩平の身体には点滴の管であろう太めの管が十本以上もついていた。
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痩せ細った浩平の身体には点滴用の管が十本以上ついていた。全身の太い血管に刺された管には点滴から液体が勢いよく流れていた。
底の抜けてしまったバケツが乾いてしまわないように必死に水を入れ続ける。そんな状態に見えた。
浩平のそんな姿を見て居られなくなり俺はフラフラと病室を後にした。
入院の手配をした時に、俺は浩平のお父さんに入院先の病院を伝えていた。
仲が悪いと言っていたが・・・浩平のお父さんは浩平のあの姿を見たのだろうか?
見て・・・しまったのだろうか?
そんなことを考えてしまうと俺は無性に何もかもやるせなくなり自分のことが許せなくて仕方なかった。そして限界が来た俺は立つことすらできなくなり、フラフラゆっくりと床に倒れ込んだ。そして病院の廊下に吐瀉物をぶち撒けた。
吐瀉物には綺麗な血が混じっていた。
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俺は浩平の実家の前に立っていた。
吐瀉物の始末をした後、俺は浩平の実家に電話をした。
罪悪感に耐えきれなかった俺は浩平のお父さんに浩平があんな姿になってしまったことの原因の説明と謝罪をしたい、端的にそれだけを伝えた。
「明日にでも家に来るといい、何時でも私は待ってます」
そう言われた俺は電話を切りホッとした。
ようやく断罪して貰える。浩平の姿を見てから罪の意識に耐えきれなくなった俺は誰かに自分の罪を責めてほしくて仕方なかった。お前は生きている価値のない屑だとボロ雑巾のように容赦なく責められたかった。
多分、クジラの夢や笑い声や日光を浴びることにより発生する体調不良で追い詰められていたのもあるんだと思う。その時の俺は浩平の父親にそんなことを求めて会いにいっていた。
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初めて会った浩平の父親はまるで岩のような男だった。古臭い頭の硬い昔気質の武骨な武人、そんな印象を抱いた。表情はピクリともせずに硬かった。
まずは礼儀正しく挨拶をした。時間をとってくれたお礼を伝えた。
「こんな話をしても信じてもらえるかどうかわからないのですが、嘘をついて誤魔化すのも申し訳ないのです・・・真実を伝えさせてください」
浩平の父親からしたら俺の正気を疑っただろう。実際にこのときの俺は半分近く狂っていたかもしれない。
全てを語り終わり、土下座の体勢で謝罪する俺に対して浩平の父親はこう言った。
「あなたの発言を全て素直に信じる訳にはいきません。ただ、私はあいつ・・・浩平の親です。浩平から親友ができたと・・・そう嬉しそうに語っていたことを私は知っています」
「私は頭の硬い古臭い人間です。非常識なことは素直には信じられません。ただ、息子の信じたあなたの・・・真剣に私に必死に説明してくれたあなたのことは信じたいと思います。嘘は言っていないと」
穏やかな優しい声だった。
「顔をあげてください」
そう促す浩平の父親の言葉に従い、顔を上げた俺が見たものは・・・浩平と良く似た男臭い優しい笑みだった。不器用な笑みをしながらも少しだけ目の縁から涙が流れていた。
俺はその表情に確かな親子の愛情と血の繋がりを感じた。
俺は涙に気づかないフリをした。